富士通グループは、常に変革に挑戦し続け 快適で安心できるネットワーク社会づくりに貢献し 豊かで夢のある未来を世界中の人々に提供します。
常に変革に挑戦し続ける姿勢こそが富士通のDNAです。
創業以来、富士通グループの発展は、それまで誰も考えていないような新しい可能性に着目し、その実現に向けて挑戦し続けていく姿勢を尊重する企業風土に支えられてきました。
あらゆる面においてますます変化・競争が激しくなっている社会においては、より一層社員一人ひとりがチャレンジャーとして変化に挑戦することにより、企業として変革し続けなければなりません。
変革とは、経営環境、技術、人、市場などの変化のなかで、新しい価値を生み出すことです。
富士通グループは、チャレンジングな心で、価値を創造し続けます。
インフォメーション・テクノロジーの進歩は、人々の夢を実現してきました。
この進歩は、とどまるところを知らず、グローバルな規模のネットワーク社会を形成して、ビジネスを変え、生活を変え、社会を大きく変えつつあり、もはや現代社会はITなしには成立し得なくなっています。
富士通グループは、こうしたITインフラを支える企業として、誰もが等しく快適で安心して暮らせるネットワーク社会づくりに貢献するとともに、常にITの新しい可能性を追求し、新しい価値を創造し続けることにより、豊かで夢のある未来を世界中の人々に提供します。
「夢をかたちに」
富士通は、人類の夢を、顧客の夢を、そして富士通の夢をも実現すべき、思考と創造の場であります。
(1989年 入社式社長挨拶 山本卓眞 第九代社長)
社会、企業、家族と個人をつなぐ、豊かなネットワーク社会の形成に貢献していきたいと思います。
(1999年 創立記念日社長挨拶 秋草直之 第十一代社長)
環境対応というのは企業の存続条件です。これからも大事にしていきたいし、確実に実行していく必要があります。
(2007年 経営方針 黒川博昭 第十二代社長)
安定成長と安定的発展を目指して行けば、発展には限りがないのだから、会社はますます良くなるだろう。これから「限りなき発展」という言葉を当社の合言葉として行こう。
(1962年 販売連絡会議 岡田完二郎 第五代社長)
富士通自身が富士通の株主に対して、その投資に見合う利益を還元していくことが必要です。私たちは、投資に対する利益、富士通の企業価値への期待へ応えていく責任と義務があります。
(2007年 くろさん通信「株主の関心とは」 黒川博昭 第十二代社長)
富士通の目標は、「お客様が競争優位確立の為にITを使いこなし、事業・経営を成功に導く」ためのかけがえのないパートナーになりたいという事である。
(2003年 くろさん通信「スピーチノート」 黒川博昭 第十二代社長)
富士通の事業は皆様(お取引先)のご協力がなければ成り立ちません。パートナー(お取引先)の皆様とともに、富士通は総合力を最大限に活かし、お客様の経営を支えます。
(2007年 お取引先懇親会挨拶 黒川博昭 第十二代社長)
今後とも当社が“限りなき発展”をしていくためには、新しい高度の技術の開発に積極的に取り組んでいかなければなりません。常に目的意識をはっきりさせ、あらゆる角度から種々の方策を考え、その中でもっとも良い方向を選ぶことが「創造」です。
(1977年 「富士通ニュース」 小林大祐 第八代社長)
単に欠陥をなくすというだけでなく、更に一歩前進して「信頼性を高める」ことに総力を結集する。
(1966年 「高信頼性運動の実施に当たって」 岡田完二郎 第五代社長)
お客さんに売るのは機械でなく信頼だよ。
(1995年 「小林大祐さんの思い出」 小林大祐 第八代社長)
吉村萬治郎。
京都府生まれ。
旧姓は木村。
古河市兵衛の甥であり、市兵衛の実兄(木村長右衛門)の孫に当たる。
古河家親族の中川末吉らと共に財閥解体まで古河財閥の要職を歴任した。
古河財閥総帥の古河虎之助は義兄。
1908年(明治41年)慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学部法律科卒業。
ドイツのハレ大学、ベルリン大学に留学。
1911年(明治44年)合名会社古河鉱業の鉱業部門の分離独立による古河鉱業株式会社設立に、古河虎之助・木村長七・吉村の3名で出資者となる。
1915年(大正4年)古河合名会社入社。
1916年(大正5年)古河銀行設立。
1917年(大正6年)持株会社古河合名商事部門(古河商事)専務取締役を経てのちに副社長。
1921年(大正10年)古河合名鉱業部門(古河鉱業)社長。のち古河財閥代表社員。
1931年(昭和6年)古河財閥とドイツ・シーメンス社の合弁により、富士電機製造(現・富士電機ホールディングス)社長に就任。
1935年(昭和10年)通信機部門を分離させて、富士通信機製造株式会社(現・富士通)を創業し、初代社長に就任。
同時に生え抜きの梶山秀男および和田恒輔が取締役に昇格した。
1946年(昭和21年)公職追放令に基づく追放指定(公職追放)。
1969年(昭和44年)経済団体連合会理事などを務め、死去。83歳。
一、慣れた仕事に油断なく、特に要所への注意を怠らざる事
二、顧客との間に面倒を生じたる場合には、顧客の心を心として速かに対策を樹(た)て円満なる解決を期する事
三、研究設備、陣容の充実と共に研究心の旺盛を期する事
母体であった富士電機製造株式会社の社名は、同社が古河電気工業株式会社とドイツのシーメンス社との合弁で設立されている事に由来しており、「古河」の「フ」と、シーメンス社のドイツ語読みの「ジーメンス」の「ジ」をつなげて「フジ → 富士」と名付けられた。
従業員のすべてが喜びと誇りを感ずる様な会社にせねばならないと痛感した。
当時我々の考えた事はマイニングは次々と鉱山を開発していくという処に事業の発展があるのだが、事業の性質上鉱源に支配されることが避け難く遂にはいくら努力しても最早報いられないという場合が起りうる。処がインダストリーは人間の努力次第でたとえ行きづまりがあってもなおよく打開し進展して行ける。ここにインダストリーをやってゆく上の妙味があると考えた。その代り之は楽ではない。知恵と勉強と努力の競争に終始する。然し前途に無限の進歩が予想され、努力に努力を重ねて勝抜いていくという処に事業の社会的使命も果され又従業員としての働く者の喜びもあるのだと思う。
顧客との間に面倒を生じたる場合には、顧客の心を心として速やかに対策をたて円満なる解決を期すること。
1923年関東大震災によって東京・横浜は焦土と化し、電信・電話設備も壊滅的な打撃を受けました。
電話設備の復旧にあたり逓信省(現在の総務省)は、「自動交換機方式」という欧米でも導入が始まったばかりの方式の採用を決定します。
これをきっかけとして、日本における通信の目ざましい発展が始まりました。
この発展に寄与したのが、1923年設立の「富士電機製造株式会社(現在の富士電機株式会社)」でした。
もとは発電機・電動機の国産化を目的にドイツのシーメンス社と古河電気工業がつくった会社で、シーメンス社製の交換機・通信機器の輸入販売を行っていましたが、後にステップバイステップ自動交換機の国産化に成功します。
この会社から通信機部門が分離独立して1935年、「富士通信機製造株式会社」が誕生し、今日の富士通が始まりました。
富士通は「通信(Communications)」という公共性の高いインフラの発展に、先端技術をもって貢献する会社として出発しました。
1935年6月 富士電機製造株式会社(現・富士電機株式会社)の電話部所管業務(交換、伝送)を分離し、富士通信機製造株式会社(現・富士通株式会社)を設立
1938年9月 新工場(現・川崎工場)を竣工し、富士電機の川崎工場より移転
1939年 無線分野進出
1940年 日本初の国産自動交換機「T形交換機」を逓信省に納入
1945年12月 戦後の電話設備復旧に貢献するため、当社製電話機、富士形3号電話機として逓信省が正式採用
1949年5月 東京証券取引所再開と同時に新株式を上場
1953年 株式取引高精算用計算機を試作
1954年3月 既存の搬送装置を小型化した「M形搬送装置」を完成、電電公社による戦後の通信設備復興に貢献
10月 日本初の実用リレー式自動計算機「FACOM 100」を完成
1956年 富士通初の商用リレー式科学用計算機「FACOM 128A」を完成
1958年10月 日比谷に日本初の電算機ショールームを開設
1962年5月 「富士通研究所」を研究開発の中核として設置(1968年に(株)富士通研究所として独立)
11月 英文社名を「FUJITSU LIMITED」とする
1964年4月 日本初のデータ通信システム「FACOM 323」を完成、日興証券株式会社に納入
1967年3月 初の駐在員事務所をニューヨークに開設
6月 「富士通株式会社」に社名を変更
1968年 大型汎用機「FACOM 230-60」を発表、大ベストセラーに
11月 全国地銀オンラインシステムを稼動
1971年 米アムダール社に資本参加 日立と次期計算機開発で提携
1972年1月 ビジネスリーダーの育成を目指し、ハワイに「日米経営科学研究所(JAIMS)」を設立
1974年11月 汎用機「FACOM Mシリーズ」を発表
1975年 海底同軸ケーブルシステムを日本で初めて輸出、西独~スウェーデン間(210km、1200ch)を開通
1977年8月 日本初のスーパーコンピュータFACOM230‐75 APU完成
1979年4月 汎用コンピュータで漢字を扱える世界初の日本語情報システム「JEF」を発表
1980年3月 コンピュータ売上高で国内トップに躍進
5月 日本語ワードプロセッサ「OASYS 100」を発表
6月 富士通研究所、超高速半導体素子HEMTを発表
1981年 世界初のフルデジタル電子交換機「FETEX-150」、シンガポールから1号機を受注
5月 パーソナルコンピュータ「FM-8」を発表
1982年8月 世界最高速の135Mbps光伝送システムを米MCI社に納入、ニューヨークに設置
1984年 「FACOM Kシリーズ」でオフコン市場トップに
1990年11月 英ICL社に80%資本参加
1991年4月 携帯電話ムーバF発表
1992年6月 情報・通信システムの総合サービス体系「PROPOSE」を発表
1993年10月 Windows時代に対応する国際標準パソコン「FMVシリーズ」を発表
11月 スパコン「数値風洞システム」(NWT)
1995年5月 世界最高速CMOS汎用プロセッサと並列処理技術を採用したグローバルサーバ「GS8000シリーズ」を発表
8月 42型のカラーPDP(プラズマディスプレイパネル)を世界で初めて商品化
12月 アウトソーシングサービスの拠点として「富士通館林システムセンタ」を開設
1996年3月 第5回地球環境大賞を受賞
1997年9月 米アムダール社を100%子会社化
1998年10月 英ICL社を100%子会社化
1999年6月 国内初 環境会計制度の導入
7月 事業戦略「Everything on the Internet」を発表
10月 独シーメンス社との合弁で「富士通シーメンス・コンピューターズ」を設立
2000年12月 世界最大容量の1.76Tbps光波長多重伝送システムが完成(02年に市村産業賞を受賞)
2002年 The FUJITSU Way(現FUJITSU Way)を制定
2月 プラットフォームコンセプト「TRIOLE」を確立 TRIOLEのイメージ画像
世界最高速の大型汎用機「GS21 600モデルグループ」を販売開始
4月 欧州、北米のサービス事業を再編し、「富士通サービス」「富士通コンサルティング」を設立
2003年 光伝送システム「FLASHWAVEシリーズ」が国内および北米市場でトップシェアに
11月 ソリューションビジネスの戦略拠点として「富士通ソリューションスクエア」を開設
2005年4月 基幹IAサーバ「PRIMEQUEST」を発表
6月 非接触型手のひら静脈認証装置「PalmSecure」ビジネスをワールドワイドに展開
2006年3月 海外グループ会社を含めたISO14001グローバル統合認証を取得
2007年4月 オープンシステムの新標準となる最速、高信頼性のSolaris/SPARCサーバ「SPARC Enterprise」を投入
フィールドイノベーションを提唱し、フィールド・イノベータの育成を開始
2008年3月 LSI事業を会社分割により分社し、富士通マイクロエレクトロニクス(株)を設立
2009年4月 富士通シーメンス・コンピューターズを100%子会社化し、富士通テクノロジー・ソリューションズを設立
2010年1月 (株)東京証券取引所の株式売買システムarrowhead稼働
4月 クラウド・コンピューティング時代に向けた国内最大規模のショールーム・検証サポート施設「富士通トラステッド・クラウド・スクエア」を開設
6月 富士通のブランドプロミス「shaping tomorrow with you」を策定
2011年3月 東日本大震災
11月 スーパーコンピュータ「京」※が世界初の10ペタフロップス超えを達成、2期連続世界1位に
2012年4月 中国広東省管轄政府系企業と共同で、富士通中国華南データセンターを開設
8月 事業継続マネジメントシステムの国際規格「ISO22301」の第三者認証を富士通グループが世界で初めて取得
10月 食・農クラウド「Akisai」提供開始
2013年4月 全社ビジョン「ヒューマンセントリック・インテリジェントソサエティ」を基軸に技術・商品を新たに体系化した「Fujitsu Technology and Service Vision」を策定
2014年3月 EMEIA、アメリカ、アジア、オセアニア、日本の5リージョンに再編し新たなグローバルマトリクス体制を構築
11月 ビジネス創出とグローバルエコシステム形成に向けたIoTプラットフォームを提供
2015年2月 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会ゴールドパートナーに決定 (データセンター)
6月 富士通創立80周年
9月 デジタル革新を実現するデジタルビジネス・プラットフォーム「MetaArc」を提供
11月 AI技術を「Human Centric AI Zinrai」として体系化
2016年1月 環境教育出前授業が「LCA日本フォーラム奨励賞」を受賞
2月 米フォーチュン誌「世界で最も賞賛される企業」に4年連続で選出
「革新性」、「国際競争力」、「社会的責任」で高い評価を獲得