大塚商会は多くの企業に、情報・通信技術の革新によってもたらされる新しい事業機会や経営改善の手段を具体的な形で提供し、企業活動全般にわたってサポートします。そして、各企業の成長を支援し、わが国のさらなる発展と心豊かな社会の創造に貢献しつづけます。
社会から信頼され、支持される企業グループとなる。
従業員の成長や自己実現を支援する企業グループとなる。
自然や社会とやさしく共存共栄する先進的な企業グループとなる。
常に時代にマッチしたビジネスモデルを創出しつづける企業グループとなる。
常にお客様の目線で考え、お互いに協力して行動する。
先達のチャレンジ精神を継承し、自ら考え、進んで行動する。
法を遵守し、社会のルールに則して行動する。
ITをとりまく市場環境は急激に変化しています。
時代の変化に対応し、ミッションステートメントを具現化させるための、三つの「やるべきこと」を定めます。
当社はメーカーの単なる販売代理店ではありません。お客様のご希望を十分にヒアリングしながら、検討要素をご提案し、一緒に商品選定ができるようなパートナーでありたいと思っています。お客様のビジネスに本当に役立つため、お客様の立場になって考え、課題やビジョンなども共有させていただけることが願いです。当社は、お客様とともに歩めるような関係を目指します。
当社が目指すのは、各スタッフが各自の役割を認識しながら自律的にコラボレーションし、柔軟に姿を変えていく小魚の大群のような組織です。集団として力を合わせながら、しなやかに障害物を克服していきます。
社員に喜ばれ、社員が誇りとし、社員が家族から感謝される会社を作る――創業時の社訓にあったそのビジョンはそのままに、社会の状況に合わせて仕組みや制度、運用体制等を整えます。
大塚実。
1922年(大正11年)生まれ、栃木県益子町出身。
中央大法学部を1944年の学徒出陣により卒業。
戦後1947年に理研光学(現リコー) に入社。
その後、理研紙工業、ルミナ閃光電球、山本商会、と系列会社を渡り歩きながら、営業マンとして優秀な成績をあげる。
しかし成績が上がるにつれ上司との対立も増えていったという。
1961年市村清社長(リコーの創業者)に退陣を求めてストライキを決行。
敗れて会社を辞め、独自に大塚商会を設立した。
顧客から連絡があれば15分以内で担当者を派遣できるスピード対応を最大の売りにし、多店舗展開を推進。
事務機器(特にコピー機)の販売を手がけるが、大企業には大手が入り込んでいる上に入金が遅く、資金力の無い身にはきついので、中小企業に機器の実物を見せて即金で販売する手法で営業活動をするも、これが結果的にこの会社を大きく成長させることになった。
1969年には亡くなる直前の市村リコー社長と和解してリコー製品も取り扱うようになる。
1970年代になるとセイコーの構造計算機の取り扱いから進んでUSACのオフコンを取り扱い始めるが、内田洋行側が取引条件を厳しくしてきたため、他社への乗換を検討。
ちょうど当時、強い販売店網を持たず、良い条件で契約することのできた日本電気のオフコンを販売することになった(1976)。
これが同商会を大きく飛躍させることになるとともに、日本電気にとっても大きなビジネスとなった。
1980年代にはパソコン事業、ネットワーク事業などにも手を染め、1990年代にはαランドを作って店舗での個人向け販売も始める。
2000年 東京証券取引所市場第一部に株式を上場。
2001年7月19日社長職を長男の大塚裕司に譲って、第一線からは引退した。
2002年経済産業省大臣賞受賞。
2004年相談役名誉会長に就任。
2019年9月老衰のため死去。享年96。
昨日までの専門家、必ずしも明日の専門家ではない
会合には5分前には到着するようにするのが鉄則。そのためには15分前には着くような段取りをすべき。完全に守るというのではあれば30分前には現地の近くにいなくてはならない。私は、だいたい30分ぐらい前に着いて、近くの横道で車を止めて待っている。自社の支店や現場への訪問の際もそうだ。自分が待っても、人を待たせてはいけない。これは大塚商会のいい伝統として引き継いでもらいたい
保守料は金、パーチャーは銀
人は長所を使え
大塚商会は積極的な営業スタイルで、攻撃的な社風に見られがちです。しかし、それだけではありません。私は「六守四攻」と呼んでいますが、事業は、攻めが四、守りが六くらいがちょうどいい。営業が努力してユーザーを獲得しても、守りをおろそかにして、その後競争相手に取り返されては元も子もない。
困難を味方にする
情報伝達に組織はない
今のユーザーを大事にすることです。私はおいしそうな話があっても、今いるユーザーの不満をなくすことを優先する。そうすることで実績を積み上げてきました。
人を使うというのは自尊心を使うこと
カメの歩みはウサギよりも速し
亀は目的に向かって、休まずに足元を固めながら歩く。雨の日も風の日も、景気のいいときも悪いときも一歩ずつ動く。一方、兎は必ず一時休止する。兎のような生き方が過信を招き、今の経済で深刻なブレーキとなった
経営には病的なほど心配性であることが必要
不安への対処が勝負を分ける
天は自ら助くるものを助く
大丈夫という言葉は、やたらに使うものではない。また、戦術、戦略には、ベストというものはない。常にベターであり、さらにいいものがあるという発想でいなればならない
経営者と社員が信頼感をもって結ばれ、家族も含めて本音で付き合える会社にしたい
至誠・勤労・分度・推譲
大志を抱き精魂を傾ける
1961年
7月17日 大塚実により東京・秋葉原で創業(複写機事業)
12月に株式会社として発足
1962年
大森支店開設
1963年
新宿支店開設
1964年
赤羽支店、亀戸支店開設
1965年
大阪支店、港支店開設
1966年
南支店、日本橋支店開設
1967年
東支店開設
第2大塚ビル(大森支店)、第3大塚ビル(赤羽支店)竣工
1968年
渋谷支店開設
水道橋に第1大塚ビル(本社)竣工
リコーと取引開始
1969年
台東支店、銀座支店、池袋支店開設
1970年
オフコン事業に進出
五反田支店、杉並支店、江戸川支店、浪速支店、千代田支店、赤坂支店、川口支店開設
第4大塚ビル(亀戸支店)、第5大塚ビル(新宿支店)竣工
1971年
三鷹支店、田端支店、東大阪支店開設
1972年
世田谷支店開設
1973年
川崎支店、北支店開設
第6大塚ビル(大阪支店)竣工
1974年
横浜支店、四谷支店、上大岡支店開設
1975年
神田支店、浦和支店、足立支店、淀川支店、立川支店、江東支店開設
第8大塚ビル(田端支店)、第7大塚ビル(川口支店)竣工
1976年
第9大塚ビル(横浜支店)竣工
日本電気(NEC)と取引開始
1977年
第1回ビジネスシステムフェア(現:実践ソリューションフェア)開催
1978年
「COF戦略(コピー、オフィスコンピュータ、ファクシミリの3種を取り扱う総合販社を目指す戦略)」開始
八重洲支店、川崎北支店、船橋支店、四ツ橋支店、守口支店、練馬支店、文京支店開設
1979年
オフコン用基幹系ソフト『SMILE』発売
代々木支店、池上支店、八王子支店、千葉支店、堺支店、尼崎支店開設
第10大塚ビル(船橋支店)竣工
信州精器(現:セイコーエプソン)と取引開始
大和支店、越谷支店開設
1981年
「ニューCOF戦略」を開始しPC・ワープロ事業に進出
自社開発のPC用表計算ソフト『PC-PAL』発売
第11大塚ビル(横浜支店新館)竣工
1982年
OAセンター、OAショップ、PCスクールを開設
藤沢支店、松戸支店開設
1983年
平塚支店、所沢支店、神戸支店開設
1984年
PC用CADソフト『PC-CAD』発売
CAD事業に進出
虎ノ門支店、国分寺支店、葛西支店、平野支店開設
大塚システムエンジニアリング(現:OSK)設立
1985年
熱海にホテルニューさがみやをオープンし、ホテル事業に進出
板橋支店、駿河台支店開設
1986年
新都心支店、自由が丘支店、蒲田支店、熊谷支店開設
キヤノンと取引開始
1987年
ネットワーク事業に進出
厚木支店開設
大塚オートサービス設立
ホテル琵琶レイクオーツカをオープン
1988年
青山支店、佐倉支店、相模原支店開設
ホテル一宮シーサイドオーツカをオープン
1989年
茨木支店開設
「大塚システム研究所・市川物流センター(現:市川ビル)」竣工
1990年
「トータルαサービス(現:たよれーる保守サービス)」開始
京都支店、八丁堀支店、大塚支店、西本町支店、川越支店、名古屋支店開設
大森ビル、南大塚ビル竣工
ネットワールド設立
1991年
オフコン部門とパソコン部門の統合
芝支店、福岡支店、神戸中央支店、武蔵野支店開設
新宿ビル、立川ビル、大宮ビル竣工
ホテルいじか荘をオープン
「トータルネットワークサポートセンター(TNSC)」開設
1992年
人形町支店、横浜北支店、幕張支店開設
亀戸ビル竣工
1993年
αランド1号店を福岡に開設
PC用基幹系ソフト『SMILEα』発売
宇都宮支店開設
第二新宿ビル竣工
日本IBM、コンパック(現:日本HP)と取引開始
1994年
札幌支店、三河支店開設
1995年
ISP事業『α-Web』開始
グループウェア『Joinus-PC』がIPAよりソフトウェアプロダクトオブザイヤー’95を受賞
1996年
府中支店、福生支店、春日部支店、市原支店、仙台支店、広島支店開設
アルファテクノ設立
ゼネラルリサーチ(現:アルファシステム)を子会社化
1997年
柏支店開設
テンアートニ(現:サイオステクノロジー)、合弁会社 震旦大塚有限公司(現:大塚資訊科技)、アルファネットワーク24(現:アルファネット)設立
東京CTOセンター開設
1998年
ネットワークセキュリティ事業に進出
一宮シーサイドオーツカに研修棟「αプラザ」オープン
「東京CTOセンター」でISO9001を取得
1999年
オフィスサプライ通信販売事業『たのめーる』開始
ドキュメントソリューション『ODS2000(現:ODS21)』の提供開始
Webサービス事業『α-Mail』開始
2000年
宇都宮ビル竣工
「大塚インターネットデータセンター」開設
東京証券取引所第一部に株式上場
国内14事業所でISO14001の認証を取得(現:25事業所)
2001年
大塚裕司が代表取締役社長に就任
総合セキュリティマネジメント『OSM』の提供開始
天王洲支店開設
上海に合弁企業として上海華之桜を設立
2002年
ミッションステートメント制定
社団法人企業情報化協会よりIT総合賞を受賞
「トータルαサポートセンター(現:たよれーるコンタクトセンター)」がBEST Help desk of The Year 2002奨励賞受賞
2003年
千代田区飯田橋に本社ビル竣工、本店所在地を移転
オオツカ上海設立
「トータルαサポートセンター」がHDI国際認定取得
2004年
『たのめーる』の個人向けサービス『ぱーそなるたのめーる』開始
2005年
『たのめーる』でプライベートブランド『TANOSEE』を開始
プライバシーマーク認定を取得
2006年
サービス&サポート事業を『たのめーる』と『たよれーる』の2大ブランドに集約
欧智卡信息系統商貿(上海)有限公司を設立
2007年
『SMILEシリーズ』のブランドをOSKに一本化
2008年
LED照明電球の取り扱い開始
ライオン事務器と業務・資本提携
2009年
「たよれーるマネジメントサービスセンター」設立
2010年
たのめーる物流センター開設
iDC第5・第6センター開設
2011年
創業50周年
全館LED照明を採用した横浜ビル竣工
2012年
日本IR協議会「IR優良企業特別賞」を受賞
2013年
東京大学 I-REF棟にLED照明やスマートコンセントを寄贈
2014年
東日本物流センターを開設
IPv6・高度化推進協議会から表彰
2015年
株式会社OSKと株式会社アルファシステムが合併
2016年
西日本物流センターを開設
2017年
高崎支店を開設
2018年
つくば支店を開設