「日本電気株式会社(NEC)」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『岩垂邦彦』/沿革・歴史など~

「日本電気株式会社(NEC)」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『岩垂邦彦』/沿革・歴史など~

「日本電気株式会社(NEC)」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

「日本電気株式会社(NEC)」のNEC Way

 

 

 

社会価値の創造

 

 

 

 

「日本電気株式会社(NEC)」のブランドステートメント

 

 

 

Orchestrating a brighter world

 

 

 

NECグループは、「社会価値の創造」に向けた思いをグローバルに発信していくために、ブランドステートメントを2014年に発表しました。

 

未来に向かい、人が生きる、豊かに生きるために欠かせないもの。

それは「安全」「安心」「効率」「公平」という価値が実現された社会です。

NECは、ネットワーク技術とコンピューティング技術をあわせ持つ類のないインテグレーターとしてリーダーシップを発揮し、卓越した技術とさまざまな知見やアイデアを融合することで、世界の国々や地域の人々と協奏しながら、明るく希望に満ちた暮らしと社会を実現し、未来につなげていきます。

 

 

 

 

 

「日本電気株式会社(NEC)」の企業理念

 

 

 

 

NECはC&Cをとおして、世界の人々が相互に理解を深め、人間性を十分に発揮する豊かな社会の実現に貢献します。

 

 

 

元会長の小林宏治が、1977年10月10日にINTELCOM77にて「C&C」(コンピュータと通信の融合:the integration of computers and communications)のコンセプトを発表しました。

その後、NECグループは、C&Cを企業戦略として発展し続け、1990年に、私たちの使命・存在意義として、「企業理念」を明文化しました。

 

 

 

 

 

「日本電気株式会社(NEC)」のNECグループビジョン

 

 

 

 

人と地球にやさしい情報社会をイノベーションで実現するグローバルリーディングカンパニー

 

 

 

NECグループは、「人が生きる、豊かに生きる」ことを念頭において、安全、安心、効率、公平で豊かな社会を実現するために、世界中の政府、企業に対する基盤の提供者として、また自ら主体者として貢献します。

今日より明日、明日より明後日よりよく生きることができるように新しい価値を提案創造し続けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本電気株式会社(NEC)」の創業者・創立者『岩垂邦彦』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

岩垂邦彦(NEC創業者)

 

 

 

岩垂邦彦。

豊前国豊津(現在の福岡県京都郡みやこ町、旧・豊津町)に小倉藩士・喜田村修蔵の次男として生まれる。

 

修蔵は岩垂家から喜田村家に婿養子として入ったが、岩垂家の後嗣がなかったため、邦彦が岩垂家を継ぐこととなった。

1868年(明治元年に修蔵が東京で暗殺されたため、仇討ちを志して兄とともに上京した。

 

しかし、国家に尽くすことが真の孝行と考えて仇討ちを断念し、豊津に戻ると1870年(明治3年)に小倉藩が開校した育徳館およびその分校である洋学校で学ぶ。

1875年(明治8年)に再度上京して同年10月工学寮の予備教育校に入学。

 

翌年4月に工学寮(在学中に工部大学校に改組)に官費入校した。

1882年(明治15年)に工部大学校電信科(現:東京大学工学部)卒業後、工部省の電気技師として従事する。

 

1886年(明治19年)に横浜にあるフレーザー商会の紹介状を手に渡米し、エジソン・マシンワークス(現:ゼネラル・エレクトリック)に入社。

テスティング・ルームと呼ばれるトーマス・エジソンの施設で勤務する。

 

発明王のトーマス・エジソンに直接に学んだ数少ない日本人の一人となった。

エジソンの下でトップセールスマンとしても活躍し、ニューヨーク一の電球の売上実績を買われ、65人の幹部社員の一人に選ばれた。

 

 

アメリカでの2年の勤務経験を経て、1888年(明治21年)、現在の関西電力の前身である大阪電灯が発足したとき入社し、初代技師長に就任した。

その後、大阪電灯が発電機などを自社生産する動きを見せると、トムソン・ウェスタンが合併したゼネラル・エレクトリック(GE)との信義にもとるとして退社。

 

1894年(明治27年)、岩垂電気商店を設立した。

GEは日本での販売代理権を岩垂に与え、岩垂電気商店はGE製品の輸入販売を手がけた。

 

1895年(明治28年)、ウェスタン・エレクトリック(AT&Tテクノロジーからルーセント・テクノロジーズを経て現・アルカテル・ルーセント)の販売代理権を得て営業代理に配属。

 

これを期に岩垂とウェスタン・エレクトロニック社とパートナーシップを結ぶことになった。

これを受け、岩垂は自ら会社を興して合弁の受け皿とすることを申し出て新会社が同年8月に発足した。

 

この際、岩垂は経営不振に陥っていた三吉正一の三吉電機工場を買収し、これが本社工場となった。

その翌年、日本及び欧米諸国間の条約が改正されて合弁会社設立へとなり、1899年(明治32年)7月17日に日本電気株式会社を設立、取締役専務に就任した。

 

ウェスタン・エレクトリック社が株を54%保有することが決まり、日本で初となる外国資本との合弁会社となった。

岩垂はこの社長に就任し、その後25年以上もトップリーダーとしてNECを牽引していった。

 

50%以上が外国資本であったことを危惧する国家政策から、住友、三井などの大資本が参画して、経営権を把握、1926年(大正15年)に取締役会長に就任し、1929年(昭和4年)に退任した。

 

1934年(昭和9年)、これまでの功績が称えられ、勲五等瑞宝章を受章した。

2009年11月、故郷のみやこ町にある福岡県立育徳館中学校・高等学校(育徳館の後身)に記念碑が建立された。

 

 

 

 

 

岩垂邦彦(NEC創業者)の名言・考え方

 

 

 

10の得意先を失えば、それに代わる20の新しい得意先を開拓する。

 

 

 

 

Better Products, Better Service

 

 

 

 

 

「日本電気株式会社(NEC)」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

1899年
日本電気株式会社設立(7月17日)

 

 

1902年
総合PR誌「日本電気月報」創刊

 

1919年
1号大形共電式市外交換機の国産化に成功、東京中央局に納入

 

1922年
第9および第11工場完成、創業以来の工場建設計画を完了

 

1923年
関東大震災で工場の半ばが倒壊

 

1924年
PR・技術誌「日電月報」を創刊

 

1927年
A形私設自動交換機の国産第一号機を三越呉服店に納入

 

1928年
NE式写真電送装置(国産第一号)を完成、昭和天皇即位の大典で写真電送に成功

 

1929年
局用A形自動交換機の国産化に成功

 

1931年
ラジオ放送機の自社製作に成功、岡山放送局に納入

 

1936年
玉川向工場を開設

 

1939年
国産テレビを試作、翌年、大阪阪急百貨店で公開実験に成功

 

1943年
住友通信工業株式会社に社名変更

 

1945年
玉川向製造所、空襲で大きな被害を受ける

 

1945年
社名を日本電気株式会社に復帰(11月)

 

1948年
新技術誌「NEC」創刊

 

1950年
トランジスタの研究開発に着手

 

1952年
通信工業界初のデミング賞受賞

 

1953年
マイクロ波PTM多重通信装置を東北電力に納入(日本初の無人化マイクロ波中継回線)

 

1953年
ラジオ事業部を分離し、新日本電気を設立

 

1954年
テレビ放送装置の国産化に成功、大阪テレビと中部日本放送から受注

1954年
コンピュータの研究開発に着手

 

1956年
局用クロスバ自動交換機国産第一号を完成、栃木県三和局に納入

 

1958年
パラメトロン式電子計算機を完成、東北大学に納入

 

1958年
国産初のトランジスタ式電子計算機「NEAC-2201」を完成

 

1960年
集積回路(IC)の開発を開始

 

1960年
日本で初めての商用電子交換機を完成、三越に納入

 

1961年
事業部制を採用、5事業部体制に(通信機、電波機器、電子機器、電子部品、商品)

 

1962年
相模原工場を開設

 

1963年
ニッポンエレクトリック・ニューヨーク(のちのNECアメリカ)設立

 

1963年
ADR(米国預託証券)を発行

 

1964年
府中事業所を開設

 

1964年
東京オリンピックの実況テレビ国際衛星中継で、NECの衛星通信機器が活躍

 

1965年
ZD(Zero Defects)運動を開始、産業界への普及の先駆けに

 

1965年
日本初のPCM(パルス符号変調)通信装置を完成

 

1968年
144ビットnチャネルMOS(Metal Oxide Semiconductor)メモリの開発に成功

 

1968年
カラーテレビ第1号「オートカラー太陽」発売

 

1969年
横浜事業場を開設

 

1969年
鹿児島日本電気設立、以後「地方分身会社」を各地に設立

 

1970年
日本初の人工衛星「おおすみ」を東京大学宇宙航空研究所に納入

 

1970年
「公害防止環境管理部」を設置、公害防止活動の運用管理体制を構築

 

1971年
全自動郵便処理システム「NS-100」を開発

 

1972年
クオリティ作戦(Q作戦)を開始

 

1974年
新コンピュータシリーズ「ACOSシリーズ77」を発売

 

1975年
新中央研究所を川崎市に開設

 

1975年
日本電気ソフトウェア設立、以後「分身ソフトウェア会社」を各地に設立

 

1976年
4ビットマイコン新ファミリー「μCOM-41」を発売

 

1977年
デジタル電子交換機「NEAX61」を米国で発表

 

1977年
インテルコム77(米国アトランタ)でC&Cを提唱

 

1979年
「C&C元年宣言」朝日新聞に初めての全面4頁の元旦広告

 

1979年
パーソナルコンピュータ「PC-8001」を発売

 

1981年
NECエレクトロニクス(UK)およびNECセミコンダクターズ(UK)を設立

 

1981年
オフコンの新ファミリー「NECシステムシリーズ」を発売

 

1982年
我孫子事業場を開設

 

1982年
16ビットパソコン「PC-9801」を発売

 

1985年
NECアメリカ オレゴン新工場完成、光通信システムの生産を本格化

 

1985年
VAN事業への本格参入

 

1985年
スーパーコンピュータSX-2が世界最高速1.3G FLOPS実測に成功

 

1988年
世界最小のチップ型タンタル固体電解コンデンサを発売

 

1989年
筑波研究所を開設

 

1990年
新本社ビル(NECスーパータワー)竣工

 

1991年
製品容積150ccの折りたたみ型携帯電話機「ムーバN」出荷

 

1991年
世界初のTFTカラー液晶ノートパソコン「PC-9801NC」を発売

 

1991年
カーボンナノチューブを発見、その新物性を予測

 

1992年
「Solution21」を発表、クライアントサーバ時代に対応したSI事業を本格化

 

1994年
オープン系新サーバ「Express5800シリーズ」を発売

 

1995年
世界初の1GビットDRAMを開発(97年には世界初の4GビットDRAMも)

 

1997年
半導体事業グループが第1回「日本経営品質賞」に唯一の企業として選定

 

2002年
世界最高速のスーパーコンピュータ、超高速ベクトル並列計算機「地球シミュレータ」を完成

 

2003年
ケナフ繊維を添加したバイオプラスチック開発

 

2003年
世界最大規模のミッションクリティカルシステム、
iモードゲートウェイシステム「CiRCUS」構築

 

2004年
超薄型実装技術を採用した世界最小・薄型のカード型カメラ付携帯電話を実用化

 

 

2007年
超小型マイクロ波通信システム「パソリンク」が世界シェア一位を達成

 

 

2008年
NECグループ ビジョン・バリューを発表

 

2008年
プログラマブルフロースイッチの日米間での実証実験に成功

 

 

2010年
小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還

 

 

2010年
自動車用高性能リチウムイオン二次電池の電極を量産開始

 

 

2011年
家庭用蓄電システムを販売開始

 

 

2013年
新ソリューション体系「NEC SDN Solutions」を確立

 

 

2014年
社会ソリューション事業のメッセージ「Orchestrating a brighter world」発表

 

 

2015年
企業ブランドメッセージを「Orchestrating a brighter world」に変更

 

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