人間が生まれながらに潜在的に持っている力、すなわち、
・体力
・胆力
・判断力
・断行力
・精力
・能力
という6つの力を100パーセント発揮することによって、運命を切り拓き、病を克服し、完全な人生を築くことができる。
多くの人間はこの潜在的な力を発揮する方法を知らないがために、運命に虐げられ、物事がうまくいかず、苦難に陥ったりするのである。
中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 – 1968年12月1日)は大日本帝国陸軍の諜報員、日本の実業家、思想家、ヨーガ行者、自己啓発講演家。
天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村 三郎(なかむら さぶろう)。
1876年、現在の東京都北区王子に生まれ、王子や本郷で幼少期を過ごす。
父は、旧柳川藩士で、大蔵省初代抄紙局長。
その後、福岡市の親戚の家に預けられ、修猷館中学(現在の修猷館高校)に入学。
すべて英語で授業を行っていたため語学に堪能になる。
柔道部でもエースとして活躍。しかし、練習試合に惨敗した他校生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で相手を刺殺。正当防衛は認められたものの退学になる。
旧制中学退学後陸軍の特殊工作員となり満州へ行く。日露戦争前に活躍し「人斬り天風」の異名をとった。
日露戦争時の1904年、コサック兵にとらわれ、銃殺刑に処せられる寸前に部下によって救出される。
113名いた軍事探偵のうち日露戦争から生還したわずか9名のうちの一人であった。
日露戦争後、30歳にして奔馬性結核を発病。33歳の時、病気のために弱くなった心を強くする方法を求め、米国へ密航。
米コロンビア大学で、自らの病の原因を尋ねて自律神経系の研究を行ったとされる。
その後、英国に渡り、そしてフランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候。
1911年、帰国の途上、カイロにてインドのヨーガの聖人カリアッパ師に出会う。
そのまま弟子入りし、ヒマラヤ第三の高峰、カンチェンジュンガのふもとで2年半修行を行う。
1913年の帰国途上には、中国で孫文の第2次辛亥革命に中華民国最高顧問として協力。
帰国後は、東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任、実業界で活躍する。
1919年、突然、一切の社会的身分、財産を処分し、統一哲医学会を創設。街頭にて教えを説き始める。
政財界の実力者が数多く入会するようになり、会は発展。1940年に天風会に改称する。
東郷平八郎、宇野千代、ロックフェラー三世、双葉山、稲盛和夫、広岡達朗ら、多くの著名人が中村天風に師事した。
・やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらないんです。
・外と中と両方から見ろ。それを学問的にいうならば、科学的に考えると同時に、哲学的に考えろと。哲学的に考えると、科学的な考え方がおろそかになるし、科学的に考えると、哲学的な考え方がおろそかになる。
・幸福や好運は、積極的な心持ちの人が好きなんです。
・一言一語が自分のみでなく、すべての人々にいい影響を与えるし悪い影響も与える。だから、常に積極的な言葉を使う習慣をつくりなさい。常に善良な言葉、勇気ある言葉、お互いの気持ちを傷つけない言葉、お互いに喜びを多く与える言葉を使おう。
・今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に生きよ。
・終始一貫、勇気勇気で押し切るのだ。
・人類55億の中で、一生に何人の人と出会えるかを考えてみても、他人とともに居ることは、これまた感謝の対象になろう。千年さかのぼってみると、あなたの両親、各々の両親とたどっていくと、5兆人を超えるという。いまここに生きること自体奇跡ではないか。ありがたいことだ。
・人間が人間として生きていくのに一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しだ。
・我々は人間としてこの世に生を享けた以上、必ず死ぬものである。そして人生はオンリー・ワン・ページで、2ページ目はない。
・一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ。
・笑っているとき、人間は最も強い。
著書
主な著書に「研心抄」「真人生の探究」「成功の実現」「錬身抄」「心に成功の炎を」「盛大な人生」「哲人哲語」「運命を拓く」「安定打坐考抄」「真理のひびき」「叡智のひびき」「君に成功を贈る」「いつまでも若々しく生きる」「中村天風の生きる手本~世界でいちばん価値ある「贈り物」」「天風先生座談」などがある。
1、教義の目的について、熱く語る ありし日の中村天風
2、【中村天風】絶対積極講話①(音声のみ)