【東京都東村山市】「国立療養所多磨全生園」と「国立ハンセン病資料館」~東京北多摩スポット・観光・イベント・公園・大学など~

【東京都東村山市】「国立療養所多磨全生園」と「国立ハンセン病資料館」~東京北多摩スポット・観光・イベント・公園・大学など~

 

東村山市の国立療養所多磨全生園。

多磨全生園は全国に13施設あるハンセン病国立療養所の1つで敷地には「国立ハンセン病資料館」等があります。

 

 

 

 

 

国立療養所多磨全生園

 

東京都東村山市の東北端、緑濃い狭山丘陵の東外れに位置しており、所沢街道沿いにあります。

最寄り駅はJR武蔵野線新秋津駅、西武池袋線秋津駅から徒歩20分、新秋津駅、西武池袋線清瀬駅、西武新宿線久米川駅からバス便があります。

日本にある国立ハンセン病療養所の一つで、厚生労働省所管の施設等機関。

明治42年9月29日、公立療養所第一区府県立全生病院(関東1府6県及び新潟・愛知・静岡・山梨・長野の連合府県立療養所)として創立、昭和16年7月1日、厚生省に移管、国立療養所多磨全生園として発足しました。

現在も、過去に無癩県運動で収容されたハンセン病患者の看護等を行っており、この他園内には附属看護学校(進学コース・2年制)、「花さき保育園(社会福祉法人「土の根会」運営)」などがあります。また、隣接した敷地には国立ハンセン病資料館(旧高松宮記念ハンセン病資料館)や国立感染症研究所ハンセン病研究センターがあります。

 

『いのちの初夜』などを執筆した北条民雄が1934年から亡くなる1937年まで入所しており、同作は全生園での体験が元になっていると言われています。

 

 

 

 

 

国立ハンセン病資料館

 

 

国立療養所多磨全生園の隣接した敷地には国立ハンセン病資料館(旧高松宮記念ハンセン病資料館)がります。

ハンセン病に関する資料を保有する博物館・図書館で、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律に基づき、ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者とその家族の名誉回復を図ることを目的としています。

 

1993年(平成5年)国立療養所多磨全生園内に旧高松宮記念ハンセン病資料館が開館(藤楓協会創立40周年記念事業として作られた)しました。

2001年(平成13年)らい予防法違憲国家賠償訴訟が熊本地方裁判所で判決。日本国政府の全面敗訴でしたが、5月25日に内閣総理大臣小泉純一郎が、福岡高等裁判所に控訴しない旨を表明し、ハンセン病資料館の充実を発表。

 

2004年(平成16年)3月ハンセン病資料館拡充に係る基本計画書を作成、2005年(平成17年)9月新館建設のため一時休館したのち、2007年(平成19年)3月国立ハンセン病資料館としてリニューアルオープンしました。

 

 

 

 

 

ハンセン病とは?

 

 

 

人類の歴史上もっとも古くから知られ、恐れられてきた病気の一つであるハンセン病は、らい菌(Mycobacterium leprae)が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症ですが、治療法が確立された現代では完治する病気です。

1873年にらい菌を発見したノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師の名前をとり、ハンセン病と呼ばれるようになりました。

らい菌の増殖速度は非常に遅く、潜伏期間は約5年ですが、20年もかかって症状が進む場合もあります。

最初の兆候は皮膚にできる斑点で、患部の感覚喪失を伴います。

 

感染経路はまだはっきりとはわかっておらず、治療を受けていない患者との頻繁な接触により、鼻や口からの飛沫を介し感染するものと考えられていますが、ハンセン病の感染力は弱く、ほとんどの人は自然の免疫があります。

そのためハンセン病は、“最も感染力の弱い感染病”とも言われています。

 

 

 

 

ハンセン病の歴史

 

 

 

ハンセン病患者の外見と感染に対する恐れから、患者たちは何世紀にもわたり、世界各国で社会的烙印(スティグマ)を押されてきました。

古代中国の文書、紀元前6世紀のインドの古典、キリスト教の聖書など、数多くの古い文書に残っている記述からも、ハンセン病は、有史以来、天刑、業病、呪いなどと考えられ、忌み嫌われてきたそうです。

日本でも8世紀につくられた「日本書紀」にハンセン病に関して記録が残されています。

歴史上の人物では戦国武将の大谷吉継がハンセン病に罹患していたとされ、病気に関わる逸話が伝わっています。

 

また古い時代から日本の患者には、家族に迷惑がかからないように住み慣れた故郷を離れて放浪する「放浪らい」と呼ばれた方も数多くいました。

その後、明治時代に入り「癩予防に関する件」「癩予防法」の法律が制定され、隔離政策がとられるようになり、ハンセン病患者の人権が大きく侵害されました。

第二次大戦後も強制隔離政策を継続する「らい予防法」が制定され、苦難の歴史は続きました。

療養所で暮らす元患者らの努力等によって、「らい予防法」は1996年に廃止され、2001年に同法による国家賠償請求が認められました。

海外では1873年にノルウェーのハンセン医師が「らい菌」を発見。

1943年には米国で「プロミン」がハンセン病治療に有効であることが確認されたのを契機に、治療薬の開発が進み、1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法として勧告するに至りました。

 

ハンセン病は完全に治る病気になっています。

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