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【米国は日本を愛しているという妄想】米中露「国益ファースト」の時代に、改めて問うべき「日本の国益」

■アングロサクソンモデルの黄昏──「対米従属」日本が打つべき次の一手は

Newsweek(ニューズウィーク)河東哲夫
2019年8月15日

アングロサクソンモデルの黄昏──「対米従属」日本が打つべき次の一手は|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
岡崎久彦という外交官兼戦略家がいて、この人は「日本はアングロサクソンについていけ...

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岡崎久彦という外交官兼戦略家がいて、この人は「日本はアングロサクソンについていけば間違いない」ということを口癖にしていた。

自分も大筋はその通りだと思っている。

世界の安定と繁栄を支える力と意思を持ち、他国の主権を踏みにじらず、かつ国内は民主主義で回っている国と親密にすることは良いに決まっている。

イギリスもアメリカも権力・利得の亡者たちが作り出す「ウラ」の面は多々持っているとしても、である。

ところが現在、英米とも民主政治はポピュリスト政治家に乗っ取られ、経済も強欲な金融資本、そして独占的なITプラットフォーム企業に牛耳られている。

そしてトランプ大統領は、これまでの自分の移民排撃発言が8月3日、4日のテキサス、オハイオでの銃乱射事件を誘発したことは認めず、現場をあえて訪問し、場ちがいの笑顔で被害者家族と写真に収まる始末。

親交のあった実業家ジェフリー・エプスタインが14歳の少女ら未成年を要人の買春に供していた疑いで拘置中に変死したことについても、ビル・クリントン元大統領が関与した可能性を示唆して自分にかかる火の粉を払いのける。

アメリカはまだ世界を支配する力を持っているが、アングロサクソンモデルはそのモラル的な正当性を失っている。

「オープンでアカウンタビリティを持ったアメリカ社会」という麗しい「オモテ」の部分は「ウラ」にすっかり覆われて、エゴを力で通すだけの存在に堕している。

 

・論理が破綻しているのにカネと血ばかり要求

トランプは、なぜかイスラエルとサウジ・アラビアの意向ばかりおもんばかって、イラン核開発についての国際合意を一方的に離脱。

それによってホルムズ海峡の情勢が荒れてくると、「有志連合」結成を呼び掛ける。

ドイツはこれへの参加をきっぱり断ったが、日本は未定。

トランプはその日本に対してホルムズ海峡は自分で守れと言い、ポンペオ国務長官は有志連合に入れと言う。

米海軍は日本の基地を、インド洋やペルシャ湾で活動する足場にもしているのに、ペルシャ湾は自分で守れ、しかも思いやり予算(年間約2000億円)を5倍払え、と言ってくる。

論理が破綻しているのにやたらカネと血ばかり要求するのは、古代デロス同盟の盟主アテネを思わせる。

周辺都市国家の信頼を失ったアテネは、ペロポネソス戦争でスパルタを中心とする同盟に負けてしまうのである。

これから貿易問題、そして思いやり予算をめぐる交渉が本格化すると、日本ではアメリカに対する不満が噴出しやすい状況になる。

これまで平和主義の世論に縛られて、自ら自主防衛力強化の手を縛り、対米従属に甘んじてきた屈辱感と欲求不満は、「親米エリート」の間にも鬱積している。

「アメリカ離れ」という言葉が、いったん転がりだすと止まらなくなる。

しかしそれは、北風のふきすさぶ厳冬下で外套を脱ぎ棄て、身軽になったと喜ぶのと同じばかなことだ。

日本はアメリカに対して思いやり予算を増額するのと引き換えに核抑止力、F-35など先端兵器の技術情報開示をきちんと確保しつつ、同時に自前の防衛力を強化したい。

今年の巨人軍ではないが、手持ちの札のもっとうまい使い方を考えるのだ。

地上配備型ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」にロシアが反対するのを逆手に取って、米ロ中・北朝鮮間の核軍縮交渉を呼びかける、というようなやり方だってあるのだ。

経済(特に先端技術と通貨)と軍事力でダントツの力を維持するアングロサクソンの時代はまだ終わるまい。

しかし、ただ「ついていく」時代は終わった。

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■アングロサクソンモデルの黄昏──「対米従属」日本が打つべき次の一手は
Newsweek(ニューズウィーク) 河東哲夫 2019年8月15日
https://www.newsweekjapan.jp/amp/kawato/2019/08/post-37.php?page=1

 

 

 

 

■米国は日本を愛しているという妄想

東洋経済(2018/05/06)

「国体化」した対米従属が日本を蝕んでいる
──なぜ今、国体論なのですか。今の日本の行き詰まった状況を首尾一貫して説明しうる、最有力の概念が国体なのだと考えている。失われた20年あるいは30年といわれるように、日本が長い停滞から抜け出せないのは、…

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失われた20年あるいは30年といわれるように、日本が長い停滞から抜け出せないのは、なぜなのか。

「国体化」した対米従属が社会をむしばんでいるからだ。

世界に類を見ない歪な形で、つまりその支配の事実を否認しつつ対米従属をしていることが、社会を腐らせた。

「戦前の国体」は1945年の敗戦で壊されながらも、米国を頂点にする「戦後の国体」として再建された。

日本は米国の懐に抱かれているというイメージが形作られ、世界に類を見ない日本の対米従属の特殊性が生まれた。

愛されているという妄想に基づいて米国に従属している国は日本以外にない。

米国人は私たちに敬愛の念を持っている。

戦争は一部の頭のおかしい軍人がしたことだから、私たちは変節していない──そういうストーリーが無意識的に形成された。

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米国は日本を愛しているという妄想
東洋経済(2018/05/06)
https://toyokeizai.net/articles/-/217713

 

 

 

 

■近代自由・資本主義経済の矛盾と日本の非常識

東京商工リサーチ時局レポート2016.11.18
芦屋暁

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(1)バブル経済破綻の前に予見されたアメリカ流自由・資本主義の弊害

小生がその心意気で、近代の行き過ぎたアメリカ流の自由・資本主義経済の矛盾と詭弁を抱き、その挫折と世界の主導的地位からの脱落を予見し、わが国のアメリカ一辺倒の盲従や亜流を戒め、適当な距離を置いて興隆する必要があるという「脱アメリカ」の考え方を初めて文章で表明し提唱したのは1988年(昭和63年)、つまり日本のバブル経済全盛期、その後の破綻の前前年のことであったので、当時は消極的で弱気な悲観論者と、嘲笑され、否定され、異端視されてさんざん叩かれたものであったが、昨今になって、トマ・Jピケティの「現代の資本主義体制の下では貧富格差は拡大する一方で、弱者は一生涯浮かび上がれない」との論文も発表され、世界中が、超大国アメリカの威信低下や主導時代の終焉を感じ、認めるようになってきた。

ご参考までに1988年(昭和63年)頃のわが国の政治・経済情勢について略記しておくと、この年は干支は「戊辰(つちのえ、たつ)の年」であり、十干の「戊」は大きな刃のついた矛(ほこ)の象形文字。十二支の「辰」は動物の習性に準える架空の動物の「龍」とは全く関係なく、従って昇竜の勢いが続く好調な時期ではなく、むしろ「辰」は震動、妊娠、屈辱の辰に通じ、二枚貝が殻から足を伸ばしだした形象文字であり、妊娠初期の悪阻で苦しむ不安定期だが、その時期の生活態様の是非が新生児の成育に大きく影響するように、新しい局面への過渡期にあり、前触れの激動と混乱が生じ、その対応次第で結果が左右される要注意の時期といえる。

この年のわが国は、土地と株式ブームのバブル経済絶頂期にあり、国鉄分割、消費奨励などの功績を上げた日米蜜月時代の中曽根内閣を継いだ竹下政権下で、米国が対経済制裁措置を強める姿勢に転じ、牛肉・オレンジの輸入解禁を強引に迫られ、売り上げ税の導入実施を図ったが、国民の反発・抵抗が強く、翌年には倒閣に至ったし、天皇が発病され、翌年に葬去され平成時代に変わった激動と変革の年であった。

干支で2周期前の1868年(慶応4年・明治元年)から翌年にかけては、新政府軍と幕府軍との間で、鳥羽伏見、会津、上野公園の彰義隊、函館の五稜郭戦争などと最後の戦いが展開され、倒幕、大政奉還、明治維新へと転じたように、世界的・歴史的にも、政治・経済・社会の大変革の転機となる重要な年である。

60年周期の次回の戊辰の年は2048年であり、2050年頃っを世界・人類の世紀的な大転機になるであろうと警告を発する根拠もここにある。

 

(2)巨大アメリカの挫折は終焉でなく、矛盾の露呈

案の定というべきか、ここに来て世界的にもこの予見が現実の姿となって顕著になってきたが、誤解なきように先ず断っておくが、自由・資本主義体制そのものが根底から陳腐化し否定される「終焉(死に臨むこと)」を迎え、社会主義体制にとって変わると申し上げているのではなく、また、封建的な世襲の階級制度の制約を受け、限られた特定権力者の独裁に支配され、その許可と承認なしでは何も出来ないといった社会主義の方が今後は好ましいと言うのではなく、誰でも公平・公正に、各自の意志と努力と才覚次第では、成長・生活向上の機会が与えられ、そのための進路や就業、起業や開業を求め、自由選択の幅が広がり、闊達な活動が認容されているという自由主義の長所や、資本力の無いものが自由な金融市場から篤志的な融資や投資支援を受けて、資金調達手段が多様化し、より巨大で効率的な事業運営をすることが可能になるといった本来の資本主義の良い点は十分に認めるものである。

しかしここでいう真に好ましい自由さは、自己都合だけの自由権の主張ではなくて、あくまでも、他者や弱者の立場も斟酌・尊重し、その活躍の自由も認めるということ、自由の代償は自己責任と自律であり、自由さの権利だけは主張するが、その一方での義務や責任は果たさず、失敗の尻拭いは他者の責任に転嫁したり、公的支援や保護を期待するよう身勝手さは許されないこと、自由と勝手気ままとは異なり、お金儲けや競争での勝利などといった自己目的達成のためには手段は選ばずといった無節度さは許されず、理性ある人間としての尊厳と矜持を放棄せず、阿漕なモア・アンド・モアの過剰欲望を道徳・倫理観と自律で抑制し慎むこと、公益や公序良俗、公衆道徳的秩序の維持のための、双方の合意に基づく適度な制約やルールの制約は認め、遵守すべきこと、他国や他者との協調や互助の精神も重視すること、自然界の摂理や生態系の秩序、好ましい政治や経済事業経営の原点の理念や原理・原則は無視・放念せず、謙虚に尊重・遵守・実践することである。

ところが近年になって、前世紀末に世界で唯一の超巨大国家となり、独占的な覇権を制したアメリカ流の自由・資本主義体制では、こういった本来の自由・資本主義の原点を忘却し、正道を逸脱した行き過ぎ行為があったため、その「矛盾」から、貧富格差の増大、一部の豊かさの陰での失業者の増大、自国に都合の良いグローバル・スタンダードや自由貿易の門戸開放の強引な押し付けに対する他国、とりわけ弱小国やまた快適弱者からの反発が強まって、この抜本的な大修正が声高にもとめられるようになったのである。

終焉ではなく、あえて「矛盾(Contradiction)」と強調表現している理由は、矛盾の「矛」は大きな刃がついた斧に長い手持ちの防を取り付けた武具、「盾」はそれによる攻撃を受けて堅固な防具の盾で、古代中国楚の先賢韓非子が、矛と盾の両方を、どちらも絶対に大丈夫で、敵を破り、敵を防ぐと称して売りつけようとする者に対して、それなら自分の矛で自分の盾をついてたらどうなるかと問いかけ、答えられずに困ったという故事に基づき、その両者を組み合わせて生まれた熟語であり、この世では強者も弱者も無く、また、どちらが絶対に勝ち、負けすると決まったものでもなく、要は双方それぞれなりの存在を認め、その長所を活かし弱点をカバーし合い、互恵・互助と中庸の精神で均衡・調和を図る適度とバランス感覚を悟ることこそが寛容と教えるのもである。

このことは中国やロシアに代表される社会主義体制においても同様で、長所も短所もあり、問題点や行き過ぎの解消や修正が求められる時期を迎えており、いずれも、大は大なり、強者は強者なりに、威圧的で傲慢な行為の奥底では、それぞれなりの問題や苦労も、危機感も、恐怖感も秘蔵しているのである。

したがって、弱小国も、必要以上に財物的な豊かさを羨んだり、僻んだりして、いじけて卑屈になり、それに屈して迎合することなく、武力的反抗や卑劣なテロ行為に突っ走らずに、これからの時代の新世界秩序の再構築に際しては、双方が互いに胸襟を開いて、特定者への極端な富と力の偏在の是正、再配分・還元の適正化と世界平和と核兵器の廃絶の実現を目指して、大局的見地kら堂々と率直且つ冷静に話し合い、主張すべきは主張し妥協すべきは妥協し合い、理解を深め合って、改善の方法を探求することが大切であろう。
これは決して単なる理想論で済ませる問題でなく、実現不可能なものでもなく、全人類っがその気になって真摯に真剣になって取り組めば、全ての変革は、人間意識や価値観の転換、刷新から始まるものであるから、短期間では無理でも、決して不可能なことではないし、それは先ず余裕のある強者から率先垂範することが成功のためには鍵となる。

 

(3)大きいだけが良いことか?~過ぎたるは猶及ばざるが如し

 

現在世界の政治・軍事・経済などあらゆる面で大きな影響力を持ち主導している大国といえば、自由・資本主義圏の代表国アメリカと社会・共産主義圏の代表国中国である。

しかし残念ながらこの両国とも、口先きでは美辞麗句で国際貢献を表明しているが、心底は別で、真に良識ある主導国として模範を示し、自国の負担が重くなっても、世界の平和と発展のために積極的に主動力を発揮しようとはしておらず、むしろ、自国の安全と経済的利益主体、損得打算優先の拝金主義国であり、「兵は詭道なりい」を信奉し、狡猾で、それゆえに駆け引き外交と情報謀略に長けており、詭弁を弄して白を黒と言いくるめたり、相手を丸める込み、手なづけ従属させることが巧みであり、常にNo.1の地位と覇権支配、優越性確保を望むプライドと野心が強く、それを脅かす存在を許さず、台頭して敵対・抵抗する相手に対しては、難癖や塀理屈をつけてでも、圧倒的な軍事力や経済力という数っと力で、徹底的な軍事力や経済力という数と力で、徹底的に叩き潰そうとし、やられたら倍返しをし、執念深く、負ける戦いは絶対に仕掛けないが、不利となればさっと身を引いて、変節するとことも厭わない。強者である自国にとっては都合の良い自己流を正義や常識とし、グローバル・スタンダードとしいて、弱小国にまで画一的に押し付け、会議を開いて相手の言い分も聞いたといった形は手続き上つけるが、聞き流し、本当に弱者である相手の立場を理解・尊重し、支援したり、譲り、妥協し、協調しようとはしないエゴと傲慢さである。

大きいだけが良いことでなく、過ぎたりは猶及ばざるが如しであり、優越的な強者ほど、それに相応し節度と品格が要求される。

こういった彼らの巧妙な罠に嵌められ、都合よく利用され、振り回されて、褒め殺しにあったのが日本ではなかろうか。

武器をもった自衛隊の海外派兵を可能にさせた改正新安保条約にしても、決して日本の防衛支援のためだけでなく、アメリカの世界軍事戦略の一環としての日本引き込みであり、本当にいざ日本が他国から攻撃を受け、戦局不利となった場合、アメリカは戦略手段の変更として手早く引き上げかねず、何処まで日本支援のためにだけに一緒に戦ってくれるかの保障は明確でない。

このことは、これは領土問題を巡る中国、韓国、ロシアの不当な行為についても、自国とこれら諸国との関係を懸念し及び腰であることからも、またいかに選挙戦での発言とはいえ、強いアメリカへの回帰を主張し排他的で低劣な暴言をするトランプ候補を支える民衆が結構存在するということは、彼がアメリカの本音を代弁していると歓迎する意識が潜在していることなどからもご理解願えよう。

国家という概念は、同一民族・言語の集合体(国民)としいてまとまることが自然であるというのが国際的な常識でありで、国民と領土と国家主権統治体制が整い、多数の他国から承認されることが国家として基本的4条件であるが、そもそもアメリカは、本来的にアメリカ人という民族は存在せず、古くから永年占用・居住していた領土があったものではなく、比較的に200年余と建国からの歴史も浅く、イギリス人の移民(WASP)が、新しく他国人により発見された未開の新大陸を、武力で先住少数民族を放遂して侵略奪取したり、占領地として買い取ったりして独立し、その後開拓の労働力として雑多な民族の隷属的な導入を図って発展してきたのであり、現在は人口構成比でWASPの約40%と3%でしかないユダヤ系アメリカ人との2大勢力、それも実質的には、ユダヤ系のアメリカ人が、政治、法律、経済、金融・投資市場、軍需産業、資源メジャー、情報産業などの主要部門を掌握し、GDPの約85%を支配し主導して運営されている国であり、所得分配の適正さを示すジニ係数は約66%と主要先進大国中ワーストのトップにあり、国内争乱発生の可能性ありとされる危険値をすでに突破し、国家財政と貿易収支は赤字で、借金と他国からの投資呼び込み、輸入に依存し、投資金融市場相場の差益で国民は派手な消費生活を楽しみ、国家総体としての外観的数値の大きさを誇って虚勢を張っているので、市場活動の自由さと好調さに障害が生じ、株式などの相場急暴落の発生が最も恐ろしい事態となるという脆弱性を秘めている。これが近代アメリカ流の行き過ぎた自由・資本主義、投資金融市場至上主義経済の結果であり、実態である。

 

(4)見習うべき良い点と、改めるべき点との峻別を

 

それを敗戦後、アメリカ占領軍の日本弱体化戦略としての洗脳教育を受け、すっかりアメリカ崇拝主義者となってしまった日本の指導階級者や学者達、多くの民衆までもが、明治維新時の日本の欧米風近代工業立国を目ざしながらも、良い点は積極的に見習い導入したが、伝統的な日本的治世や事業経営の特性の優れた点見捨てなかったのと異なり、国土面積の狭さや資源の乏しさといった点も配慮せず、国土面積が日本の26倍もあり、天然埋蔵資源も豊富で自給自足力を有する強大国のアメリカの亜流で良しとし、卑屈にアメリカ一辺倒の盲目的従属国のようになって、その正体や問題点にも気づかず見抜けず、独立主権国家としての矜持も、主体性まで忘却・放棄してしまったのではなかろうか。

ところが昨今になって、まだ一部の良識者に過ぎないが、逆にアメリカ人自体の方が、本来の日本の伝統的理念や手法の優れた点を認め、その誠実で細かやかな国民性や精密技術、根底に流れる哲学思想、精神文明を学び直そうと、禅修業に励むなどといった傾向が、日本人いじょうに高まっており、この傾向は欧州諸国や多くの発展途上国にも、敵対的なような中国・韓国の純粋な国民の間でも、見受けられるようになってきつつあるのだ。

 

(5)近代アメリカ流自由・資本主義経済の問題点と、今後の日本の対応

 

まとめに代えて、行き過ぎた近代アメリカ流の自由・資本主義経済の問題点を列挙し、それを参考に今後の日本の対応留意点を述べておこう。

1.あまりにも自企業と大株主収益優先に走り、好ましい政治、経済、事業経営の原点、即ち、「経世済民」、最大多数の最大幸福の追求や、需要と供給の均衡、経営道徳律、優越者の風格(ノブレス・オビリージェ)ばかりか、本来の資本主義の理念まで忘却し、一発狙いの投機的になり過ぎていること。

2.地球の自然環境が、有史以来の需要関係の逆転、資源の枯渇かが叫ばれる中で、依然として自然の破壊による富の獲得競争、財物的豊かさの追求に注力し、長期的将来を展望した基本理念や政策方針の転換が遅れていること。

3.その結果、相変わらず生産や消費重視の政策で、富の再分配経済への配慮がなく、その結果、貧富格差を危険水準にし、庶民の満足志向を無視し、マーケティング・マインドが「儲けティング」になってしまったこと。

4.企業は人なりだが、効率性と収益生産性重視のあまり、人間性無視や労働者の啓志、使い捨てとされ、その不満が爆発寸前に至っていること。

5.借金による消費経済が改められず、双子の赤字拡大など、不健全、不安定な経済構造になっていること。

6.主要産業や企業の海外脱出、生産比率が高まり、多国籍化というより無国籍化で、中国や発展途上国の経済浮沈の影響を受けやすくなり、不安定化し、自国内生産力が老朽・弱体化の傾向にあること。

7.自らが提唱し推奨したグローバル・スタンダードや情報・技術の自由化の結果、自分の首を絞めるという因果な結果を招き、創業者利益や自国なりの特性を薄めることとなったこと。

8.財物的豊かさや便利さの反面で、民衆の士気や精神文明が荒廃したこと。

9.これらの結果、国際的威信と良識国との信頼やイメージ低下し、世界を統率する国の不在、国際秩序の混乱を招いたことなどである。

したがってわが国としては、アメリカとの相対的な力関係を正しく認識し、特定国一辺倒の亜流や追従を改め、見習うべき良い点は学びつつも、温存・継承すべき日本の伝統的長所は活かし、両社の峻別とアレンジで、身の丈や置かれた環境に適応した独自の戦略で対応し、体格より体質での優位性を確保を目指すことが寛容である。

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■近代自由・資本主義経済の矛盾と日本の非常識

東京商工リサーチ時局レポート2016.11.18
芦屋暁

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