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■コロナ「感染者数の積み上げ」でパニックを誘発する報道の病理
ダイヤモンドオンライン(週刊ダイヤモンド)2020.7.30
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わかりやすいのが、日本経済である。
日本人の中には、日本のことを「かつてよりも勢いはなくなったが、まだまだ世界の中ではそれなりの経済大国だ」と思っている人がかなりいる。
その心の拠り所なっているのが、GDP(国内総生産)の総額である。
中国に抜かれてしまったが、まだ世界で3位の座をキープしているので、それなりに持ち堪えているという印象なのだ。
ただ、ここに大きな落とし穴がある。
GDP総額は「生産性×人口」という典型的な数字の積み上げなので、人口の多さがアドバンテージになる。
実際、主要先進国のGDPランキングの並びは、人口3億2000万人のアメリカ、人口1億2000万人の日本、そして8200万人のドイツという具合に、きれいに人口と比例している。
つまり、すでにピンピンしている人たちを積み上げた「累計感染者」が、今の日本のコロナの感染拡大の実態を表していないのと同じで、1億2000万人という人口を積み上げた「GDP総額」も、日本経済の実態を表していないのだ。
1人あたりGDPで見ると日本は世界26位という現実
では、その国の経済の実態を知るにはどうすればいいかというと、数の積み上げをやめればいい。
つまり、GDP総額を人口で割った「1人当たりGDP」である。
こちらにすると、日本は「世界26位」まで転落する。
「兄貴」くらいに考えていたアメリカは9位とはるか上で、「財政難で医療体制も未熟だ」などと見下していたイタリアが、すぐ隣にいる。
誤解なきように言っておくが、「日本は大した国じゃない」などとディスりたいわけではない。
GDP総額という耳当たりのいい「数の積み上げ」ばかりにしがみついてきたせいで、自分たちが置かれているシビアな現実を正しく認識できなくなってしまっている、という問題を指摘したいだけだ。
日本は労働者の賃金も主要先進国の中でダントツに低く、貧困率も高い。少子高齢化に歯止めがかからないので、現行の社会保障も破綻するのは目に見えているなど、問題山積だ。
が、今の日本社会にそこまでひっ迫した危機感はない。
どこかに「腐っても、日本は世界3位の経済大国だもんな」という“おごり”のようなものが、まだ多くの日本人の中に残っているので、面倒な問題を先送りにしてしまうのだ。
これこそが、筆者が「累計の罠」と呼ぶものが招く「害」の最たるものである。
そこで気になるのは、いつから我々はこんなにも「数の積み上げ」に執着するようになってしまったのかということだが、個人的にはやはり「戦争」が大きかったのではないかと思っている。
かつて兵士、弾丸、食糧、物資という「数」で戦う戦争を長く続けた際に、官民に「数を積み上げる」という方法論が一気に広まって、いつの間やらそれが目的化してしまったのだ。
当たり前の話だが、戦争というのは「殺し合い」ではなく、領土・領海を守るなどの政治的な目的を達成させるために行われる。
なので、局地的に行われる戦闘も、「前線基地を守る」「制空権を奪う」といった目的を達成することこそが「戦果」となる。
が、戦時中の日本は戦いが長引くうちに、そうした考えがスコーンとどこかへ飛んでいってしまい、敵の戦艦をどれだけ沈めたとか、飛行機をいくつ落としたとかいう「数の積み上げ」が「戦果」になってしまうのだ。
「数の積み上げ」がよくわかる戦時中の新聞報道
そんな「数の積み上げ=戦争」という空気に日本中が包まれていたことがよくわかるのが、戦時中の読売新聞の「戦果」報道だ。
一例を挙げよう。
「敵機撃破1561 事変以来累計1月より5月まで海軍戦果発表」(1939年6月1日)
「本年上期海軍の作戦と輝く戦果 敵機撃破 累計2000余」(1941年6月1日)
「累計370余機屠る ジャワで陸海荒鷲戦果」(1942年2月6日)
「艦船撃沈確実に181 敵20年の豪語 今や水泡 総合戦果累計」(1943年2月14日)
「累計2673機 陸海軍部隊輝く戦果」(1943年7月10日)
何を勝ち得た、何を守った、ということよりも、「数の積み上げ」に軍部とマスコミがどんどんのめり込んでいることがうかがえよう。
ワイドショーが放映されている時間に合わせ、いかにも「衝撃的な数字です」という雰囲気を漂わせて新規感染者を発表するどこかの首長と、よせばいいのにそれを「速報」で流してグラフをつくって大騒ぎをするマスコミという両者の構図は、実は戦争中にでき上がったのである。
そして、このように彼らが「数の積み上げ」に夢中になればなるほど、国民が不幸になっていく恐れがある、ということを我々は歴史から学ぶことができる。
1945年4月、米軍が沖縄に上陸してから現地では激しい戦闘が行われた。
5月12日、大本営は4月29日から5月7日までの間に、以下のような「累計戦果」を発表した。
「人員殺傷1万2600人 戦車輛坐炎上134輛 各種火砲破壊39門」「撃沈 特設航空母艦 二隻」「撃破 特設航空母艦 三隻」(読売新聞 1945年5月12日)
これを受け、マスコミも一面で大きく取り上げて、「沖縄陸海に敵出血激甚」などという大はしゃぎをした。
しかし、米軍側に多くの血が流れたのは事実だが、実はそれ以上に日本側の被害は甚大だった。
諸説あるが、6月19日に日本軍の組織的抵抗が終わるまで、一般住民約9万4000人、日本兵にも同程度の犠牲者が出たと言われている。
「経済死」続出の前に、政治家とマスコミは数の積み上げをやめるべき
この悲しい歴史から我々が学ぶべきことはただ1つ。
政治家やマスコミが実態とかけ離れた「数の積み上げ」に夢中になっているときは、国民の命が軽んじられている、かなり危ないときであるということだ。
役所とマスコミがタッグを組んで、全国の感染者を積み上げて国民の恐怖と不安を煽っている今は、まさにそのときである。
今のお祭り騒ぎが続けば、「経済活動よりも命の方が大事だ」という自粛ムードが強まって、多くの人たちが路頭に迷う。
「コロナ死」の数どころではない、「経済死」の犠牲者が出てしまう恐れもあるのだ。
マスコミは「日々の感染者数に一喜一憂しないで」と言いながらも、「相次ぐ過去最多」「ついに1000人を超えました」と毎日の感染者数をネタにして、誰よりも盛り上がっている。
戦争を無責任に煽った過去を少しでも悔いているのなら、一刻も早く「感染者数の積み上げ」をやめて、重症者数、死者数の動向を詳細に伝えるようにすべきだ。
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■コロナ「感染者数の積み上げ」でパニックを誘発する報道の病理
ダイヤモンドオンライン(週刊ダイヤモンド)2020.7.30
https://diamond.jp/articles/-/244404
「感染者数」ではない、もっと多面的な、もっと深い報道がほしい、そう思っています。
より様々な新型コロナウィルスに関する情報があれば、視聴者はコロナに対する考え方を整理できますし、対策についても深く考えられるのではないでしょうか。
もっと深い報道。
例えば、新型コロナの特徴や最近の変化の状況、新型コロナと他の感染症との違い、その感染症の歴史的流れや現在に至るまでの経緯。
海外での成功対策、ワクチン開発の現状、各ワクチンの違いや特徴などなど。
新型コロナワクチン効果は、どのような仕組みで作られているのか。
コロナワクチンとはどのようなものなのか、アストラゼネカ社とはどのような会社なのか、ファイザーやモデルナという企業はどのような企業なのか。
アストラゼネカ社やファイザー社、モデルナ社の経営者はどのような人物で、どのような方々が働いているのか。
その企業それぞれの設立背景やその事業推移、地域や社会に対してどのようなスタンスで社会貢献をしているのか。
私たちの体内に入れるワクチン、健康である人への接種するワクチンであるからこそ、そのような詳細な情報が極めて重要ではないでしょうか。
コロナウイルスに関する情報は刻々と移り変わっているはずです。
研究現場もそうです。
その状況にしっかりと対策できているワクチン開発現場などをより知ることができれば、もっと多くの人たちが安心してどのような行動をとるべきかも考えられるかもしれません。
もっとより広く、より深く、コロナウイルスを様々な視点から理解できる報道があってよいのではないでしょうか。
「感染者数」を読み上げるだけでは、たた見る人たちの不安を助長するだけかもしれません。
テレビや新聞、ラジオ等、コロナの感染者数の積み上げ。
マスメディアや政治家が「数の積み上げ」をひたすら伝えるのは、なぜなのでしょうか。
なぜ、不安を煽るのでしょうか。
何故でしょう。
その背景には、何があるのでしょうか。
その理由とは、何でしょうか。
大事なのは考えること。
思考を止めないことです。
私は以前経営コンサルティングとベンチャーキャピタルに在籍していた経験があります。
その際、先輩方から常に聞かされた言葉は「なぜ5回」。
「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」。
思考は執念だ、という方もいらっしゃいました。
考えること、考え続けることで見えてくることも多々ありました。
なぜ、マスメディアは「感染者数」のみ報道するのか、なぜ政治家も同じようなスタンスなのか。
そこには、マスメディア側の「合理性」と、政治家側の「合理性」、行政官僚側の「合理性」、米国や英国製薬会社側の「合理性」、さらには、その製薬会社をコントロールする権力側の「合理性」があるからかもしれません。
では、その「合理性」とは、「何」なのでしょうか。
深く、そして広い視野、広い視点で考え続けることでみえてくるのではないでしょうか。
戦時中ともいわれる、ウィズコロナ時代。
世界各国、自国ファーストの考え方はより強まっているかもしれません。
マスメディアや政治家の発言に一喜一憂するだけではなく、もっと冷静に、私たち一人一人が、考え、行動することが必要な時代ではないでしょうか。
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