■トルコ NATO脱退の可能性を示唆
Sputnik 2023年1月25日
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トルコ中道右派政党「祖国党」のエテム・サンチャク副議長は、トルコのNATO脱退は「必要」であるとし、今後5-6ヶ月のうちにそれが実現するだろうと述べた。
Aydinlik紙が伝えた。
サンチャク氏は、NATOは「挑発によりトルコがそのような行動をとることを強要している」と述べた。
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NATOは我々を中東の漏斗に引きずり込もうとしている。
スウェーデンとオランダではコーラン反対運動が起きている始末だ。
NATO脱退は緊急かつ必須となった。
アンケート調査では、米国はトルコに対して最も敵対かつ破壊政策を行う国だ、と答えた人の割合が80%に増えた。
さらに、ここ最近、トルコ国民はロシアとプーチン大統領にますます親近感を抱いている。
トルコ国民は脅威が近づいていることを認識し、政府の先を行っている
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トルコ NATO脱退の可能性を示唆
Sputnik 2023年1月25日
https://sputniknews.jp/20230125/nato-14704116.html
■米国防長官、トルコのNATO帰属意識を疑問視-基地閉鎖の警告受け
Bloomberg 2019年12月18日
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エスパー米国防長官は16日、ロシアとの軍事的な関係強化によって制裁された場合は北大西洋条約機構(NATO)の重要な軍事施設2カ所を閉鎖するとトルコが警告したことについて、NATOに対する同国のコミットメントに疑問が生じていると指摘した。
トルコのエルドアン大統領は前日、米国がロシア製ミサイルシステムの購入を巡りトルコに制裁を科すなら、報復する可能性があると警告。
エスパー長官は、トルコがNATOと衝突することになりかねないことを示唆した。
米国防総省のウェブサイトによれば、エスパー長官は記者団に対し、「発言が真剣なものなら、NATOでの協議が必要となるだろう」と語った。
エルドアン大統領は、トルコのNATO離脱を否定し、ロシアからの武器購入で加盟国としての立場が弱まることはないと説明。
ただ、同国はミサイルの共同生産などでロシアと合意を結ぶ予定であることから、一部加盟国は異なる見方を示している。
こうした状況がトルコの金融市場に影響を及ぼし、17日の取引でリラは2カ月ぶり安値を付けた。
15日夜のエルドアン大統領の発言以降、1.5%近く下げている。
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米国防長官、トルコのNATO帰属意識を疑問視-基地閉鎖の警告受け
Bloomberg 2019年12月18日
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-12-18/Q2OJSTT1UM0Z01
■BRICS、27日の拡大会議にトルコ、アルゼンチンなどの首脳を招待
協力メンバー増やし、先進国陣営への影響力回復目指す
日本経済新聞 2018年7月27日
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ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの新興5カ国(BRICS)は27日、ヨハネスブルクで首脳級の拡大会議を開いた。
経済協力などについて、まずエチオピアやルワンダなどアフリカの9カ国と協議。
その後、トルコのエルドアン大統領、アルゼンチンのマクリ大統領、ジャマイカのホルネス首相とも会談した。
資源ブームが終わり、景気はBRICSのなかで国ごとにばらつきが出てきた。
協力メンバーを増やし、米国など先進国陣営に対する影響力の回復を目指す構えだ。
会議に参加したマクリ氏は「BRICSなどと対話を深めることができて喜ばしい」と語った。
BRICSの5カ国首脳は26日の会議で、世界貿易機関(WTO)規則に基づく開放的で包括的な多国間貿易体制を支持する宣言に署名した。
中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は「保護主義と一国主義が台頭している」と警戒感を示したという。
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BRICS、27日の拡大会議にトルコ、アルゼンチンなどの首脳を招待
協力メンバー増やし、先進国陣営への影響力回復目指す
日本経済新聞 2018年7月27日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33499820X20C18A7FF8000/
■【BRICSとは?】イランがBRICSへの加盟を申請(イラン、中国、ロシア、インド、南アフリカ共和国、ブラジル、アルゼンチン)
JETRO(日本貿易振興機構)2022年07月04日
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イランのサイード・ハティーブザーデ外務報道官は6月27日の定例記者会見で、イランがBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国の5カ国で構成する新興国のグループ)への加盟を申請したことを公表した。
6月23日に中国を議長国として、第14回BRICS首脳会議がオンライン形式で行われた。
これに合わせて、翌24日に開催された国際会合にイランのイブラーヒーム・ライーシー大統領が招待され、スピーチを行っていた。
同大統領はスピーチで、BRICSの意義について「対立が進む世界の潮流、一国主義、ナショナリズム、制裁や経済措置などの課題により、(BRICSのような)国連と並ぶ新たな組織を設立して強化する必要性が生じている。BRICS加盟国は経済的な補完性と文化の多様性により、相互のニーズを満たし、世界の繁栄と平和を強化するため、それぞれの国の固有の開発経験を共有することができる」と述べた。
また同大統領は、イランの立場について「イランは、豊富なエネルギー埋蔵量、短い経路の安価な輸送・中継網、訓練された人材、科学的業績など、全ての能力と潜在能力を共有する準備がある。政治・経済的、地理的にユニークな立場にあるイランは、BRICSを主要なエネルギー・ルートと世界市場につなぐ安定した信頼できるパートナーになることができる」とした。
この会合は「グローバル開発に関するハイレベル対話」と題され、イランに加え、アルジェリア、アルゼンチン、エジプト、インドネシア、カザフスタン、セネガル、ウズベキスタン、カンボジア、エチオピア、フィジー、マレーシア、タイの計13カ国がBRICS加盟国とともに参加していた。
イランでは、ロシアのマリア・ザハロワ外務報道官が「イランのほかに、アルゼンチンもBRICSへの加盟申請を行った」と述べたと報じられている。
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イランがBRICSへの加盟を申請(イラン、中国、ロシア、インド、南アフリカ共和国、ブラジル、アルゼンチン)
JETRO(日本貿易振興機構)2022年07月04日
https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/07/ac698c9795641de9.html
■取り残される日本と欧州。米国より「ロシアと組む」ことを選んだ世界
まぐまぐニュース 2022.07.21
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BRICSにはサウジだけでなく、イラン、トルコ、エジプトも加盟申請する予定だ。
今後、サウジとイランの両方がBRICSに加盟したら、サウジとイランの和解は中露などBRICSの非米諸国によって仲裁されることになる。
BRICSではすでに、中国とインドが対立しつつも両方がBRICSに加盟し、協調できる部分で協調している。
中印は2国間で対立しているが、もう一段大きな視野で見ると、中印ともに米国の単独覇権体制を否定する非米側の国として仲間だ。
今後、サウジとイランもBRICS内で中印みたいな協調関係になっていくことが予測される。
サウジもイランも産油国であり、石油ガスなど資源類を持っている非米側が米国側より優勢になる今後の2分割された世界では、サウジもイランも非米側に入っておいた方が策だ。
米国ではトランプ前大統領が、イスラエルの要請を受け、米国がイスラエルとサウジUAEをまとめてイラン敵視の同盟体を作る「イラン敵視を口実としたイスラエルとサウジUAEの接近」を「アブラハム合意」としてイスラエルのために実現してやった(パレスチナ問題が未解決なのでサウジは非公式な参加)。
バイデンの今回の中東歴訪の2番目の目的は、イスラエルのためにトランプが作ったアブラハム合意の体制を継続することだ。
バイデン政権は、これを自分たち独自の中東戦略であるかのように言っているが、それは間違いで、トランプの戦略をイスラエルに求められて継承しているにすぎない。
バイデン政権はもともと、イスラエルともサウジとも仲良くしたいと思っていなかった。
米民主党はオバマ以来イスラエルと仲が良くない。
今の民主党ではパレスチナの味方をしてイスラエルを公式に非難するリベラル左派が強く、彼らはイスラエルと犬猿の仲だ。
バイデンがイスラエルを訪問するのは、愚策ばかりやって米国内で人気が落ち、今秋の中間選挙や2024年の大統領選で惨敗しそうなので、米国の政治に強い影響力を持っていたイスラエルの力を借りたいからだ。
バイデン政権が何もしないと、イスラエルはトランプ路線の共和党支持を強めてしまう。
バイデンはもともと6月末にドイツでのG7サミットに出席するため訪欧した時に、同時に中東も訪問する予定だったが、中東の部分だけ2週間延期した。
その理由は表向き「バイデンが高齢なので欧州と中東の両方を歴訪すると疲れてしまうので2つに分けることにした」というものだが、実際の理由はそうでなく、6月21日にイスラエルの連立政権が崩壊してバイデンの訪問に対応できなくなったためだ。
イスラエルは、米大統領の訪問日を変更させてその理由を米マスコミに歪曲報道させるだけのパワーがまだある。
米民主党左派は人権侵害を理由にサウジのことも大嫌いで、バイデンはできればサウジにも行きたくなかったはずだが、石油価格の高騰を抑えるためにはやむを得ないと思っている。
しかし、たとえサウジが協力したとしても、世界的な石油高騰を抑えることは難しい。
それに、すでに書いたようにサウジは非米側に転じており、もう米国に協力したくない。
中東の国際政治の世界では、これまで米国が圧倒的な影響力を持ってきた。
米国の意向がすべてを決めてきた。
それだけに、イスラエルもサウジもエジプトもトルコもイランも、近年の米国の覇権衰退と多極化の傾向を敏感に察知し、米国覇権衰退後の中東でどのように自国が生き延びていくかを考えてきた。
そのうえで、サウジやエジプトやトルコやイランは米覇権を見限って非米側に入ることを決め、BRICSに加盟申請している。
イスラエルだけは、米国に頼んでサウジを味方につけてイランと敵対する道を選んでいるように見えるが、これとて、イラン敵視を方便として使ってまずサウジなどアラブ諸国と和解協調していき、いずれ米覇権がもっと衰退してイランと和解せざるを得なくなったら、アラブ諸国と結束してイランと交渉し、イスラエルだけが孤立する事態を避けるという2段階作戦と考えれば、多極化対応策として納得できる。
イスラエルは、ウクライナ開戦後もロシアとの良い関係を維持している。これも多極化対応だ。
イランは米イスラエルに敵視されるほど、露中と結束して強くなる。
イランが米国に敵視されて強くなったので、サウジはイランを敵視し切れなくなり、非公式に和解する道を選んでいる。
サウジは、米国の謀略によって2015年にイエメンのフーシ派との戦争に突入させられ、7年間も戦争の泥沼にはめられた。
イエメン戦争は今年、シーア派イスラム勢力であるフーシ派に影響力を持つイランが裏でサウジのために動き、停戦が実現している。
サウジにとって、米国は戦争の泥沼に陥らせる悪い同盟国である半面、イランは泥沼の戦争を停戦させてくれた良いライバルである。
サウジが米国と切りたくなり、イランと和解したり非米側に転向したくなるのは当然だ。
米国では、左翼リベラルやマスコミが「バイデンは、イエメンで人殺しを続けるサウジを訪問すべきでない」などと言っている。
米国自身がサウジをイエメン戦争に陥らせたことが、意図的に無視されている。
米左翼やマスコミは、サウジ当局が2018年に反体制派ジャーナリストのジャマル・カショギを殺したことも非難して「バイデンは、カショギを殺したサウジのMbS皇太子に会うべきでない」と言っている。
サウジ当局がMbSの了承にもとにカショギを殺したのは事実だろうが、カショギは米マスコミに記事を書いていた人であり、サウジ当局は殺害の前に米諜報界に打診して了承を得ていたはずだ。
米諜報界がMbSを陥れるために、サウジ当局を誘導してカショギを殺させた疑いすらある。
しかし、米国人(とその傀儡)たちはそんなことを意図的に無視して、MbSのサウジを極悪な存在に仕立てている。
サウジが米国から離反するのは当然だ。
米国が、サウジを離反へと誘導してきた(米国のリベラル左翼は近年、隠れ多極主義に入り込まれている)。
カショギはトルコで殺された。
当時はトルコとサウジの仲が悪く、カショギ殺害の裁判がトルコで進められた(サウジはカタールやムスリム同胞団を敵視しており、親同胞団なトルコが喧嘩を買ってサウジを敵視した)。
だがその後、サウジが非米側に寄っていくとともにトルコと和解し、カショギの裁判は今年4月、トルコからサウジに移管された。
サウジ当局の傘下にあるサウジの裁判所は、カショギ殺害の裁判をうやむやにしてしまい、カショギ殺害の話はトルコの外交戦略として葬り去られた。
ウクライナ開戦後、米国は世界に対して「ロシアを敵視しない国は米国の敵とみなす」という米露二者択一的な姿勢を強硬に採っている。
このような「俺が敵視した奴を敵視しない奴は全員俺の敵だ」と言い放つ態度は、そいつが強大なパーを持っている限り、他の奴らを沈黙・服従させることができるが、パワーが落ちている時にそれをやると全員からのけ者にされて弱体化が加速する。
米国は、そういう状況にある。
欧州や日本は、米覇権下から逃げ遅れて自滅策を採らされている。
日本は元首相まで米国に殺された。
イスラエル以外の中東諸国は、早めに逃げ出して非米側に転じている。
イスラエルはどうなるかわからない。
バイデンの中東訪問は、頓珍漢や的外れ、腑抜けが重なっており、中東諸国に米国の覇権衰退を痛感させるものになっている。
バイデンの米国と対照的に、プーチンのロシアは中東での影響力・覇権をじわじわと拡大している。
シリアは、ロシアがアサド政権をテコ入れし続けたおかげで、米国が起こした内戦による国家崩壊を免れた(シリアの後始末をロシアに頼んだのはオバマ)。
ロシアが支援したアサド政権が、米国が育成・支援したテロ組織のISやアルカイダを退治してシリアを再び安定させている。
すべての中東諸国が、米国よりロシアの方が中東を安定・発展させていることに気づいている。
最近はイスラエルも、米国よりロシアを頼りにしている。
ロシアより米国の方が良いと勘違いしているのは、今や欧州や日本の人々ぐらいだ。早く気づけ。
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取り残される日本と欧州。米国より「ロシアと組む」ことを選んだ世界
まぐまぐニュース 2022.07.21
https://www.mag2.com/p/news/546141
■オスマン帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国である。
英語圏ではオットマン帝国 (Ottoman Empire) と表記される。
15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノープル(後のイスタンブール)を征服し、この都市を自らの首都とした。
17世紀の最大版図は中東からアフリカ・欧州に著しく拡大した。
東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリーに至る広大な領域に及んだ。
・概要
アナトリア(小アジア)の片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝であるオスマン朝は、やがて東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、マムルーク朝などの西アジア・北アフリカのイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展した。
その出現は西欧キリスト教世界にとって「オスマンの衝撃」であり、15世紀から16世紀にかけてその影響は大きかった。
宗教改革にも間接的ながら影響を及ぼし、神聖ローマ帝国のカール5世が持っていた西欧の統一とカトリック的世界帝国構築の夢を挫折させる主因となった。
そして、「トルコの脅威」に脅かされた神聖ローマ帝国は「トルコ税」を新設、中世封建体制から絶対王政へ移行することになり、その促進剤としての役割を務めた[6]。
ピョートル1世がオスマン帝国を圧迫するようになると、神聖ローマがロマノフ朝を支援して前線を南下させた。
19世紀中ごろに英仏が地中海規模で版図分割を実現した。
オスマン債務管理局が設置された世紀末から、ドイツ帝国が最後まで残っていた領土のアナトリアを開発した。
このような経緯から、オスマン帝国は中央同盟国として第一次世界大戦に参戦したが、敗れた。
敗戦後の講和条約のセーブル条約は列強によるオスマン帝国の解体といえる内容だったため、同条約に反対する勢力がアンカラに共和国政府を樹立し、1922年にはオスマン家のスルタン制度の廃止を宣言、メフメト6世は亡命した。
1923年には「アンカラ政府」が「トルコ共和国」の建国を宣言し、1924年にはオスマン家のカリフ制度の廃止も宣言。
結果、アナトリアの国民国家トルコ共和国に取って代わられた(トルコ革命)。
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オスマン帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD
■オスマン帝国の600年、巨大帝国はこうしてできた
日経ナショナル ジオグラフィック2019.12.1
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史上最も強大な帝国のひとつとして知られるオスマン帝国。
最初はアナトリア地方(現在のトルコ)に誕生したトルコ系の集団だったが、最盛期には北はオーストリアのウィーン、東はペルシャ湾、西はアフリカ北西部のアルジェリア、南はアラビア半島南部のイエメンに至る領土を有する広大な国に発展した。
その成功の秘密は、領土の大きさと中央集権的な機構にあった。
世界で最も利益の上がる交易路を支配することで莫大な富を得る一方で、完璧に組織化された軍制を敷いた。
しかし、どんなに栄えた帝国もいつかは滅びる。
アナトリアに姿を現してから600年後、オスマン帝国は第一次世界大戦の中で崩壊した。
帝国の登場は13世紀末。アナトリアのトルコ系遊牧部族の長、オスマン1世は、当時弱体化していたキリスト教国のビザンチン帝国(東ローマ帝国)を急襲し、この地域の征服を開始した。
1299年頃、オスマン1世は自らが小アジアの最高指導者であると宣言し、その後継者らはビザンチン帝国の領土のさらに奥へと進出していった。
1453年、オスマン帝国君主メフメト2世が難攻不落の都と見られていたコンスタンティノープルを陥落させ、ついにビザンチン帝国を滅ぼした。
ローマ皇帝コンスタンティヌスに由来する都の名前も、ギリシャ語で「都市の中で」または「都市へ」という意味を持つ「イスタンブール」と呼ばれるようになった。
イスタンブールを首都とする帝国となったオスマン朝は、バルカン半島、中東、北アフリカへと拡大を続けた。
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オスマン帝国の600年、巨大帝国はこうしてできた
最盛期には芸術が栄え、宗教にも寛容だった
日経ナショナル ジオグラフィック2019.12.1
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/120900715/
■オスマン帝国623年の歩みを全解説!世界を揺るがせた大帝国の繁栄と滅亡
トルコ基本観光情報『ターキッシュエア&トラベル』
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・オスマン帝国623年の歩みを全解説!世界を揺るがせた大帝国の繁栄と滅亡
世界に名を轟かしたオスマン帝国。
世界史では一昔前までオスマントルコ、そうトルコ人の王朝として教わってきたオスマン帝国ですが、彼らがどこからやってきてどのようにして繁栄を極めたのでしょう。
部族から君侯国、帝国へと発展・拡大したオスマン家。
少し長くなりますが、36代の皇帝が600年以上にも及んで栄華を極めたオスマン帝国の歩みと帝国の特徴をここで徹底解説します!
・オスマン帝国のココがすごい!その強さの秘密とは?
オスマン帝国の最大領土は北はハンガリー、西はアフリカのアルジェリア、南はエジプト・イエメン、東はアジアのインドに至るなど、実に広大でした。
全盛期といえるスレイマン1世の時代には、人口は1,500万人に達していたとされます。
それ以前に存在していた巨大帝国としてモンゴル帝国が挙げられますが、モンゴル帝国が150年余りで解体したのに対し、オスマン帝国はなんと623年も存続しました。
(中略)
1914年7月に第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ側としてオスマン帝国も参戦します。
イギリス・フランス・ロシアの三国協商軍がオスマン帝国に宣戦布告すると、黒海地方のトラブゾンとエルズルムをロシアに、キプロスをイギリスに占領されてしまいます。
1915年、帝国として末期状態だったオスマン帝国軍を軽んじた協商軍・連合軍・アンザック軍がイスタンブールを占領する為に、帝国の主要海峡であるダーダネルス海峡の入口のガリポリへ上陸作戦を行います。
これが有名な“チャナッカレ戦争”ですが、後のトルコ共和国大統領となるムスタファ・ケマルが活躍し連合軍の上陸を阻止し、勝利に導きます。
この戦いでムスタファ・ケマルは世界に名を轟かせることとなりました。
またこの戦いで勝利したことに因り、イスタンブールは死守され、帝国の維持に成功することができたのです。
しかし、同盟国の敗勢のなかでオスマン帝国も戦況不利となっていき、その中で1918年7月メフメト5世は心不全の為亡くなります。
戦況不利の中1918年7月に即位した弟のメフメト6世ですが、同年10月に連合国に降伏して不条理な“ムドロス休戦協定”を結んでしまいます。
これにより、アンタルヤとコンヤをイタリアに、キリキア地方をフランスに、イズミールをギリシャに、そしてイスタンブールを連合国に占領され実質的にオスマン帝国は滅亡状態になってしまいました。
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オスマン帝国623年の歩みを全解説!世界を揺るがせた大帝国の繁栄と滅亡
■NHK 高校講座 世界史
第30回 第一次世界大戦
世界史監修:立命館大学教授 山下範久
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1914年、人類がそれまでに経験したことのない大戦争が起こりました。
「第一次世界大戦」です。
ドイツ、オーストリア、オスマン帝国を中心とした「同盟国」と、イギリス、フランス、ロシアを中心とした「協商国」が対立。
世界各国を巻き込んでの戦いは4年以上にも及び、かつてない世界規模の犠牲者を出しました。
人類初の世界大戦は、なぜ起こり、その後の世界をどのように変えたのでしょうか?
早紀 「戦争って、誰だって避けたいはずじゃないですか。人類は何度も戦争を経験して、反省もしているはずなのに、どうして世界中が巻き込まれるような戦争が起きてしまうんでしょうか。」
マヤ 「それは簡単な問題ではないのだけど、背景となった歴史を見ると、見えてくるものもあるのよね。これは、19世紀後半の世界の勢力図(画像)なんだけど、どんな時代だったか覚えている?」
早紀 「19世紀後半…、『帝国主義』の時代ですよね。いち早く工業化を進めたイギリスがインドの直接統治を始めて、アフリカ大陸も南北に植民地化することでインドへのルートを盤石にしようとしていたころですよね。」
マヤ 「フランスの植民地も目立っているし、ロシアの領土はかなり広くなっているわよね。このころのフランス、ロシアはどんな感じだった?」
早紀 「フランスはイギリスに対抗していたけど、19世紀後半にビスマルクがドイツをひとつにまとめるための戦争、普仏戦争を起こして敗れましたよね。ロシアは、冬でも凍らない港、不凍港を手に入れようと南下政策をとっていたけど、いつもすんでのところでイギリスやドイツに阻止されていましたよね。」
マヤ 「そうね。」
マヤ 「この地図は、まさにロシア帝国がオスマン帝国と戦って不凍港を手に入れたかと思った直後に、イギリス、オーストリアの反対にあって、ドイツの仲裁によるベルリン条約で決まった勢力図なの。覚えている?」
早紀 「ロシアはブルガリアを独立させて一度は地中海へのルートを確保しましたが、ベルリン条約でブルガリアの領土は3分の1に縮小されてしまって、結局は阻止されてしまったんですよね。」
マヤ 「イギリスは、このときロシアにインドへのルートを邪魔されることを恐れていたのよね。ここでひとつの対立があったわけ。そしてこのとき、ロシアが支援したセルビア、ルーマニア、モンテネグロは独立を果たしたんだけれども、ボスニア・ヘルツェゴビナは、オーストリアがロシア帝国の拡大を恐れて統治下に置いたのよね。ここでもうひとつの対立。」
早紀 「これが世界大戦の原因になるんですか?」
マヤ 「ところが、そう単純でもないの。」
マヤ 「このあともドイツは戦争が起こらないように、いろいろな同盟を組んで、画策をしているの。
例えば、ドイツ、オーストリア、イタリアから成る『三国同盟』を結んで、フランスを孤立させたり、ロシアとも実は関係を築いてバランスを取ったりしていたのね。これはドイツのビスマルクが行った、『ビスマルク外交』と呼ばれているの。」
早紀 「うーん。すぐに戦争は起きなかったとしても、危ういバランスな気がしますよね。」
ドイツでは、ビスマルクが辞任すると、皇帝ヴィルヘルム2世は外交方針を転換し、ロシアとの関係を断ち切ります。
するとロシアは、フランスと同盟し、関係を強化していきます。
イギリスは植民地政策として、カイロ、ケープタウン、カルカッタを結ぶ3C政策を推し進めていましたが、ベルリンから、イスタンブルとバグダードを結ぶ3B政策を進めるドイツと対立します。
ドイツの海軍力の増強に脅威を感じたイギリスは、フランスと「英仏協商」を締結。
それまで長く敵対してきた英仏関係は、急速に改善されました。
さらにイギリスとロシアの関係も好転します。
ロシアの東アジアへの進出に対しては日英同盟を結ぶなど牽制していましたが、日露戦争後ロシアがバルカン半島に進出して、オーストリア、ドイツと対立すると、イギリスはロシアと「英露協商」を結ぶことで、フランスを含めた「三国協商」が成立しました。
お話をうかがうのは、立命館大学教授の山下範久先生です。
早紀 「なぜドイツはロシアとの関係を断ち切ったんでしょうか?」
山下先生 「バルカン半島の情勢が関係しているんです。積極的な対外政策を取り始めたヴィルヘルム2世は、東方に進出するためにオーストリアと組んで、ロシアとの協調関係を維持しない方針をとることにしました。なぜかというと、ロシアは汎スラヴ主義を掲げてバルカン諸国を支援し、オーストリアと対立していたからです。これによってバルカン半島での対立の構図が生じてきました。」
マヤ 「ドイツとロシアの関係の変化をきっかけに、フランスがロシアと組んだり、フランスと仲が悪かったイギリスもくっついたりして、イギリス、フランス、ロシア対ドイツ、オーストリア、イタリアという新たな対立も生まれていますよね。」
山下先生 「はい。そういう対立構造の中でバルカン半島はオスマン帝国の力が弱まって、さまざまな民族自立を求める動きが強まってきました。そこにドイツやロシアをはじめとする列強の思惑が絡み合って緊張が高まり、バルカン半島は『ヨーロッパの火薬庫』と呼ばれるようになります。」
・第一次世界大戦の勃発
1914年6月、ボスニアの州都サライェボで事件が起きます。
サライェボを訪問中のオーストリア・ハンガリーの帝位継承者夫妻が、隣国のセルビア人の青年に暗殺されたのです。
オーストリアは、セルビアに対して過酷な要求をつきつけ、それが拒否されると、宣戦布告しました。
ロシアはこうしたオーストリアの動きに対抗して、総動員令を発令。
これを見てドイツは、ロシアに宣戦布告。
ロシアと同盟を組むフランスとも戦闘状態に入りました。
フランスと国境を接するベルギーは中立国でしたが、ここにドイツが侵攻したことから、さらにイギリスが中立国侵犯を理由に、ドイツに宣戦布告します。
こうして各国が次々と参戦していき、戦争はヨーロッパ全域に拡大。
世界を巻き込んだ大戦争へと発展しました。
日本は日英同盟を理由に、協商国側に加わり、アジアにおけるドイツの植民地や租借地を攻撃、占領しました。
早紀 「第一次世界大戦のきっかけとなったオーストリアの帝位継承者夫妻の暗殺事件ですが、どうしてセルビアの青年はそんなことをしてしまったんですか?」
山下先生 「このころ、セルビアではすべてのセルビア人をまとめて統一国家を築こうというナショナリズムが高揚していました。セルビア人がたくさん住んでいるボスニア・ヘルツェゴビナをオーストリアが併合していることには強い不満があったんですね。そんな中で一部の過激な人々が暴走して、事件を起こしたんです。」
マヤ 「その暗殺という行為に対してオーストリアが抗議するのは当然だと思いますが、戦争を仕掛けるのは、ちょっとやり過ぎのような気もするんですが…。」
山下先生 「これにはオーストリアとドイツの誤算があったようです。オーストリアは、国力で圧倒できるセルビアとの二国間戦争で決着をつけたいところでした。ただ、セルビアの背後にはロシアがあり、オーストリアはロシアの介入を牽制するために、ドイツの支持を取り付けていました。支持を公言することでロシアの介入はないと考えていたものと思われます。」
マヤ 「でも、ロシアは参戦してきたんですね。」
山下先生 「はい。セルビアは譲歩したのですが、セルビアに対するオーストリアの姿勢が強硬すぎたんですね。そのために、ロシアは介入を差し控える選択肢を失ってしまいました。ロシアが総動員令を出したため、ドイツはロシアに宣戦し、するとフランスは露仏同盟がありますので、それに従って動員を開始しました。ドイツはフランスにも宣戦することになります。こうして地域紛争が大国間の戦争にエスカレートしてしまったわけです。」
早紀 「イギリスも出てきてしまったんですね。」
山下先生 「イギリスは参戦に消極的でしたが、列強間の衝突の結果、ドイツが強大化しすぎることは避ける必要がありました。ドイツによる中立国ベルギーへの侵攻は、イギリスが参戦を決める国内世論をまとめる口実になりました。」
マヤ 「そもそも戦争が起こらないように同盟を結んでいたと思うんですが、ひとつの戦闘が起こると、同盟を結んでいるからこそ連鎖的に戦争の参加国が増えていってしまったんですね。」
山下先生 「ただ、どの国も戦争に参加はしましたが、そんなに長引くとは思っていなかったんです。」
第一次世界大戦は、参戦国の国民、工業生産力を総動員した「総力戦」となりました。
この戦争では、参戦国の予想をはるかに上回る砲弾が使われました。
また、大量に配備されたのが機関銃です。
戦場では、これまでの戦争とはけた違いの死傷者が出ました。
機関銃により戦線はこう着状態に陥り、両軍ともに穴を掘って隠れるという史上初の塹壕(ざんごう)戦がはじまります。
戦車が登場するのも、塹壕戦によるものでした。
最初は偵察用に導入された飛行機には、機関銃が取り付けられ、さらに爆弾を積むようになり新たな無差別攻撃の兵器となっていきました。
さらに戦場で初めて毒ガスが使われると、ついには、なりふり構わない化学兵器の開発競争にも突入していきます。
戦争が長期化し戦死者が増えていく一方で、労働力が不足するようになった軍需工場などに、女性たちも駆り出され、国民の総力をつぎこむ戦争になっていったのです。
植民地からも多数の兵士や労働者が動員されました。
各国は戦争の長期化に疲弊。
国民の不満が爆発したロシアでは1917年に革命が起こり、レーニンの指導のもとソヴィエト政権が誕生し、戦線を離脱します。
そんな中、それまで中立を保ってきたアメリカ合衆国がドイツの無制限潜水艦作戦によって反ドイツの世論が高まると、“平和と民主主義、人権を守る”という大義を掲げて宣戦布告。
協商国側を軍事・経済の両面から支えるようになります。
アメリカの参戦により同盟国側の戦況は悪化。
ドイツでは1918年、国内で革命が起こり、ヴィルヘルム2世が退位してドイツ共和国が成立。
協商国と休戦協定が結ばれ、同盟国は敗戦しました。
マヤ 「今までの戦争と違うのは、工業力が発展していて、しかも国民がひとつにまとまることができるかが、勝敗を決めるポイントだったんですね。」
山下先生 「はい。工業化の遅れていたオスマン帝国やロシア帝国、そして多民族国家で国民統合が進んでいなかったオーストリア・ハンガリー帝国が敗れたのは、戦争のあり方が変わったことを示すとも言えると思います。」
マヤ 「さらにこの戦争では、植民地からも兵力や物資といったものが動員されて、世界中を巻き込んでいくんですね。」
山下先生 「はい。植民地以外の勢力の戦争協力を取り付けなくてはいけなくなって、そのためにいろんな矛盾が生じてきます。その中で最大の矛盾は、イギリスの『三枚舌外交』と呼ばれる対中東外交ですね。」
イギリスはオスマン帝国の領土を分割する約束を秘密裏に結んでいました。
まず、オスマン帝国の支配下で独立を目指していたアラブ人に対し、戦後、自分たちの国をつくることを認めました。
戦争協力を得たかったからです。
一方で、フランス、ロシアとは、オスマン帝国の領土を分割支配する秘密協定を結びます。
その協定では、アラブ人と約束した地域は全く考慮されていませんでした。
またユダヤ人とは、アラブ人が住むバレスチナに、ユダヤ人の民族的郷土を建設するという約束をし、資金面での戦争協力を求めました。
こうしたイギリスの三枚舌外交は、その後の中東を、混乱に陥れていくことになります。
早紀 「アラブ人やユダヤ人、双方にいい顔をして、両方をもてあそんだような結果になったんですね。」
山下先生 「この矛盾する条約が、今日も続いているパレスティナ問題の起源になったんです。」
マヤ 「第一次世界大戦は100年も前の戦争ですが、現在も解決できない問題を残しているんですね。」
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NHK 高校講座 世界史
第30回 第一次世界大戦
世界史監修:立命館大学教授 山下範久
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/resume030.html
■全ヨーロッパが震えたオスマン帝国の脅威
【連載】ビジネスに効く! 世界史最前線(第31回)
JBpress 2019.10.5
■2/8:トルコ地震は、NATOを脱退しBRICSへの加盟を計画しているトルコにとって大きな警告だった?!
2023年2月8日
■トルコがNATOを脱退に対する報復:トルコ地震HAARP
2023-02-07| 光と闇の戦い
■気象兵器
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「人間に被害を与える気象現象を軍事目的で人為的に災害を発生させるもの」
「1977年の環境改変兵器禁止条約において定義」
「兵器の一種。環境改変技術のひとつ」
「人工地震:小型核爆弾の使用」
■人工地震
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
■平成23年7月11日衆議院東日本復興特別委員会にて、柿沢議員の質問に浜田政務官
「地震兵器は多くの国が研究している」
YouTube(ユーチューブ)2011/07/11
■地下深部掘削船「ちきゅう」関係者の「人工地震」発言
YouTube(ユーチューブ)
■高周波活性オーロラ調査プログラム(HAARP)とは?(Wikipedia)
「アメリカ合衆国で行われている高層大気と太陽地球系物理学、電波科学に関する共同研究プロジェクト」
「発生するパルスが間接的に電離層にもたらす影響」
「無線通信の撹乱を目的とした軍事研究」
■2011.3.11人工地震・津波
窪塚洋介×ベンジャミン・フルフォード(米国経済誌『フォーブス(Forbes)』の元アジア太平洋支局長)
■「2009年9月」民主圧勝、政権交代。社民・国民新と連立(時事通信社)
■「2009年12月10日」総勢600人余引き連れ小沢民主党幹事長が訪中に出発(YouTube)
■岩手県4区・小沢一郎が語る沖縄、米国、そして中国(論座)
■『アメリカに潰された政治家たち』(著者孫崎享、出版小学館、発売2012年9月)
「アメリカが喜ぶ政策に前のめりなのか。その理由は、この政権が、小沢一郎・鳩山由紀夫という「最後の対米自主派」の政治家が潰された後に誕生した、戦後最大の「対米追随」政権だからである」
■福島第一原発にイスラエルの会社の「謎」
「福島第一原発の警備システムの一部を日本の企業ではなく、イスラエルの会社が請け負っている」
「なぜ機密性の高い原発の警備システムの一部を外国の企業が請け負っているのか」
週刊現代(講談社)2011.5.22
■「トモダチ作戦」東電を訴えた米兵はどれほど被ばくしたのか?
「重篤な病気が福島県周辺でも増えているという報告は聞かない」
「米軍関係者が原発周辺の陸上にいた人たちよりも深刻な被ばくをしたというのは考え難い」
週刊現代(講談社)2017.9.13(山田敏弘)
■内部告発!(元アメリカ国家安全保障局) ジム・ストーン氏
『311大震災はアメリカとイスラエルの裏権力が核兵器を使った!』
ジム・ストーン(元米国・国家安全保障局・NASA)
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