【日本人愚民化?!日本人弱体化?!】“焚書”とは何か?GHQが7千冊名著を禁書にした理由~日本に原爆投下を命令したトルーマン米大統領「猿(日本人)をバカに変えて我々が飼い続ける」~
■現代日本人に思想破壊をもたらしたGHQの焚書と日本人協力者
SAPIO(小学館)2015.08.19 NEWSポストセブン
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戦後、GHQによる言論統制があったことは有名だが、そこに多くの日本人が関わっていたことはあまり知られていない。
かつて持っていた「壮大な視野」を失ってしまった現代日本人。
その元凶であるGHQと日本政府の「焚書密約」の真相について、評論家の西尾幹二氏が迫る。
かつて戦前戦中の日本の中枢を担う指導層は、日本が中心となって世界をどうリードしていくかという壮大な視野と先を見通す力を、現代の人よりはるかに持っていた。
ところが今、たとえばAIIB(アジアインフラ投資銀行)のように、日本がとうの昔に志向したものまで中国に奪われるようになってしまった。
そうしたことがあらゆる事柄において起こっている。
どうして、日本人は壮大な視野を失ってしまったのか。
その原因は、戦後、GHQが行ってきた言論統制にあると考える。
特にGHQが当時の日本政府との密約によって行った「焚書」の影響は大きい。
焚書とは流通している書物を没収、廃棄することを意味する。
GHQは自らの思想にそぐわない日本の書物をリスト化して没収し、国民に読ませないようにした。
私の調べでは、焚書対象となったのは昭和3~20(1928~1945)年に出版された約22万タイトルの刊行物のうち、7769点だった。
「皇室」「国体」「天皇」「神道」「日本精神」といった標題・テーマの本はもちろん、およそ思想的には問題ないと思われる本も含まれている。
それらは「宣伝用刊行物」、つまりプロパガンダの道具として扱われ、没収の憂き目に遭った。
これだけの書物の内容を確認するには、GHQ内部だけで完結できるとは考えにくく、日本人の協力者がいたことが容易に想像できる。
GHQから通達された「覚書」に記載された対象本は最初は十数点だったが、33回目の覚書を境にして500点前後に急増している。
私はこのときに日本人協力者の参加が始まったと推測している。
焚書行為の舞台のひとつは、帝国図書館(現・国会図書館)だった。
当時の帝国図書館館長の回想記の記述は衝撃的だった。
そこには「出版物追放のための小委員会」に、外務省幹部や東京大学文学部の助教授らが参加していたことが記されていた。
東京大学文学部の委員が具体的にどう関与したのかは不明だが、日本人が焚書図書選定に関わったことは確かだ。
仮に日本の知識人の協力がなければ、大量の本から焚書すべきものを選ぶことなどできない。
当時は、公文書に残らない秘密会議として行われた。
まさに日本とGHQの密約である。
この焚書という忌まわしい行為は、昭和23(1948)年7月からは全国展開されるようになり、昭和26(1951)年まで続いた。
それは、民間の一般家庭や図書館の書物は没収対象にしないものの、書店や出版社からだけでなく、すべての公共ルートから探し出して廃棄する方針で行われた。
国民に知られずに秘密裏に焚書を完遂するためである。
なぜならGHQは、書物の没収は文明社会がやってはならない歴史破壊であることを知っていたからだ。
自由と民主主義を謳うアメリカが、言論の自由を廃する行為を行っていたことが国民に知られれば、占領政策がままならないとの認識があったのである。
焚書の実行にも多くの日本人が関わった。
最初は警察が本の没収を行い、昭和23年6月からはこの業務は文部省に移管され、その後は文部次官通達によって都道府県知事が責任者となって進められた。
通達は、知事に対して警察と協力して流通している対象書物はことごとく押収し、輸送中のものにまで目を光らせよと厳命した。
そして、没収を拒んだ者や没収者に危害を加えようとする者を罰するとしたほど徹底的であった。
※SAPIO2015年9月号
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現代日本人に思想破壊をもたらしたGHQの焚書と日本人協力者
SAPIO(小学館)2015.08.19 NEWSポストセブン
■戦後GHQによる「航空禁止令」(?)とはどんな内容だったのか読んでみよう
プログラミング+(KADOKAWA ASCII)2017年08月15日 遠藤諭(角川アスキー総合研究所)
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・たった1枚の指令書
NHK BSの「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”~」を見た。
今年4月に発掘された米空軍幹部246人にインタビューしたテープを中心に表題のテーマに迫った内容。
この番組の内容にあまり踏み込むつもりはないのだが、軍隊というのは企業とおなじく人によっていかようにも動く不可思議なものだという印象だ。
それで1つ書いておきたいのは、日本の戦後の技術開発に関するストーリーでは、しばしば触れられるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による「航空禁止令」と呼ばれているものについてである。
1945年(昭和20年)に「航空機の研究・設計・製造を全面禁止された」などとあり、1952年(昭和27年)にサンフランシスコ講和条約の発効によって、ふたたび開発が可能となったなどと書かれることが多い。
2015年の三菱リージョナルジェットの初飛行のときも、頻繁にニュース等で引用されたのでご存じの方も多いはず。
ところが、この「航空禁止令」について私は少しひっかかっていたことがあった。
『計算機屋かく戦えり』(KADOKAWA / アスキー・メディアワークス刊)の元になる『月刊アスキー』での取材では、ちょうど同じ戦後間もない時期に国産コンピューターを開発していた人たちからGHQという言葉も何度となく聞くことになった。
1948年に、GHQの指導により逓信省電気試験所が商工省工業技術庁電気試験所と逓信省電気通信研究所への分離。
その電気通信研究所へは「日本としてのトランジスタの利用法を考えろ」と非常にはやい時期にGHQから指示があったなどだ。
ところが、初期のコンピューターの主要用途の1つが航空機の翼面設計だったにもかかわらず、航空禁止令についてはボンヤリとしたままだった。
一方、航空機の開発に従事していた人たちのインタビューでは必ずこの禁止令に関するコメントが出てくる。
実際は、どんなことだったのだろう?
これについて、ちょうど1年ほど前(2016年3月15日)から、GHQが日本政府に対して出したさまざまな指令(Supreme Commander for the Allied Powers Directives to the Japanese Government =SCAPINs)が、国立国会図書館デジタル・コレクションの「リサーチ・ナビ」で公開されているのをご存じだろうか?
一昨年、米国国立公文書館(RG 331)のマイクロフィルムを複写して所蔵していたものをデジタル化、昨年から公開されたのだ。
ペラペラのたった1枚のタイプ打ちされた指令は6項目からなっている。
具体的な、今後の航空機の所有・開発・研究等を禁止しているのは、4項目目と5項目目のそれぞれ1センテンスだ(国立国会図書館デジタル・コレクションのリサーチ・ナビより)。
「日本のポツダム宣言受諾を受けて、トルーマンは、1945年8月14日付けで米太平洋陸軍司令官のマッカーサーを連合国最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers, SCAP)に任命した。同年9月2日に調印された降伏文書により、連合国最高司令官が降伏実施のために適当と認めて自ら発した布告、命令及び指令を日本政府及び日本軍は遵守し、実施する義務を負った」(同ページより)とあり、2631アイテム(収集時のマイクロフィルムは7巻分)が、ネットで閲覧できる(いままでも資料はあったはずだがこのような形で公開されたのはありがたい)。
この中に「航空禁止令」と一般に呼ばれているものに相当する内容が含まれている。
「SCAPIN-301: COMMERClAL AND CIVIL AVIATION 1945/11/18」と題されたたった1ページのタイプライターで打たれた文書で、具体的には、リサーチ・ナビの当該ページを見ていただくのが早いのだが、タイトルは「Commercial and Civil Aviation」(商業および民間航空)とだけつけられたものとなっている。
政府や民間の航空関連の組織の解散などに続けて、4項目目で1945年12月31日以降の航空機や関連部品、施設などの購入・所有等を、ワーキングモデル(作業用模型)も含めて航空機に関係するものを禁止。
4. On and after 31 December 1945 you will not permit any governmental agency or individual, or any business concern, association, individual Japanese citizen or group of citizens, to purchase, own, possess, or operate any aircraft, aircraft assembly, engine, or research, experi- mental, maintenance or production facility related to aircraft or aeronautical science including working models.
そして、5項目目では、航空科学や航空力学、そのほか航空機や気球に関係した教育・研究・実験をも禁じている。
5. You will not permit the teaching of, or research or experiments in aeronautical science, aerodynamics, or other subjects related to aircraft or balloons.
国立国会図書館デジタル・コレクションの資料のことを知ったのは、今年1月のことだが、今回、これを書いていて『The Allied Occupation and Japan’s Economic Miracle: Building the Foundations of Japanese Science and Technology 1945-52』という本があることを知った。
航空禁止の件についても少し踏み込んで語られているようだ。
また、インターネットアーカイブで『Japan’s air power options: the employment of military aviation in the post-war era.』というドキュメントを読むこともできる。
こちらは、戦後の軍の航空関係者について調べたもので、インタビューも多数含まれている。
日本のテクノロジーの発展の仕方やこのことについてより詳しく知りたい人は、参考になるかもしれない。
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戦後GHQによる「航空禁止令」(?)とはどんな内容だったのか読んでみよう
プログラミング+(KADOKAWA ASCII)2017年08月15日 遠藤諭(角川アスキー総合研究所)
https://ascii.jp/elem/000/001/531/1531212/
■なぜGHQは、戦時中の国民学校(小学校)の歴史教科書『初等科国史』を抹殺しなければならなかったのか?
時事通信 2019年10月17日 株式会社ハート出版
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我々が偏見や先入観を捨てて本書を読むとき、硬直下した戦後の歴史解釈の向こうに、いったい何が見えてくるだろうか
戦時中の教科書シリーズ第1弾『初等科国史』(ハート出版)が9刷。
このシリーズは、その後も刊行され続け、3月に第11弾の『高等科修身 男子用』が発売される。
戦時中の初等科の歴史教科書の復刻だが、改めて通読すると、なんと我が国の歴史は浪漫的であり、英雄達は人間くさいことだろう。
『初等科国史』は古事記、日本書紀を土台にしての正史を鼓吹しており、同時に教養に溢れる物語として歴史を教えていたことがわかる。
文章も格調高く、深い文化の香りが漂う。
神話から説き起こし天皇を基軸としてきた我が国の政治の在り方、文化の奥行きの深さが、そこはかと感じられる。そのような工夫もさりげなくなされているのだ。
この教科書を貫くのは、武士道精神と日本人の美意識、ゆえに楠木正成親子の桜井の別れの名場面は浪曲的に描かれる。
北畠親房、顕家親子の尊皇家としての義挙と敗北も美的に書かれている。
近世に入ると、やはり皇国史観の色調が前面に出てくるのは致し方ないにしても、信長が尊皇家で明智光秀が逆賊という評価は短絡的すぎて、納得し難い。
だがおそらくこれがあの時代の歴史感覚であり、雰囲気であったのだろう。
なぜなら同様な基調が大川周明や徳富蘇峰にみられるからである。
近世への評価は明治政府の解釈が伏線にあって、秀吉が過大評価され、相対的に家康への評価が低い。
薩長史観が混入してきたことが明瞭である。
これらは戦後の左翼史観とは別の次元で、科学的に反証されているが、南朝史観に貫かれて、足利尊氏が悪党と決めつけられているあたりは戦前教科書の限界だったのだろう。
近年の歴史学は尊氏も立派な尊皇家だったことが立証されているが、これらの歴史論争は、本稿では置く。
鳥羽伏見の役の評価となると俄然、薩長史観が露呈し、松平容保への評価は低すぎる。
吉田松陰の過大評価は現代もそうだから、これも措くとしても、西南の役はたったの一行である。
さて問題は、GHQがなぜ、この教科書に墨を塗らせ、あげくに回収し、世の中から抹殺したのか。
戦後、まったく逆の史観を強要したのか。
この教科書が放った爆発的な精神のパワー、パトスの固まりが当時の日本人を突き動かし、一億玉砕を謳い、国民全員が火の玉のような武士道精神に燃えたぎっていたからだ。
GHQは怖れ戦き震えた。
日本人のこの精神を根底的に消滅させ、アメリカに従わせるためには、歴史の否定しかない。
日本人の洗脳工作の一環として、間違った歴史、改竄された日本史が強要され、「大東亜戦争」は「太平洋戦争」となり、国民の英雄たちは、貶められた。
日本精神は深く傷つけられた。
こうした戦後の経過を踏まえて、本書を読み返すことはたいそう意議深い。
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なぜGHQは、戦時中の国民学校(小学校)の歴史教科書『初等科国史』を抹殺しなければならなかったのか?
時事通信 2019年10月17日 株式会社ハート出版
https://www.jiji.com/jc/article?k=000000084.000049367&g=prt
■江藤淳の遺言に今、耳を傾けよ 「人が死ぬ如く国も滅ぶ」
SAPIO(小学館)2019.02.02 NEWSポストセブン
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江藤淳が自死してから20年になる。
戦後を代表する文芸評論家であり、保守論客であった氏は、戦後の民主主義の欺瞞と閉された言語空間を批判した。
氏の言葉は今日の日本に至要な訓戒として響いている。
文芸評論家の富岡幸一郎氏が、改めて江藤の“遺言”の意味を解説する。
江藤淳が亡くなって、本年で二十年の歳月が経つ。
没後十年の平成二十一年、本誌で特集を組み筆者も原稿を寄せたが、その文章の冒頭に次のように書いた。
「もしあの人物が健在であれば、日本と世界の情勢についてどんな発言をしてくれるのだろうか、と期待せずにはおられない論客、それが江藤淳にほかならない」と。
平成の世の終焉に際し思い起こすのは、三十年前、昭和天皇の崩御と平成改元の直後に筆者がインタビューしたときの江藤淳の言葉である。
「人が死ぬ如く国も亡ぶのであり、何時でもそれは起こりうる」。
平成六年には『日本よ、亡びるのか』という表題の本も刊行しているが、今日の日本の現状を見れば、“亡国”という不吉な言葉がにわかにリアリティーを帯びてくるのである。
外国人(移民)労働者の受け入れ拡大は労働力の問題である以上に、国のかたちを変えるものであるが、政府・与党はただ法案成立を急ぎ、憲法改正という国家の基盤的問題はまた先送りされつつある。
米中の新冷戦時代に突入しながら改憲や国防の課題を、政府も国民も他人事めいたことにしている。
江藤淳は、竹下・宇野・海部・宮沢、そして細川内閣辞任へとめまぐるしく交代する政治のありさまを「百鬼夜行の平成政治」と批判し、「平成日本はいつ滅びるかわからない。ますます滅びそうだと思っている」といったが、民主党政権の三年余で文字通り亡国の淵にまでいった日本は、安倍晋三の再登場によって“一強”政治などと称されながらも、その内実たるや新自由主義の妖怪を跋扈させるばかりであった。
江藤淳がもし健在であれば、言下に日本は「ますます滅び」つつあると断ずるであろう。
なぜなら、江藤淳がその後半生を賭して探究した「戦後史」の呪縛から日本人は七十有余年も経ても、少しも脱却できていない、いやむしろ自ら進んでアメリカという超大国への幻想的依存を深めることで、真に自立した国家としての道を歩むことを放棄する、自己欺瞞に陥ってきたからである。
・萎縮する「日本の言語空間」
江藤淳は昭和五十三年を起点に米国の占領政策の実態を一次資料から改めてさぐり、戦後の日本人が「閉された言語空間」に置かれてきたことをあきらかにした。
GHQによる検閲や戦後憲法の制定のプロセスなどの歴史的な検証がその仕事の中心となっていたが、重要なのはそれは決して過去の歴史研究ではなく、今ここに現前している日本と日本人の「自由」と「生存」の根本的な問題として在り続けていることだ。
『閉された言語空間』(平成元年)で江藤淳は占領下における米国の検閲が「眼に見えない戦争」すなわち日本の「文化」と「思想」にたいする殲滅戦であり、占領が終了した後も現在に至るまで、日本人がこの戦後「体制」を改めようとせずにきた事実を鋭く指摘した。
なぜ、改めようとしないのか。
それはこの「体制」によって「利得の構造」を保持してきた政治・教育・文化の“戦後利得者”たちが、今日に至るまでマスコミ、ジャーナリズムの主流を占めてきたからである。
この構造は保守派であろうが左翼リベラルであろうが、体制側であろうが反体制側であろうが同じである。
冷戦構造が崩壊して三十年を経てもそれは全く変わっていない。
いや、むしろ江藤淳が当時厳しく糾弾した「日本を日本ではない国」にすることで利益をむさぼっている“利得者”たちは、グローバリズムと新自由主義政策の拡大のなかで、新たな「階級」として白蟻のように増殖し、日本社会のその骨格を蝕んでいる。
自由貿易の名のもとに国内の産業を破壊しつくし、アベノミクスは脱デフレを標榜しながら国内の賃金低下をもたらし、あげくの果てに欧州ではすでに惨憺たる結果となった「移民」労働力の受け入れを急ごうとする。
戦後レジームにおいて左右の政治勢力として対立してきた“利得者”たちは、イデオロギーの仮面をいで、経済効率主義の名目のもとに、今この国の破壊にいそしんでいるのだ。
江藤淳は『閉された言語空間』においてこう指摘した。
「(占領軍による徹底した検閲は)言葉のパラダイムの逆転であり、そのことをもってするアイデンティティの破壊である。以後四年間にわたるCCD(占領軍民間検閲支隊)の検閲が一貫して意図したのは、まさにこのことにほかならなかった。それは、換言すれば「邪悪」な日本と日本人の、思考と言語を通じての改造であり、さらにいえば日本を日本ではない国、ないしは一地域に変え、日本人を日本人以外の何者かにしようという企てであった」
「日本」は今やまさにグローバル企業に席巻される「一地域」に変貌しようとしている。
それは日本人が「日本人以外」の「何者か」になりつつあるからだが、その淵源は戦後のわれわれが日本人の「歴史」と「文化」と「思想」に根ざした言語空間を喪失しつづけてきたからに他ならない。
GHQによる占領下の検閲の延長に、自己検閲の罠から脱却することもせず、むしろそこに従属し安住することで、アメリカニズムを「自由」「平和」「民主主義」と言い換えてきたからである。
江藤淳はCCDの言論検閲が戦後日本の言語空間を拘束しつづけ、そこから日本人の「歴史への信頼」の「内部崩壊」が地滑り的に起こり、深刻化していることを詳細に指摘したが、今日のニッポン語「コンプライアンス」「……ハラスメント」「LGBT」etc.を見るまでもなく、日本語は刻々と萎縮しつづけて止むことがないのである。
対米従属は政治・外交上の問題、さらには国防の問題というよりは、その核心にあるのはむしろ言語・日本語という文化的根源の危機なのではないか。
「今日の日本に、あるいは“平和”もあり、“民主主義”も“国民主権”もあるといってもいいのかも知れない。しかし、今日の日本に、“自由”は依然としてない。言語をして、国語をして、ただ自然の儘にあらしめ、息づかしめよ。このことが実現できない言語空間に、“自由”はあり得ないからである」(『閉された言語空間』)
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江藤淳の遺言に今、耳を傾けよ 「人が死ぬ如く国も滅ぶ」
SAPIO(小学館)2019.02.02 NEWSポストセブン
■【敗戦国に向けられた「19の企て」】
モルデガイ・モーゼ著『あるユダヤの懺悔 日本人に謝りたい』より抜粋
日本と同じ敗戦国であるドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスが自国民ドイツ国民に与えた、19の警告。売国政治家等の開戦の前から他国の強い勢力の企てが、自国に向いているから気をつけなさいと忠告した言葉。
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「わが国として気をつけねばならないことはわが国に向けられている数々の企てである。
それは、
・愛国心の消滅
・悪平等主義
・拝金主義
・過度の自由要求
・道徳軽視
・3S(スポーツ・セックス・スクリーン)の奨励
・ことなかれ主義の政策
・無気力、無信念
・義理人情の抹殺
・俗吏、属僚(売国官僚)の横行
・否定、消極主義
・自然主義
・刹那主義
・尖端主義
・国粋主義の否定
・享楽主義
・恋愛至上主義
・家族制度の破壊
・民族的歴史観の否定
以上 19の企てをもって、わが国の持っている非常に理想的なものを潰そうとかかってくる強い勢力がある」
————————————————————-
モルデガイ・モーゼ著『あるユダヤの懺悔 日本人に謝りたい』より抜粋
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784817404367
■負け続ける日本を作る「英語化」政策の大罪
集英社 2015年秋号 施光恒×白井聡
・『英語化は愚民化』
https://a.r10.to/hN1lOn
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・静かに進む日本社会の英語化
白井 今年は敗戦後七〇年の節目の年です。
しかし、アメリカとの関係を見れば、対米従属構造は強化されるばかりだと言っていい。
集団的自衛権にしても、TPPにしても、政財官をあげて従属強化に向けて突き進んでいる。
そして、社会の根底から対米従属構造を強化することになるのであろうある動きが、見えづらいながらも着々と進行している。
それが日本社会の「英語化」政策です。
施さんの近著『英語化は愚民化──日本の国力が地に落ちる』(集英社新書)の冒頭でいきなり衝撃を受けたのは、英語を公用語とする「英語特区」が政府の諮問会議によって提案されたという事実です。
日本の国内でありながら、日本語をしゃべってはならない、使ってはならない。
その地区で日本語をしゃべると、お巡りにつかまるのか、罰金を取られるのか、それとも「方言札」を首からぶら下げられるのか……。
こういう馬鹿げたことを嬉々として提案する人々がいるというこの国の状況に、あらためて暗澹たる気持ちになりました。
施 英語化と言うと、楽天やユニクロ、最近ではホンダの企業内公用語の英語化というのが頭によぎるかと思うのですが、今、進んでいるのは私企業内のことだけではありません。
もっと公的な領域、あるいは社会全体の英語化が推進されつつあると言っていい。
このままTPPが締結されれば、行政部門の英語化もかなり進むでしょう。
教育の分野でも英語教育偏重が加速している。
こんなふうに、なし崩し的にビジネスや大学教育など日本の社会の第一線が英語化されてしまうと、どうなるかでしょうか。
英語が得意か否かという教育格差が、収入などの経済格差に直結し、究極の分断社会が誕生します。
どんなに他の能力が高くても英語力がないというだけで、中間層の人々は自己の能力を磨き、発揮する機会を奪われる。
日本の誇る中間層が愚民化を強いられ、没落するのです。
日本人の英語力が向上すれば、アメリカとも対等にわたり合えるようになるという英語化推進派のもくろみは、幻想にすぎません。
非英語圏の雄である日本の社会が英語化されれば、英語による支配のピラミッドを強化することになり、しかもそのピラミッドの中で日本は底辺にしか位置できない。
白井 おっしゃるとおりです。手前味噌な言い方をすれば、施さんの『英語化は愚民化』は、私が『永続敗戦論──戦後日本の核心』(太田出版)で描いた戦後日本の構図と直結していると思って読みました。
英語化することによって、日本は永遠に負け続ける。
施 今日、白井さんとお話をしたかったのも、まさにそうした文脈でこの問題、つまり「英語化」政策によって日本が失うものはなんなのか、そして日本はどうすればよいのかを考えたかったからです。
白井 つまり、言語における「永続敗戦」状況を考えようということですね。
・英語化は国家の自殺行為である
施 その話に入る前に「英語化」政策の具体的な事例を読者のために説明しておきたいのですが、たとえば、教育行政です。
私たちが身を置く大学業界でも、英語化は信じがたい速度で進められていますよね。
英語の授業を増やした大学には巨額の補助金を与えるとか。
白井 施さんの九州大学はスパグロに認定されたでしょ?
例のスーパーグロテスク大学(笑)。
いや、失礼、スーパーグローバル大学。
この言葉、口に出すのも恥ずかしいから言いたくないんです。
施 確かにグロテスクな制度ですね。
教育・研究のグローバル化を図ると手を挙げ、認定されれば、最大一〇年間で五〇億円の補助金が与えられる。
その補助金を得るための基準の一つは授業の大規模な英語化です。
九州大学は四分の一の授業を英語化すると決め、京都大学に至っては、一般教養科目の半分以上を英語で講義するという計画を打ち出した。
東京大学の理学部化学科は、すでにすべての授業を英語で行っている。
白井 この制度を文科省が創設した理由は、アングロ・サクソンの作った評価基準での世界の大学トップ一〇〇を目指すという情けない話なんですよね。
ランキング一〇〇位内に入るために授業を英語でやれ、と。
施 おかしな話ですよね。
日本人が最も深く思考し、創造力を発揮できるのは日本語を使ったときですよ。
英語で授業をすると世界の一流校になれるという発想は異常です。
白井 その点、ヨーロッパの大学はえらい。
アングロ・サクソンが作ったランキングなんて本気で受け止めていないですからね。
施 学内でも、いかに英語化を推進するかという会議が延々あるわけです。
しかし、私に言わせれば、英語化推進派の先生方は、ご自分たちが何をやっているか、まったくわかっていない。
たとえば九大では、今後採用する新任教員に、着任後の五年間、英語での授業の担当を義務づけています。
そうなれば、新規採用時にはネイティブの先生をなるべく採ろうという話になるのは目に見えている。
あるいは、日本の大学院ではなく、海外の大学院で学んだ研究者を採用しようということになるでしょう。
そんな採用方針が日本中の大学に広まれば、日本の大学院に進学し、研究者を志す学生などほとんどいなくなりますよ。
優秀な学生ほど将来を考え、海外の大学院を選択するようになるでしょう。
日本の大学院教育は、実質的に消滅してしまうのではないでしょうか。
一部残ったとしても、日本語ではなく英語で授業が行われるようになる。
これでは、日本独自の学問研究など発展するわけがありません。
白井 英語化推進は大学にとって自殺行為以外の何ものでもない。
こうした施策が何をもたらすことになるのか、本気で考えた形跡などありません。
文科省はもちろん、大学関係者の多くにその能もないし。
重要なことを決めている連中は、多くの場合、年齢層的に逃げ切るだけの人たち。
後は野となれ山となれ、です。
施 日本語が学問研究の高度な議論の場で使われなくなっていけば、日本語そのものも最先端の用語をもたない遅れた言語へと堕ちていくでしょう。
日本語の劣化も国民の愚民化に拍車をかけます。
一方で、表面上滑らかに英語が話せるだけのエリートもまた、母語にもとづく深い思考力や洞察力をもてないからたいしたものにはなれない。結局、日本全体が愚民化していきます。
こういう事態が、社会のあらゆる分野ですでに始まっている。
しかし、日本語をビジネスや教育、あるいは行政における高度な議論の場から撤退させるとどういった帰結を招くでしょうか。
当然ですが、母語で思考しなくなった国が衰弱するのは当たり前です。
先ほどの白井さんの言葉を借りるなら、国をあげての英語化は国家の自殺だと言ってもいい。
白井 どう考えてもこんなにおかしいことはないのに、なぜ正面切ってそんなのおかしいじゃないかと言えない雰囲気が支配的になったのか。
反省すれば、私たちの理論武装が足りていなかったんだと思うのです。
闇雲な英語化なんて馬鹿げたことを進めていった暁には、確実に日本全体が劣化するんだということを、確かな証拠と論理で主張していかなくちゃいけない。
だから、それをやった今回の施さんのお仕事は、今後の闘争のために役立つ優れた本であると、私はたいへん心強く思ったわけです。
愚劣なグローバリストの跋扈に終止符を打たなければなりませんから。
・英語化を拒否して成功した明治の近代化
白井 英語化が日本を劣化させるという重要な証拠の一つとして、施さんは明治期の日本の近代化の事例を挙げていらっしゃいますよね。
施 明治日本の近代的国作りが曲がりなりにも成功したのは、英語化を拒んだからなんです。
明治初期にもあったんですよ、英語を公用語にしなければ世界に追いつくことができない、という議論が。
しかし、福澤諭吉や福沢の弟子の馬場辰猪らが大反対した。
結局、明治の人々は近代日本を建設する際に、日本語を捨て去るのではなく、日本語を発展させる道を選んだ。
外来の先進の知を日本語に翻訳することによって、エリートだけでなく、広く万民が知識を共有できるようにした。
たとえば、私たちが普通に使っている、「社会」「近代」「経済」などといった言葉は、外来の抽象概念を明治期の人々が翻訳して作ったものです。
彼らは、日本語の語彙を豊かにすることで、新時代に対応したんです。
日常の言語である日本語を高度な議論にも耐えうる「国語」として確立した。
日本の中間層のレベルが高いのは、そのおかげです。
多数の一般の人々が能力を磨き、またその能力を発揮しやすい日本語の公共空間を確立した。
これが近代日本の国力の源だったわけです。
だから、国民の英語力を上げれば日本経済も復活するなどという言説は、?ですね。
英語化すれば、多くの日本人が社会の中心部から排除されてしまう。
自分の能力を磨き、発揮していくことができなくなってしまいます。
白井 フィリピン、マレーシア、インドといった植民地化によって言語まで支配された国の悲哀というのを英語化推進派は理解していないんですよ。
施 そうなんです。
英語を操るエリートと母国語で生活する庶民とに社会が分断され、大多数の庶民はたとえ能力があっても、英語ができないというだけで馬鹿にされ、コンプレックスに打ちひしがれる。
世界では日常的な光景なのに、「国際派」をきどる英語化推進派の人々は、それにはまったく気づいていない。
・言語の「永続敗戦」レジーム
白井 施さんが非常にいいことをお書きになっているなと思ったのは、本当の意味で最も知的な作業というのは、言葉にできないもの、暗黙知のようなものを、どうにかして言葉に落とし込んでいくことだと。
私も全く同感ですね。
それはやはり、母語でなければできない。
それから、言語は思考の根源を規定しますから、学術の言語が一つ消滅することは、発想の形態が一つ消滅することを意味します。
これは理系も文系も関係ない。
学術言語が英語に一元化されていくことは、長期的には学術全般の貧困化、人間の知の可能性の縮減を意味します。
グローバリストからの反論としてとり上げるに値するのはこういうものです。
人文社会科学系でも、たとえば哲学者のスラヴォイ・ジジェクを見ろと。
彼はスロベニア人だけれども、英語を使って世界をまたにかけて活躍しているじゃないか、ああいうふうに日本人もやればいいじゃないかと。
しかし、こういう主張に視点として欠けているのは、はたしてジジェク自身が、それをよしとしてやっているかどうか、ですよ。
絶対にそんなことはない。
彼がそれを大いなる悲しみと憤りとともにやっていることは間違いないんですよ。
百歩譲って、英語化やグローバル化が現在の必然的な流れだと認めたとしても、それはたいへん悲しいこと、屈辱的なことであるはずです。
ところが、英語化推進派の人たちには、そういう感覚が一切ないらしい。
施 TPPにしても英語化にしても、日本社会には、アメリカ主導の「グローバル化」に対する怒りや悔しさというものがまったく見えないんです。
自分たちはアメリカとかアングロ・サクソンの力に、屈するしかないんだという悔しさが、本来あるべきなんです。
なぜ日本人がこれほどまでに、アメリカの言うことに唯々諾々と従ってしまうのか。
過剰に順応してしまうんですね。
要するに日本人は、心理的な認知不協和の状態におかれるのが嫌なのでしょう。
自分と相手のものの見方が違うという事実を認めること自体が、日本人にとってたいへんなストレスなんですね。
ノルウェー出身の政治学者ヤン・エルスターが「適応的選好形成」と呼んでいますが、負けているのに、それを認めることすら嫌なので、自分は自ら相手方に同調したんだと錯覚していく。
白井さんが『永続敗戦論』で鋭く指摘なさった言葉で言えば、「敗戦の否認」です。
戦後、日本人は戦争に「負けた」ということを認められなかった。
それでアメリカによる統治、支配を、善意や進歩という幻想に置き換えて解釈してきたというわけです。
それどころか、もっと問題なのは、英語化を推進する勢力には、「私たちは何者か」という認識すらない。
自分たちをアメリカ人だとでも錯覚しているんじゃないかという感じさえするんです。
白井 少なくとも、アメリカは日本を愛してくれているという巨大な妄想を抱えているのは間違いない。
覇権国アメリカになんらかの意味で依存していない国なんて、世界を見渡しても、ほとんどない。
けれども、日本の対米従属が奇妙なのは、アメリカは日本を愛してくれているというフィクションによって支えられているということです。
施 アメリカへの片想いのように甘ったるい考え方で英語化も受け入れてしまっている。
白井 そこが怖いところです。
英語化もグローバル化も、推進したところで、日本の得にならないという事実を認めることができない。
アメリカと同化するほうが心地いい。
でも、その結果、どれほどのものを我々が失うのか、という事実から目をそらしてしまうことになる。
戦後七〇年たっても、ますます日本は負け続ける。
これが終わらない敗戦、「永続敗戦」ということなんです。
英語が世界言語になった端的な理由は何かと言ったら、それは本当に身もふたもない話で、アメリカとイギリスが戦争で勝ち続けたからに他ならないんです。
言語的な支配が永続すれば、彼らが得をする。
それ以外には何にもないんですね、本質的な理由なんて。
施 日本の社会を日本人が自ら進んで英語化するということの本質は、負け続ける構図を自分で作りつつ、そこから目をそらし、結局、永遠に負け続けるということなのですよね。
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『英語化は愚民化』
https://a.r10.to/hN1lOn
■日本人の7人に1人が「原爆投下は仕方ない」と答えてしまう根本原因
公文書が示すGHQが仕掛けた心理戦
PRESIDENT Online 2020/08/08
■「大東亜戦争」と呼ぼう 岡部伸
産経新聞 2021/12/7
■これが戦後の元凶だ! 米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘
「日本政府や日本の報道機関を通じて実施した間接統治」
産経新聞 2015/4/8 関野通夫
■『日本人はなぜ自虐的になったのか―占領とWGIP―』(有馬哲夫/著)
全てアメリカの狙い通りに――。
WGIPと心理戦の全貌を第1次資料をもとに明かす
新潮社 発売日:2020/07/17
■『だまされ続ける日本人』
竹下 信之【著】東方通信社(2012/07発売)
・内容説明
戦後、平和で自立した成長を遂げてきた経済大国・日本。
しかし、それは“幻”にすぎなかった。
団塊世代であり、大手企業の役員でもある著者はその事実に直面し、ショックを受けながらも資料収集を開始。
その成果を本書に記し、われわれ日本人の12項目の誤った認識を指摘しながら、日本の教育体制がいかに歪められてきたかを示唆する。
そして、アメリカ政府の戦略や年次要望書がいかに日本経済が弱体化してきたかを説明しつつ、「日本再生」への提言を述べる。
だまされ続けた著者の熱い想いが込められた一冊だ。
・目次
第1章 間違っていた私の認識(戦争は宣戦布告によって開始するのが世界のルールだ;第二次大戦以降の世界の戦争は宣戦布告を行っているはずだ;「大日本帝国」はアジア、世界の征服を目指し、突然の侵略を開始した ほか)
第2章 狙われた日本経済の強み(失業率が低く、終身雇用と年功制で、世界一安定した雇用体制;業界協調による外国資本への高い参入障壁;各地域に密着した商業活動 ほか)
第3章 日本の再生に向けて(理念を持たない日本人;米国だけが悪いのではない;建前社会・きれい事社会との決別 ほか)
・著者等紹介
竹下信之[タケシタノブユキ]
1947年、長崎県諌早市生まれ。66年、長崎県立西高等学校卒業。71年、明治大学商学部卒業。同年、文化シヤッター(株)入社。82年、中小企業診断士取得(分野:鉱工業)。06年、文化シヤッター(株)執行役員経営企画室長、執行役員秘書室長に就任。08年、文化シヤッター(株)常勤監査役
■『GHQの日本洗脳 70年続いた「支配システム」の呪縛から日本を解放せよ!』
山村 明義【著】光文社(2014/07発売)
・内容説明
「日本弱体化」を図った「GHQ占領システム」に日本は今でも縛られている!
GHQがプログラミングした「戦後民主主義」は、「臆病者」や「卑怯者」を増やし、「誇り」や「品格」を失わせるシステムだった。
・目次
序章 GHQ占領政策の「後遺症」が引き起こす日本の制度矛盾
第1章 「偽善」に満ちた医療と福祉―GHQの「人口制限策」がもたらした日本の「超高齢化」と「少子化」
第2章 狭められた農と衣食住―GHQの「学校給食」が日本の食文化を壊した
第3章 「自虐」による教育と宗教―日本の「無力化」を図ったGHQの「日本人再教育」
第4章 「調教」されたメディア―「洗脳支配」がもたらした日本人の「自虐史観」
第5章 「心理操作」された戦後日本文化―「虚飾」と「欺瞞」にまみれた「戦後民主主義」
第6章 「意思決定」なき政治―諜報工作や思想工作によって弱体化された日本の政治思想
第7章 「他者依存症」に陥った経済―日本に利益を生まなかった「経済民主化政策」
第8章 歪められた領土と日本外交―アメリカに力で押さえつけられた「迎合外交」
第9章 閉ざされた軍事と航空―GHQの占領政策がもたらした韓国の竹島占領
第10章 「自立心」なき憲法と法―現行憲法は単なる「押しつけ憲法」ではなくGHQの強大な権力をふりかざした「圧力憲法」
■『アメリカに使い捨てられる日本』
森田 実【著】日本文芸社(2007/04発売)
・内容説明
アメリカによる日本の格差社会化、教育・医療・農業破壊はここまで進んでいる―安倍政権の正体と危険性を徹底的に糾弾。
・目次
第1章 やがてアメリカに使い捨てられる日本―食い尽くされ、見捨てられる?安倍政権の行方
第2章 安倍晋三首相の「美しい国づくり」の欺瞞―混乱・動揺・わがまま・暴走を繰り返す安倍首相
第3章 安倍政権の「格差是正」政策では国民は救われない―希望なき格差社会を救う手立ては、もはや政権交代のみ
第4章 日本を破壊した小泉構造改革の正体―アメリカの対日改革要求はここまで進んでいる
第5章 安倍政権はなぜ「教育基本法」改正を急いだのか―愛国心涵養の陰で進んでいるアメリカのための教育改革
第6章 安倍政権はなぜ「憲法改正」に固執するのか―アメリカ従属下の憲法改正は絶対に阻止すべき
第7章 アメリカに操られ「戦争国家」へと暴走する安倍政権―北朝鮮・中国に強硬路線で突き進む安倍外交の愚かさ
第8章 次の政権は小泉・安倍政治の「負の遺産」を是正せよ―国民の幸せを強く願う憂国政治家3人の熱血語録
・著者等紹介
森田実[モリタミノル]
1932年、静岡県伊東市生まれ。東京大学工学部卒業。日本評論社出版部長、『経済セミナー』編集長などを経て、1973年より政治評論家として独立。
■『姿なき占領 アメリカの「対日洗脳工作」が完了する日』
本山 美彦【著】ビジネス社(2007/01発売)
・目次
第1章 奪われる医療保険システム
第2章 対日洗脳工作の尖兵たち
第3章 GHQにへばりついた保険会社、米軍と歩む投資ファンド
第4章 売り渡される日本の「教育」
第5章 米国のエリートは、なぜ日本を支配したがるのか?
第6章 洗脳国家・米国の国民支配
第7章 「宗教ビジネス」に走る超大国の末路
・著者等紹介
本山美彦[モトヤマヨシヒコ]
京都大学名誉教授、福井県立大学大学院経済・経営学研究科教授。経済学博士。1943年神戸市生まれ。1965年京都大学経済学部を卒業後、同大学院経済学研究科修士・博士課程を経て、1969年甲南大学経済学部助手。同大学講師、助教授を経て、1977年京都大学経済学部助教授。1986年同教授。(社)国際経済労働研究所長(1996~2005年)、日本国際経済学会長(1997~1999年)、京都大学大学院経済学研究科長兼経済学部長(2000~2002年)、日本学術会議第18期第3部(経済学)会員(2001~2003年)
■占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間
江藤 淳【著】文春文庫
・出版社内容情報
眼に見える戦争は終ったが、眼に見えない日本の思想と文化の残滅戦が始った。
それは自己破壊による新しいタブーの自己増殖だった
・内容説明
さきの大戦の終結後、日本はアメリカの軍隊によって占領された。
そしてアメリカは、占領下日本での検閲を周到に準備し、実行した。
それは日本の思想と文化とを殱滅するためだった。
検閲がもたらしたものは、日本人の自己破壊による新しいタブーの自己増殖である。
膨大な一次資料によって跡づけられる、秘匿された検閲の全貌。
・目次
第1部 アメリカは日本での検閲をいかに準備していたか
第2部 アメリカは日本での検閲をいかに実行したか
■『日本洗脳計画 戦後70年開封GHQ』
ダイアプレス(2015/08発売)
■日本人を狂わせた洗脳工作
いまなお続く占領軍の心理作戦
2015/3/11 関野通夫 (著)ハート出版
■【GHQの占領政策】江藤淳が解き明かした、WGIPによる日本弱体化計画
■【完全保存版】“焚書 (ふんしょ)”とは何か?GHQが7,000冊の名著を禁書にした理由
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