【米国による教育支配?!教科書が染まりゆく、安倍カラー】「はだしのゲン」「第五福竜丸」教材から削除!『はだしのゲン』と原爆を「なかったこと」にしようとする意図か?~忌野清志郎「表現の自由を奪う圧力」との闘い~


【米国による教育支配?!教科書が染まりゆく、安倍カラー】「はだしのゲン」「第五福竜丸」教材から削除!『はだしのゲン』と原爆を「なかったこと」にしようとする意図か?~忌野清志郎「表現の自由を奪う圧力」との闘い~

■教材から『はだしのゲン』削除しないで

NHK 2023年03月01日

https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20230301/4000021441.html

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平和教育のために使っている教材から漫画『はだしのゲン』の掲載をとりやめ別の内容に変更するという広島市教育委員会の方針を受けて市民団体が会見を開き、『はだしのゲン』を削除しないよう改めて訴えました。

広島市役所で記者会見したのは教科書の問題に取り組む市内の市民団体のメンバーの3人です。

このうちの1人の岸直人さんは、これまで複数回にわたって開かれた有識者や教員などで作る教材の内容を検討する改訂会議の議事録を検証したことを明らかにし「会議の中でなぜ別の教材にするほうがいいのかという検討がされていない。教材を作る上ではこういった会議で全員一致の合意形成が必要で、その過程がないのは不適切だと考えている」と訴えました。

このあと、市民団体のメンバーらは市教育委員会を訪れて方針の変更を求める要請書を手渡しました。

市教育委員会の高田尚志課長は「作品そのものの価値を認めていることは以前と変わらない。ほかの学年も含めて全体の流れを検討していったので、その経緯を今後きちんと回答させていただく」と受け止めていました。

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教材から『はだしのゲン』削除しないで
NHK 2023年03月01日
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20230301/4000021441.html

■日本被団協「怒りを禁じ得ない」 「はだしのゲン」教材掲載終了

毎日新聞 2023/2/28

https://mainichi.jp/articles/20230228/k00/00m/040/190000c

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広島市教育委員会が漫画「はだしのゲン」の市立学校向け教材への掲載をやめることを受け、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は28日、「怒りを禁じ得ない」とする木戸季市(すえいち)事務局長の談話を公表した。

広島市では、全ての市立小中高校に「平和教育プログラム」がある。

小3と高1を対象にした教材には「はだしのゲン」が引用され、ゲンが原爆で家族と引き裂かれるシーンなどが載っていた。

しかし、市は2023年度の改訂で内容を大幅に見直し、漫画を載せないことを決めた。

談話で木戸事務局長は「『はだしのゲン』は多くの被爆者が苦しみ、生きてきた全体像を描いている」と説明。

削除は「原爆被害の全体像を見せない結果をもたらしかねない」とし、撤回を求めた。【春増翔太】

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日本被団協「怒りを禁じ得ない」 「はだしのゲン」教材掲載終了
毎日新聞 2023/2/28
https://mainichi.jp/articles/20230228/k00/00m/040/190000c

■第五福竜丸の記述も教材から削除 はだしのゲンに続き、広島市教委

東京新聞 2023年3月1日

https://www.tokyo-np.co.jp/article/233964

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広島市教育委員会が市立の小中高校を対象にした「平和教育プログラム」の教材から漫画「はだしのゲン」を削除する方針を決めた問題で、米国のビキニ水爆実験で被ばくした静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の記述もなくすことが1日、分かった。

教員用の指導資料には記述を残し、生徒に概要や参考文献を紹介するという。

第五福竜丸は69年前の3月1日、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁での水爆実験に遭遇し、乗組員23人全員が被ばくした。

日本で反核運動が高まるきっかけとなった。

平和教育プログラムで使う市教委作成の「ひろしま平和ノート」では、第五福竜丸は核兵器を巡る世界の現状を学習する中3の部分に掲載されている。

乗組員の被ばくや、半年後に40歳で亡くなった無線長の久保山愛吉さんなどを写真とともに紹介している。

市教委がプログラムを再検討する中で「第五福竜丸が被ばくした記述のみにとどまり、被爆の実相を確実に継承する学習内容となっていない」との指摘が出た。

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第五福竜丸の記述も教材から削除 はだしのゲンに続き、広島市教委
東京新聞 2023年3月1日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/233964

■「はだしのゲン」に込められた反戦メッセージを“不都合”と考える人たちがいる?

日刊ゲンダイ:2023/02/23 ラサール石井

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/319150

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広島市教委が、現在平和教育に使っている教材において、来年度から「はだしのゲン」を他の絵本などと差し替えると発表した。

もちろん広島の学校から「はだしのゲン」をみな廃棄するというような話ではない。

だから鬼の首を取ったように騒ぐほどのことはないかもしれないが、少なからず反響は大きかった。

まず差し替えの理由がよくわからない。

現在小3の教材には、父親を助けるところ、(父親が反戦を唱えたために非国民扱いされ、仕事もなく)家族を助けるために町で浪曲を歌い金を稼ぐところ、母親に精をつけさせようと鯉を盗むところ、が使われている。

「浪曲は児童になじみがなく、鯉を盗んでもいいという誤解を与える」おいおいそんなバカな。

なじみがなければ説明すればいい。

それが授業ではないのか。

じゃあ世界史なんかなじみのないことだらけだぞ。

鯉を盗む行為に関しては皆で話し合えばいい。

そここそ大事なのではないのか。

「漫画では被爆の実相に迫りにくい」ともあった。

いや「はだしのゲン」ほどリアルに描かれたものはないだろう。

体中に割れガラスが刺さったままさまよう人。

体中の皮膚が剥がれ指先からその皮膚が垂れ下がったまま歩く人。

むしろトラウマになりそうな描写で、以前は残酷すぎると閲覧禁止になりそうになったこともあるぐらいだ。

しかし原爆の悲惨さだけが「はだしのゲン」の特徴ではない。

その反戦のメッセージが素晴らしいのだ。

母親のセリフ「いつも戦争をおこそうとする企てをはやく見破って、みんなで声を張り上げ反対してふせぐのよ。国のためだと言って戦争して、かげでもうけるやつがいつもおるんじゃけえ」

先生のセリフ「政治をしっかりみつめてほしいのじゃ。政治から目を離し背を向けると知らぬまに戦争の準備がされ、気がついたときはおそいのじゃ」

これは今の子供たちに絶対に教えなければいけないことだろう。

ひょっとしたらそう思ってもらっては困るのでは。

子供たちにはすすんで戦争に行く気持ちを持ってもらいたい人たちがいるのでは。そう勘繰りたくなる。

再び母親のセリフ「また戦争をよろこぶ流れがおきてしまったらもうおそいのよ。つぎつぎと治安維持法みたいな法律をつくられ完全ににげられないようにされ、人間がただの戦争する道具にされるんだから」

まさに今現在への警鐘ではないか。

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「はだしのゲン」に込められた反戦メッセージを“不都合”と考える人たちがいる?
日刊ゲンダイ:2023/02/23
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/319150

■コロナ禍のなかで『はだしのゲン』を一気読みした

論座(朝日新聞) 2020年06月09日 大槻慎二

https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020060800003.html?page=1

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・「原爆」にとどまらない多彩なサイドストーリー

ほぼ一晩で全10巻を一気に読んだ。

そして改めてすごい作品だと思った。

読めば時代の中で自分がどの位置にいるのかが確認できるコンパスのような作品。

本来、名作とはそういうものだろう。

ひとつ、大きく勘違いしていたことに気づいた。

何となくこの漫画は広島に原爆が落ちるまで、つまり戦前戦中のことと、とりわけ原爆投下直後の惨状が、少なくとも全体の半分以上を使って描かれているのだとばかり思い込んでいたのだが、実際は原爆が落とされるまでが全体の10分の1のボリュームであり、敗戦を告げる玉音放送の場面でさえ全体の4分の1を過ぎたあたりなのだ。

つまりこの大長編漫画の4分の3を占めているのは、戦後復興期のことなのである。

もちろん全編を通じて描かれるのは、原爆被害がいかに後々まで悲惨な影響を及ぼすのかというテーマであり、反戦思想を貫いたゲンの父親を「非国民」と呼び捨てて迫害し続けたにもかかわらず、戦後手のひらを返したように「反戦政治家」のふりをして県会議員となる鮫島伝次郎という人物を要所要所で登場させているところなど、著者が描こうとしているのが「戦争と日本人」であることは明らかなのだが、改めて全体を見渡した時、この物語の骨格をひとことで表すとするならば、中岡元という類まれな向日性を持った少年が、数々の困難を乗り越えて成長していく典型的な「ビルドゥングスロマン」なのだ。

大掴みにそう捉えて読み直してみると、根幹にある反戦・平和への願い、アメリカに対する反発や天皇制への疑義、多種多様な差別や圧倒的な貧困から発してはいるが、それだけには収まりきれない多彩なサイドストーリーに溢れている。

特に少年たちが寄り添って自分たちの力で家を建て、擬似家族を営む中で、仮想の「お父ちゃん」と決めた小説家、放射能を浴びたせいで無気力になり自暴自棄に陥った老人が、少年たちに救われて再び筆を執り、原爆症で朽ちてゆく体の最後の力を振り絞って広島の悲惨を書き遺そうとするくだり。

その原稿をゲンたちがなんとか自らの手で出版しようと奮闘して、結局刊行の決め手となった紙を手配してくれたのが、かつて同じ町内でひどい差別を受けながら、商人として成功し大金持ちになった在日朝鮮人であったこと。

そして最後の最後でGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の検閲に引っかかり差し止めになってしまうところなど、サイドストーリーではありながら妙に心に残る。

・日本人の変わらなさに唖然

それにしても今、このコロナ禍のなかで読むと、われわれ日本人の変わらなさに唖然としてしまう。

変わらないどころか、根拠のない差別意識、強者への忖度と媚びへつらい、同調圧力に抗うことの難しさ、弱者をより貶めようとする性向など、現在の方がより酷くなっているのではないかとも思う。

日々ツイッターで繰り広げられるヘイトまがいの言葉を漫画の吹き出しに収めたとしたら、それがより明らかになることだろう。

SNSという電脳空間に響いている叫びは、もしそれを音声化したならば、普通の神経では聴くに耐えないものになるだろうことは間違いない。

被曝者に対するいわれなき差別と、新型コロナウイルス感染者や医療施設で働いている人たちへの冷たい仕打ちを比べてみればいい。

看護師の子どもを拒絶する保育園。感染した職員を不当解雇する介護施設。

そしてまた、休業を拒む飲食店に卑劣な貼り紙をする「コロナ自警団」は、まるで『はだしのゲン』の世界から現代に飛び出してきたような人々だ。

また、今大きな波紋を呼んでいる木村花さんが亡くなった問題など、その隣に顔に受けたケロイドのせいで世をはかなみ、繰り返し自殺を図る女性たちを置いてみると、より深刻さが身にしみる。

原爆によって顔に受けた傷と、ネットによる誹謗中傷で内面に負った傷に違いはあれど、本質的には同じ構造にあるだろう。

いや、漫画のなかの彼女たちには、その都度自殺を押しとどめ、生きる方へと励まし導くゲンという存在があっただけ幸福だった。

もちろんフィクションの中の話ではあるが、この他者に向ける眼差しの温かさ、交わろうとする熱量の高さは、現代を生きるわれわれの中には見出し難い。

あるいは入国管理局で繰り返される外国人に対する酷い仕打ち、また最近起こったクルド人への警察の暴行事件などを考えたら、まさに『はだしのゲン』で描かれた世界を思わずにいられない。

(中略)

・「悪行は罰せられ、善は報われる」という物語は……

現代と重ねながらこの漫画を読むとき、驚くほどの類似点があるにもかかわらず、また一方で隔世の感が拭えないことも否めない。

ここにある「苦難は必ず乗り越えられるべきものであり、その先には明るい未来が待っている」という自明さは、今となっては眩いほどだ。

生まれた時から右肩下がりの経済。

個人に降りかかる苦難を乗り越えたところで、決して乗り超えることのできない格差の連鎖……。

その上、現政権が次々に振りまく倫理の崩壊は、「因果応報、悪行は必ず罰せられ、善は必ず報われる」という物語の基本的な構造までをも成り立たなくしてしまった。

いったい現代日本を生きる若い世代には、今後どのようなビルドゥングスロマンがありうるというのだろうか。

「そして子供たちが犠牲になる」……「正論」の目次に出てくる言葉を、そのまま『はだしのゲン』を否定する諸兄に贈りたい。

戦後の空間を生きてきた者にとってみれば、「まさか生きているうちにこんなことが……」というような衝撃に、このところ見舞われない日はない。

とりわけこの国の社会と文化から、言葉の価値、約束の重さや人格の品位、そして誇りや正義ということを徹底的に奪い去った現政権の罪は重い。

まったくもって、「嘘はドロボウのはじまり」である。

一方、「嘘も方便」ともいう。

後者は〈こんな人たち〉でないお友達に通用するだけだが、前者は〈天網恢々、疎にして漏らさず〉、あまねく世に通ずる言葉だ。

大体において、こんな子どもに言い聞かせるような言葉をいまさら一国の長に向けて発せねばならないことに限りないバカらしさを感ずる。

しかし、それでも言わねばならないのは、こんなにも醜悪な政権を生んでしまったのはわれわれの責任なのだし、そもそも盗まれているのはわれわれの税金だからである。

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コロナ禍のなかで『はだしのゲン』を一気読みした
論座(朝日新聞) 2020年06月09日 大槻慎二
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020060800003.html?page=1

■『はだしのゲン』と私 どんな過去も「なかったこと」にはできない

NEWSポストセブン(小学館) 2023.02.25

https://www.news-postseven.com/archives/20230225_1844096.html?DETAIL

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漫画『はだしのゲン』は、作者の中沢啓治氏自身の被爆体験を元に、戦中戦後を生き抜く少年、中岡元(ゲン)の姿を描いたものだ。

漫画本編を読んだことがなくとも、「だめじゃだめじゃだめじゃ」のコマを切り抜いたインターネットミームで同作品を知る人は多いのではないだろうか。

約50年前の週刊少年ジャンプ連載作品でありながら今もネットで話題になるのは、長年、広島市が平和教育教材として使用し続けてきた影響も大きい。

ところが、広島市教育委員会による「平和教育プログラム」の見直しによって、小学3年生向けの教材から削除される方針が明らかになった。

俳人で著作家の日野百草氏が、被爆二世である自身のルーツに触れつつ、都合が悪いもの、見たくないものを「なかったこと」にしようとする可能性の恐ろしさについて考えた。

原爆の悲劇を描いた不朽の名作『はだしのゲン』が、物語の舞台である広島市の平和教育教材から削除されることになった。

広島市教育委員会によれば「限られた授業時間では原爆そのものを伝えづらい」「当時の文化や悪事の背景まで説明できない」といった理由である。

教育委員会の有識者によれば、栄養失調の母親のために鯉を盗む、家族のために浪曲を歌って日銭を得るといった行為が「なじまない」あるいは「誤解」を与えるそうだ。

また原爆による倒壊で家の下敷きになった父親が息子たちを逃がす場面もまた「被爆の実態に迫りにくい」らしい。

教育現場における時間の制約と苦労はわかるが、本当にそうなのだろうか。

『はだしのゲン』は教育に「不都合」なのだろうか。

筆者は長崎の被爆二世である。

ただそれだけの話だが、そのおかげで被爆者の父から記憶という「財産」を受け継いでいる。

その記憶という「財産」は決して美しい悲劇などではなく、むしろ『はだしのゲン』で描かれたのと同様に残酷で、理不尽で、受け取る人によっては「愚か」とされてしまうかもしれない。

それでも、筆者はこの一族の「不都合」を誇りに思っている。

これから、その2019年に亡くなった長崎の被爆者、父に成り代わり、「私」として、生前に伝え聞いた記憶そのままに語ろうと思う。

・「被爆者は早死にする」と言われたことが悔しかった「私」

〈私の家族は、原爆に殺された。
六人家族で長崎市の西山という高台に住んでいた。
昭和20年3月生まれで四兄妹の末っ子である「私」は生後半年だった。
あの日、父は山の表側にある畑に出ていた。
一番目の兄は勤労動員で長崎造船所にほど近い工場で働いていた。
母と二番目の兄、姉は私と家にいたと思う。
「思う」というのは父親とも一番目の兄とも会ったことはなく、その原爆の記憶は残された家族から聞かされたものだから。
8月9日、長崎に原爆が投下された。
私の被爆者健康手帳には「爆心地から1.5km」とあるがそれが正確かはわからない。
父は全身焼けただれたまま家に戻り、玄関先でのたうち回って息絶えた。
一番目の兄は行方不明のままだった。
母と姉、二番目の兄、そして私は助かった。
家は爆心地からみて山の裏側だったから助かったと聞く。
爆心地に面した側の畑に行った父と、市内に行っていた一番目の兄はやられた。
母は放射能の恐怖など知るよしもなく、私をおぶって西山を下り、長崎市内を探し回った。
二番目の兄も一緒に探した。
結局見つからず、仕方がないので工場近くの骨を拾って「兄」として持ち帰った。
だから骨壷には誰の骨かわからない「一番目の兄」となった誰かの骨が入っている。
終戦後、母子家庭となった我が家は母が行商で私たちを養い、物心がつくと同時に二番目の兄(以下、兄)も私も長崎民友新聞の新聞配達を始めた。
姉は「ロバのパン屋さん」をしていた。
長崎民友新聞は現在の長崎新聞である。
ロバのパン屋さんとは戦後ブームとなったパン屋のチェーン店およびその名を称した店のことである。
戦後、いらなくなったロバや馬に台車を牽かせてパンを売っていたのが始まりと聞く。
兄も姉も、中学生だったが学校そっちのけで働いた。
私も小学生だったが働いた。
そうでもしないと食べていけない、そういう時代だった。
貧乏で修学旅行にも行けなかった。
当時、修学旅行は希望制だった。
兄は勉強家だった。
新聞配達の余り(残紙)を持って帰って隅々まで読み、貯めたお金で安い辞書を買った。
それは角川書店の国語辞典で、いまも遺品として残っている。
辞書を角川にした縁か、文庫の何冊かも角川文庫だった。
兄は巻末の「角川文庫発刊に際して」の一文が好きだった。
「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した」という当時の社主、角川源義の名文である。
「立派な人だ」と兄は言っていた。
母も兄も天皇は憎まなかった。
不思議とアメリカも憎まなかった。
しかし東條英機は憎んでいた。
「お父さんを殺した東條が憎い」は母の口癖だった。
思想も事情もへったくれもなく、家族を原爆で亡くした、素朴な被害者感情であったように思う。
学びたかったのに高校に上がれず新聞配達員を続けていた兄は、やがておかしくなった。
体調も悪く、わけのわからない言動も増えた。
そのころ姉はすでに集団就職で出てしまい、母と私は戸惑うしかなかった。
しばらくして長崎県警が「お前のところの息子が長崎本線で轢かれて死んだ」と知らせに来た。
遺書もなく、自死か事故かはわからない。
「東京に行きたい」「富士山が見たい」と言っていたので線路を歩いて行こうとしたのか、それもわからない。
私は兄の事故が小さく載った新聞を、いつものように配った。
そして母もおかしくなった。
彼女の体調はさらに悪く、加えて夫と息子二人を失ったショックが精神を蝕んだ。
さらに不運は重なり、駅前で勝手に行商をするなと警察にとがめられ、商売ができなくなってしまった。
それまでは何も言われなかったのに、世の中の決まりごとが改めて作られ始めていた。
時代は昭和30年代に入り、東京オリンピックに立候補だ、国際連合に復帰するんだと、日本はとっくに前に向かって歩き出していた。
私の家族だけが、いまだに原爆の只中に取り残されていた。
同じころ、長崎の平和祈念像の除幕式があったことを覚えている。
兄が熱心に口にしていた被爆者救済も「原爆医療法」として実現した。
「これから100年は草木一本生えない」と聞いていたが、長崎の海も山も美しい。人間も自然も強いと思った。
しかし母は井戸に身を投げて、死んだ。
私はその時のことをよく覚えていない。
その現実を受け入れられなかったのかもしれない。
「俺がいたのになぜ死んだ」と。
彼女の夫も息子二人も死んだが、「俺は生きていた」のに。
会ったこともない東條より、私は母を恨んだ。
その後、姉が遠くにいるとはいえ一人ぼっちになった中学生の私に様々な誘いがあった。
「原爆を落とした憎き米帝を倒そう」という政治団体が来たかと思えば「原爆を落としたアメリカを見返すためにも豊かになりましょう」という政治団体も来た。
「原爆と先祖の悪縁を断ち切りましょう」「信心すれば原爆症にはならない」という宗教団体も来た。
右も左も宗教も、みんな原爆を利用していると思ったので無視した。
新聞販売店の店主の話では、その中には戦時中「お国のために死んでこそ極楽浄土に行ける」と出征兵士に説いた坊主や、「我が子をお国に差し出してこそ愛国婦人」と檄を飛ばした社長夫人もいたそうだ。
その夫人の子は兵隊に行くこともなく、京都の大学に行った。
そんな日本人ばかりではないが、そんな日本人はいっぱいいた。
母の死の翌年、私は中学を卒業、集団就職で東京に出た。
丸ビルのテナント改修現場で働いていると、エレベーターガールをしていた女性がいた。
いろいろあってつき合うことになり、彼女が住む世田谷の両親の家に挨拶に行った。
案の定「被爆者だから」と反対された。
東京では一部の人から「放射能がうつる」「奇形になる」と言われたので、長崎出身とか、まして被爆者ということは隠していた。
それが怖くて被爆者健康手帳を申請しない被爆者も多かったし、逆に被爆者なのに認定されない被爆者もいた。
私は彼女の気が強かったので結婚することができたが、被爆者だからと反対されて別れた男女もいた。
学生運動真っ盛りだったが、油と塗料まみれで現場に立つ中卒の私を相手にする大学生はいなかった。
がむしゃらに現場で働いた私は20代で千葉にマイホームを持った。
信用もなく、保証人もいないのでキャッシュで買った。
日本の高度成長は経験した者にしかわからない。
被爆者で身寄りのない中卒の私が20代で新築一戸建て、それほどまでに夢があった。
人の嫌がる仕事やきつい仕事をすれば金が稼げた。
この時代の日本では、現場の人にお金が払われた。
一男一女の子宝にも恵まれた。
昭和40年代、そんな私に過去が追いかけてきた。
原爆で直接死となった父と一番目の兄に勲八等を国がくれるという。
勲章を喜ぶかは好き好きだが、私は勲章より父や一番目の兄が生きていたほうがよかった。
母と二番目の兄には何もないことも無念だった。
私は3度のがんを克服し「被爆者は早死にする」と言われたことが悔しく長生きしようと思ったが、2019年、74歳で敗血症に罹り死んだ。
少し早いように思うが、被爆者としては上出来に思う。
孫も見れたし、親兄弟のところに行く。〉

・『はだしのゲン』と原爆を「なかったこと」にしようとする意図はないのか

以上が筆者の父の被爆者としての生涯と、筆者が息子として聞いたままの「思い」である。

この、我が家の原爆にまつわる「すべて」を聞かされたのは中学の時だった。

幼少期は「姉以外は原爆で死んだ」と聞かされていた。

父の兄が轢死したこと、母が井戸に身を投げたことは伏せられていた。

今回の広島市教育委員会の「小学生に理解させるのは難しい」と同様の判断を父もしたのだろう。

それに、彼の思いからすれば「原爆で死んだ」は嘘ではない。

教育委員会が『はだしのゲン』の深い部分、ある意味で深すぎて子どもにわかりにくい部分も含め、限られた時間の授業教材として難しいという判断に一定の理解はできる。

この父の話に例えれば「なぜ他人の骨を拾ってきたのか」「許可もなく駅前で行商するのはよくない」「電車に轢かれたことが被爆とどう関係があるのか」「母親が自分から子どもを残して死ぬなんて」「勲章は嬉しくないのか」といった質問や意見があったとして、現場すべての教員がすべての児童、それも低学年に説明するのは確かに難しいかもしれない。

教育委員会の審議で意見として出た「浪曲はいまの児童になじみがない」というのも、私の父の話にある「ロバのパン屋」だろうか。

『はだしのゲン』は原爆の悲惨さを伝えると同時に、ときに強く、ときに醜い人間の生きざまを描いた漫画であり、文学である。

刺激的な場面も多く、後半はイデオロギーの問題も含め複雑化する。

各児童の発達の度合いや理解力がさまざまとするなら、あくまで「小学3年生」の教材と限定するなら、別のわかりやすい被爆体験記に置き換えることは致し方ないようにも思う。

作中における天皇の扱いも当時の被害者の素朴な憎しみとは別に、これまたイデオロギーの問題がつきまとう。

大人でも揉める話だ。

しかし筆者の懸念はそこになく、『はだしのゲン』と原爆そのものを「なかったこと」にしようとする意図は本当にないのか、という点にある。

かつて2012年、島根県松江市の小中学校における『はだしのゲン』閉架措置および貸し出し制限や、2013年の千代松大耕泉佐野市長の命による『はだしのゲン』学校図書館回収騒動のように、「間違った歴史認識」「差別的な表現が不適切」として『はだしのゲン』を読ませなくするだけでなく、原爆の悲惨さと愚かさ、そして当時を生きた人間の「たくましさ」と「したたかさ」まで「なかったこと」「恥ずべきこと」として消されてしまうことは避けなければならない。

『はだしのゲン』に限らず、水木しげる『総員玉砕せよ! 』や松本零士『音速雷撃隊』(戦場まんがシリーズ)、手塚治虫『紙の砦』、白土三平『泣き原』など、どれも戦争の悲惨さとともに人間の善と悪を描いている。

その「悪」の部分が都合の悪い向きもあるのだろうが、悪を知らなければ善もまた知り得ない。

善が善のままでなく、善が悪になることも、悪が善になることも戦争だ。

報告通りの「総員玉砕」にしたいがために切腹や突撃を命じる上官たち、特攻する青年のために片道切符の出撃をするパイロットたち。

醜さも美しさもある、それが人間だ。

こうした面でも、作品の良し悪しと児童教育に適しているかがイコールでないことは確かだろう。

しかし、そうした特定の年齢の教材として適不適だったものが、一部の為政者やその関係者にとっての適不適となり、焚書のごとく「なかったこと」になることは、5月からG7広島サミットを開催する被爆国、日本にとってそれこそ恥ずべきことのように思う。

決して筆者が被爆者の家族だから、当事者の子だからという話ではない。

貧しい子どもたちのためにパンを盗んで19年間も投獄された『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャン、盗みに来たと勘違いして優しい狐を撃ち殺してしまった『ごんぎつね』の兵十と同様、身重で栄養失調ぎみの母親のために鯉を盗もうとするゲンの姿には、「泥棒は悪」という必罰や「無駄な行為」という冷笑では言い尽くせない人間主義が描かれている。

また今回の件は特定の年齢に限った現場への配慮だと理解するにしても、『はだしのゲン』がもし「なかったこと」にされるなら、それはこれまで挙げた数々の作品も「醜い」「過激」「残酷」と拡大解釈され、ゆくゆくは戦争作品(とくに日本の敗戦や、その責任にまつわる話)はもちろん、あらゆる表現媒体も「不都合」とされ、筆者の父のような実体験、いや一般市民の多くの「人間」としての恥ずかしさや卑しさ、ときにその背景にある優しさという過去すら「なかったこと」にされてしまうだろう。

美しい過去も醜い過去も、この先をよりよく生きるための財産である。

不都合な過去もまた、懸命に生きようとした先人から受け継いだ、この国に生きる私たちの財産であることは忘れてはならない。

むしろ今回の『はだしのゲン』問題は、それらをいま一度この国で問い直す、よい機会なのかもしれない。

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『はだしのゲン』と私 どんな過去も「なかったこと」にはできない
NEWSポストセブン(小学館) 2023.02.25
https://www.news-postseven.com/archives/20230225_1844096.html?DETAIL

■「はだしのゲン」貸出禁止にモノ申す!

言論の自由が、ヘイトスピーチに屈する社会

東洋経済 2013/08/18

https://toyokeizai.net/articles/-/17839

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なに、ついに「はだしのゲン」が禁止される時代が来たか・・・。

松江市教育委員会がなんと、市内にある市立の全小中学校に対し、あの伝説の名著「はだしのゲン」を小学生に対して自由に閲覧できない閉架の措置をとるよう要請したことが注目を集めている。

これは「教育委員会、何やっとるねん!」ですむ問題ではなく、その背景に根深い現代社会の“言論の不自由”という問題点がある。

そこで本日も香港の高層ビルの一室から、せっかくの日曜日で香港ディズニーに行くはずだったのに、地球の平和を守るため急旋回して出撃しよう。

・「はだしのゲン」貸出禁止の背景にあるもの

皆様ご存じのとおり、「はだしのゲン」は実際に原子爆弾を被爆した作者によって書かれたもので戦争の真実を映し出しており、当時を知るための資料としても価値が高い。

実際に戦争や原爆の悲惨さを伝える一級資料として、日本のみならず世界20か国で翻訳されて読まれ映画化もされてきた。

そこには戦争で焼け野原になり、罪のない一般市民が殺されるという被害者としての側面と、戦争の加害者としての両面が鮮明かつ本質的に描き出されている。

したがって戦争の実態を捻じ曲げて教えたい歴史修正主義の人々に対しては目の上のタンコブとうことで、“はだしのゲン”は歴史を書き換えようとする勢力にとって、極めて都合の悪い歴史の証拠でもあった。

教育委員会側は“表現が過激だ”としているが、何十年の間、何千万の人に読まれた 「はだしのゲン」で、PTSDになった人でもいるのだろうか。

戦後70年の月日を経て、戦争と歴史の記憶にどう抗うかを考えるときに、教科書からもメディアからも歴史の実態を消そうという動きがある中で、メディアや報道機関があまりに無力なのが残念だ。

・教科書が染まりゆく、安倍カラー

ちなみに一般の方々は関心もなく、全然ご存じない話だと思うのだが、歴史教科書が安倍政権の政策で次々と“静かな環境下”で書き換えられている。

“教科書検定特別委員会”の結論などというと中立的な印象があるものの、実際には、近代史の記述を“安倍カラー”に変えるための人員選定がなされている。

表向きは“村山談話を踏襲する”と海外向けには話し、外から見えにくい内政では着実に歴史の書き換えを進めるという、安倍政権おなじみの(そして実に上手く行っている)やり方である。

教育界の政治思想からの独立は日本ではもはや破たんしているわけだが、この危険性は時間がかかりかつ大人は学校に通わずわからないので、教育への政治介入は今後も簡単に見過ごされていくのだろう。

・「はだしのゲン」にモノ申している市民団体とは…

松江市教育委員会には市民団体から“はだしのゲン”が歴史歪曲・ねつ造が多いとの陳情があったとのことだが、その“市民団体”とは “チーム関西”と呼ばれるいわゆるヘイトスピーチ”で知られるザイトク会に似たような団体の数人であり、その脅しのような模様がこちらに掲載されている。

こうした活動が、松江市教育委員による“はだしのゲン貸出禁止”の直接的原因だとは言わないが、可能性として、今後もこのような大人たちによって、子供たちから「はだしのゲン」が奪われるかもしれないと思うと、嘆かわしい。

「はだしのゲン」の貸出禁止は、終戦式典で首相が20年来で初めてアジアにもたらした苦痛と被害に対する言及および、戦後ずっと受け継がれてきた“不戦の誓い”という一文を削除したのと同根である。

忘れ去りたい歴史や都合の悪い史実を子供たちに見せたくないという、現在の社会的風潮が“はだしのゲン貸出禁止”の背後にあるより本質的な問題点なのだ。

・“アベ”コベな現状

今までも右派政治グループによる歴史教科書会社に対する圧力や、NHKの戦争犯罪特集に関する番組への圧力があったが、今は言論の自由への圧力が「はだしのゲン」にまで及ぶようになってしまった。

「はだしのゲン」の表現を「過激で不適切」と圧力をかけてきた団体が、白昼堂々と道端でヘイトスピーチを行う一方で、「チャンコロ(中国人への蔑称)を殺せ!」「ゴキブリ朝鮮人を皆殺しにしろ!」と叫ぶ野蛮な言葉の暴力は“言論の自由”として容認されている。

これらの不幸は、ほかの多くの国々と同様(ヨーロッパではドイツだけでなく、ほとんどの国で他民族への憎悪を煽る言動が法律で禁止されている)“他民族への憎悪を煽る言動は表現の自由の範疇ではない”と当然の法的判断をすることで解決できるはずの問題だが、それがなされないところに、政治的意図を感じる。

・ゲンの記憶が、大人たちに消されていく

最近サザンオールスターズの歌でもあったが、近代史はまともに教えられずあっという間に表層をなぞって終わる、という状況が戦後70年近く続いてきた。

無機的で乾燥したあの年号と歴史人物の名前の暗記だらけの無意味な教科書で、戦争のむごさや不戦への想いを育んだ人はいないだろう。

しかし「はだしのゲン」を通じて、筆者の中沢氏が伝えたかった戦争の悲惨さや原爆への怒りを、幼心の胸の痛みを通じて痛感した人も多いのではないか。

戦争の教訓には、残虐行為への怒り、悲しみ、償いといった痛切な感情の共有が必要であり、心の動かない頭に入れるだけの単語や年号は何の教育にもなっていない。

むしろ中沢氏が戦争の実態を描いた「はだしのゲン」を歴史教科書に採用したほうが“戦争の悲惨さを知り、戦争を繰り返さない”という最も大切な教訓を伝える上でよっぽど効果的だろう。

しかし、この「はだしのゲン」の貴重な記憶が、教科書での歴史の暗部の記述とともに集団的忘却の憂き目にあっている。

・言論の自由が、ヘイトスピーチに屈する社会

今回の「はだしのゲン」小中校貸出禁止にまつわる問題の本質は、実は一部の極端な暴力的言動をする人たちや政治圧力に、言論の自由や教育の機会がどんどん奪われていく日本社会の現状そのものにある。

実際今の日本社会で、思っていることを口にするのが怖いと思っている人はかなり多いのではないか。

何かを言えばすぐに過激な罵詈雑言を浴びせられ(ちなみに「はだしのゲン」は“反日漫画”としてこの”右派市民団体“に攻撃されていた)、それが野放しになり法律や政治・社会が守ってくれないので、メディア企業も炎上を恐れて過激な言葉の暴力による威嚇行為に簡単に屈するようになっている。

そして結果的に、皆が匿名に逃げるか、意見を表明しないことでどんどん下劣な暴力に屈する社会に転落していっている。

メディア企業に携わる人々には、メディア業界に入った時に志したであろう“正しい情報を伝え、正しい世論を形成する”“民主主義のインフラ・番人としての役割を果たす”といった使命感を思い起こしてほしい。

また社会の同調圧力や政治家の言論統制圧力に負けないよう、現状に怒りと危機感をもって使命を果たしてほしい。

・私たちひとりひとりに出来ること

これらの暴力的圧力から言論の自由が守られるよう、法的整備に向けた世論喚起が急務であるが、政治家が自分たちの手足を縛るようなことを自らするわけもなく、かといって今のジャーナリストやメディアに政治圧力に抗う世論喚起などできそうにない。

結局のところ、政治や学校に歴史教育を任せず、市民一人ひとりが自主的に“政治や学校、社会的風潮が押し付ける歴史”以外の史実を自主的に学び、仮に図書館から「はだしのゲン」が消える日が来ても、子供に史実を教える責任を痛感せよ、というのが今回の現実的なメッセージだろうか。

今後も苦境と戦争の惨禍にめげず未来を切り開いたゲンから、子供たちが学び続けられることを願ってやまない。

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「はだしのゲン」貸出禁止にモノ申す!
言論の自由が、ヘイトスピーチに屈する社会
東洋経済 2013/08/18
https://toyokeizai.net/articles/-/17839

■『はだしのゲン』続編の舞台は原発大国フランスだった…

AERA dot. (アエラドット) 2013/08/06 週刊朝日

https://dot.asahi.com/wa/2013080200013.html?page=1

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反戦や反原発を訴え、今も受け継がれるマンガ『はだしのゲン』。

それは作者が伝えたかった全てを詰め込んだ“遺書”だったという。

広島に落とされた原子爆弾で被爆した少年、中岡元=ゲンが、『はだしのゲン』の主人公だ。

広島に住むゲンの家族は父親が戦争に反対するため非国民と呼ばれ、迫害されながら、力を合わせて生きている。

昭和20年8月6日、広島に原爆が落ちる。

ゲンは偶然助かったが、父と姉、弟を失う。

何もかも破壊された地で、ゲンは家族や仲間と力を合わせ、貧困に耐え、被爆者差別や圧政と闘いながら明るく生きていく。

この漫画は、作者の中沢啓治さんの自伝的作品だ。

中沢さんは実際に広島で被爆し、家族や家を失った。

家族構成も被爆の状況も、ゲンは中沢さんを投影する。

『はだしのゲン』には、皮膚がずり落ち、目玉や内臓が飛び出し、ウジがわくなど凄惨な被爆者の描写があるが、中沢さんは実体験から、〈かなり表現をゆるめ、極力残酷さを薄めるようにしてかきました〉という。(引用は中沢さんの自伝『はだしのゲン わたしの遺書』朝日学生新聞社から)

漫画家になった当初は原爆を題材にしなかった。

〈漫画というものは楽しいもの〉という考えからだった。

だが、被爆から21年後に母親が亡くなり、火葬の際に遺骨がなかったため、〈原爆というやつは、大事な大事なおふくろの骨の髄まで奪っていきやがるのか〉と怒り、原爆を描き始めた。

週刊少年ジャンプで「はだしのゲン」の連載が始まったのは、1973年。

翌年連載は中断し、石油危機の影響や出版社の意向でそのまま終了しかけたが、汐文社で単行本化し、朝日新聞が報じたこともあって生き返る。

75年に「市民」誌で連載が再開し、その後、「文化評論」「教育評論」と漫画誌ではない媒体で連載が続いた。

85年にゲンが画家を志し、東京に向かうところで連載は終わっている。

単行本はベストセラーとなり、アニメ化、映画化され、約20カ国語に翻訳もされた。

平和教育の副読本などにも使われている。

中沢さんは、続編を考えていた。

ゲンは東京で東京大空襲の孤児たちと仲間になり、絵画修業で訪れたフランスで原発問題に取り組むという構想だったが、中沢さんの目が白内障でよく見えなくなり、〈執筆を断念せざるをえませんでした〉。

その後、中沢さんは肺がんに侵され、昨年12月73歳で亡くなった。

自伝には、〈『はだしのゲン』は、わたしの遺書です。わたしが伝えたいことは、すべてあの中にこめました〉とある。

※週刊朝日 2013年8月9日号

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『はだしのゲン』続編の舞台は原発大国フランスだった…
AERA dot. (アエラドット) 2013/08/06 週刊朝日
https://dot.asahi.com/wa/2013080200013.html?page=1

■10回忌を迎えた「忌野清志郎」かつて本誌で改憲批判していた

FLASH:2019.05.05

https://smart-flash.jp/entame/68881/1

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5月2日、忌野清志郎の10回忌にともない執筆された「天声人語」が話題だ。

今から50年前、清志郎の母による人生相談が朝日新聞に掲載されていたというのだ。

当時清志郎は高校2年生で、TBSテレビ『ヤング720』に出演し、本格的なバンド活動を始めていたころだ。

「十八になる私の子供は、高校を卒業したら美術大学へはいる予定でしたが、最近では進学したくないと申します。お友達と三人で組んでギターをひき、自分で作詞、作曲したのをレコードに吹込んだり、あちらのホール、こちらの放送局と時々出演して多少は受けているようです。ギターのプロになるのだと申します。プロには簡単になれるものでしょうか。学校へまじめに行かせるにはどうしたらよろしいでしょうか」(『朝日新聞』1969年11月4日)

回答者である映画監督の羽仁進は「十八歳というお子さんのことを、こうまでいちいち立ちいって心配されるのは、かえって甘やかしているということにならないでしょうか。ギターなど才能を要し、しかも職業としては人気を要するものを一生の仕事としてえらぶには、お子さん自身不安があるにちがいありません。好きな道で努力してみて、それがだめなら、先生や親の指示に従うとか、あるいは自立するとか、決断させてみるのも、ひとつの方法ではないかと思います」とコメント。

羽仁進の母である羽仁説子も「ギターをやめろではなく、ギターにうちこんでゆくにはいざというときの経済的社会的バックをつくっておかなくては心配だから、とにかく大学だけは出ておいてとそれだけにしぼって、折りをみては親の希望をのべる」とアドバイスしていた。

母は心配していたようだが、高校時代の清志郎は、破天荒というよりは、むしろ目立たない存在だった。かつての同級生は、かつて本誌に「おとなしい人。すごいシャイな人だったけど、ギターを持つと生き生きとしていた。でもホームルームでみんなの前でギターを披露したときは真っ赤になって、恥ずかしそうにしていた」と話している。

美術室によくこもっており、清志郎自身、「もしロックで飯が食えなかったら、絵描きになるしかなかったと思うね」と語っている。

清志郎の恩師であり、楽曲『ぼくの好きな先生』のモデルになった美術教師・小林晴雄さん(故人)が過去に本誌の取材にこう答えている。

「やはり僕ら、絵を描いたり音楽を演ったりする人間というのは、どうしても縛られることが嫌なんでしょう。栗原(忌野清志郎の本名)がいろんなものに束縛感を感じるように、私にとっても職員室は決して居心地のいい場所ではありませんでした。美術室にはひとりでいられたし、栗原もよく遊びにきてました」

1970年3月5日、清志郎は高校3年にして『宝くじは買わない』で東芝音工からデビューする。

清志郎伝説はここから始まったのだ。

その後は1980年に『雨上がりの夜空に』『トランジスタ・ラジオ』、1982年に坂本龍一とコラボした『い・け・な・いルージュマジック』などヒットを連発し、黄金期を迎えていく。

「ラブ&ピース」を歌い続けた清志郎は、過去に本誌の取材で、憲法改正について語っている。

その中では、安倍首相を批判する場面もあった。

「(戦争放棄は)画期的なことだと思うんですよ。アメリカ人なんかには理解できないだろうこの9条を削除していくのは、なんかつまんないよね。小泉(純一郎元首相)になってから地方の切り捨てが激しい。俺が夏休みに遊びに行ってた鹿児島の遊園地もつぶれてたし(笑)。俺なんかが言っても説得力はないかもしれないけど、やっぱり『右寄りの政治家』にはモノ申したい。安倍晋三とか小泉とか、あのへんの輩ですよ。たいして俺と年も変わらないのにね」

清志郎はこんな言葉を残している。

「ロックでメッセージを伝えるのはダサいなんて言ってる奴は、ロックをわかってないと思う」

肉体は滅んでも、清志郎のロック魂は永遠なのだ。

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10回忌を迎えた「忌野清志郎」かつて本誌で改憲批判していた
FLASH:2019.05.05
https://smart-flash.jp/entame/68881/1

■原発安全、ウソだったんだぜ 反原発曲、ネットで話題に

朝日新聞 2011年4月27日

https://www.asahi.com/special/10005/TKY201104270182.html

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東京電力の福島第一原発事故をめぐり、反原発の姿勢を打ち出す楽曲が話題になっている。

新曲に加え、改めて注目された曲も。

レコード会社やラジオ局には「自粛」の動きがあるが、インターネットの投稿サイトなどで広がり続ける。

「この国を歩けば、原発が54基/教科書もCMも言ってたよ、安全です/俺たちをだまして、言い訳は『想定外』」「ずっとウソだったんだぜ/やっぱ、ばれてしまったな/ホント、ウソだったんだぜ/原子力は安全です」

4月上旬からネットの投稿サイトで話題になっている反原発の曲がある。

題名は「ずっとウソだった」。

ロック歌手斉藤和義さんのヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌だ。

替え歌だが、歌っているのは斉藤さん本人だ。

最初に投稿されたのは7日。斉藤さんが所属するビクターエンタテインメントは「プライベートで撮影した動画が、本人が意図しない形で流出した」と削除を求め、サイト側も応じたが、動画をみた人たちが相次いでコピーを投稿。今もネット上で広がる。

斉藤さんの所属事務所によると、動画は斉藤さんが自ら撮影した。

公表も検討したが、本人と所属事務所、レコード会社で協議した末、関連する会社への配慮や、原発問題については様々な意見があることを考慮し、見送ったという。

関連する会社の詳細は明らかにしていないが、ビクター社の親会社は電機メーカーで、元の曲は大手化粧品メーカーとのタイアップだ。

一方、映像は斉藤さんが友人に渡していたため、そこからネットに広がったらしいと説明する。

斉藤さん自身はこの件についてコメントしていない。

福島第一原発の事故を受けてよみがえった反原発の曲もある。

ロックバンド、RCサクセションの「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」だ。1988年のアルバム「COVERS」に収録されていた。

86年のチェルノブイリ原発事故の影響もあり、反核の姿勢が鮮明だった。

リーダーの故・忌野清志郎さんは「ラヴ・ミー・テンダー」に「放射能はいらねえ/牛乳を飲みてえ」と日本語の歌詞を付けた。

「サマータイム・ブルース」は「人気のない所で泳いだら/原子力発電所が建っていた/さっぱりわかんねえ、何のため/狭い日本のサマータイム・ブルース」となった。

88年当時、所属レコード会社の東芝EMIは新聞広告で「素晴らしすぎて発売できません」と表明し、詳しい理由を明らかにしないまま発売を中止。

その後、別会社から発売された。

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原発安全、ウソだったんだぜ 反原発曲、ネットで話題に
朝日新聞 2011年4月27日
https://www.asahi.com/special/10005/TKY201104270182.html

■反原発ソング発売中止への怒りがタイマーズを誕生させた

日刊ゲンダイ:2018/06/09

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/230818

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「♪『日本の原発は安全です』 さっぱりわかんねえ 根拠がねえ」

RCサクセションは1988年8月リリースのアルバム「カバーズ」で反核・反原発を歌い上げた。

残念ながら、2011年の東日本大震災で清志郎が危惧した通りの結末を迎えてしまう。

「当時、原発について人々の関心は薄かったと思います。清志郎さんはジャーナリストの広瀬隆の原発関連書籍を熱心に読んでいました」

清志郎は「カバーズ」からシングルカットしたA面で、エルビス・プレスリーの名曲「ラブ・ミー・テンダー」の甘いメロディーに乗せ、「♪巧みな言葉で一般庶民をだまそうとしても ほんの少しバレてる」と歌い、B面の「サマータイム・ブルース」では、「♪東海地震もそこまで来てる だけどもまだまだ増えていく」と放射能への懸念を伝えた。

このRCの楽曲がセンセーショナルに取り上げられたのは、所属レコード会社「東芝EMI」(当時)による突然の発売中止だった。

東芝EMIは理由について一切押し黙ったが、親会社の東芝の横やりは明らか。

東芝は三菱重工、日立製作所と並ぶ原発サプライヤーで、当時すでに10基の原発の建設を手がけていた。

「清志郎さんは、普段はいたって穏やかな人。その彼が本気で怒りをあらわにしていた。一連の歌詞は、日本レコード協会内に組織された『レコード制作基準倫理委員会(レコ倫)』の許諾も下り、著作権上の問題もなかった。発売中止発表の直前、RCの九州ツアーが始まって、『万が一、発売にならなかったらハメられたと思ってくれ』と、ステージ上からも怒りをぶちまけてました」

朝日、読売、毎日の3紙に「カバーズは素晴らしすぎて発売できません」という奇妙なお詫び広告が掲載された。

これは東芝EMIの担当者が返答に困った末、「素晴らしすぎて出せない」と告げたことで、清志郎が「ならば、そのまま新聞に出してくれ」と求めたためだった。

この騒動でため込んだ怒りのマグマが、88年8月結成のタイマーズへの活動につながっていく。

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反原発ソング発売中止への怒りがタイマーズを誕生させた
日刊ゲンダイ:2018/06/09
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/230818

■忌野清志郎の呪いか、東芝の苦難

発売中止の反原発「COVERS」から30年

J-CASTニュース 2017年04月03日

https://www.j-cast.com/trend/2017/04/03294516.html?p=all

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・「核などいらねえ」「放射能はいらねえ」

今年に入って思いがけないニュースが経済面を賑わしている。

そして、そんなニュースを見ながら、一枚のアルバムを思い出している。

ニュースというのは、東芝についてのものだ。

先日、3月29日のニュースでも2016年度の最終赤字が1兆円を越すと発表されていた。

倒産の声すら上がっているという。

原因は原発だと言うのである。

アメリカの原発事業の子会社WHの負債。

原発事業が東芝の屋台骨を揺るがしている。

ここまで書けば、勘の鋭い音楽ファンは何を書こうとしているかお分かりだろう。

1枚のアルバム。それは、88年8月15日に発売されたRCサクセションの「COVERES」であることは言うまでもない。

忌野清志郎が自分の好きな洋楽を独自の訳詞で歌うというカバーアルバムである。

収録されていたのは11曲。ジョン・レノンやボブ・デイラン、ローリング・ストーンズやエルビス・プレスリー。

ロックの歴史を彩ったスーパースターたちの名曲ばかりだ。

清志郎の言葉も単なる訳詞の次元を超えた味わい深いものだった。

それが発売中止になった。

その中の「ラブ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」が原因だった。

二曲とも原発と放射能が歌い込まれていた。

前者は「核などいらねえ」「放射能はいらねえ」と歌い、後者ではテレビが流す原子力安全神話や原発が増え続ける日本列島への警鐘を鳴らしていた。

それが引っかかった。

・「素晴らしすぎて発売できません」

発売元のレコード会社、東芝EMIは東芝の子会社であり社長は親会社から来ていた。

公にこそならなかったが、親会社の意向であることは明白だった。

間に入ってしまった当時の邦楽最高責任者であり統括本部長だった石坂敬一が「このアルバムは素晴らしすぎて発売出来ません」というコピーとともに発売中止の新聞広告を出すことになった。

当初の発売予定は8月6日、広島の平和記念日。

急遽キテイレコードから発売になったのは8月15日、終戦記念日だった。

一旦発売中止になったアルバムがそれだけ短期間に他の会社から出ること自体が異例だろう。

それだけ業界でも波紋を呼んだアルバムだった。

「COVERS」は、彼らにとって初めてのアルバムチャート一位となった。

忌野清志郎は、発売中止に反発して、翌年、覆面ゲリラバンドTHE TIMERSを結成、更に政治的な主張も交えたアルバム「THE TIMERS」を発表、過激なライブを展開していった。

今年は「COVERS」から30年目にあたる。

「サマータイム・ブルース」の中では「37個も立っている」と歌われていた原発の数はその後も増え続け、今は54個。

世界で第三位である。

そんな増設の一翼を担っていたのが東芝だったと言って良いのだろう。

一方で、2007年にはEMIを手放し、音楽業界からも撤退してしまった。

その東芝が、今、原発が原因で傾いている。

清志郎は2009年に亡くなり、発売中止を決めざるをえなかった石坂敬一は、その後、東芝EMIに見切りをつけ、ポリドール(現ユニバサール),ワーナーミュージックの社長、会長を歴任、去年の年末、突然、この世を去った。

東芝の現状を「COVERS」の報いであり「清志郎の呪い」のように思うのはこじつけに過ぎるだろうか。

世は歌に連れない、かもしれない。

でも、音楽が予見していることが少なくないのは、「COVERES」から22年後の福島原発の事故が証明している。

アルバムの魂は生き続けている。

5月2日、今年も清志郎の命日がやってくる。

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忌野清志郎の呪いか、東芝の苦難
発売中止の反原発「COVERS」から30年
J-CASTニュース 2017年04月03日
https://www.j-cast.com/trend/2017/04/03294516.html?p=all

■今こそ読んでほしい! 忌野清志郎の「表現の自由を奪う圧力」との闘い、そして憲法9条への美しすぎるメッセージ

2017年05月02日 リテラ

https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_3125/

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本日5月2日は、忌野清志郎の命日となる。

ここ1年ほどを振り返るとき、とりわけ印象に残るのは、昨年6月に巻き起こった「フジロックに政治をもちこむな」「音楽に政治をもちこむな」論争だ。

これは、「FUJI ROCK FESTIVAL’16」のトークステージにSEALDs(当時)の奥田愛基氏の出演がアナウンスされたことから始まる。

これをきっかけにネット上には〈今年は絶対フジロックいかない 政治色本当やだ〉〈最近フジロックが妙に政治色おびてきてなーんか〉といったコメントが投稿され大炎上。テレビや新聞にも取り上げられる事態に発展した。

フジロックは、言うまでもなく忌野清志郎とはとても縁の深い野外音楽フェス。

生前は何度もステージに立ち、「キング・オブ・フジロック」との異名もとった。

忌野清志郎はミュージシャンとしてのキャリアを通じ、一貫して権力への疑義を歌い続けてきた。

反戦や反原発といったテーマについて、たとえレコード会社から「発売中止」を言い渡されたとしても、それらに屈することなく自分の主張を歌い通した。

それはフジロックも同じ。

エルヴィス・コステロ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、パティ・スミスなど社会的なトピックを扱うミュージシャンを呼び、フェスとしても環境問題や反戦、反原発といった問題に関してもメッセージを発信してきた。

だからこそ、忌野清志郎は「キング・オブ・フジロック」と呼ばれてもいるのである。

そんなフジロックが、忌野清志郎亡き後、そういったフェスの歩んできた歴史を学ぶこともせず権力服従に毒されたリスナーたちの「音楽に政治を持ち込むな」という本末転倒な主張が跋扈するまでに至ってしまった。

とても残念で怒りすらおぼえる。

しかし、だからこそ、あらためて忌野清志郎を思い出し、彼の言葉にふれてもらいたい。

今こそ、私たちは清志郎のメッセージをもう一度胸に刻み込みたい。

本サイトでは、昨年の5月2日にも、忌野清志郎が反骨のメッセージを貫き通した戦いの歴史をまとめた記事を配信している。

清志郎はたとえば、日本国憲法第9条について〈この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?〉と語っていた。明日は憲法記念日でもある。

ここにその記事を再録するので、ぜひとも改めて忌野清志郎の残したメッセージに耳を傾けてほしい。

2009年の5月2日に忌野清志郎が亡くなってから今日で7年。

しかし、今でも未公開ライブ映像や音源などが定期的に発売されるなど、彼の人気は衰えない。

今月14日公開の阿部サダヲ、瑛太、妻夫木聡、竹内結子、松田龍平ら出演の『殿、利息でござる!』の主題歌にもRCサクセション「上を向いて歩こう」が使われるなど、映画やドラマ、舞台などでも今でも絶えることなく彼の歌は人々に求められ続けている。

毎年行われている追悼ライブイベント「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー」も、今年はサニーデイ・サービスなどをゲストに迎え、今月7日に日比谷野外音楽堂で行われる予定だ。

そんななか、リテラは忌野清志郎の楽曲をめぐって起きた発売中止、放送中止の圧力事件、その圧力に抗し続けた清志郎の言動にフォーカスをあてて、彼の歴史を振り返ってみたいと思う。

周知の通り、日本は今、政権からの圧力は日増しに強くなり、メディアが為政者を批判することがどんどん難しくなっている。

国境なき記者団が先日発表した報道の自由度ランキングでついに日本は72位にまで転落した。

そんな状況だからこそ、忌野清志郎の表現の自由への姿勢に改めて触れてみたい。

忌野清志郎の最初の「圧力」と闘いは、1988年、反核・反原発のメッセージソング「ラヴ・ミー・テンダー/サマータイム・ブルース」が発売中止になったことから始まる。

同曲は痛烈な社会風刺の歌詞が満載の過激な作品ではあったが、レコード倫理審査会の審査も通過し、シングルは6月25日、同曲を収録したアルバム『COVERS』は広島原爆投下の日8月6日発売で決定していた。

しかし、シングル発売の2週間前、清志郎は当時所属していた東芝EMIの重役から呼び出されシングルおよびアルバム発売中止の通告を受ける。

そして、朝日、毎日、読売の朝刊に「素晴らしすぎて発売出来ません」というキャッチコピーとともに発売中止が発表されることになる。

その理由について詳細は明かされなかったが、以下のような収録曲の歌詞に対し、親会社である東芝からEMI上層部に圧力がかかっていたというのが通説だ。

言うまでもなく、東芝は原発プラント企業である。

〈何言ってんだー/ふざけんじゃねー/核などいらねー〉(「ラヴ・ミー・テンダー」)

〈熱い炎が先っちょまで出てる/東海地震もそこまで来てる/だけどもまだまだ増えていく/原子力発電所が建っていく/さっぱりわかんねぇ 誰のため?/狭い日本のサマータイム・ブルース〉(「サマータイム・ブルース」)

かなり直接的な歌詞だが、RCサクセションというバンドは、それまで政治的なメッセージを掲げているバンドではなかった。

それがなぜ原発や核に関する歌を歌うことになったのか。

その理由について、彼は後にこのように語っている。

「70年代の途中から、反戦歌とかメッセージソングっていうのが一挙になくなったじゃないですか。で、フォークなんかもどんどん軟弱になってって、そのまんま延々きちゃったでしょ。ふと、それはおかしいと気づいたんですよね」

「外国ではスティングがレーガン大統領のことを名指しで歌ったり、とかいうことがたくさんあるのに、日本の音楽界はおかしいぞって思ったんですよね」(「Views」95年2月号/講談社)

この発売中止騒動の後、アルバム『COVERS』は、発売を強く求めるファンの声に応え、キティレコードから発売されることになるが、この一件が、表現の自由を規制しようとする体制側に対する清志郎の反骨精神に火をつける。

それがかたちとなったのが、この直後に結成された覆面バンド・タイマーズだ。

タイマーズというバンド名は、「大麻」と「タイマー」をかけたダブルミーニングなのだが、その名前が生まれたのは『COVERS』騒動のあと行われたレコード会社側とのある会議がきっかけだった。

〈「じゃあ、今後、なにとなにを歌っちゃいけないのか、きちんと教えておいてほしい」と清志郎は単刀直入に聞いた。

「原発のこと、そして天皇を侮辱するようなこと」と、東芝の人間は答えた。

「あ、そうですか。じゃあ、マリファナのことは歌ってもいいんですね」と清志郎が言うと「いいですよ」という答えが返ってきたという〉(「週刊プレイボーイ」99年10月19日号/集英社)

その結果、〈Hey Hey We’re THE TIMERS/Timerが大好き/かわいい君とトリップしたいな〉(「タイマーズのテーマ」)というテーマ曲を携えたバンドが誕生。

彼らは89年にアルバム『TIMERS』をリリースするのだが、その作品は、表現の自由を奪ったレコード会社に対する皮肉に満ちた作品となっていた。

〈もしも僕が偉くなったなら/偉くない人の邪魔をしたりしないさ(中略)もしも僕が偉くなったなら/君が歌う歌を止めたりしないさ〉(「偉人のうた」)

〈冗談のひとつもいえねぇ/好きな歌さえうたえねぇ/替え歌のひとつにもいちいちめくじらを立てる/いやな世の中になっちまったもんでござんすねぇ〉(「ロックン仁義」)

そして、怒りがおさまらない清志郎は、そのアルバム発売直前の10月13日深夜に出演した『夜のヒットスタジオ ROCK&MUSIC』(フジテレビ)で事件を起こす。

生放送の番組のゲストライブコーナーに出演した彼らは、リハーサルで歌った楽曲を突如変更。

いきなりこんな歌を歌い始めたのである。

〈FM東京腐ったラジオ/FM東京最低のラジオ/何でもかんでも放送禁止さ/FM東京バカのラジオ/FM東京こそこそすんじゃねぇ/おまんこ野郎FM東京〉

FM東京への執拗な悪罵とともに〈おまんこ野郎〉という放送禁止用語が叫ばれスタジオは騒然。

生放送のため演奏を途中で止めることもできず、ライブ後、司会の古館伊知郎が「放送上不適切な表現があったことをおわびいたします」と謝罪することになった。

ここで清志郎がFM東京を罵ったのは、先の発売中止騒動に原因がある。

シングル「ラヴ・ミー・テンダー/サマータイム・ブルース」が発売中止となったのはあまりにも直前だったため、各放送局にはもうすでに見本盤シングルは配られていた。

だが、EMI側はそのサンプルを回収せず、エアプレイに関しても通常通り放送してもらって構わないとしていた。

実際、日本有線、ニッポン放送、文化放送などではリクエストに応じてオンエアーしていたのだが、そんななかFM東京は「教育番組を流している会社であり、ふさわしくないと判断した」として放送を自粛した。

局側は「圧力があったわけではない」としているが、実際は、FM東京が番組を売っている地方FM局のなかには原発誘致に積極的な地方の局もあり、そのことが放送自粛に影響していたのだろう。

この大騒動ののち、91年にはRCサクセションが活動を休止し、その後の清志郎は数々のユニットを渡り歩くなど流動的なキャリアを歩む時期となるが、それでも彼の反骨精神は消えることはなかった。

そして起きた騒動が、99年、忌野清志郎 Little Screaming Revue名義のアルバム『冬の十字架』が、「君が代」のパンクアレンジバージョンを収録していることにより、「政治的、社会的に見解が別れている重要事項に関して、一方の立場によって立つかのような印象を与える恐れがあり、発売を差し控えた」として、当時所属していたポリドールがアルバムの発売を中止した一件だ。これは大々的にニュースにも取り上げられ、当時官房長官だった野中広務まで「君が代の演奏のあり方については、われわれがとやかく申し上げるべきことではないと考えている」と記者会見で発言するほどの騒動にまで発展する。

(中略)

「ユーモア」精神が最も突き抜けていたのが、タイマーズの「原発賛成音頭」であろう。

この曲は、原発反対のメッセージを出してトラブルに巻き込まれたことを逆手に取り、あえて原発賛成と歌ったものだった。

〈さあさ皆さん聴いとくれゲンパツ賛成音頭だよ/これなら問題ないだろーみんな大好き原子力/ゲンパツ賛成! ゲンパツ賛成!/うれしいゲンパツ楽しいな日本のゲンパツ世界一/なんにも危険はございませんみんな仲間だ原子力〉

ライブではこのような歌詞を完全にバカにしきった歌い方で歌われ、〈一家に一台、原子力〉という一節まで登場する。

そして観客は音頭調に合わせ笑いながら〈ゲンパツ賛成! ゲンパツ賛成!〉と歌う。

〈自衛隊に入ろう入ろう入ろう/自衛隊に入ればこの世は天国/男の中の男はみんな/自衛隊に入って花と散る〉と歌った高田渡「自衛隊に入ろう」にも通ずる諧謔的な表現手法である。

彼の死後に起きた東日本大震災では福島第一原発が放射能事故を起こし、また、そんな大事故が起きたのにも関わらず、その反省を活かそうともせずこの国は原発再稼働へと急速に歩みを進めている。

また、昨年は、十分な議論もなされないまま安保法案が強行可決され、憲法9条の存在すら危ういものとなり始めている。

天国の清志郎が見たら、さぞや嘆き悲しむであろう状況に我々はいる。

そして、おそらく、私たちが彼ほどの過激な行動をとり続けることは無理だろう。

どんな圧力を受けても、決して自分のメッセージを曲げなかった清志郎のような強さを持ち続けることも常人には難しい。

しかし、それでも、忌野清志郎のことを思い出し、彼の言葉にふれたら、少しだけ勇気がわいてくる。

明日は憲法記念日、清志郎はこんなメッセージも残している。

〈この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言っているんだぜ。俺たちはジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ〉(『瀕死の双六問屋』/小学館)

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今こそ読んでほしい! 忌野清志郎の「表現の自由を奪う圧力」との闘い、そして憲法9条への美しすぎるメッセージ
2017年05月02日 リテラ
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_3125/

■日本人の7人に1人が「原爆投下は仕方ない」と答えてしまう根本原因

公文書が示すGHQが仕掛けた心理戦

PRESIDENT Online 2020/08/08

https://president.jp/articles/-/37792

■これが戦後の元凶だ! 米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘

「日本政府や日本の報道機関を通じて実施した間接統治」

産経新聞 2015/4/8 関野通夫

https://www.sankei.com/article/20150408-OQGDAN6SHJIRNC2XQQPP5QRUXQ/

■『日本人はなぜ自虐的になったのか―占領とWGIP―』(有馬哲夫/著)

全てアメリカの狙い通りに――。

WGIPと心理戦の全貌を第1次資料をもとに明かす

新潮社 発売日:2020/07/17

https://www.shinchosha.co.jp/book/610867/

■「大東亜戦争」と呼ぼう 岡部伸

産経新聞 2021/12/7

https://www.sankei.com/article/20211207-FCLVPQ34RJJO3KQUGWWXZF7YQA/

■政治による教育支配をやめよ

高校教科書検定

「安倍晋三政権が教科書への統制をエスカレートさせています。2017年度から使われる高校教科書の検定結果では、集団的自衛権の行使容認などにかかわって、文部科学省が政権の主張通りに記述内容を書き直させた事例が続出しました。国民の間で見解が分かれる問題で、政府が自らの言い分を「正解」として教科書に書かせるのは、政治による教育支配そのものです。民主主義社会ではあってはならないことで許されません。」

2016年3月27日 しんぶん赤旗

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-27/2016032702_01_1.html

■「日本はまだ米軍の占領下」は真実だった

「私はずっと自衛隊は日本を防衛するための組織だと思ってきたのだが、そうではない。自衛隊は、米軍支援のための部隊だったのだ」

日刊ゲンダイ(講談社)2016/07/1

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/185415

■なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?

・知ってはいけないウラの掟

「日本の空は、すべてアメリカに支配されている」

「自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」

週刊現代(講談社)2017.08.05

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466

■日本人が知らない「闇歴史」

~アメリカに支配された70年の真実~

「日本の主体的な意思によって行われたものではない。政治も経済も文化も勝者であるアメリカに操られてきた」

「日本はアメリカの属国のままでよいのだろうか」

日刊大衆(双葉社)2015/9/21

https://taishu.jp/articles/-/45710?page=1

■日本を裏で操っている? ~アメリカの巧妙な世界戦略~

・アメリカにとっては好都合となる日本の官僚主義

幻冬舎:石角完爾:2016.10.21

https://gentosha-go.com/articles/-/5017

■コロナ禍で改憲目論む 自民案「緊急事態条項」の正体とは

日刊ゲンダイ:2021/05/07

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/288809

■緊急事態条項の実態は「内閣独裁権条項」である

自民党草案の問題点を考える

論座(朝日新聞) 2022年07月02日 木村草太 首都大学東京教授(憲法学)

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022070200003.html

■時代の正体〈258〉緊急事態条項は「独裁許す全権委任」

神奈川新聞 | 2016年2月14日

https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-71433.html

■ナチ研究の第一人者が看破 自民案「緊急事態条項」の正体

日刊ゲンダイ:2017/09/19

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/213557

■9条改憲より恐ろしい「緊急事態宣言」条項!

NetIB-News 2015年11月13日

https://www.data-max.co.jp/article/7499

■『報ステ』古舘伊知郎が最後の反撃! ドイツ取材で緊急事態条項の危険性、安倍首相とヒトラーの類似点を示唆

excite.ニュース 2016年03月19日

https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_2082/

■コロナ対応でも頻発、「閣議決定」ってそもそも何だ

こんな時でも安倍内閣の「閣議決定」に厳しい目が必要な理由

jbpress 2020.3.12

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59676

■安倍首相が日本を「戦争ができる国」に変えた…歴史に残る強引な大転換

週刊現代 2020.09.03

https://gendai.media/articles/-/75348

■中沢啓治/はだしのゲン作者

『なにもアメリカのいいなりに(湾岸戦争に)お金を出し、掃海艇を出すことが「国際的貢献」というのではないと思います。戦争が起こらない環境づくりや、戦争が起こっても停戦・和平への調停をするなど、平和のための貢献を日本はちゃんとすべきではないかと私は思います。(中沢啓治)』

■忌野清志郎「この国はおかしくなってる。戦争に加担し、いずれ軍事政権を作ろうとしてる。いずれ軍隊を持とうとしてるんだ。

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