今、新しいことに挑戦している方も多くいらっしゃるかもしれません。
新しく資格を取る方、新しい職場で頑張っている方、起業を目指している方、新規事業立ち上げで奮闘している方。
様々なチャレンジがあると思います。
もちろん、簡単には成功しないと思います。
様々な壁がありますし、ハードルもあります。
失敗するかもしれません。
でも、新しいことへの挑戦は価値ある行動なのです。
今回は新しいことへチャレンジする方への応援メッセージ、イノベーションという言葉の生みの親と言われる、シュンペーターについてお伝えします!
Contents
「イノベーション」、「アントレプレナー」の生みの親とは?
「イノベーション」(innovation)、そして「アントレプレナー」(entrepreneur)という言葉を知っていますか?
よく目にする言葉かと思います。
イノベーションは「技術革新」、アントレプレナーは「起業家」としてよく使われていますよね。
この言葉を初めて本格的に提唱したのが、シュンペーター著作の「経済発展の理論」(Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung)です。
シュンペーターは、オーストリアの経済学者です。
シュンペーターは、経済成長を起動するのはこのアントレプレナーだと提唱しています。
また、イノベーションこそ資本主義の本質であり、イノベーションが起こす劇的な変化が経済発展させるという考えも打ち出しています。
つまり、経済発展するには、アントレプレナーがイノベーションを起こすことが重要だ!と提唱している人なのです。
シュンペーターとは?
それではシュンペーターとはどんな人物だったのでしょうか。
少し見てみましょう。
シュンペーターの正式名はヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)。
オーストリア・ハンガリー帝国(後のチェコ)モラヴィア生まれの経済学者です。
1883年、シュンペーター氏は織物工場主の父と、医師の娘だった母との間に生まれます。
生まれたのは今のチェコ東部。
しかし彼が当時4歳のとき、彼の実の父親が亡くなり、10歳の時に母親が貴族階級の男性と再婚します。
それまでは母子家庭で育っており、必ずしも恵まれた幼少期ではありませんでした。
1901年ウイーン大学入学
1906年ウイーン大学法学博士を取得
1908年弱冠25歳で初めて「理論経済学の本質と主要内容」を作製
1911年グラーツ大学教授に就任
1912年「経済発展の理論」を出版
1926年母が心筋梗塞で死去、続いて妻が出産時に母子ともに亡くなり、1か月程の期間で家族全員(母、妻、子)を失うという悲劇に見舞われます。
1932年渡米しハーバード大学の教授に就任
その後は、研究活動のかたわらで大蔵大臣、銀行の頭取も務めました。
1950年、66歳で他界
シューペンターはとても親日家であったことも知られており、日本人の弟子も数多くいました。
科学的社会主義(マルクス主義)でも著名な経済学者、カール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx)とは同年代で、度々ライバルとして取り扱われています。
孤高な経済学者とも言われ、恵まれない幼少期や、家族を失うという悲劇を乗り越え、経済発展の考え方を世に広めた人物でした。
イノベーション5分類
シュンペーターと言えば、イノベーション(innovation)のキーワードが有名です。
シュンペーターはイノベーションについて、以下の5つに分類しています。
【イノベーション5分類】
・新しい「商品・サービス」の創出
・新しい「生産方法」の開発
・新しい「市場」の開拓
・原材料など、新しい「供給源」の獲得
・新しい「組織」の実現
※原文を直訳すると複雑なので分かりやすく表現しています。
今、イノベーション=技術革新と訳して使用されていますが、シュンペーターは、より多角的視点でイノベーションと提唱しています。
新商品や新サービス、新製法、新市場、新素材など。
そして、新しい組織の実現にまで踏み込んでいます。
技術革新も含めて、新しいこと分野への進出、新しい組み合わせ、新しい仕組み作りなど総合的なイノベーションが、経済発展には欠かせないと言えるかもしれません。
シュンペーターとドラッガー
ドラッカーはご存知でしょうか。
そうです。
「マネジメントの発明者」「世界最高の経営学者」などと呼ばれる、ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)です。
あのドラッガーは、実はシュンペーターの教えを受けており、その考え方はドラッガーに引き継がれているのです。
二人の関係は以下です。
ドラッガーの父(アドルフ)はウィーン大学経済学部の教授でした。
ドラッガーの父(アドルフ)は、1902年ウィーン大学経済学部で教えていたときに、19歳のシュンペーターと出会います。
才能があったシュンペーターに、アドルフは将来を感じ、様々な支援を惜しみませんでした。
アドルフとシュンペーターが親交を深める中、ドラッガーが産まれたのは1909年、シュンペーターが26歳の頃でした。
ドラッガーは幼少の頃から身近なシュンペーターから様々な考え方を学び、影響を受けていきます。
その影響はドラッガーの著書にも数多く見受けられます。
以下、ドラッガーの著書にある文章です。
「より優れた、より経済的な財やサービスを創造することである。企業は単に経済的な財やサービスを供給するだけでは十分ではない。より優れたものを創造し供給しなければならない」
『イノベーションと企業家精神—実践と原理』(Innovation and entrepreneurship)
「企業には二つの基本的な機能が存在することになる。すなわち、マーケティングとイノベーションである。この二つの機能こそ、まさに企業家的機能である」
『現代の経営』(The practice of management)
「企業の目的は顧客の創造である」
『マネジメント』
このように、マネジメントの発明者ドラッガーは、シュンペーターの影響を強く受けている一人と言われています。
単なる破壊者か、創造的破壊者か
シュンペーターの有名な言葉の一つに「創造的破壊」(Creative Destruction)というキーワードが出てきます。
これは、企業家のイノベーションによって、古い経済・経営体制は破壊され新たな経済発展が生じるという考え方です。
シュンペーターは、既存の市場や価値観を全く異質なものへと変革してしまう「創造的破壊者」が経済発展に重要だと提唱しています。
ただし、単なる破壊者では、お騒がせ者で終わってしまいます。
そうではなく「創造」すること。
生み出すこと。
新しいことに挑戦することで、様々な壁やハードルがあるかもしれません。
失敗するかもしれません。
でも、世の中に新しい価値を生み出す人はそれを乗り越える、「創造的破壊者」ではないでしょうか。
最後に
元気と勇気を与えてくれるシュンペーターの名言を贈ります。
馬車を並べても汽車にはならない
古きものを破壊し、新しきものを創造して、絶えず内部から経済行動を革命化する産業上の突然変異が必要である
イノベーションの成功は知力の賜物ではない。意志の問題である
創造的破壊者のみが常に時代を創る
ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター