株式会社FFRI創業者:鵜飼裕司、米国から帰国して企業設立した理由とは?

株式会社FFRI創業者:鵜飼裕司、米国から帰国して企業設立した理由とは?

 

 

米国から帰国して企業設立した理由とは?

 

 

鵜飼裕司/FFRIセキュリティ

 

 

米国から4年ほど日本の情報セキュリティ業界を見て気づいたのは、研究開発という最も重要な先端分野を米国が独占して、日本は単なる販売拠点でしかないこと。

『このままではまずい』と考えるようになりました。

自国でセキュリティシステムを開発していないため、もし日本がサイバー攻撃にさらされたら、誰も助けてくれない事態も考えられます。

長期的には、日本のサイバーセキュリティが脆弱なために、ITだけでなく他の業界のイノベーションも止まってしまう兆候も見えていました。

そこで、日本でサイバーセキュリティの研究開発を行うFFRIの前身となる会社を立ち上げたのです。

 

 

 

 

 

鵜飼裕司(FFRIセキュリティ創業者)とは?

 

 

鵜飼裕司。

1973年生まれ、徳島県出身。

 

中学卒業後、高等専門学校に進み、情報工学を学ぶ。

徳島大学工学部に編入して徳島大学大学院を卒業、博士号を取得。

 

平成12年4月イーストマンコダックジャパン株式会社入社。

米国のベンチャー企業から声がかかったのを機に退社し、米国に渡ります。

 

平成15年3月 eEye Digital Security社(現BeyondTrust社)入社。

日本のITセキュリティの手薄さに気が付き、退職して日本に帰り、2007年、株式会社FFRIを設立。

 

2014年9月、東証マザーズ上場。

 

 

 

 

 

 

 

鵜飼裕司(FFRIセキュリティ創業者)の「コトバ」

 

 

 

ただの田舎で、うちはおやじが電気工事士でしたから、小さい時からおもちゃといえば“はんだごて”で、ラジオはこうつくるんだよと遊びながら教わっていました。小学校高学年になるとファミコンが欲しかったのですが、これからはパソコンの時代だ、これでゲームもつくれるぞと、パソコンと取扱説明書を渡されたのです。そこから家にこもってプログラミングの勉強をはじめました。もう学校の勉強はそっちのけで、相当なパソコンオタクだったと思います。

 

 

 

 

 

 

父が電気技師だったので、子供の頃から身の回りに機械や工具がありました。それが私の玩具だったのです。たとえば、図鑑で『イオン電池』を調べて実際に亜鉛と食塩を使って自作するとか、アルカリ電池の水溶液を舐めて舌を火傷するとか。こういうエピソードは私だけと思っていましたが、実は『理系あるある』なんです。周りのベンチャー経営者には理系出身の人が少なくありませんが、コンセントにハサミやピンセットを挿して感電するなど、似たような経験をしていることを後になって知りました。友人の間でファミコンが流行り始めたときも、父が買ってくれたのはパソコンでした。『ファミコンはゲームソフトを買わなければならないが、パソコンがあれば自分でゲームを作れる』と。小学5年生からプログラミングを始め、気づけば寝ているか食事をしている時間以外はパソコンと向き合っていました。同時に、このへんが理系らしい一面かもしれませんが、『この能力はどうやったら社会に活きるのか』ということを考え始めたんです。テクノロジーを用いると、ゼロから一を生み出すことができる。そうすると社会の仕組みをより良く変えられるのではないか、と。

 

 

 

 

 

 

Kodakには2000~2003年までいました。ちょうど当時は様々なデバイスがインターネットにつながり始め、サイバーセキュリティの需要をひしひしと感じ始めていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

研究開発の会社に勤めましたが、「やっぱりセキュリティーの会社に勤めたい」という思いが強かったのです。サイバーセキュリティービジネスの業界は、Kodak研究開発センターに就職したころから急速に大きくなり始めていました。その関係で、いくつかの海外のベンチャー企業から「うちに来ないか?」とオファーを貰っていたのです。しかし、入ったばかりだったこと、海外の会社なので言葉が不安だったこともあり、3年ぐらい悩みました。最後には「サイバーセキュリティーの分野に行きたい」と思ったので、オファーのあったアメリカのベンチャー企業に就職しました。

 

 

 

 

 

 

 

英語が話せないのに、よく決断したなと自分でも思います(笑)サイバーセキュリティ問題が注目を集め始めた2003年当時、北米を中心にいくつもの企業ができ始めていました。ちょうどそのタイミングでeEye Digital Securityに移ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

入社してみると想像とまったく違っていました。いちばん驚いたのは私の力で十分に戦えたことです。最初は英語もしゃべれなかったのですが、それでも仲間の中でしっかり戦って貢献できたのが、自分でもびっくりでした。グローバルで見ても日本人の技術レベルは高く、トップ技術者のレベルも、日本と北米でそれほど変わりません。ただ大きく違うのは、日本は北米で生まれた技術を展開するだけのビジネスが多いのに対し、北米は、いままでできなかったことをできるようにするビジネスが多い。いわゆるゼロをイチにするイノベーティブなビジネスに全神経を集中しているベンダーが非常に多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

一番は、念願のサイバーセキュリティーの研究開発ができたことです。2003年には渡米したのですが、日本にはサイバーセキュリティーの研究開発をしている会社がありませんでした。また就職した会社では、世界中から優秀なサイバーセキュリティーエンジニア、いわゆるホワイトハッカーと呼ばれる人がたくさん集まっていました。まさに本当にトップレベルのエンジニアがたくさんいる環境で、切磋琢磨しながら仕事ができたこと。この環境がとても刺激的で、非常に勉強になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカの企業は、エンジニアとしては刺激的で、ものすごく良い環境でした。一方で、アメリカから日本を見ていると、アメリカのサイバーセキュリティー技術を輸入して使う現状は変わっていませんでした。「この現状を放っておくのは良くない」と思ったことが、起業して経営者になったきっかけです。サイバーセキュリティー技術の源流を作るアメリカ、それを使う諸外国、という立ち位置が続いているのでアメリカの会社は非常に強いです。ビジネスの観点で見ると、0を1にした人達は大きな利益を得られますので、「サイバーセキュリティー技術を作る工程のない日本は、産業的な意味合いでも良くない。日本でサイバーセキュリティー技術を作る環境にしたい」また、サイバーセキュリティー業界の話として、「日本に研究開発能力がない状態で、サイバーセキュリティー上の大きな問題が起きたら独自に解決できない」という危機感もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

当社は2007年設立です。それまで日本にはサイバーセキュリティの研究開発を行う会社は無かったと思います。私は当社の創業前、北米のセキュリティ開発ベンダーにいて、そんな日本の状況をあやういと思っていました。もし日本固有の脅威が起こって、北米のベンダーに助けてくれと言っても、日本の市場規模はグローバルに見ると小さいので、すぐに研究開発はしてくれません。国の安全保障に絡む事態が起きても、自国で問題解決できない。これでは非常にまずいと思って、日本に帰り、セキュリティ研究開発企業を創業する決心をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

パターンマッチングの最大の問題点は、指名手配犯写真集に載ったウイルスしか検挙できないということです。標的型攻撃では、攻撃対象に特化したウイルスがつくられますので、毎回初犯がやってくる。初犯は指名手配犯写真集に載っていないから、当然捕まりません。また、昨今では新種のウイルスが毎日何十万と作成されているため、後追いの指名手配写真集モデルではとても追いつかないのです。ではどうやって捕まえるかというと、泥棒と同じで、ウイルスにも悪いことをするときの行動や、悪いことをする前の予兆となる行動がありますので、その振る舞いを見て判断する。このヒューリスティックという技術だけで対処していかなければならないと考えていました。しかし、完全ヒューリスティック技術なんてできるかどうかわからないし、現実的にやった人は誰もいませんでした。それでも膨大な資金と時間をかけて開発に突っ込んでいいのか。この決断が一番難しかった。決断して資金調達したのは2008年、リーマンショックの直前でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

セキュリティの会社ですので、技術力があっても、やはり社会的な信頼性がないと受け入れてもらえません。FFRI yaraiの開発においても、「本当にできたらすごいですね!」と言ってくれる人は多かったですが、実際、お付き合いさせていただける会社は非常に少なかった。どうしても何処の馬の骨か分からないベンチャー企業と見られるわけです。ですから、2008年にはIPO経験者をCFOに迎えて、会社として強くなっていくにはどうすればいいかという視点を共有しながら上場準備を進めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エンジニアは基本、新卒採用です。セキュリティのことがわからなくても、情報工学の基礎知識が備わった方を採用しています。サッカー選手でたとえると、サッカーの技術はどうでもよくて、とにかく速く走れる、長く走れる、といった基礎体力を見ています。日本の大学教育は実はうまくいっていて、新卒の中にも情報工学の基礎知識を持った方はけっこういますよ。基礎体力が高いと入社してからセキュリティの知識や技術もあっという間に吸収できます。当社の事業は研究開発に特化していますので、チャレンジングなことをやりたい人材が集まってきてくれています。

 

 

 

 

 

 

戦うに足る競争相手が出てきたということです。弊社は日本ではシェアナンバー1(※2)ですが、北米ではまだ名前が知られていませんので、しっかり技術評価で勝っていかなくてはいけないと思っています。100%ヒューリスティックの技術は、グローバルでも先行してきた分だけ、技術的な蓄積も弊社のほうが長いので、技術力と信頼性の両面で、他のところに負ける気はしません。実は北米でコンペの相手先になっている会社は、私が北米のセキュリティ開発ベンダーにいたころの知り合いがつくった会社が多いんですよ。昔の仲間はいまの敵ですから、敬意を持って叩き潰す(笑)。お互い切磋琢磨しながら、技術で勝っていくことが大事だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

弊社はサイバーセキュリティーの研究開発に特化して経営している企業です。日本のテクノロジーの多くは、海外に依存しています。海外で作られた基礎技術や製品を日本に輸入して、日本の中で展開しています。弊社は、その輸入されている技術の源流を作ることに特化をして経営している企業です。現在の主力は、サイバーセキュリティーの中でも深刻な問題になっている、標的型サイバー攻撃などからコンピューターを守る製品を販売する事業になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

経営者として成功する秘訣・方法は「誠実であること」です。嘘をついたり、人を騙すことをすれば、必ず自分達に跳ね返ってきますので、誠実であることが重要です。また先程の座右の銘じゃないですが、困難に陥るということは、上手く行き続ける訳がないということです。困難に陥った時にいかに前を向いていけるかも、非常に重要だと思います。

 

 

 

 

 

 

自分たちの事業が社会にどのように貢献できるのか、それを自らの“芯”として強く意識することが大事だと考えています。そこがしっかりしていれば、どんな困難があったとしてもそれを乗り超えるモチベーションになるとともに、どう乗り越えればいいのか、何をすべきなのかという行動にブレークダウンすることもできます。人間は基本的に弱いもの。苦しいと、つい“芯”を見失ったり、ブレてしまうこともあります。でも、苦しい時だからこそ、自らの“芯”を自問自答し、何のためにこの事業をしているのか、再確認することが大切だと思います。私自身、「世界トップレベルのセキュリティ・リサーチ・チームを作り、コンピュータ社会の健全な運営に寄与する」ということを自らの“芯”として、ことあるごとに自らに問いかけてきました。もちろん、今でもそれを続けています。

 

 

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