株式会社ジェイテックコーポレーション創業者:津村尚史、上場を目指すきっかけとは?

株式会社ジェイテックコーポレーション創業者:津村尚史、上場を目指すきっかけとは?

 

上場を目指すきっかけとは?

 

津村尚史/ジェイテックコーポレーション

 

 

 

正直、創業時上場は頭にありませんでした。

上場を目指すきっかけは、2005年から取り組んできた放射光ミラーが2015年くらいから世界的に評価されてきたことです。

顧客対象は世界の研究機関、主要研究機関は国家直轄の国も多いので、要するに顧客は国なんです。

製品が認められても取引に至るには、社会的な信用力の向上は不可欠でした。

ライフサイエンス事業にしても、知名度も資金調達も必要です。

資金は足元では設備投資に、中長期的にはM&Aも視野に入れています。

上場を考えたときに需要が伸び、売上増にもつながっていたので、障害はあまりありませんでした。

ただ、上場準備期間と大企業の不祥事が取りざたされた時期が重なったことで、監査が厳格化して想定より少し時間がかかりました。

とはいえ、私はそれをマイナスにはとらえていません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

津村尚史(ジェイテックコーポレーション創業者)とは?

 

 

津村尚史。

1981年3月大阪大学工学部卒。

 

1981年4月倉敷紡績株式会社入社。

情報開発部・機器開発グループにおいて各種自動化装置の開発に従事。

 

約10年間の自動化技術の事業経験や技術ノウハウを活かし、1991年片岡実業株式会社取締役技術部部長を経て、1993年フロンティア・マネジメント設立。

大手企業や研究機関との共同開発で各種自動細胞培養装置等の開発に従事。また産学連携事業を積極的に推進し、放射光用X線ナノ集光ミラーの実用化等にも成功。

 

2018年2月東証マザーズ上場。

2020年9月東証一部上場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

津村尚史(ジェイテックコーポレーション創業者)の「コトバ」

 

 

 

 

学生時代に何になりたいといった具体的な夢はなく、大学の研究室の担当教授の紹介で倉敷紡績株式会社に入社しました。大学は精密工学科だったので、紡績会社への入社は珍しいことでしたが、本社や技術研究所を訪問したときに何か新しいことができるのではないかと感じたのが動機です。化学系の人材が多い会社で、ものづくりをする社員が私しかいませんでした。入社して5年目くらいのときには、4、5人の部下を抱え、システムの開発・製造から営業まで一貫して携わっていました。その時代に独立する土壌は育まれたと思います。その後転職し、新たな技術開発の仕事も経験する中で様々な装置を使いますが、日本製はほとんどありませんでした。そう考えると、研究開発を積み重ねる中でニーズに気づいたと言えるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

放射光施設というのは、なかなか皆さんではわかりにくいかと思うんですけど、放射光を使ってその光で色んな物質を分析したりする施設がございまして、そこで使われるときに、その放射光を細かなナノメートルレベルまで集光するためのミラーを製造・販売しております。

 

 

 

 

 

 

 

昔で言えば、和歌山のカレー事件のヒ素を同定したと。最近ですと、はやぶさが持ち帰ったりとかの微粒子解析です。そういうのをやられていますが、今、最も力を入れられているのは、医療、創薬、そのあたりの基礎研究に使われていますね。例えば、細胞のイメージングとか、タンパク質の結晶化を解析するところです。ただ、そういう基礎研究だけでなくて、例えば民生なんかですと、ガムとか化粧品とか、あるいはタイヤの開発とか、そういった企業もそういった製品の開発も、この放射光施設でやられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

大型の自動培養装置は高額で、大手製薬メーカーの研究機関等で活用されていましたが、それではターゲットが限定されます。iPS細の出現により、大学の研究室、中小の研究機関や企業でも使ってもらえるような手軽で小型化した汎用的な製品開発に着手し、今では商品展開の幅を広げています。また、装置を作るだけではなく、実際の再生医療を実現するためには補完的な作業が必要不可欠であると感じ、横浜市立大学医学部と積極的に連携し、世界で初めての弾性軟骨の再生医療の臨床研究を推進しており、さらに大阪大学医学部の心臓血管外科とはiPS細胞を使った心臓シートの培養技術の開発にも取り組んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ライフサイエンス事業の自動培養装置そのものはいわばどこでも製造可能なものです。しかし2007年ごろからつくばの産業技術総合研究所(産総研)が持つ浮遊培養技術(細胞を浮かせながら培養する技術)の共同開発を推進し、横浜市立大学や大阪大学と取り組む再生医療のキーテクノロジーとして活用しています。これは当社の独自の培養技術です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オプティカル事業では、大阪大学と理化学研究所が発表した放射光を絞る技術が国際学会で世界一と評価され、その技術を使ったミラーがグローバルレベルのニーズに広がっていきました。この技術は大阪大学の独自のナノ加工技術EEM(Elastic Emission Machining)とナノ計測技術RADSI/MSI(Relative Angle Determinable Stitching Interferometry / Micro Stitching Interferometry)ですが、当社が実用化し、世界の研究機関や企業に採用されました。この製品については、国内外に競合は何社かありますが、現在では当社がトップシェアとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

理想と現実は違い、最初は赤字にしてはだめだと、食べていくために様々な仕事をしました。自社で主体的に研究開発をしたいという思いがありながらも、企業からの委託開発が主たる収入源で、事業資金としては大阪中小企業投資育成や『ひょうご活性化ファンド』の出資を受けたこともあります。理想の追求がかない始めたのは、独立して10年後以降です。

 

 

 

 

 

 

 

現在、16人の社員が博士号を持っています。彼らが当社の技術に魅力を感じて集まってきてくれました。特にオプティカル分野は新しい技術で、ベテランは存在しません。極端な例ですが、ライフサイエンス分野のドクターが当社でミラーを作っています。研究分野は異なっても、基礎的な技術力があり、研究に必要な探究心が備わっているので、すぐに吸収できるようです。また大学と密接に連携して仕事をしていますので、ポスドクの登用面でも多少なりとも貢献できているのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当社は創業の数年後から産学連携に継続して取り組んでいます。それでもスタートから10年近くを経てやっと一つ成功したレベルで、事業化は容易ではありません。成否を分けるポイントは、大学と企業が対等に渡り合える関係であること。単に資金を出すだけではだめで、われわれもテーマを明確に持ち、協働していく意識が必須です。大学と企業では目指すベクトルが異なります。大学は研究を究め、企業は利益を求める。そうした立場の違いを乗り越えて、お互いを理解しなければうまくいきません。

 

 

 

 

 

 

 

目に見えないが、社員の自覚も出てきていると感じます。これまでは研究室の延長線上という側面も否めなかったのですが、意識の変化が芽生えてきています。一方で、上場にあたっては、技術者以外の管理部門の経験者の採用が急務で、幸い優秀な方が集まったので、社員の層が厚くなったと思います。また、上場前の研究者・技術者主体の組織では難しかった、企業として同じベクトルに向かう一体感のようなものも出てきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナ禍の影響でIRの活動がまだ十分にできていませんが、事業がわかりづらいのでIRでは誰にでもわかりやすく技術背景や社会的な効果を説明するよう努力しています。特に一般投資家向けにはスモールミーティングを重ねるなど、一方通行ではないコミュニケーションを心がけています。

 

 

 

 

 

 

 

ものづくり企業として会社をおこすなら、独立時点である程度の仕事がないと経営の維持が難しいと思います。研究開発だけでは売上が立ちません。上場にあたっては、さらなる需要がないとできないので、常に”今”だけでなく、その先の展開を頭の中で描きながらリスクも想定していることが必要です。当社は2つの事業が柱になっています。どちらかが落ち込んだときの補完や、良いときにはシナジーが出せるので、そうしたことも考えておいたほうがいいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

平たく言えば、スマート社会に欠かせない高精度な半導体、高集積化を図るための製造装置の中に私たちの技術をより多くとり入れてもらいたいということです。水晶振動子とは時計やカメラに搭載される時計代わりになるもの、デジタル技術が進化すれば、自動運転等の開発などで高精度な水晶振動子へのニーズも高まります。再生医療については、患者の生活の質の向上につながり、社会に直接貢献できると考えています。

 

 

 

 

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