通っていた学校は中高一貫校で、中学2年生の頃にチアリーディング部が大会で日本一になったことと、「今できることをしたほうがいいよ」と先生に言われたのをきっかけにチアリーディング部に入部して、部活に明け暮れる3年間でした。大会の前になると土日を含めてほぼ毎日部活をしていましたね。だから言い方は変だけれど、逆に学校の授業が息抜きみたいな感じでした(笑)
私の通っていた大学には幼稚園の教員免許を取れる学部があって、子どもたちが来て一緒に遊んだりもしていたので、教員免許を取ってみたいなって。小学校2年生の時に妹が生まれたんですが、おんぶしながら宿題をしたりして、「妹を育てた!」って感じるくらい面倒を見た思い出もあります。
この仕事をしていなかったらCAさんを頑張って目指していましたね。英語が苦手だったけど、色んな国に行ってみたいって思って英語教育のある学校にも入りました。ただ、部活があってインターンに参加できなかったのと、就職氷河期だったので、採用枠も減ったりして。全部自分の目で見ないと気が済まない性格だったので、就活では一旦髪を黒くして、スーツも着て、とりあえず大規模な就活説明会やアパレルだけの説明会にも行ったりしました。
強行突破です(笑)。3年間だけ頑張らせて! と言ってモデル活動を始めました。でも、最初の2年間は本当に仕事がなくて、就職した同世代の友人を見ていると“私は何をしているんだろう……”と思う日々が続きました。最初は興味本位で、絶対大丈夫! という根拠のない自信だけでこの世界に飛び込んだので、現実の厳しさをそこでようやく知りました。“知らない世界に飛び込む”ってすごく恐ろしいけど、今の自分があるのもそのおかげなんで、当時の自分を褒めてあげたいですね(笑)。
20代は自分を確立するためにとにかく必死で。できることはなんでも経験しました。それが今、自分の糧になっているのを実感することがとても多いんです。たとえば、今日の表紙撮影もそう。実はものすごく風が強くって、撮影の裏側はけっこう大変なことになっていたんですよ(笑)。昔の私ならきっと“うわ、どうしよう”とネガティブな気持ちになっていたと思う。でも、今の私はいろんな撮影を経験して“どんな環境でもベストを尽くす方法”を学んでいるので、多少のことでは慌てないというか。風を止めることはできない、じゃあ、どうやって風と戯れようって。すぐに気持ちを切り替えて、楽しむことができたりして。
最初はとにかく自信が持てませんでした。特に私はカメラの前に“自分”として立つタレント活動からスタートしているので、お芝居のこともわからなければ、演じることもどこか恥ずかしくて。そんな自分に引け目を感じ、よそ者がお邪魔しているような感覚に勝手になってしまう、以前はそういう瞬間が多々あったんです。
焦ってばかりいました。そんなときにも頑張ろうと思わせてくれたのが音楽で、ケイティ・ペリーの「Firework」にすごく励まされました。彼女も最初はアヴリル・ラヴィーンと比べられたり、なかなか芽が出なかったりと苦労していて。この曲では“誰にでも平等にチャンスはあるから、チャンスがきたら最大限に輝こう”と歌っているんです。自分と境遇が似ているし、歌詞の内容もその当時の心境に当てはまるものだったので、「Firework」を聴きながら、来たるべきそのチャンスを虎視眈々と狙って勉強する日々でしたね。
実はしばらくは戸惑ってばかりでした。25歳で覚悟を決めてテレビに出たときは、売れたい、頑張りたいとガムシャラだったんです。でも女優というお仕事をいただくことになって俳優さんたちに囲まれることになり、しばらくは、私どうしよう?というテンションでしたね。私、初めの一歩をなかなか踏み出せないタイプで、背中をバーンと押されないと、何事にも躊躇してしまうんです。女優というお仕事にもちろん真剣に取り組んでいたのですが、頑張っても、どれが正解かわからない状態で。今年、主演の話をいただいて、これは覚悟を決めなきゃ!と、やっと活が入りました。私が主演でゴーサインを出してくださった方々の気持ちを考えると生半可ではダメだし、一緒に頑張ってくださる人たちに申し訳ない。私自身、去年30歳になって、変わりたい、ここからキャリアを積みたいという思いもありました。ただ良くも悪くも、何をしても“中村アン”のイメージが抜けないのが今の悩みでもあり…。
ちょうど両親と約束した3年目、勝負の年だったんです。だからこそ、ここで後悔することは絶対に避けたかったんですよね。運よくファッション誌「and GIRL」が創刊して、そこに呼んでもらえたのもあり、この雑誌では本当に丁寧に大事にお仕事をしなければいけないと思っていました。いつか表紙を飾るために、最初の可能性はゼロだけど、頑張らなくちゃ! と思わせてくれたんです。それと同時に、バラエティではガツガツ自分を出していかなければ印象が残らないことにも気づいて(笑)。
女優としてはまだまだ未熟。日々、落ち込むことばかりで、気持ちは常に上がったり下がったり。気持ちが下がったときは家に帰って一人晩酌。お酒を飲みながら一人反省会。私の“ひとり上手”は加速中(笑)。さらに、最近は女優の仕事が楽しくなってしまったから。仕事に気持ちが向いているぶん“セリフ合わせにつきあってくれたり、役に立つのならば一緒にいてもいいけどそうじゃないのならば、家に誰かがいるのは疲れそう”と思ってしまう自分がいたりして(笑)
実は私、29歳くらいのころ、ガムシャラな日々のなか雑誌の表紙を飾ることができたり、いくつもの夢を実現できて……。勝手にすべてをやり尽くしたような気持ちになってしまったことがあるんです。でも、ふと足を止めて世の中を見渡したら、全然そんなことなかった。“やり尽くした”どころか“できないことだらけ”でした(笑)
こないだ、大学の後輩から言われたんです。“既婚者の身からすると独身の先輩の可能性は無限大ですよ。いろんな人と出会って視野を広く持つべきだ”って。今は一人が楽しいけど、それを満喫したら寂しいと感じる日が訪れるかもしれない。結婚を考えるのはそのときでもいいのかな。まあ、そう思っているときに限って母親から“結婚は早いほうがいいですよ”と親心が綴られたメールが届いたりして。仕事も人生も上がったり下がったり。まだまだ課題だらけです(笑)
車の免許を取りました。もっと自分でできることを増やしたいなあと思っていて、自立心がどんどん芽生えている最中です。身分証がなくていつもパスポート頼りだったから、や っと大人になれた気がします(笑)。長期間の旅行にも行くようになりました。学生時代はスポーツ三昧で、仕事を始めてからはいつオファーがいただけるかわからなかったから。2年前には長期でニューヨークに。出産や子育て期に入ってくる友達も増えましたが、私は違う楽しみに向かっています。
ちょっと前に言われたんです。いつもハッピーそのものって雰囲気だったのに少し変わったよね、元気がなさそう、って。結局、自分の気持ちには嘘をつけない、心の揺れは見た目にも表れてしまうことを悟りました。そういえば、この間も、ふと、『私はこのままでいいんだろうか』という不安に襲われて、同世代のみんなはどうなんだろうとネットで検索してしまいました(苦笑)。そしたら、同じように悩みを抱えている人の声がたくさん見つかり、自分ひとりだけじゃないんだと安心して。よく、女優さんのインタビュー記事に『30歳は楽しみ』なんて書いてあるじゃないですか。私も28歳まではそう信じていたけど、29歳になって現実が迫ってきた途端に『できれば20代のままでいさせてほしい』と本気で望んだりする。たかだか1歳の違いなのに、こんなにも動揺するなんて思いませんでした。
月並みな言い方かもしれないけど、これからはやっぱり中身で勝負することになっていくんでしょうね。ゆるいウェーブヘアにオフショルダーで笑っているのも私だけど、いい意味でヘルシーなイメージを裏切ることも必要なのかな、って。お芝居で表現することもそのひとつだし、それにはやはりたくさんの経験を積んでおかないと。
ふだんの私は、シャキッとしてないし、キラキラもしていません。性格的にはオラオラな感じもあるんです、フフフ。私にとって髪をかき上げるのは、『よし、いい女になるわよ』、というスイッチみたいなもの。ずっとロングでしたが、髪もバッサリ切ってみたいし、今は変わりたい願望があるかもしれないです。
どのお仕事も同じだと思いますが、最初は知らないからこそガムシャラに頑張れるし、未熟だから周りも褒めてくれる。でも、積み重ねた経験に比例して成果が求められるように。ハードルが上がるたび“うまくいかない”と思う瞬間が増えていくと思うんです。また、やればやるだけ成果を感じるトレーニングとは違い、自分の思いどおりにならないのが仕事。努力が評価につながらないことも、自分の能力を認めてもらうまでに時間がかかることだってある。でも、そこであきらめたら終わり。その時間をどう乗り越えるかが実はすごく大事なんですよね。
経験は未来の自分の糧になる。それがわからなかったころは、新しいことに挑戦するのが怖かったけど、今はそれも楽しめている自分がいる。もちろん、今だって緊張するし怖いですよ。でも、せっかくの学べるチャンス。どんな刺激や経験が待っているのか、不安よりもそっちの好奇心に目を向けていたい。どんなに怖くても不安でも、やると決めたらもう、やるしかないんだから!(笑)
これ以上、何をしたらいいんだ。そんな気持ちになってしまったときもあったけれど、“同じことの繰り返し”は自分で決めつけていることがほとんど。探そうと思えば、自分を成長させてくれる種はいくらでも転がっているんですよね。そこに目を向けるだけで、目の前の景色がガラリと変わったりして。
辞めるか、待つか、諦めて違う仕事に就くかの3択だったけれど、どうしてもあきらめたくなくて。「待つことも必要だよ」って人に言われた時に、自分で決めたことだし、「石の上にも三年」だなあって実感しました。じっと耐えたり考えたりする時期って辛いけれど、ハングリー精神が培われるし、目の前に具体的な目標を思い描ける大事な時期だと思います。
今までの私自身、自分よりキャリアを積んでいる人たちのなかで気持ちが負けていたと思うんです。でも、そんな状態では真正面からぶつかれない、いいお芝居だってできるわけがないですよね。
自分から「好きです」と伝えます。思いが伝わらないのはもったいないし、待つのも苦手。だから早めの段階で告白することが多いかも。
好意的に受け取ってくださる方もいれば、“我が強過ぎる”“生意気だ”と思われる方ももちろんいて。でも、元々チア・リーディングでキャプテンをしていたので、自分の意見を正直に伝えること自体に抵抗はなかったんです。ただ、発言する場所が公共の場である以上、生半可な気持ちで発言してはいけないという覚悟はありますね。
中村アン。
1987年生まれ、東京都江東区出身。
東京の下町に育ち、江東区立数矢小学校 、目白学園中学校・高等学校を経て、東洋英和女学院大学を卒業。
高校から大学時代までチアリーディング部に所属し、高校3年生の時にキャプテンを務め、高校時代、大学時代ともに全国大会に出場。
大学2年生の時、モデルオーディションに友人に誘われる形で出場しグランプリを獲得。
しかしそこで芸能界入りはせず。
大学3年時に就職活動をしていたが芸能界入りも考え、オファーを受けていた現在の事務所に入ってデビュー。
ファッション誌のモデルや放送番組のレギュラーを持つ一方、2010年に『G☆RACE』の一員として同年度のSUPER GTイメージガールを務めた。
2013年頃より毒舌&不潔「キャラ」を売りにタレントとしてもブレーク。
2014年に競輪のイメージキャラクターとしても活動。
さらに、2014年冬に出会ったクロスフィットにより鍛え上げたしなやかな筋肉と引き締まった健康的なボディは、レスパスフィットネス意識調査で女性の理想の体型の1位に選ばれるなど、女性の憧れの「美ボディ」として注目を浴びるようになる。
2015年10月6日、『第28回 日本 メガネ ベストドレッサー賞』の「サングラス部門」を受賞。
フジテレビ系のテレビドラマで2015年8月に放送された『ほんとにあった怖い話 夏の特別編2015』に出演してから女優業を本格的に始め、2015年10月期の『5→9〜私に恋したお坊さん〜』でフジテレビ月9ドラマに初出演して以降、10クール連続でドラマへ出演。
2018年4月期の日本テレビ系テレビドラマ『ラブリラン』でドラマ初主演を務めた。
2018年10月SUITS/スーツ、玉井伽耶子役。
2019年4月集団左遷!!、木田美恵子役。
2019年10月グランメゾン東京、久住栞奈役。
2020年4月SUITS/スーツ2、玉井伽耶子役。
2020年6月スイッチ、佐藤亜希役。
2020年10月危険なビーナス、蔭山元美役。