私は24歳で結婚、26歳で出産しましたが、特別な能力のない自分が一度仕事を辞めたら、再就職も転職もできない。かといって専業主婦を上手くやれるタイプでもない。だから、仕事に自信が持てるまでは、とにかく働き続けたいと思っていました。でも当時は、慣れない子育ても重なって「自分は何もできない人間なんじゃないか」と感じ、とても苦しい時代でした。
20代は失敗を繰り返してもかまわないので、少しずつ「これが得意かも」という武器を見つけ、30代はそれを育てていく。そうやって自分の「コアになる強み」を仕込んでいく時期。
新しい仕事と過去の経験やスキル、強みをいかに融合させるか。本当の創造性というのは、ゼロから何かを生み出すことではなく、そうやって過去に得たものの中から組み合わせて新しく創り出していくことではないでしょうか。
異動先で取り組む仕事に90%はエネルギーを費やすわけですが、残りの10%でレパートリーを維持する努力を継続できるかどうか。それによって10年、20年後が大きく変わるのではないかと思います。
女性は男性のように家庭のことを省みず、会社のために全てを捧げて管理職を目指すような働き方を、決して魅力的だとは思いません。ある程度働いた後は専業主婦となって夫を支えるために家庭で過ごしていた方がいいのではないか、好きな事や趣味を活かした生活を送った方がいいのではないか、と迷う人が少なくないのです。
日本の場合、会社が人を育てる役割を担っています。女性はキャリアの途中で出産・子育てで辞めてしまうことが多いため、会社はせっかく女性を育てても元が取れない、無駄な投資であると考え、無理して女性を鍛えることなく、チャンスも与えません。そもそも日本企業の人事部は女性に多くを「期待」していません。「機会」も少なく、「鍛えよう」ともしないのです。この三つの「き」が、中長期で女性が活用されない理由だと思います。
出産・子育ての時期になれば、日本女性の多くはキャリアを中断して家庭に入ります。「3歳までは母親の手元で子育てを行わなければ、子どもに悪影響を及ぼす」という「3歳児神話」などの影響は根強いようです。
女性活躍への期待が高まっていますが「男性と同じように働けます」という働き方は女性にお勧めできません。自分だから、女性だからできることを考え抜く。闘争ではなく、協力する。奪い取るのではなく育て上げる。新しいリーダーシップの形を私自身、これからも追求していくつもりです。
敬語は訓練によって身につけていくしか方法がありません。職場には敬語に詳しい人がいるものです。その人の言葉遣いを真似てみたり、書いたものをチェックしてもらうなど、「人みな、わが師」の気持ちで教えを請うことはとても大切だと思います。
語学の勉強にも通じることですが、ボキャブラリーを増やすなら、まず自分の専門分野から掘り下げていくことです。
言語感覚やコミュニケーション能力は同じ価値観を共有する人とだけでなく、さまざまな価値観を持った人とコミュニケーションせざるを得ない経験を積み重ねていく中で養われます。
女性にとって10年、20年先のキャリアパスを描くことは難しいことかもしれません。結婚や出産のタイミングも自分一人では決められないものです。こういった厳しい経済環境では、なおさら難しいと感じるでしょう。でも、だからこそ夢を描いてほしいと思います。
女性はとくに短期的な視点で物事を捉えがちです。その原因の一つは、女性たち自身の中にある「女性は若くて可愛いほうが価値があり、歳を重ねると煙たがられる」という思い込みです。そのため、若いうちに周りに認められなくてはというプレッシャーが男性以上に強いのです。
若いうちから人とのつながりを大切にしておくと、40代くらいになって効いてきます。人間関係も、短期的な結果を求めず長期的な視点をもって育てて欲しいと思います。
20代で逃げ癖をつけてはいけません。この時期はまだ体力もありますし、少しはハードな仕事をこなす経験をしておいた方がよいでしょう。チームの一員としてしっかり力をつけるのです。とことん頑張った経験を持っておくと、今後壁にぶち当たったときに乗り切ることができます。
意識的にキャリアデザインをしておくことをお勧めします。「グローバルな仕事がしたい」くらいのざっくりしたもので構いません。そのために自分に足りないスキルを考え、それを補う努力をしましょう。
40代になると、自分自身が成果を出すこと以外に、部下を育てることが求められるようになります。難しいのは叱り方です。ここでも女性によく見られるのが、溜めてしまうことです。「女性がしょっちゅう叱っていると、ヒステリーだと思われるのではないか」と考え、普段は見て見ぬふりをして、我慢できなくなったときに爆発させてしまうのです。叱るのは相手の為ですから、溜めこまないでその都度言いましょう。
自分より若い人は、教えたり叱ったりするだけの対象ではありません。逆にこちらが教わることもあります。
異なる世界や専門領域を複数持っていることが自分らしさであり、ユニークな強みになる。創造的な仕事や柔軟な働き方が求められる現代こそ、こうした考え方がより重要になっているのは間違いありません。
男性と同じように24時間戦うことは出来ないので、独自の強みが必要でした。
一つの組織にどっぷりはまっているとクリエイテイブな発想は生まれず、化学反応も起きにくくなる。
人生とは選択の連続です。一つのものを選ぶということは、一つのものを捨てるということ。すべてが手に入ることなどありません。
若き頃から抱いていた夢や希望。それらがすべて叶うことはありません。希望する仕事に誰もが就けるわけではない。すぐに思い通りの結果が出るはずもない。それなのに、最近は我慢をすることなく、すぐに嫌だと言って仕事を辞めてしまったりする風潮を感じます。二十代の頃ならまだしも、三十代になっても四十代になってさえもフラフラとしている。あれもしたいこれもしたい。自分に合った仕事をしたい。もっと評価されたい。小さな理不尽さばかりに文句を言い、自分という存在と向き合っていない。
【老活で意識したい「さしすせそ」】
【さ】さびない心を目指す
体だけでなく、感情や感性までさびてしまわないように。新しい環境に身を置き、人と出会い、自分をみがき続けよう。
【し】情報リテラシーを持つ
情報社会だからこそ、その真偽や要不要を見極めたい。他人の情報に惑わされず、自分たち夫婦の価値観を見直そう。
【す】“好き”を増やす
年齢とともに心はかたくなり、“好き”や“感動”が減少しがち。意識的に好きなモノ・人を見つけ、機嫌よく暮らそう。
【せ】世話をする
世話をされるより、する人が幸せになる。子や孫、他人の孫(たまご)をサポートして、必要とされる人になろう。
【そ】ソーシャルディスタンスを保つ
人間関係は、精神的にも空間的にも適正距離を保つ。べったりでは互いに負担。親子や夫婦間でも伸び縮みさせよう。
「おかげさま」という言葉があります。いかがお過ごしですかと聞かれれば、「おかげさまで元気にやっております」と答える。それは、誰か特定の人のおかげという意味ではありません。自分を取り巻く自然。自分とともに生活している人たち。そして見も知らないたくさんの人たち。すべての人や大自然のおけげで元気に生きることができる。つまり、人間は生かされているという心が日本人には根付いているのです。
自分とは異なる考えや意見に出会うというのは、「人って、いろいろなんだな」と知り、自分の「引き出し」を増やしていくための練習だと思うんですよね。私は昔からよく本、とくに小説を読んでいましたが、小説のいいところは、「こういう人生もあるんだ」「こういう考え方、受け止め方もあるんだ」とすべてを参考にできる。それと同じように、いろいろな人とおつきあいすることによって、自分の引き出しが多様になって、「こうでなくてはいけない」というような思い込みがなくなっていくのかなと思います。
夢は現実的なものである必要はありません。「いつまでに何をすべき」という、将来を線引きしてしまうような計画は、自分の未来を狭くしてしまいます。その通りにならなくてもいいのです。必要なのは、自分を励ますための楽観的な未来図です。
【人生を明るくする「かきくけこ」】
か……感動
「なるほど」と感心、感激、感動する心を持ち続ける。
き……機嫌よく
意識して機嫌よく過ごすように努めるのが周囲への礼儀。
く……工夫して
同じことを繰り返さず、改善のための小さな工夫を。
け……健康
身体と心の健康が人生後半を充実して生きる基本。
こ……貢献・交流
新しい人と交流すると同時にできるだけ世話をし、貢献を。
ヒンズー教には人間の一生を「学生期(がくしょうき)」「家住期(かじゅうき)」「林住期(りんじゅうき)」「遊行期(ゆうぎょうき)」の4段階にわける「四住期」という考えがありますが、母を思うたびに、人生には5段階目があると感じさせられます。5段階目というのは、「心住期」。生きている人の心に住む時期です。肉体が滅びても、関わった人の中に生きる時期があると思うんです。現実には存在しなくても、生きている人の心の中に。
私が好きな言葉に、「愛語(あいご)」があります。「修証義(曹洞宗の経典のひとつ)」の言葉で、「優しい言葉をかける」という意味です。雄弁ではなくても、相手にとって役立つんじゃないか、力になるんじゃないかと考えて発された言葉というのは心に残ります。自分の都合で発した言葉は聞き流されてしまうかもしれませんが、本当に愛情に満ちた言葉というのは伝わるんですね。そうしたいい言葉を周囲に遺せる人は、いい「心住期」を過ごしていらっしゃるんじゃないかと思います。
夢を持っているかどうかが、何かあったとき、もうひと頑張りがきくかに大きく影響します。夢はなかなか実現しないものではありますが、夢にさえ描けないことは実現することはありません。
母についてよく思い出すのは、苦しいことがあった時に「人生、おあたえさま」と言って乗り越えていた姿です。「おあたえさま」は浄土真宗の言葉で、思うようにならないことも仏様のおはからい、与えられたものとして受け止めよ、という意味です。母は仏教徒でしたから、「仏様」ですが、「神様」でも同じだと思うんです。人生で起きることには人智を超えた大きな存在が影響している。だから、理不尽なことが起きても、腹を立てたり、悲しんだりするだけではなく、それを受け止めた上で、自分のベストを尽くしなさい。そうすれば、いつかはみんないい思い出になる。人生はサムシング・グレイトが与えてくれたもの。私は私なりに「おあたえさま」という言葉をそんなふうに翻訳して、心にしまっています。
重みのある言葉を知ることは、“自分磨き”の必須条件。
歳をとっても精一杯成長しようと生きるというのは大事。人間らしく生きるとはそういうこと。務めて礼儀正しく人に接するよう心がけていれば、おのずと周囲から一目置かれるようになります。自分で自分を褒めたい気持ちにもなれる。それが高齢者のたしなみ。私はそう思っています。
道元禅師の「今を切(せち)に生きる」という言葉を贈ります。「今を一生懸命生きる」という意味です。まさに、最近流行りの「マインドフルネス」ですよね。「今を切(せち)に生きる」というのは、時代を問わず大切なことだなと思います。
女性の品格とは、内面から滲み出るもの。そして、外面の魅力は、精神の美しさが作り上げます。古典の名言を知り、教養を身につけることは、メイクにまさる美容法なのです。
坂東眞理子。
1946年生まれ、富山県出身。
富山県立富山中部高等学校を経て、東京大学文学部心理学科卒業。
1969年に総理府採用。官房広報室配属。
1972年(昭和47年)青少年対策本部配属。
1975年総理府婦人問題担当室(男女共同参画室の前身)が発足した時、最年少の担当官として参加、1978年に日本初の「婦人白書」の執筆を担当した。
1980年よりハーバード大学へ留学。
統計局消費統計課長、埼玉県副知事、在豪州ブリスベン総領事(女性初の総領事)、総理府男女共同参画室長、内閣府男女共同参画局長等を経て2003年に退官。
2001年(平成13年)豪州クイーンズランド工科大学より名誉博士号を授与。
2003年(平成15年)学校法人昭和女子大学理事に就任。
2004年(平成16年)昭和女子大学女性文化研究所長および昭和女子大学大学院生活機構研究科生活機構学専攻教授に就任。
2005年(平成17年)昭和女子大学副学長(総務担当)に就任。
2006年9月『女性の品格』(PHP新書)を上梓。累計300万部を超えるベストセラーとなった。
2007年(平成19年)昭和女子大学学長に就任。
2008年(平成20年)社団法人農山漁村女性・生活活動支援協会会長に就任。
2016年 (平成28年) 学校法人昭和女子大学理事長。
2018年 (平成30年) 学校法人昭和女子大学総長。
2019年 (令和元年) 一般財団法人東京学校支援機構理事長に就任。