ダイアナ妃の「大切な」言葉たち
ダイアナ妃ではなく、ダイアナと呼んでください。
人生なんて、ひとつの旅にしか過ぎない。
息子たちには、人々の感情や不安、苦悩を理解して欲しいの。人々の希望や夢もね。
現代の社会に蔓延している最も深刻な病は、人々が愛されてないと感じていることよ。
助けを必要とする人々に手を差し伸べることは、私の人生の良い部分であり、大切な部分で、一種の運命のようなものよ
私は人々の心の中の王妃でありたいと思っていますが、この国の王妃であるとは思っていません。
私は自由な精神でいたいの。それを嫌う人もいるでしょうけれど、それが私なんですもの。
ダイアナ妃とは?(人生・生き方・性格など)
ウェールズ公妃ダイアナ(Diana, Princess of Wales、全名: ダイアナ・フランセス(Diana Frances)、旧姓: スペンサー(Spencer)、1961年7月1日 – 1997年8月31日)は、イギリスの第1位王位継承権者ウェールズ公チャールズの最初の妃。
羊商として財をなした名門貴族のひとつであるスペンサー伯爵家の令嬢として生誕。
姉にセーラ、ジェーンの2人、弟チャールズの4兄弟。
しかし、両親は離婚、親権は父親。
ダイアナ妃は大学に進学しておらず、全寮制私立校のリドルズワース・ホール学校が最終学歴。
留学生の受け入れも盛んな学校ながら伝統と格式のある学校で、昔ながらのイギリスの学校の趣を残しています。
創立は1946年、ノーフォークやサフォーク地域に住む良家の子女たちへの教育を行う学校。
ダイアナ妃は勉強よりスポーツに力を入れていたようで、身長が伸びすぎるまでは熱心にバレエのレッスンも行っていた。
卒業後はスイスのフィニッシングスクールに留学。
1977年6月のロイヤルアスコット開催(王室主催競馬)でダイアナの姉セーラがウェールズ公(皇太子)チャールズと恋仲になる。
皇太子はセーラの誘いを受けて11月にもスペンサー伯爵家の地所オルソープを訪問。
当時16歳のダイアナもウェスト・ヒース校の週末の休みでオルソープに滞在しており、狩猟場でチャールズ皇太子に紹介され、これが皇太子とダイアナの初めての出会い。
その後、姉のセーラはチャールズと別れる。
1979年、王室のサンドリンガム邸で開かれたパーティにダイアナらスペンサー伯爵家令嬢たちが招かれ、チャールズと再会。その後、しばしば皇太子から招待を受けるようになり、親しい友人になっていった。
1980年ワイト島の港街カウズでヨットレース「カウズ・ウィーク」が開催された際、ダイアナは王室船「ブリタニア号」に招待され皇太子とダイアナは初めてキス。
1981年2月チャールズ皇太子がウィンザー城でダイアナに求婚し、結婚。ダイアナ妃当時20歳。
1982年6月にケンブリッジ公ウィリアム王子(第2位王位継承権者)および1984年サセックス公ヘンリー王子(第6位王位継承権者)の2児をもうけた。
しかし後にチャールズ皇太子がカミラ氏と関係を持っていることが判明、別居状態になり、1996年に離婚。
1997年にパリで交通事故による不慮の死を遂げた。
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