皆さんは子供の頃に、「なぜ干支の中に猫がいないの?」と疑問に思ったことはありませんか?
干支と言えば、12種類の動物が思い浮かびますが、「猫年」というのはありません。
干支といえば、十二支と十干の組み合わせです。
十二支は、時刻・方角を示すのに使い、また十干と組み合わされ、年や日を示すのに使われていました。
あんなに可愛くてこんなに身近な猫がなぜ入っていないのか、気になったことはありませんか?
私達にとって馴染み深い動物なのに、干支の中に猫がいないなんておかしいですよね。
なぜ「猫年」は、存在しないのでしょうか?
干支に猫年がない理由、今でも不明?
日本で「猫年」が存在しない理由。
それは、神さまが干支を決める為に動物を集めたとき、猫がネズミに騙されて間に合わなかったから、と言う作り話があります。
この話は知っている人も多いと思いますが、あくまでも作り話で、本当の理由ではありません。
ただ、日本になぜ猫年がないのかは、はっきりとは分かっていません。
一説によれば、現在の干支になったのは、紀元後25年から始まった後漢(中国の王朝)の時代に、思想家であった王充が、それまで単なる数え方だった干支に、動物を当てはめたのが始まりだと言われています。
その際、残念ながら猫は当てはめられなかったようです。
しかし、日本以外で干支に猫年が入っている国も、あります。
そもそも、干支とは何か、についてみてみましょう。
そもそもの干支のなりたち
干支は、干と支の組み合わせで、干は十干(じっかん)。
支は十二支(じゅうにし)のことです。
十干とは、日(太陽の巡り)を数えるための数詞で、1ヶ月を上旬、中旬、下旬と十日ずつに分けて、その十日を単位にしたもので、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸から成り立っています。
十二支とは、十二年で天を一周する木星の軌道上の位置を示すための任意の数詞で、年、月、日を数えるのにも用いられるようになり、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥から成り立っています。
現代の日本では、干支というと十二支を指して使われることが多いですが、二つの要素が組み合わされたものだったのですね。
干支は、60をひとつの周期とする数詞で、この十干と十二支の組み合わせで、暦や時間、方位などを表すのに使用されます。
例えば、時間を表すのにも使われており、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午~」の「子」を時計の文字盤の6に当てはめると、「午」が12に来ます。
その為、「午前」「正午」「午後」と言うのだそうです。
ちなみに、60歳を迎えた人を祝う還暦という習わしがありますよね。
「還」という字からもイメージできますが、60年が経つと、暦(こよみ)が一周して生まれた年の干支にもう一度戻る、という意味があります。
もう一度生まれ変わって始まるという意味なんですね。
還暦のお祝いで、赤いちゃんちゃんこを着るのは、このためです。
60歳になって、もう一度赤ちゃんから新しく始めるという理由からなのです。
つまり、干支とは、暦、日にちや時間、方位などを表す数字をわかりやすくするもの、と言えるのかもしれませんね!
いつ干支ができた?
いつ干支ができたのかは、実際のところ、定かではありません。
ただ、紀元前17世紀頃から紀元前11世紀に中国の殷の時代の遺跡から発見された甲骨文に、十干と十二支を組み合わせて60を周期とする表があり、日にちを表すものとして使われていた様子が伺えます。
そして、紀元前217年に死んだとされる秦の官吏の墓から見つかった竹簡には、十二支に12種の動物が割り当てられているものが発見されたとのことです。
また、後漢の時代に王充という人によって書かれた論衡という文献に、干支の十二支に動物をあてはめたという記述があるともいうことです。
日本書紀には、西暦553年ごろに貿易をしていた百済から、中国歴(太陰太陽暦)が伝わっていたことがわかる記述があるそうです。
干支の十二支と動物が組み合わされた理由
十二支に対して動物が配置されるようになった理由としては、王朝が使う暦を様々な民衆にわからせて浸透させるために、周辺の未開地にいる民や字を読めない民にも覚えやすい動物名をあてはめたと考えられます。
まるで子どもたちに勉強を教える際に、わかりやすく絵で表現するように工夫した勉強法、とでも言えるのかもしれません。
正式な子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥という音に合わせて、似た読みをしたり、なじみが深かったりする動物を当てはめていったという理由なのです。
当てはめられた動物は、次のようになっています。
子(シ)=鼠(ね)
丑(チュウ)=牛(うし)
寅(イン)=虎(とら)
卯(ボウ)=兎(う)
辰(シン)=竜(たつ)
巳(シ)=蛇(み)
午(ゴ)=馬(うま)
未(ビ)=羊(ひつじ)
申(シン)=猿(さる)
酉(ユウ)=鶏(とり)
戌(ジュツ)=犬(いぬ)
亥(ガイ)=猪(い)
それぞれの動物の意味とは?
それぞれの動物に、干支の縁起の良い意味があります。
子=鼠
子供がすぐ増えるので、子孫繁栄の意味があり、行動力と財をなす象徴とされます。
丑=牛
牛は労働力として、また肉ともなることから、とても大切な存在であるという意味があり、誠実さと粘り強さの象徴です。
寅=虎
毛皮が美しいことから、決断力があることと英知の象徴です。
卯=兎
大人しいことから家内安全、跳ぶことから跳躍の意味があり、温厚と従順を象徴します。
辰=竜
中国では竜は権力者の象徴であり、正義感と信用の高さの意味があります。
巳=蛇
蛇は執念深いが助けてくれた人への恩も忘れないという意味があり、探究心と情熱の象徴です。
午=馬
人の役に立つ馬は大切にされてきました。陽気さの象徴です。
未=羊
羊の群れから家族の安泰を示し、長く平和に過ごせるという意味があり、穏やかさの象徴です。
申=猿
猿は山の賢者とされて、神の使いとも信じられていた意味があり、器用さや臨機応変さの象徴です。
酉=鶏
商売において縁起が良い生き物とされ、親切と世話好きの象徴です。
戌=犬
人との関係が長くて親しみ深く、従順で社会性がある犬は、努力家で勤勉であることの象徴です。
亥=猪
猪の肉を食べると病気が治るとされ、無病息災の意味があり、勇気の象徴です。
猫が干支に入れない理由3つの説
さて、いよいよ本題です。
なぜ、干支に猫がいないのでしょうか。
大きく分けて3つの説があります。
理由①ねずみに騙された説
昔々、森の動物達を集めてお釈迦様が言いました。
「1月1日の午前0時までにこの神社に集まった動物達の中から、最初に来た動物から12番目の動物までを干支にする!」と。
猫に干支の話を聞かれたねずみは、「1月2日」と嘘の日にちを猫に教えました。
そして、ズル賢いネズミは、足が遅い牛が大晦日の夜から出発することを知り、牛の背中にこっそりと乗って夜を過ごします。
牛は大晦日の夜から出発、1月1日牛が到着間近に、ねずみは牛の背中から飛び降り、牛より先に一番乗り。
その後、牛、虎、兎、竜、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪という順でお釈迦様のところに到着しました。
これで12番目まで揃ってしまいました。
猫は次の日にお釈迦様のところに来ましたが、時すでに遅しで、十二支には入れませんでした。
それ以来、猫とねずみは仲直りが出来ず、現在でも猫はねずみが大嫌いでいる、という逸話です。
理由②猫のせいでお釈迦様が亡くなってしまった説
そのほか、猫が十二支に入れてもらえなかった理由としては次のようなものがあります。
キノコを食べて体調を崩してしまったお釈迦様は、ねずみに「食中毒に効く薬があるので、とってきてほしい。」と命じました。
お釈迦様に頼まれた薬を取りに行った鼠は猫に食べられてしまいます。
そのため、それにより、病状が悪化したお釈迦様は亡くなってしましました。
それにより猫は干支にいないと言われている説です。
理由③干支が作られた頃に猫が知られていなかった説
猫が干支の仲間入りを果たすことが出来なかったのは、中国には昔、猫がいなかったからという説もあります。
猫がペットとして人間に飼われるようになったのは、約4000年前の古代エジプトの時代であると言われています。
猫は中東から中国にも広まっていったと言われていますが、それは紀元前200年ごろだとされています。
理由は、当時強大だった古代エジプトの象徴の猫は、他国で忌み嫌われてしまっていたからだとも言われています。
つまり、干支が出来た頃に、中国では猫が身近ではない動物だったから、という説もあります。
海外の干支の中に猫がいる!
私達日本の生活に馴染み深い干支ですが、日本や中国だけでなく、他の様々な国でも活用されています。
日本や中国では、干支の中に猫はいませんが、なんと、猫が干支になっている国もあるのです。
ベトナム・チベット・タイの干支
ベトナム・チベット・タイでは、卯(うさぎ)の干支には猫があてはめられています。
これは、卯の発音「Mao」が猫「Meo」に似ていることと、兎よりも猫の方が身近な生き物であったためだと考えられます。
猫好きの人は、ベトナムに行くと、猫年というものを経験できるということになりますね。
猫は、ベトナムでは農作物を食い荒らす鼠を退治してくれる、大切な生き物とされているそうです。
また、ベトナムにおいては、猫年生まれの人は思慮深く平和主義、損得勘定が得意、社交的、周囲の環境に適応できる、といった占いがあります。
猫以外にも、亥にあてはめられるのは、日本では猪ですが、ベトナム・チベット・タイでは豚になっています。
また、牛は水牛、未は山羊になっています。
面白いですね。
国が変われば、干支も変わるのですね。
ブルガリアの干支
ブルガリアでは、寅(日本では虎)が猫になっているとのことです。
虎と猫は同じ猫科ですから、動物としては近いと言えますね。
中国で十二支ができた時に猫がいなかったのは、猫が身近な生き物ではなかったからと言われています。
ブルガリアではなぜ寅年が猫年になったのかは、分かっていません。
以上です。
そもそも干支の不思議さを感じますね。
猫が干支にいない3つの説は、いずれも「昔話」の域を出ませんが、昔の人たちの思いを馳せることのできる、貴重なお話なのかもしれませんね。
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