「キッコーマン株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『茂木七郎右衛門』/沿革・歴史など~

「キッコーマン株式会社」の始まりと原点!~経営理念・企業理念/創業者・創立者『茂木七郎右衛門』/沿革・歴史など~

 

「キッコーマン株式会社」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)

 

 

 

「キッコーマン株式会社」のグループ経営理念

 

 

 

私たちキッコーマングループは、

1.「消費者本位」を基本理念とする

2.食文化の国際交流をすすめる

3.地球社会にとって存在意義のある企業をめざす

 

 

企業の存続と繁栄は、消費者の皆様にご満足いただいてはじめて実現するものであると考えております。

この認識のもとに当社グループは、消費者の皆様の声に耳を傾け、市場が求めるものが何かを洞察し、消費者の皆様にとって価値ある商品・サービスを提供してまいります。

また、食品メーカーの基本的使命は、高い品質の商品を効率的に、かつ安全で衛生的に作ることであると考えております。

商品の品質のみならず、容器・包装にも、すべての職場で細心の注意を払い、品質管理の重要性を認識し、万全の体制で臨んでおります。

そして、しょうゆを中心に日本の食文化を世界に発信していくことによって、食文化の交流を図り、さらには、各国の食文化との融合を実現していきたいと考えております。

国内においては、食文化の継承と発展に貢献していきたいと考えております。

さらに、事業活動を通じて社会に貢献するとともに、環境保全への取り組みや社会活動を積極的に行うなど、よき企業市民として行動していくことによって、社会との共生を図っていきたいと考えております。

以上のような取り組みを誠実に積み重ねていくことによって、世界中の人々から「キッコーマンがあってよかった」と思われるようになりたいと考えております。

 

 

 

 

 

「キッコーマン株式会社」のグローバルビジョン2030

 

 

目指す姿

 

(1)キッコーマンしょうゆをグローバル・スタンダードの調味料にする

 

北米市場において「キッコーマンしょうゆ」が日常生活に浸透しているような姿を、世界中で展開し、各国の食文化との融合を実現していく

 

 

(2)世界中で新しいおいしさを創造し、より豊かで健康的な食生活に貢献する

 

常に革新と差異化に挑戦することで、世界中の人々のおいしさや健康につながる価値ある商品・サービスを提供していく

 

 

(3)キッコーマンらしい活動を通じて、地球社会における存在意義をさらに高めていく

 

地球社会が抱える課題の解決に寄与することにより、世界中の人々からキッコーマンがあってよかったと思われる企業になる

 

 

 

 

 

「キッコーマン株式会社」の創業者・創立者『茂木七郎右衛門』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~

 

 

 

茂木七郎右衛門(キッコーマン創業者)

 

 

茂木七郎右衛門。

1661年(寛文元年)に上花輪村名主であった髙梨兵左衛門が醤油醸造を開始し、翌年(1662年) に茂木七左衞門が味噌製造を開始(茂木はその後1764年に醤油製造も手がける)。

 

茂木家には、大坂夏の陣で戦死した豊臣方の武将の未亡人が、関東に移って醤油づくりをはじめたという伝承が残されている。

野田は水運の要。鬼怒川、渡良瀬川などが利根川に集まり、新たに江戸川が開削されたことで、北関東の穀倉地帯から大豆・小麦が、江戸湾に面する行徳からは塩が運ばれてきた。

おりしも、江戸では空前の人口流入がはじまっており、野田は全国一の醤油生産地に発展していった。

1781年に高梨兵左衛門、櫛形屋茂木七左衛門、柏屋茂木七郎右衛門、亀屋飯田市郎兵衛、杉崎市郎兵衛、竹本五郎兵衛、大塚弥五兵衛の7家が後の野田醤油の基礎になる「野田醤油仲間」を結成した。

 

1800年代中頃には、髙梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が「幕府御用?油」の指定を受ける。

1887年(明治20年)に「野田醤油醸造組合」が結成された。

1917年(大正6年)には茂木一族と髙梨一族の8家合同による「野田醤油株式会社」が設立され、これが後にキッコーマン株式会社となった。

初代社長には、六代茂木七郎右衛門が就任。

 

『亀甲萬(キッコーマン)』は茂木佐平治家が使っていたもの。

1924年に新しく野田醤油醸造(株)を設立し、これに野田醤油(株)、姉妹会社の万上味淋(株)、朝鮮・仁川にあった日本醤油(株)を吸収合併させたうえ、翌年、社名変更して「野田醤油株式会社」として、株式公開。

 

設立と並行して第17工場が竣工、1927年には本店新社屋が落成、定年制、給与規定など諸制度を着々と整備していった。

茂木七郎右衛門は1929年、他界。

 

 

 

茂木七郎右衛門(キッコーマン創業者)の名言・考え方

 

時運ニ竿サスモノハ栄エ逆フモノハ亡ブ

 

(時運に上手く乗れたものは栄え、逆らったものは滅びる)

 

 

 

【中興の祖】茂木友三郎(キッコーマン十代目)

 

 

茂木友三郎。

1935年(昭和10年)生まれ。

 

1958年、慶應義塾大学法学部卒業、同年4月、野田醤油(現・キッコーマン)入社。

1961年、コロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクール経営学修士課程(MBA取得)卒業。

 

日本人第1号としてMBA(経営学修士)を取得。

1977年、キッコーマン醤油海外事業部長。

 

1979年、キッコーマン取締役。

1995年、キッコーマン代表取締役社長CEO。

 

同年4月、社団法人経済同友会副代表幹事。2001年、HOYA株式会社取締役。同年6月、東武鉄道監査役。2002年、日本経済団体連合会常任理事。同年6月、東京瓦斯(東京ガス)株式会社取締役。2003年、NTTドコモアドバイザリー・ボード・メンバー。同年6月、帝人株式会社取締役。2004年、キッコーマン代表取締役会長CEO。2005年、明治安田生命保険相互会社取締役。2008年、株式会社フジテレビジョン監査役。2009年、カルビー株式会社取締役。2011年、キッコーマン取締役名誉会長・取締役会議長。2014年、公益財団法人日本生産性本部会長。2016年、株式会社オリエンタルランド取締役。

 

 

 

【中興の祖】茂木友三郎(キッコーマン十代目)の名言・考え方

 

 

 

マーケティングのテクニックだけで技術のバックグラウンドがなければ、短期的にうまくいっても砂上の楼閣となるだけ。

 

 

 

 

セールスは現地の事情を一番よく知っている部門に任せるのが原則です。アメリカはアメリカ、ヨーロッパはヨーロッパ、アジアはアジアの現地法人に任せています。ただし、売上目標は管理しています。

 

 

 

かつて経営者はゼネラリストでなければならないといわれた時期があるが、現在のように地球規模の激しい競争が展開されている時代において、あちらこちらの分野について少しずつ知識や経験を持った人では全く役に立たない。企業グループや企業を経営するプロ、すなわち経営のプロでなければならない。

 

 

 

 

付加価値を高めることに逆行するのが極端な価格競争だ。

 

 

 

 

役員の多くが、混ぜ物は作らないという昔からの美学を持っていたんです。いわゆる『天下一品の文化』。しかし、醤油とつゆ・タレでは付加価値が違います。原科の醤油だけを供給していたのでは、生き残れません。そこで私は、調味料メーカーの下請けになるつもりはないと宣言、営業担当役員の反対を押しきって、つゆ・タレを出すことにしたんです。つゆ・タレのメーカーの何社かはうちから醤油を買わなくなりましたが、いちいち気にしていたのでは、こっちも商売が成り立ちません。

 

 

 

 

食と健康をグローバルに。これがキッコーマンの事業のコアであり、求心力となる理念です。しかし、これだけでは定義が広すぎますから、M&A(企業の買収・合併)の際には、メインのビジネスとのシナジーがあるかどうかを判断する必要があります。それは私の重要な仕事です。

 

 

 

 

子供たちは世界史を学びなさい。世界の中の日本を知ることでグローバルに活躍できる人材になれる。

 

 

 

日本人が海外で働くには困難がつきものです。その困難に向き合うと自然と挑戦的になります。その経験がキッコーマンには重要です。

 

 

 

優秀な社員がいたら、できれば10年ぐらい海外に行ってもらう。これを繰り返したことで、人材不足に悩んだことがありません。

 

 

 

グローバル化のためにアメリカに進出するといっても、アメリカに住む日本人や日系人を相手にするのではなく数億人のアメリカ人をターゲットにしないと意味は無い。

 

 

 

 

他社からスカウトされるような存在になれ。

 

 

 

重要なのは、顧客との間に『あの人が断るのなら仕方ない』と思われるような信頼関係を普段から構築しておくこと。お調子者では駄目だし、安請け合いも禁物だ。

 

 

 

顧客からの頼みごとを断る際、手紙を出すことで済まそうとするのは失礼だ。直接断りに行かなければならない。テクニックの問題ではない。誠実さが大切であることは、洋の東西を問わない。

 

 

 

 

企業の最も大きな体力は、付加価値を生む力。付加価値は、需要を創り出すことで高められる。理屈っぽい話になるが、経営学者のピーター・ドラッカー氏の金言に『企業の重要な役割の一つは、人々の持つ欲求を有効需要に変えること』がある。『こんなものがあったらいいな』と思うものがあれば、人は高い値段でも買う。そこに付加価値が出て、企業の力になる。この努力を続ければ、企業の体質になる。それには、技術もさることながら、最終的には技術を使う人が大事だ。

 

 

 

 

名を成すは毎(つね)に窮苦(きゅうく)の日に在り。事に敗(やぶ)るは多く得意の時に因(よ)る

 

 

 

立派な仕事はいつも困難な状況の中から生まれてくる。逆に、いい気になった時に往々にして失敗する。

 

 

 

 

 

苦しい時に諦めたり、自暴自棄になったりするのは簡単だろう。しかし、苦しい時こそチャンスであり、そこで徹底的に努力を重ねていけば成功への道が開けることを忘れないでいただきたい。

 

 

 

ひとつのことに対して、信念を持って努力することで道が開ける。

 

 

 

打つべき手を打てば、夜の後に必ず朝が来るもんなんです。夏は夜が遅くて朝が早い。冬は夜が早くて朝が遅いという違いはあるから、なかには長引く不況もあるでしょう。いずれにせよ、明けない夜はないのです。

 

 

 

 

 

 

 

「キッコーマン株式会社」の沿革・歴史(年表・社歴など)

 

 

 

1917
(大正6年)
野田醤油株式会社設立
万上味醂株式会社設立

 

1918
営業を開始
大阪に出張所を開設

 

1925
野田醤油醸造株式会社、万上味醂株式会社、日本醤油株式会社を合併
第17工場(現野田工場製造第1部)製品を初出荷
しょうゆ2Lびん発売

 

1927
(昭和2年)
商標をキッコーマンに統一(東京市場)
東京に出張所を開設

 

1929
イースト菌の国内製造開始、製パン技術の発展が始まる。

 

1930
びん詰工場(現野田工場製造第2部)作業開始
カレー粉普及、家庭でカレーが作れるようになる。

 

1931
関西工場(現高砂工場)を完成

 

 

1932
しょうゆ8L缶発売

 

 

1936
ソース発売

 

1939
御用醤油醸造所(御用蔵)を完成

 

 

 

1940
商標をキッコーマンに統一(全国)

 

 

 

1942
(財)野田産業科学研究所設立

 

 

1943
「さつまいもは大切な主食」という標語のもと、増産運動始まる。
食管法改正、やみ米に罰則。

 

 

1948
新式2号しょうゆ製造法の技術を公開

 

1949
株式を東京証券取引所に上場
しょうゆの輸出を再開
海外向けしょうゆポスター

 

 

1950
しょうゆの価格統制解除
しょうゆ自由販売を知らせる新聞広告
ステンレスの流し台登場。
アメリカン・ドーナツ売り出される。

 

1951
公営アパートにダイニングキッチン。
日本航空が初の機内食。

 

1952
栄養摂取量、2033kcalに好転。
ビタミンブーム、米にも炊飯用強化剤(バイオリッチR1号・2号)発売される。

 

1953
特選しょうゆ発売

 

1955
NK式たんぱく質原料処理法の技術を公開
しょうゆ1Lびん/贈答9L缶発売

 

 

1957
キッコーマン・インターナショナル社(KII)設立(サンフランシスコ)(現キッコーマン・セールス・USA社(KSU))

 

 

1958
しょうゆ18L缶発売
厚生省「栄養白書」4人に1人が栄養不足を警告。
レタス等の西洋野菜、家庭に普及。
初のインスタントラーメン「チキンラーメン」登場、爆発的な人気に。

 

1959
萬味発売

 

1960
都市サラリーマンの生活に洋風化定着、魚菜より肉乳卵。

 

1961
吉幸食品工業株式会社設立(現日本デルモンテ(株))
盛進製薬株式会社設立
株式を大阪証券取引所第1部に上場
テリヤキソースの輸出開始
しょうゆ卓上びん/めん類用まんみ(めんみ)発売
食品の自由化進む。

 

 

1962
利根飲料株式会社設立(現利根コカ・コーラボトリング(株))
勝沼洋酒株式会社設立(現マンズワイン(株))
とんかつソース発売
コカ・コーラの自動販売機が登場。
米の一人当たりの年間消費量、戦後最高の118.3kg、以降減少。

 

 

1963
日本カルパック株式会社に資本参加
デルモンテ・トマトジュース/デルモンテ・トマトケチャップ発売
文部省、義務教育児童すべてにミルク給食を実施。

 

 

1964
キッコーマン醤油株式会社に社名変更
中濃ソース/マンズワイン発売

 

1965
(昭和40年)
保健しょうゆ/しょうゆマンパック500ml発売
自然志向、健康志向高まる、トマトジュースの消費量拡大。

 

1966
ヒゲタ印製品の販売を受託
創立50周年記念式典
うすくちしょうゆ/生しょうゆ発売
テフロン加工の鍋、フライパン登場。
初の家庭用電子レンジ発売される。
価格は大卒初任給の4倍。

 

 

1967
レスリー・ソルト社(アメリカ)と提携、しょうゆの現地詰およびテリヤキソースの製造開始
立ち食いソバ屋が人気。
大豆たんぱくで作った人造肉、量産化へ。

 

 

1968
子供の人気メニュー、卵焼きからハンバーグへ。
初のレトルト食品「ボンカレー」販売される。

 

 

1969
ジャパン・フード・コーポレーションに経営参加(現JFCインターナショナル社)
しょうゆマンパック1L/マンズブランデー発売
生肉ブーム。
米の年間消費量、一人当たり97.1kgと初めて100kgを切る。

 

 

1970
(昭和45年)
太平洋貿易株式会社に経営参加
万国博に「水中レストラン」、「スナックキッコーマン」を出店
「キッコーマン・奥さま洋上大学」開講
「地方新聞とのタイアップによる「キッコーマン・奥さま大学」開講

 

 

1971
「キッコーマン・奥さま国際大学」開講
キッコーマンしょうゆギフト券発売
マクドナルド1号店、銀座にオープン。ファーストフードの流行へ。
「カップヌードル」発売される。
冷凍食品の生産急増。

 

 

1972
キッコーマン・フーズ社(KFI)設立(アメリカ・ウィスコンシン)
キッコーマン大都会ヨーロッパ社(KDE)設立(ドイツ・デュッセルドルフ)(1997年、JFCレストラン社に経営権を委譲)
デルモンテ・野菜ジュース発売

 

 

1973
「大都会」デュッセルドルフ店オープン
KFIウィスコンシンプラントグランドオープニング
「キッコーマン・ホームパーティ」開始
ドイツワイン(フランツ・リー社)発売
夕食の総菜を毎日宅配する「出前総菜」始まる。共稼ぎ世帯中心に人気。
一人当たりの砂糖の年間消費量29.3kgでピークを迎える。

 

 

1974
キッコーマン・レストラン株式会社設立
「ホームクッキング」創刊
コンビニエンスストア1号店オープン。
一人一日当たりのカロリー摂取量、2489kcalに。前年の2522kcalを下回る。

 

 

1975
(昭和50年)
「串コルザ」銀座数寄屋通り店オープン
キッコーマン提供のテレビ番組「くいしん坊!万才」スタート

 

 

1976
パフ玄発売
国民栄養調査結果は2188kcal。食事の中心は主食から副食中心の傾向も。
秋田県で、減塩キャンペーン開始
冷蔵庫の大型化時代突入。

 

 

1977
しょうゆ500mlにペット容器を採用(1978年、1Lもペット容器に)
クランベリードリンク発売

 

 

1978
「大都会」ミュンヘン店オープン
「大都会」ケルン店オープン
マンズワイン・ハーベスト/マイルドしょうゆ/A・ブラスケス社のシェリー/食塩無添加のデルモンテ・トマトジュース発売
全国的に外食チェーン大盛況。

 

 

1979
キッコーマン・トレーディング・ヨーロッパ社(KTE)設立(ドイツ・デュッセルドルフ)
オーゼキ・サンベニト社に資本参加
「キッコーマン工場見学会」開始
アメリカの高校生対象の「しょうゆを使った料理コンテスト」開催

 

1980
(昭和55年)
キッコーマン株式会社に社名変更
キッコーマン・クッキング・センター(KCC)オープン
「社名変更記念キッコーマン・奥さま大学」開講
トロピカルドリンクが発売され、トロピカルブーム。
塩分を減らした調味料、低アルコールのビールなど食のマイルドブーム。

 

 

1981
千葉ゼロックス販売株式会社設立
「大都会」ベルリン店オープン
「在日外国人によるしょうゆを使ったレシピコンテスト」開始
「東京ディズニーランド」のオフィシャルスポンサーに決定
栄養補助食品「ビヤング小麦胚芽油」/こいくちしょうゆミニパック5ml/デリシャスソース/ネオ玄米全国発売/御用蔵醤油地域限定発売/生しょうゆ(チルド)地域限定発売
食管法29年ぶりに改正、米穀通帳廃止。
厚生省の調査により「過食時代の栄養失調の子供が増大傾向」の警告。

 

 

 

1982
キッコーマン関西工場を高砂工場に名称変更
超特選さしみしょうゆ/減塩ソース/だしシリーズ/栄養補助食品「ビヤングC」/マンズワイン甲州新酒/マンジョウ料理酒発売

 

 

1983
東京ディズニーランド内「ポリネシアンテラス」と「プラザレストラン」に企業参加
キッコーマン・シンガポール社(KSP)設立(シンガポール)
ヌーベルキュイジーヌの旗手アラン・サンドランス氏来日(KCCで実演)
KFI創立10周年記念式典 第1回「日米食品流通シンポジウム」開催

 

 

1984
シンガポール工場(KSP)グランドオープニング
現代フランス料理の真髄アラン・シャペル氏来日(KCCで実演)
第2回「日米食品流通シンポジウム」開催(東京)
キッコーマンしょうゆのラベルデザイン一新
マンズワイン・マグナム/マンジョウ焼酎トライアングル/烏龍茶発売
ミネラルウォーターの生産量8万9000L。
焼酎ブーム。

 

 

1985
(昭和60年)
筑波科学博にレストラン「キッコーマン串コルザCoca-Cola」を開館
オレンジとカラタチの細胞融合で「オレタチ」誕生
映画「中国の食文化」(全5巻)完成
アメリカの高校生対象の「豆腐クッキングコンテスト」開催
しょうゆミニパックシリーズ/ぽん酢しょうゆ/オイスターソース蠣油醤/栄養補助食品「プロテインS」/万上麦焼酎・駒子/輸出用豆腐発売
少量パックの総菜、カット野菜の売行き急増。
台所用品にセラミックス製品出回る。

 

 

1986
生物科学研究所付属工場完成
映画「中国の食文化」の完成御礼試写会を北京で開催
鍋ものつゆ/豆板醤、棒々鶏/マンズ・カベルネ、シャルドネ、善光寺、甲州、古酒甲州/万上梅原酒・白加賀/デルモンテ100%ジュース発売
宅配ピザ開店。
一世帯当たりの消費量、魚より肉が初めて上回る。

 

 

1987
CI導入 スローガン「食の、あたらしい風」
社歌「あたらしい風よ」完成
千歳工場を完成
事業本部制導入
シュロス・シェーンボルンと提携

 

 

1988
蛍の光の酵素「ルシフェラーゼ」遺伝子組換えで量産化に成功
KFI創立15周年記念式典 第3回「日米食品流通シンポジウム」開催
だししょうゆ/丸大豆しょうゆ・本紫/高級ぽんずしょうゆ/マンズ・シャルドネ1986マセラシオン・リミテ発売
健康食ブームにより、ファミリーレストランで和食メニューが増える。

 

 

1989
(平成元年)
高砂工場で本みりん製造開始
バイオ植物「オレタチ」に実がなる

 

 

1990
デルモンテ加工食品の(アジア・オセアニア地域)商標使用権・販売権を永久取得
台湾で合弁会社「統萬股有限公司(PKI)」設立
デルモンテ事業本部が発足
キッコーマン・トレーディング・シンガポール社(KTS)設立(現デルモンテ・アジア社)
台湾製キッコーマンしょうゆの出荷スタート
デルモンテ・トマトクッキングシリーズ/特選丸大豆しょうゆ/マンズワイン・新ハーベスト発売
健康飲料ブーム。
ティラミスに人気。

 

 

1991
フランスのワイン製造販売会社アマン・ヴァン社に資本参加
日本デルモンテ(株)、省力型の新トマト品種開発
日本デルモンテ(株)、トマト病害用ワクチン開発
野田プラントに工場見学施設「もの知りしょうゆ館」設立

 

 

1992
「キッコーマン環境憲章」制定
デルモンテ・ブランド誕生100周年記念「食品流通セミナー」開催
ストレートざるそばつゆ、そうめんつゆ/デリシャス減塩ソース/特選丸大豆しょうゆギフト券発売
カロリーカット食品、もつ鍋が人気。

 

 

1993
(平成5年)
韓国ロッテ・チルサン社とデルモンテ製品技術供与契約
レストラン「祭」ロンドンにオープン
中野台プラント新製造ライン(NNP)完成
バイオケミカル事業本部発足(盛進製薬(株)合併)/(株)盛進設立
KFI創立20周年記念式典 第4回「日米食品流通シンポジウム」開催
2種類のしょうゆ卓上びんが通産省グッドデザイン商品に認定される
米の市場開放決まる。

 

 

1994
総武物流株式会社設立(総武通運(株)と野田物流サービス(株)を合併)
マンズワインボックス1.8L/ステーキしょうゆ3タイプ/フランスワイン・マンズ仏蘭西発売
カビ毒フモニシン測定用「フード・チェッカーフモニシン用」発売
発泡酒が発売される。

 

 

1995
プロダクト・マネジャー制導入
茂木啓三郎元会長遺稿集「照干一隅」刊行
KSP創立10周年記念式典
本つゆ/マンジョウ焼酎・御用/マンズ・ニューハーベスト発売
ルミテスターK-200/米麹糖化力測定キット発売
食品の「製造年月日表示」が「賞味期限表示」に移行する。

 

 

1996
キッコーマン・フーズ・ヨーロッパ社(KFE)設立(オランダ)
東京本社移転
映画「日本の食文化」(全5巻)完成 うち「おばんざい歳時記」が、日本紹介映画・ビデオコンクールで金賞を受賞

 

 

1997
野田プラント ISO-14001認証取得(食品業界取得第1号)
社会活動推進室が発足
「鉄板焼コルザ」銀座店オープン
キッコーマンホームページ開設
ヨーロッパ工場(KFE)グランドオープニング
創立80周年記念式典

1998
(平成10年)
JFCインターナショナル・ヨーロッパ社(JFC-EU)設立(ドイツ・デュッセルドルフ)
高砂工場 ISO-14001認証取得
KFE、KFIウィスコンシンプラント、KSP HACCP認証取得
KFI創立25周年記念式典 第5回「日米食品流通シンポジウム」開催
KFIカリフォルニアプラントグランドオープニング

1999
キッコーマン本社新社屋竣工
キッコーマン国際食文化研究センター開設
WEB受発注システムを開発
「日本の食文化フォーラム1999」開催(ニューヨーク)

 

 

2000
合弁会社「昆山統万微生物科技有限公司(K-PKI)」設立(中国)
キッコーマン株式会社八十年史発刊
KSP創立15周年記念式典
PKI創立10周年記念式典

 

 

2001
キッコーマン・トレーディング・アジア社(KTA)設立(シンガポール)
マンズワイン「品質主義」宣言
東京ディズニーシー内「レストラン櫻」に企業参加
「日本の食文化フォーラム2001」開催(オランダ)
ルシパックII/ルミテスターPD-10・ルシパックワイド発売
遺伝子組換え食品の表示制度スタート。

 

 

2002
中国合弁工場(K-PKI)グランドオープニング
「日本の食文化フォーラム2002」開催(ニューヨーク)

 

2003
(平成15年)
しょうゆ原料を「非遺伝子組換え大豆」に移行
KFI創立30周年記念式典 日米経済カンファレンス開催
KFIが日経優秀先端事業所賞「ものづくり特別賞」受賞
酒類販売が自由化される。/第3のビールが発売される。/食品安全基本法施行。

 

 

2004
ヒゲタ醤油(株)と資本提携
(株)紀文食品、(株)紀文フードケミファ、(株)紀文フレッシュシステムと資本業務提携
研究所開設100周年記念公開講座開催
第6回「日米食品流通シンポジウム」開催(米ウィスコンシン)

 

2005
サイアム・デルモンテ社(SDM)設立(タイ)
合弁会社カントリーライフ社設立(ニューヨーク州)
食育宣言を公表。食育スローガン「おいしい記憶をつくりたい。」
キッコーマン・シンガポールR&Dラボラトリー(KSL)設立
宝醤油(株)を連結子会社に
KSP創立20周年記念式典
PKI創立15周年記念式典

2006
主要事業所でのISO-14001認証取得を完了
(株)紀文フードケミファを連結子会社に
帝門食品(厦門)有限公司(DMX)設立(中国)
通信販売こだわり便開店
出前授業「キッコーマン・しょうゆ塾」本格開始
キッコーマン・グループ社会・環境報告書2006発行
SDMトラート工場グランドオープニング(タイ)

 

2007
合弁会社「傑夫西聖源宏(北京)商貿有限公司(JFC-BE)設立
わくわくしょうゆ体験コーナー「まめカフェ」開設(野田工場)
キッコーマン・ヨーロッパR&Dラボラトリー(KEL)設立
米国進出50周年プロジェクト(日米で展開)
第7回「日米食品流通シンポジウム」開催(サンフランシスコ)
KFE創立10周年記念式典

2008
(平成20年)
新コーポレートブランド導入(グローバルに展開)
キッコーマングループ「グローバルビジョン2020」策定
理研ビタミン(株)と資本業務提携
(株)紀文フードケミファ(現(株)フードケミファ)を完全子会社に
JFCオーストリア社(JFC-AT)設立
キッコーマン・USA R&Dラボラトリー(KUL)設立
アレジーリサーチグループ(ARG)を買収(米国)
合弁会社「統万珍極食品有限公司(PKZ)」設立(中国)
KFI創立35周年記念式典 日米経済カンファレンス開催
DMX厦門工場グランドオープニング(中国)
KFIカリフォルニアプラント10周年記念行事
新ロゴマーク

 

2009
持株会社制へ移行
キッコーマン食品株式会社新設分割
キッコーマン飲料株式会社新設分割
キッコーマンビジネスサービス株式会社新設分割
PKZグランドオープニング(中国)
KTE30周年記念式典

 

2010
飲料販売事業をキッコーマン飲料(株)へ集約
上海万国博日本産業館に展示ブースと料亭「紫 MURASAKI」を出展
キッコーマングループ社歌「おいしい記憶」、キッコーマンのうた「おいしいってなあに」完成
キッコーマン食品(株)野田工場 詰棟完成
JFCシンガポール社(JFC-SG)設立
KSP創立25周年記念式典
PKI創立20周年記念式典

 

2011
「トップ・アスリートのための就職支援プロジェクト」により、アスリート2名を採用
キッコーマンバイオケミファ(株)新設
(株)フードケミファがキッコーマンソイフーズ(株)に社名変更
キッコーマン「御用醤油醸造所(御用蔵)」移築完成

 

2012
KFE創立15周年記念式典
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科に、寄付講座「女性健康医学講座」を開設
出前授業に「キッコーマン豆乳講座」が登場
「豆乳レシピ」ワニブックスより発刊
「キッコーマン しあわせのおいしい食卓」ナツメ社より発刊
「トマトジュースレシピ」ワニブックスより発刊
キッコーマン総合病院 新病院竣工
当社社員 競泳の上田春佳選手がロンドンオリンピックにて銅メダル獲得(メドレーリレー)
毎日の献立づくりに役立つ「今日の献立」アプリ iPhoneにて提供開始
いつでも新鮮しぼりたて生しょうゆ200ml硬質ボトル 2012年度グッドデザイン賞を受賞

2013
KFI40周年記念イベント
「日米食品流通シンポジウム」
「日米経済カンファレンス」開催
キッコーマン新食品工場(埼玉キッコーマン)竣工
キッコーマンソイフーズ茨城工場竣工
マンズワイン勝沼ワイナリー醸造棟完成
「キッコーマン 昭和の味レシピ」幻冬舎より発刊
キッコーマン総合病院監修「はじめての節塩定食」ポプラ社より発刊
「豆乳レシピ2」ワニブックスより発刊
「和食っていいね!といわれたい」パネルディスカッション開催
アグリ事業に参入、野菜苗、生果トマト事業スタート

2014
「キッコーマン総合病院」創立100周年
キッコーマン総合病院監修のレシピ本 「おいしい血圧対策レシピ」主婦の友社より発刊
「流山白味淋200年祭」を開催

2015
「2015年ミラノ国際博覧会」日本館に協賛
日本を代表する9人の和食料理人とともに、ミラノで「食文化の国際交流」を実現
「豆乳シリーズ」パッケージリニューアル
減塩しょうゆ発売50周年「キッコーマン減塩しょうゆBOOK」をWEB公開
「キッコーマン いつでも新鮮 味わいリッチ減塩しょうゆ」が「第1回 JSH減塩食品アワード」で金賞を受賞
毎日の献立づくりに役立つ無料アプリ「今日の献立」Androidにて提供開始
KSP30周年記念式典、PKI創立25周年記念式典

2016
「醸造技術の革新による血圧降下ペプチド高含有醤油の開発」で 2016年度農芸化学技術賞を受賞
キッコーマン(株)、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会オフィシャルパートナー(ソース(しょうゆ含む)、酢、みりん、料理酒)に決定
全日本空手道連盟とスポンサー契約を締結
東京大学大学院 農学生命科学研究科に、キッコーマン寄付講座「醸造微生物学講座」が開設
ウェブサイトリニューアル

2017
「キッコーマン うちのごはん おそうざいの素」の新広告キャラクターに松本潤さんを起用
知財功労賞「特許庁長官表彰」を受賞
人気レシピサイト「ホームクッキング」1分レシピ動画を公開!
しょうゆの香りや味の特徴を「フレーバーホイール」として体系化!
キッコーマンの食育活動が「東京2020参画プログラム」に認証!
「キッコーマン いつでも新鮮 塩分ひかえめ丸大豆生しょうゆ」がJAXA「宇宙日本食(しょうゆ)」に認証!
キッコーマン創立100周年

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