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【本日のニュース・記事】
■英地方選 与党保守党大幅減 ジョンソン首相に痛手 北アイルランドではシン・フェインが第一党へ
Yahoo!ニュース 2022/5/8
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イギリスで統一地方選挙が行われ、与党・保守党が大きく議席を減らしました。
ジョンソン首相への党内での風当たりが強まることになります。
イギリスの統一地方選挙は7日までに結果がほぼ出そろい、ジョンソン首相の与党・保守党は490議席を減らす大敗を喫しました。
ロンドンで伝統的に保守党が強かった2つの区で労働党が勝利したほか、スコットランドでも保守党は60議席以上減らしました。
物価高への対応に対する不満に加え、首相官邸で新型コロナの規制を破り会食を行っていた問題が響いているとみられ、ジョンソン首相に対する党内からの風当たりは強まることになります。
また、北アイルランド議会選挙では、統一アイルランドを目指すシン・フェイン党が初めて第一党となる見通しが強まっています。
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英地方選 与党保守党大幅減 ジョンソン首相に痛手 北アイルランドではシン・フェインが第一党へ
Yahoo!ニュース 2022/5/8
https://news.yahoo.co.jp/articles/934a17975b730692ab292093ece71ff5dd0dae2f
本日は3つの記事をご紹介いたします。
2つ目の記事はこちらです。
■EU離脱で引き下がるほどバカじゃない。巧妙で残忍なイギリスのやり口
ライブドアニュース(2016年6月30日)
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・巧妙、そして残忍な二面性をもつイギリスのEU離脱が意味するものとは
イギリスが国民投票でEU(ヨーロッパ連合)からの離脱を決めたことは世界中にショックを与えた。
イギリスに近いアメリカでダウ平均株価指数が暴落したのは当然としても、日本でも日経平均が1000円以上安値になり、円は一時99円台をつけるなど、経済界に衝撃が走った。
現在の世界の経済は、三極(アメリカ、EU、東アジア(日本、中国、ASEAN諸国))がほぼ25%近いGDPを持ち、世界の経済を牽引しているし、EUは、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアがGDPで突出しているという現状を考えると、イギリスがEUを脱離する経済的な打撃は大きいと考えることができる。
しかし、常に国際政治は複雑であり、日本人が考える範囲を超えていることが多い。
しかもイギリスは一時、大英帝国という世界帝国を築いた国だ、そんなに簡単に「意外なこと」をするはずもない。
用意周到、常に陰謀と作戦の中にあり、「イギリス人は何を考えているか分からない」という国民だからである。
日本のマスコミ論調を見ると、相変わらず「良い子が誠実な言動をする」ということをもとに説明している人が多いが、そんなに単純ではない。
イギリスが世界に覇権を唱えだしたのは、イギリスの東インド会社が設立したときとして良いだろう。
それは西暦1600年のことだった。その後、イギリスはヨーロッパの小さな島国だったのに、西はカナダから、アフリカの約3分の1、インド、オーストラリア、東アジアなどを統治し、「七つの海」で「日の沈まない帝国」を築いたのである。
・うまく乗せられて大損をしたインドと日本
イギリスの統治は、「巧妙、残忍」の二つの面を持っていた。たとえばインドとの間では、香料や綿製品の貿易を行い、イギリスはインドから多くの製品を購入して「ポンド」で代金を支払った。
ちょうど、現在、日本が貿易でドルを決済に使っているように、その時その時の基軸通貨で貿易は決済される。
ところが、インドではポンドは使えないからインドは貿易で得た代金をロンドンの銀行に預けた。
そして数世紀を経てインドがイギリスの銀行からポンドを引き出したときには、何回かのポンドの切り下げによって「タダ同然」になっていたのである。
これは日本もそうで、戦後1ドル360円時代に日本人が必死になって働いて貿易黒字を出し、ドルを手にしてそれでアメリカの国債などを買った。
でも、ドルの価値が徐々に低下して、一時は1ドル80円までになった。
つまり、日本人が稼いだドルはその価値が4分の1になったのである。
アメリカはうまくやり、日本人はインド人と同じく割を食ったのだった。
今回のイギリスのEU離脱を、そんなイギリスの歴史と民族性から冷静、沈着に考えて見ると、日本で報道されるようなお花畑の解釈ではまた日本はただ働きを強いられるようになるだろう。
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■EU離脱で引き下がるほどバカじゃない。巧妙で残忍なイギリスのやり口
ライブドアニュース(2016年6月30日)
https://news.livedoor.com/article/detail/11706122/
最後、3つ目の記事はこちらです。
■日本人にはリアリズムの視点が欠けている
今、世界史と地政学を学ぶ理由
日経ビジネス(2016.5.12)
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世界にはずるいことをする国や、ダブルスタンダードで外国に接する国があることを世界史と地政学から学ぶ必要があるわけですね。
英国は第1次世界大戦の時、トルコ人が牛耳るオスマン帝国を内部から崩壊させるべくアラブ人をけしかける一方で、同帝国の支配地域をアラブ人の意向を無視して列強で分割する協定をフランスやロシアと結びました。
米国はイスラエルの核開発には目をつぶる一方で、イランや北朝鮮には厳しい態度を崩しません。
私は世界史と地政学を学ぶべき理由として、日本人は「大きな地図」を見る訓練ができていないことがあるのではと考えています。
「小さな地図」はちゃんと見ています。
しかし、大きな地図にはなかなか注意がいきません。
日露戦争が典型例です。
朝鮮半島の権益を巡って日本と帝政ロシアが対立しました。
日本人の頭の中には、日本とロシア、朝鮮半島、中国の一部からなる地図が思い浮かぶ。
これが小さい地図です。
一方、日露戦争は、南下政策を進めるロシアとこれを阻止しようとする英国とが演じるグレートゲームの一部をなすものでした。
英国は、クリミア戦争ではロシアと戦うオスマン帝国を支援、第2次アフガニスタン戦争ではロシアに支援されたアフガニスタンと対決。
日露戦争ではロシアと戦う日本を支援しました。
この「大きな地図」については、司馬遼太郎さんが書いた「坂の上の雲」も多くの紙幅を割いてはいません。
日本人は大きな地図を見られるように訓練する必要があるのではないでしょうか。
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■日本人にはリアリズムの視点が欠けている
日経ビジネス(2016.5.12)
https://business.nikkei.com/atcl/interview/15/238739/050900165/?P=1
【参考】歴史を知る6つのウィキペディア
■イギリスによるアメリカ大陸の植民地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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イギリスによるアメリカ大陸の植民地化は、アメリカ大陸の先住民にも多大な影響を及ぼしている。
イギリスは植民地化に際し、彼らを直接的には軍事力で、間接的にはその文化を混乱させ疫病を引き入れたことで、先住民の生態に劇的な変動をもたらした。
入植者と先住民との関係の中には、交易関係を結んだものもあるが紛争になったものも多く、多くの先住民社会は入植者に対抗する戦士集団を育て、長期間に亘って戦闘が続いたケースも珍しくない。
当時の先住民の野性的な戦闘スタイルは、入植者に対して破壊的な威力を見せる事もあったが、長期的に見れば、概して入植者側が最終的な勝利を収めている。
フランスと同様、先住民との交易はイギリスの植民地政策の重要な部分を占めていたが、植民地への人の移住と土地の開発には、それ以上に重点が置かれていた。
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イギリスによるアメリカ大陸の植民地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E9%99%B8%E3%81%AE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%8C%96
■オーストラリアの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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・植民地支配の本格化
18世紀後半に至ると、イギリスはこの地の開発を本格的に進めるようになる。その目的は、先住民の迫害を伴う資源獲得や囚人対策と言われている。
・侵略、植民地主義
イギリスでは、輸入される羊毛の過半をオーストラリア産のものが占めた。
牧羊に必要な土地は、未開の公有地を無断で開拓する、いわゆるスコッターの横行によってもたらされた。
総督府は居住地制限を実施したが効果はほとんどなく、現状を追認せざるを得なかった。
こうした開発は、アボリジナルとの間に流血の抗争を生んだ。
その一方で、入植者との混血も進んだ。タスマニア島では、アボリジナル女性トゥルガニニが1876年5月に死去したことをもって、「純血」のアボリジナルは絶滅したとされる。
・白豪主義
大英帝国によるオーストラリア大陸侵略・植民地支配以来、アボリジニへの迫害や人種差別政策が行われ続けてきたが、19世紀後半は、白人の優越を原則とする「白豪主義 (White Australia policy) 」が強化された時代でもあった。
その大きな要因はゴールド・ラッシュである。
上述の通り、中国人が金鉱採掘のため大量に流入し、競争相手たる白人採掘者との間に摩擦が生じた。
白人の反感は中国人の移住制限となって現れた。
対象はサトウキビ生産のため連れて来られたオセアニア諸国の人々(カナカ人)や真珠採取のための労働力となった日本人など、他の有色人種にも拡大し、大英帝国の一員であるはずのインド人にまで規制が加えられた。
その手段として用いられたのが、「ナタール方式(南アフリカのナタールで行われた方式)」と呼ばれる語学試験であった。
これは、担当官が読み上げるヨーロッパの言語による文章を移住希望者に書き取らせるというもので、これによって非欧米系の移住希望者は軒並み排除された。
他方で、イギリス本国やアイルランドからの移民は積極的に受容された。
こうした動きと並行して、法制の整備も進んだ。植民地政府は1855年、中国人がヴィクトリアに入国する際に課税をする移住制限を実施。
この動きは周辺の植民地にも拡大し、クイーンズランドでは1877年に「中国人移民制限法」が、ニュー・サウス・ウェールズでは1896年に「有色人種制限及び取締法」が制定された。
1901年に制定された連邦憲法の第51条には、移民を制限する権利や、有色人種を対象とする特別法を制定する権利を連邦が持つことが明記された。
これを根拠に「連邦移民制限法」が成り、有色人種の移住制限が全土に適用されることとなった。
こうしてオーストラリアは、世界で初めて人種差別を国是として法制化した連邦制をとり、その後1907年にイギリス連邦の一員としてのオーストラリア連邦(Commonwealth of Australia)なった。
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オーストラリアの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
■カナダの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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「カナダの起源は17世紀初めにフランス人がセントローレンス川流域に入植したのが始まりである。
1763年にイギリス領となり、フランス系住民と先住民がイギリス帝国の支配に組み込まれた。」
・前史
「カナダの先住民は4万年前の氷期にシベリアからベーリング海峡がまだ陸続きだった頃新大陸に渡ってきたインディアン(モンゴロイド)である。
インディアンの時代はカナダ史上、「ファースト・ネイションズ」(First Nations)と呼ばれる。
西暦1000年頃には北欧のヴァイキングがアイスランドからニューファンドランド島に到達し、さらに南下したが、ヴァイキングの居住地は永続しなかった。」
・ヌーベルフランス
「16世紀半ば、この地はフランス領となった。
1608年フランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランがセントローレンス川中流域に永続的なケベック植民地(現在のケベック・シティ)を創設した。
フランスの植民目的はインディアンとの毛皮交易の拠点を作ることで、ルイ13世の宰相リシュリュー枢機卿は1627年、ヌーベルフランス会社を設立し、植民地経営を会社に委ね、同時にカトリック教徒以外の者が植民地に入植することを禁止した。」
「1763年のパリ条約でフランスはカナダの植民地を放棄し、ケベックは正式に英領となった。
これ以後、イギリスはカナダ植民地と称するようになる(ただし、カナダの名称は仏領時代から存在した)」
・英領カナダ
「新たに英国の支配下に入ったフランス系住民は約65,000人に達し、すべてカトリックであった。」
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カナダの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
■ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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【コロンブス以後】
・疫病の蔓延と人口減少
16世紀のヨーロッパ人やアジア人は既に、牛、豚、羊、山羊、馬および様々な家禽といった家畜を飼い、住まいもそれらと近接しているという状態が長く続いていたが、アメリカ大陸ではそうではなかった。
1492年以降ヨーロッパ人が大挙してアメリカ大陸に押し寄せ、先住民族と接触するにつれて、先住民が経験したことのない、従って免疫性のない病原菌を持ち込むことになった。
天然痘(1518年、1521年、1525年、1558年、1589年)、チフス(1546年)、インフルエンザ(1558年)、ジフテリア(1614年)、およびはしか(1618年)といった疫病の大流行があり、先住民族人口のうち、1千万人ないし1億1200万人、95%ないし98%は減少したと考えられている。
この人口の減少に続いて文化的な混乱と政治的な崩壊が起こり、ヨーロッパ人による既存文明の征服と土地の植民地化が容易になったとされている。
(中略)
ヨーロッパ人と先住民族の抗争が原因で死亡した者の数も結論が出ていない。
歴史愛好家ウィリアム・M・オズボーンはその著書『荒野の辺境:ジェームズタウンからウンデッドニーまでのアメリカ・インディアン戦争における残虐行為』の中で、最初の接触(1511年)からフロンティアの消滅(1890年)まで、今日のアメリカ合衆国本土内で記録されたすべての「残虐行為」を集計し、先住民族による残虐行為での死者が9,156人、ヨーロッパ人による残虐行為での死者が7,193人とした。
オズボーンは残虐行為を市民、負傷者および捕虜に対する殺人、拷問あるいは人体切断として定義している。
(中略)
コロンブス航海の後1世紀半で、アメリカ大陸の先住民族人口は80%減じたと見積もられている(1492年の5千万人から1650年の8百万人)。
これは旧世界からの疫病の流行だけでなく、何度かの虐殺と強制労働によるものであった。
(中略)
・強制移民
ヨーロッパ諸国の移民が現れる前にも奴隷制は存在していた。
先住民族は他の種族を戦争で捕虜として捕らえ、奴隷化していた。
これら捕虜の中には、例えばアステカのような種族では人身御供とされる場合もあった。
スペインはカリブ海で現地の住民を奴隷化した。
疫病や強制労働および無作為な殺人によって先住民人口が減少するに連れて、大規模な奴隷貿易によって輸入されるアフリカ人に置き換えられていった。
18世紀までに、黒人奴隷の数が圧倒的になり、先住民の奴隷はほとんど見られなくなった。
奴隷船でアメリカ大陸に送られたアフリカ人は、その故郷の海岸に住む種族が捕まえて売り払った者達が多かった。
アフリカではヨーロッパ人が疫病に罹患する確率が高かったので、奴隷を捕まえる役割は現地の種族に限定された。
奴隷貿易の代価はラム酒、銃および弾薬が大きなものだった。
1810年頃までに30万ないし40万人の黒人奴隷がチャールストンやニューポートの港に届けられた。
カリブ海の諸島、ブラジル、メキシコおよびアメリカ合衆国に輸入された奴隷の総数は1000万人ないし2800万人と見積もられている。
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■ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E9%99%B8%E3%81%AE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%8C%96
■阿片戦争(アヘンせんそう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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・阿片戦争
阿片戦争(アヘンせんそう、中: 鴉片戰爭、第一次鴉片戰爭、英: First Opium War)は、清とイギリスの間で1840年から2年間にわたり行われた戦争である。
イギリスは、インドで製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利益を得ていた。
アヘン販売を禁止していた清は、アヘンの蔓延に対してその全面禁輸を断行し、イギリス商人の保有するアヘンを没収・処分したため、反発したイギリスとの間で戦争となった。
イギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、イギリスへの香港の割譲他、清にとって不平等条約となった。
なお、アロー戦争を第二次とみなして第一次アヘン戦争とも呼ばれる。
・戦争に至った経緯
イギリス東インド会社は1773年にベンガル阿片の専売権を獲得しており、ついで1797年にはその製造権も獲得しており、これ以降同社は中国への組織的な阿片売り込みを開始していた。
北京政府は阿片貿易を禁止していたが、地方の中国人アヘン商人が官憲を買収して取り締まりを免れつつ密貿易に応じたため、阿片貿易は拡大していく一方だった。
1823年には阿片がインド綿花に代わって中国向け輸出の最大の商品となっている。
広東貿易の枠外での阿片貿易の拡大は、広東貿易制度の崩壊につながることとなる。
・イギリスの対応・紛糾
1839年3月に広東に着任した林則徐による一連の阿片取り締まりがはじまると、エリオットはイギリス商人の所持する阿片の引き渡しの要求には応じたが、誓約書の提出は拒否し、5月24日には広東在住の全イギリス人を連れてマカオに退去した。
エリオットは、全ての自国商人に対し、清国当局へのアヘン禁絶誓約書の提出を禁じ続けていたが、林則徐ら清国側は、むしろ誓約書提出の上でアヘン以外の通常の商業活動を行うことを当初から勧奨しており、イギリス商人の中でもアヘンに関わっていない者にはエリオットへの不満が高まっていた。
・戦争勃発
1840年8月までに軍艦16隻、輸送船27隻、東インド会社所有の武装汽船4隻、陸軍兵士4,000人が中国に到着した。
首脳陣が交代したイギリス軍は、本国の方針により軍事行動を再開した。イギリス艦隊は廈門、舟山列島、寧波など揚子江以南の沿岸地域を次々と制圧していった。
・終戦後の推移
1842年8月29日、両国は南京条約に調印し、阿片戦争(第一次阿片戦争)は終結した。
阿片戦争以前、清国は広東(広州)、福建(厦門)、浙江(寧波)に海関を置き、外国との海上貿易の拠点として管理貿易(公行制度)を実施していた。
南京条約では公行制度(一部の貿易商による独占貿易)を廃止し自由貿易制に改め、従来の3港に福州、上海を加えた5港を自由貿易港と定めた。
加えて本条約ではイギリスへの多額の賠償金の支払と香港の割譲が定められた。
また、翌年の虎門寨追加条約では治外法権、関税自主権放棄、最恵国待遇条項承認などが定められた。
このイギリスと清国との不平等条約の他に、アメリカ合衆国との望厦条約、フランスとの黄埔条約などが結ばれている。
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■阿片戦争(アヘンせんそう)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89
■新植民地主義
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新植民地主義(しんしょくみんちしゅぎ、Neocolonialism)とは、ポストコロニアル批評において発展途上国の様態を形容する際用いられる用語。
かつての宗主国が築き上げた現存するあるいは過去の国際的な経済協定が、第二次世界大戦後に発生した脱植民地化を経てもなお、独立国に対しその支配を維持すべく利用されている(又はされていた)とする。
「新植民地主義」の語は今日における「現実の」植民地主義(国連決議に違反してまで外国の領土とその国民を統治する国家が存在する[1])及び旧植民地で展開されている資本主義的事業の双方を批判の射程に入れることが多い。
とりわけ多国籍企業が発展途上国の資源を搾取する構図を強調し、この経済支配が16世紀から20世紀にかけてのヨーロッパの植民地主義を髣髴とさせるとの批判がある。
広義では大国による小国への内政干渉(特に現代のラテンアメリカ)を指し、帝国主義時代の列強諸国にも似た大国の行動そのものが一種の「経済的帝国主義」と重なることを示唆する。
・経済支配としての新植民地主義
新植民地主義の責任は、広義では小国に内政干渉する大国や国際的な経済組織に向けられてきた。
この意味で、「新」植民地主義とは現代の経済的な帝国主義の一形態を含意する。
そこでは強国が列強諸国のごとく振る舞い、この振る舞いがポスト・コロニアル世界における植民地主義になぞらえられる。
新植民地主義勢力は直接的な軍事的政治的支配の代わりに、金や貿易政策を駆使して小国を支配していると言われ、この概念を理解する者は、小国に対する「事実上の」支配を見て取るであろう。
旧宗主国やその他経済大国はいずれも、かつての植民地とりわけ原料の供給地としての役割が期待される地域の経済に存在感を示し続けている。
それゆえ、大国はこうした原料の流通を維持し、自国及び多国籍企業を不当に儲けさせるよう、小国の統治機構なり経済への介入を行う度に批判を受けざるを得なくなる。
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新植民地主義
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
小さな島国、英国。
英国と言ったら、多くの日本国民はどのような印象を持っているでしょうか。
多くの日本人は好意的な印象を持っているかと思います。
映画やアニメなどが好きな方は、英国と言えば「Mr.Bean(ミスタービーン)」や「ひつじのショーン」などを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。
無声映画、無声アニメで言語が異なっても笑える、全世界的作品ではないでしょうか。
いずれも風刺的な要素もあって、個人的にも非常に大好きな作品です。
ただ。
「Mr.Bean(ミスタービーン)」や「ひつじのショーン」の作風とは全く異なった英国の歴史があることはご存知でしょうか。
英国の歴史は、他国植民地政策の歴史と言っても過言ではありませんでした。
米国も植民地でした。
インディアンなどの原住民から土地を奪い、白人社会を作り上げています。
米国の他、カナダやオーストラリア、ニュージーランドなどもそうです。
インドも植民地化した過去もあり、アヘン戦争では中国の一部、香港を植民地化しています。
英国はいずれの国も武力を以て、その地域に住んでいた原住民から主導権を奪い、その土地に白人社会を作り上げてきました。
1776年7月、米国は英国から独立戦争を経て独立宣言したのはご存知の通りです。
ところが。
独立宣言には先住民であるインディアンと、奴隷としてアフリカから連れてこられていた黒人の人権は認められておらず、黒人奴隷も依然として残されていました。
表面的には米国の独立が掲げられていましたが、英国植民地支配の影響力は完全には解消されていなかったとも言えるかもしれません。
米国は英国の子分のような関係を続けてきたとも言えそうです。
そして、現代。
今も、英国と米国の関係性は、非常に結びつきが強いままとも言えます。
ロシアとウクライナの紛争に関しても、英国と米国は歩調を同じくしています。
むしろ、英国が前のめりとなっているようにも見えます。
政治的・軍事的同盟、NATO(北大西洋条約機構)をも動かし、ロシアとの全面戦争に突き進んでいる、その主導的役割を英国が行っているようにも見えます。
なぜ、英国は、それほど戦争に前のめりなのか。
なぜ、危険な方向に多くに国々を巻き込もうとしているのか。
そのモチベーションの背景に、何があるのか。
不思議と思っている日本人も多くいるのではないでしょうか。
その答えは、英国の歴史が物語っているとも言えます。
そして今も。
英国の植民地政策は、現代の経済支配という姿に変えて、以前その本質は残っているとも言えそうです。
そして、現代における大きな問題は。
武力による時代から、経済支配への時代に移行したとも言えるのではないでしょうか。
いわゆる、新植民地主義。
経済的な強者が、資本主義という分野で強大な影響力を持ち始めています。
その強力な支配力の筆頭として暗躍しているのが、米英巨大ファンド(国際金融資本)かもしれません。
資本主義を導入している国々への圧倒的資金力で、大きな発言権を持ち始めています。
米英石油メジャーを中心とした石油資本も、そして米英の巨大投資ファンドも、米英の歩調は同じ方向を向いて、世界の金融市場で世界覇権を狙っているかのような動きも見受けられます。
時には、企業の株式を大量保有し、企業の意思決定に大きな影響力を持って・・・。
時には、為替を動かすにまで巨大化した資本力で、石油為替価格の動向にも大きな影響力を持って・・・。
時には、一国の通貨価格に多大な影響を持って・・・。
超巨大資本を操ることで、資本主義という名の、他国支配を進める可能性をも秘めていると言える状況になっているのではないでしょうか。
そして。
この対象として、日本も無関係ではないと言えるかもしれません。
巨大な米英の国際金融資本は、日本の株式市場、通貨為替市場にも多大な影響力を持っています。
今の円安も、日本の国益とは逆とも言える状況。
日本の円売りで巨額の収益を稼いだ巨大米英ファンドもあると言われています。
悪い円安。
日本メーカーの多くは海外工場で生産する形態が恒常化しています。
今や円安は、日本に住む日本国民はデメリットしかないとも言えます。
円安で石油や資源、あらゆる部品や商品、素材等輸入品が軒並み値上がり。
結果、ガソリン代、食品や生活必需品、電気料金等、あらゆる分野で値上がりしてます。
円安が加速している背景には日銀の異次元緩和、米英巨大ファンド(国際金融資本)の円売りなども少なからず影響があります。
安倍元総理と関係性が深い日銀の黒田総裁。
その日銀の意思決定によって、米英巨大国際金融資本に巨額の収益につながっていると言われています。
日本の政治、日銀、そして日本の経済界、その全てに関係性が強いのが、米英を中心とした巨大国際金融資本と言えるのではないでしょうか。
コロナ過で巨額に膨らんだ、国際金融資本。
「見えざる手」とした株式市場や為替市場に「意思」をもたらしているとも言えるかもしれません。
その「意思」は、日本を良くしようと思っているのでしょうか。
それとも・・・。
現在の日本の与党は、この国際金融資本との結びつきが強いと言われています。
多くの日本の政治決定にも多大な影響力を持っているとも言われています。
このまま、国際金融資本との結びつきが強い与党が政権を維持し続けたら、今の日本経済の下落が、まださらに続くという可能性もあります。
日本の経済的独立を目指すのか。
日本の経済支配を許してしまうのか。
英国の歴史は、植民地と奴隷制度という歴史が色濃くありました。
もし、今でも、その思想が残っていたとしたら。
日本も大きなリスクがあると言えるかもしれません。
7月10日には、日本の政治を決定づける参議院議員選挙があります。
政治は、経済を劇的に変える力があります。
つまり、私たちの生活は、私たちの日本経済は、「政治」が大きなカギを握っています。
日銀政策、一律給付金等々、やはり今の政治を変えることが最大の近道とも言えるのではないでしょうか。
大事なのは、日本の富を、日本国内に還流させるための政治。
所得が下がり続け、税金と物価が上がり続ける、このままの日本でいいのか。
それとも、新たな日本を目指すのか。
この先3年、5年を決定づける選挙。
今のまま破壊される日本を選択するのか、それとも新しい道を選ぶのか。
今、日本の未来は、私たち一人一人の強い決断が求められています。
【参考】
■人種的差別撤廃提案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、日本が主張した、「国際連盟規約」中に人種差別の撤廃を明記するべきという提案を指す。この提案に当時のアメリカ合衆国大統領だったウッドロウ・ウィルソンは反対で事が重要なだけに全員一致で無ければ可決されないと言って否決した。国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。」
「イギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアの計5名の委員が反対」
■人種的差別撤廃を国際会議で初めて提案したのは日本だった
「反対はアメリカ、イギリス、ブラジル、ポーランド、ルーマニアであった」
議長だったアメリカのウィルソン大統領が、こう述べる「全会一致でないので、本修正案は否決された」
渡部昇一 上智大学名誉教授
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