株式会社ドリコム創業者、内藤裕紀:自分を過大評価していたということとは?

株式会社ドリコム創業者、内藤裕紀:自分を過大評価していたということとは?

自分を過大評価していたということとは?

 

内藤裕紀/ドリコム創業者

 

 

当時の僕は「教科書通りのことをしなかったから成功した」と勘違いしていました。

つまり自分を過大評価していたということです。

 

そのため、まずは自分の苦手分野やできないことを把握することから始めました。

役員以外のメンバー3人を集めて「実行は僕がするから、一番シンドイ立て直しプランをつくってほしい」とお願いしました。

 

敢えてシンドくしたのは、それが一番良い結果に繋がると思ったからです。

あとは、毎週金曜日に社員を集めて質疑応答タイムというのを設けて、そこでの厳しい質問にきちんと向き合って全ての質問に答える、ということを行っていました。

 

これは参加者が一人もいなくなるまで半年は続けましたね。

同時に簿記の勉強を始め、費用の見直しも徹底的に行いました。

 

黒字回復は、ウルトラCではなく、減らせる部分を減らし伸ばせる部分を伸ばすという、実に真っ当な方法をとりました。

僕は、ブルーハーツの『少年の詩』という曲のなかにある「どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと」というフレーズが大好きなんですが、よく「どうにもならない」って言いますけど、必ず「どうにかなる」。

 

ただその結果が自分にとって、worstなのかworthなのか、bestなのかbetterなのか、少しでも納得できるものにするために頑張るだけなんだと思います。

「どうにもならないことはない」というスタート地点に立てば、一歩でも良くするために一歩分頑張る、それだけのこと。

 

この2007年危機の話でウルトラCの技を聞かれることが多いんですが、地道に基本をやっただけなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内藤裕紀(ドリコム創業者)とは?

 

 

内藤裕紀。

1978年生まれ、東京都出身。

 

1997年に海城高等学校を卒業後、京都大学経済学部に進学。

同学在学中の2000年に京都の大学生を中心とした学生団体ドリコムを設立。

 

2001年に日本初となるブログサービス「マイプロフィール」を提供する有限会社ドリコムを設立し、代表取締役に就任。

2003年に同社を株式会社化し、代表取締役社長に就任。

 

2006年2月に同社は東証マザーズへの上場し、同市場最年少上場企業経営者として脚光を浴びる。

ソーシャルゲームやインターネット広告など、インターネット領域でのサービス開発・提供に携わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

内藤裕紀(ドリコム創業者)の「コトバ」

 

 

 

中学生の頃は部活ばかりしていました。東京の田舎にある普通の公立中学校に通っていて、窓ガラスが割れていたり校内をバイクで入ってくる人がいたりと古き良き不良の学校でした(笑)。僕は陸上部だったんですけど、地区で1番になり勉強も学年1位でした。勉強もスポーツも万能だったので自分の中では中学の頃が一番輝いていたかもしれません(笑)。中学の頃の「やったら結果が出る」という経験が、いつも自分のどこかで支えになっています。陸上部で最初のうちはみんな校舎を5周走る間に僕は4周しか走れないくらい遅かった。それでも、土日や朝練習をしていくうちに1番になりました。だから、大学受験にしても起業にしても「やれば何とかなるもの」。という思いがありましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強への意欲がわかず、部活動も辞めた私のエネルギーは、本当は禁止されていたアルバイトに向かいました。普通の家庭でしたので、遊ぶ金は自分で稼がなくてはならなかったし、祖父が2人とも事業をやっていたので、商売人のDNAのようなものもあったと思います。高校1年の夏から、親にも学校にも内緒でいろいろなバイトを始めました。ビラ配りから、郵便物をポストに投函するポストイン、引っ越し作業の手伝い、海水浴場のライフガード、プールの監視員、ウエイター、いろいろやりすぎてもう覚えていません。バイト情報誌で面白そうなバイトを見つけては応募していましたが、断られたバイトも結構あります。例えば、東京ディズニーランドは、清楚じゃないという理由で、面接で落とされました。一応、学校にはちゃんと行き、バイトはもっぱら放課後と土日。1カ月10万円くらい、多い月は十数万円くらい稼いでいました。お金を稼げる以外に、バイトしてよかったなと思うのは、社会体験ができたことです。現場では必ず自分が一番年下なので、社員の方やバイトの先輩から、いつも厳しく指導してもらいました。ライフガードのような人命にかかわる仕事は、特に厳しかった。でも、高校生のうちから世の中や仕事の厳しさを肌で学べたことは、貴重な経験でした。後に、大学在学中に起業する際にも、とても役立ちました。また、年齢の違う人や様々な業界で働いている社会人の人たちと知り合う機会というのは、学校で勉強をしているだけでは、なかなか得られません。バイトを通じて世界が広がったと思います。

 

 

 

 

 

 

子供の頃から「発明家になりたい」という思いがあったので、その道に進むためにはどうすればいいのか?をずっと考えていました。そのヒントとなる情報を日経新聞や経済シンポジウムなどから得ていたんです。そこでベンチャーというものがあることを知り、モノを作って世の中に出して行くことが出来る手段になるんだと分かりました。この事実を知って、発明家としての道をベンチャーで成し遂げようと決めて起業しようと思ったんです。ある日、自分の中で発明家とノーベル賞は何か近いなという安易な発想があり、東大よりもノーベル賞を輩出していた京大に興味を抱きました。東京に住んでいるのにわざわざ京大行く人は少ないですよね。あとは、親父が大阪出身だったので「東大より京大の方が偉い!!」みたいな関西人によくある教えを聞かされていました(笑)。そんなこともあり、京大行ってベンチャー立ち上げて起業しようと計画したんです。

 

 

 

 

 

 

 

高校生の頃から事業を起こしたいと思っていました。東京出身で高校も東京だったのですが、京大はノーベル賞受賞者も多いし、起業するなら良さそうだとよく調べずに経済学部に入学したんです。でも、授業を受けてみると、マルクス経済学がどうだこうだとかで、これじゃ起業の役には立たないな、と。結局、最初の試験を受けたくらいで受講をやめて、あとは起業の準備を続けていました。

 

 

 

 

 

インターネットに触れたのも大学に入ってからでした。当時はまだダイヤルアップ接続で、画像が1枚表示されるのに何分もかかった時代。でも、「これは世界が変わるな」と可能性を感じて、インターネットに傾倒していくようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

当時は「Windows 95」が広まりつつあったので、「パソコンを習いたい人はたくさんいるのではないか?」と思い、パソコンを教える家庭教師のサービスを始めました。先生をネットで募集して、毎日ビラをポスティングしまくって、京都市内全部配ったと言えるくらい配ったのですが、1件もクライアントは見つかりません。計画を立てても現実には全く違うことが起こる。机の上では何も分からないと気付きました。使ってくれるユーザーが何を求めていて、その求めているものを少しでも越えているものを提供できているかどうかは実際にユーザーからの声がないと分かりません。ここから「やってみないと分からない」ということを学びました。たとえば、気になるソーシャルゲームや、自社の新しくゲームをリリースした時にはまずはそのゲームをランキングトップに入るまで徹底してやり込みます。提供者側の目線では何も分かりません。そして分からないものに対して判断はつきません。「誰よりも自分がまず知る」ことが大切です。

 

 

 

 

 

 

 

社長は一般的には歌手とか芸能人に近いのではないかと思います。学歴も関係ないですし、自分の腕一本で頑張らないといけない。みなさんは社長がどの大学を卒業してから起業したのかどうかなんて全く気にしてないと思うんですよ。その人の能力や中身に注目しますよね。大事なのは何ができるか、ということだと思います。学生の頃に起業するメリットは普通に就活したら外資系やコンサルに行くような優秀な仲間と一緒に始められることです。優秀な人ほど、起業や事業に興味を持ち、集まってきやすい。社会人になってそういう人を集めるのは相当難しい。ただ、社会で経験したことがないメンバーばかりが集まるので、NDAや契約書など、社会では当たり前に発生することの進め方が分からない。それはデメリットでもありますよね。学生のうちに起業するメリットは、優秀な人材を簡単に集められる事だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

僕らの頃はそこまで情報がなかったので本当に手探りで人に聞きながら起業していました。しかし今はいろんな起業の情報が溢れているので教科書っぽく堅実にやられている方々が多いとは思いますね。逆に言うと変な奴が少ない。「知的ヘンタイ」が世の中を変えると思っているので、そういう人に魅力を感じます。初めて人に話す際に「おかしい」とか「流行るはずがない」とか言われるものこそが世の中を変えるサービスだと思います。出来る限り「知的ヘンタイ」であり続けたいと思ってます。新しいサービスを提案する際に評判が良いと自信なくしちゃうんですよ。一方、「何言っているか分からない」と言われたら「いけるかも」と思います。ソーシャルゲーム事業を始める際も「何言っているか分からん」と言われたんですが、1、2年後に「あの時の意味が分かった」と言ってもらえました。ドリコムで最初に成功したブログサービスの立ち上げの際にも「日記と何が違うか分からん」と言われて大反対されました。いつも世間からズレたことをしているんですけど、それが面白いと思っています。「発明家として面白いモノを世の中に出したい」という思いがあるので、既に市場で認知されていることを自らやる面白さを感じないんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

浮き沈みを平準化させるためにポートフォリオを重視しています。どういうタイトルを何本持ち、毎年どれくらいのペースで新しいゲームをリリースしていくのかを考える。その上で長くユーザーに愛され、遊んでいただけるタイトルを作らなければなりません

 

 

 

 

 

 

1つの事柄だけ見ていても何も分かりません。一見全く関係ないように見えるものが実は裏で繋がっているんです。その根底に流れているトレンドを読み解いて掴むことが非常に重要だと思います。ソーシャルラーニングという事業を2年前くらいから始めました。当時はソーシャルゲーム全盛期でしたが、僕は別事象を見ていました。まずは、何でソーシャルゲームが流行っているのか。毎日同じゲームになぜ熱中し続けているのか。そこから疑問を持っていたんです。ある日ゲーム屋さんに行った時に、店頭に並べられているソフトを見てみると、有名新作ゲームと同じ面積を資格とかの勉強系のゲームが占めているのを発見したんです。そのバランスに違和感を感じて調べてみると、DSのゲーム売り上げトップ50の4分の1が教育系のゲームでした。しかし、これはWiiとかPSではなくDSだけの現象だったんです。また当時スマホが出始めていて、アプリのランキングを調べると上位に写真とか教育系のアプリが入っていました。ガラケーの頃には教育系なんて少しもなかったのに。DSとスマホに共通しているのは持ち運べてディスプレイのサイズが一定以上の大きさがあることです。ガラケーだとサイズが足りなかった。それと単純なアクションのソーシャルゲームにみんながハマっていたのは、競争と協力の関係があったからではないか。そう考えたら単純にやりたくない勉強も競争と協力によってモチベーションが維持される可能性がある。このように事象を共通化していき、スマートフォンで教育の産業は伸びるだろうと思ったんです。現に最近だと教育×スマホのベンチャーもたくさん生まれてきていますし。

 

 

 

 

 

 

 

 

一貫しているのは「多くの人の期待を超えたサービスを提供するためにチャレンジし続ける」こと。ソーシャルゲームの世界では、開発予算が億単位で年々大きくなっていて、冒険がしにくくなり、既にヒットしたゲームのモデルを採用して新しいゲーム開発をする、という会社が増えています。ですが弊社は、新しいユーザー体験の提供に向けてチャレンジをすることがミッション。ただこれだけ聞けば楽しそうでカッコイイ話ですが、これが生半可でなく大変なんです。すでにヒットしているものの応用なら、出口の明かりを見ながら真っ暗なトンネルを走るようなもの。でも新しい商品開発は、本当に出口が見えない真っ暗闇を走るんです。商品として完成する数週間前になっても、面白いかどうかが分からないことも多い。そんな不確定なものに情熱を注ぎ、時間を使ってつくり続けることは精神的な強靭さが要求されます。僕なんて寝る直前になってから「いや、あれはこうした方が面白い!」と思いつき、翌日社員に話したら不評…ということがしょっちゅうです(笑)。弊社では「何が新しいサービスか」「何が新しいユーザー体験なのか」を常に問われている、これが隅々まで浸透している文化かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

スキルよりカルチャー、価値観が合っているかどうかを重視している。

 

 

 

 

 

 

 

 

一緒に働くのはスキルよりも価値観が大切。新しいことを生み出す苦しみをワクワクに変え、自らの成長機会へと変えていける人が向いていると思います。あと「真摯かどうか」も大事ですね。たとえると、「借りは10倍にして返せ」みたいな世界が僕は大好きなので、どんな小さなことでも真摯に誠実に行動できる人がほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

ソーシャルゲームのノウハウを応用して、継続できる勉強の仕組みをつくれないかと始めたのが教育事業です。現在、弊社のアプリで3万人以上の人が誰に強制されることもなく、平均40分毎日勉強している実績がありますが、これまでの教育業界からするとこれは驚異的な数字のようです。正答率何%の問題が最もモチベーションアップにつながるのかといった統計学的視点、それに「友だち」と一緒に励まし合いながら学べる環境、それらを整えることで継続した学びが実現したと思っています。多くの人々が無料で利用できるソーシャルの仕組みを活かしていることもポイントですね。豊かな日本でも公立高校無償化にしただけで進学する人が増えたということは、世界ではもっと“費用と教育の機会”が大きな問題になっているはず。学びの仕組みを提供できれば、プラットフォーム上にのせるものは自由だと僕は考えています。弊社が提供するアプリ「えいぽんたん!」は、現在アルクさんの英単語をのせていますが、続けられる仕組みさえあれば英語以外の言語や、グローバル展開も可能です。

 

 

 

 

 

 

黒字になった翌年、次の急成長につながる新しい取り組みとしてソーシャルゲームへの参入を決めました。当時日本には「ソーシャル」という言葉もなく、Facebookがアメリカで3番手くらいのSNSだった頃です。「友人同士のやり取りにゲーム性を持たせたものをケータイ上でできないか」という提案を役員会でしたところ、「何を言っているかさっぱり分からない」と言われましてね。でもそう言われたからこそ「これはいけるんじゃないか」と感じて投資を始めたんです。だって「さっぱり分からない」ことというのは考え直してみれば、「新しいユーザー体験」になるかもしれないことですから。もちろん怖かったですよ。ただ、2007年は弊社にとって経営スタイルの大きな転機でした。僕はビジネスというのは、いけると思ったタイミングでオールインすることも重要だと考えていて、実は2013年にブラウザからアプリへゲーム市場が移行することを先読みして、2012年にいくらか張ったこともあります。これは弊社が戻ってこられるギリギリのラインでオールインできた例ですけどね。場にいくら残せば、もう一度リングに立てるか。身の丈を学べたこの経験は非常に大きなものだったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

センスがないのであれば、人よりも量をこなさなければなりません。量をこなしていくと次第に効率良くできる方法が分かってくるようになります。そしてやり続けることで結果がついてくる。そんなサイクルを大切にしています。

 

 

 

 

 

 

 

学生起業家が増えたり減ったりするタイミングがあります。就活が氷河期かそうじゃないかが1つ要因としてあります。就職活動が売り手市場の時はみんな良い企業に入れるので学生起業家の数は減ります。やはり社会情勢は大きいと思います。デバイスが変わる時もあります。PCから携帯、携帯からスマホに移行する際には地殻変動が起きてチャンスが増えるので、「俺でも出来るんじゃないか?」と思う人が出てきて学生起業家は増えます。また、学生で起業して最年少上場するような人が出てくる時は学生起業家が増えますね。みんなが分かるヒーローが生まれることが1つ鍵ではないでしょうか。アメリカでは起業家はヒーローなんです。だから起業家が多い。

 

 

 

 

 

 

起業しても最初はうまくいかないことが多いものです。でも仮にうまくいかなかったとしても、日本ではそれが原因で死ぬなんてことはないし、恐らく生活だってできるでしょう。僕は大学のときに起業しましたが、もし失敗して普通に就職活動をしていたとしても「大学時代に起業したけど失敗しました」という話は、何のマイナスにもならないですよね。それは転職でも同じ。自分にとって「この失敗だけは許容できない」ということを認識せずに、やみくもに「失敗したらどうしよう」と心配するのはナンセンスじゃないかって思います。さらに言えば、その許容できない失敗も書きだしてみたら大したことないなって思うことかもしれません。ですので、恐れずに自分がやりたいこと、信じた道は切り開いていってほしいと思います。

 

 

 

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