家の前が田んぼだったんです。畦道から田んぼのオタマジャクシを捕って、水槽で飼っていました。家から少し行くと山もあって、そこにはカブトムシがぶんぶん飛んでいました。昆虫もへっちゃらで、オモチャなんかより自然の中で遊ぶほうが好きだったんです。実家は駅の近くなんですが、走っている汽車も単線で、人々はゆっくり歩いている。長閑なんてもんじゃないですよ。
私の通っていた小学校のそばにでっかい山があって、そこで鉱石が採掘されるんですが、山をダイナマイトでドッカーン、ドッカーンって、爆破して砕くんです。小学校で授業しながら、山からのドッカーンっていう物凄い音を聞いていました。田舎は長閑だけど、やるときにはやります。ワイルドです。
青い柿を取ったりとか、落書きしまくって怒られたりとか…。あとはキックボード対自転車で競争したりとか。そういう無茶な子どもの遊びをやっていました。田舎なので、遊び場があまりなくて。だから自分たちで開発して遊んでいました。
女優になりたいと思い、大反対した母親をなんとか説得して、高校入学と同時に兵庫から上京しました。あの頃は、ここから抜け出したい、自分を変えたい、といつも思っていたんです。
やっぱり、「クラゲが好き」って言うので突き進んで来て、子どもの頃はそれでもよかったのかも知れないけど、だんだん大人に近づくにつれて周りからすると「訳わかんないこと話してる!」っていう状況になってしまって、その時にクラゲの話でしか楽しめない自分のことを、「ダメな人間だ」って思い込んでしまったんじゃないかと思います。
プールで潜水特訓をしてから静岡県の伊豆で海洋実習に取り組み、本番に臨みました。素潜りでこんなに長く息を止めるとは思わなくて……。うまくできるか不安でしたが、何度も潜っているうちに楽しくなりました。海の中で遭遇したクサフグやイカの大群がかわいかったです(笑)
実を言うと料理、洗濯は嫌いだったんです。両親が共働きで、私は長女なので、小学生のころから、毎日ごはんの当番だったので料理が楽しいと感じる前に、義務になっていたところがあって。「やりたくない!」という意識が強かったです。東京に出てきて一人暮らしを始め、解放されてうれしかった。ポテトチップスをごはん代わりに食べたり(笑)。それが、すずさんを見て、自分も料理をするときに誇らしい気持ちになるようになりました。家事を楽しいという感情が自分の中で湧き上がってきて、すずさんと同じで、当たり前の暮らしにおもしろいことが転がっているということに気づきました。
“のんが喋れない”ことをみんな知ってるんだって気づいた時に、「じゃあ何も考えずに、正しいことを言おうとせずに、いい言葉を絞り出そうとせずに、思いついたことをそのまま言おう!」って決めたんです。そうやって話し始めたら、すごくスムーズに会話ができるようになって。そこから、監督ともすずさんのことや作品のことなどをすごくフランクに話せるようになったので、その“開き直り”はかなり大きかったと思います。「これどういうこと言ったらいいんだろう……」とか、いま言ったら1番いい言葉を絞り出そうとしていたところがあったんです。でも、そこまで期待されてないなって(笑)。自分が無音を作ってたからなんですけど、期待されない状況ができたので、逆に気楽に話せるようになったというか。
踏ん張れるようになったかな。私だと認識してもらえる演技を、この役(ホットロード宮市和希役)で軸をブラさずにやるのがすごく難しかったので、ヘニャッとなりそうなときがあったんです。冒頭の万引きをした後のシーンとか、家で何も食べずにじっとしているところからワッとなっちゃうシーンとか。でも何とか踏ん張って、ブレないところでやれたと思います。
『そのままでいてね』と言われました。『色んな役をやるけれど、別人になることはできないんだ』とおっしゃっていたのが印象に残っています。私も、演技は自分らしい解釈をすることが重要だと考えていて。どんな役を演じたとしても、必ず“自分だった”ということを認識してもらえないと意味がない。自分らしい解釈ができなければ、誰が演じても同じだという意識があったので、その話をしていただいた時に、心にストーンって入ってきました。
私、『役に憑依している』と思われているようですね。でも、それは違います。天才ならそうできるかも知れませんが、私は違うんです。撮影現場で自分ではない人間を演じるために直感は必要です。滝沢先生の指導とアドバイスは、その直感を養うためにある。そうして一生懸命役に向き合って、向き合って、その役の内側に入りこんで、演技をしているんです。なので、納得できないと前へ進めないんです。演じることは自分の生き方だと思っています。
創作もどんどんしていきたいです。私を形作っているのは女優というお仕事なので役者として生きていくというのはきっと一生変わらず、少しずつ粛々と。あ!粛々!粛々ですね!今年も来年も粛々です。
やっぱり明るいものが好き、っていうのがあるんですけど、『あまちゃん』で小泉さんとご一緒させていただいた時に「コメディっていいなー」ってすごく実感して、それで自分としてもすごく、フィットした、というか。なので、コメディはずっとやっていきたいな、って想いがあったので、「楽しもう!」って思いました。
ふだんは色々なことを頑張れない自分がいるけれど、演技のためだとふだんやりたくないことも楽しんでやれるんです。それに、そういう自分が好きだなって思える。演じている時は、自分を好きな自分でいられるんです。
自分の好きなことでしかパワーを出せないという部分は共感できます! 他はダメだけれど、好きなことでは頑張れるということは、言いかえればコンプレックスがあってもいいんだってことなんだと思うんです。そういう勢いは素敵ですよね。
最近、自分がやりたいと思うことに対して、まっすぐでいる気持ちを大事にしたいと強く思うようになったんです。できるかなぁって考えるよりも、飛び込んで行きたい。30歳になっても、ブレることなく、どストレートなままでいたいなって思います。
まず、飛び込むこと。私は、仕事というより『演技をやりたい!』っていう勢いで、何も決まってないのに上京して、本当に考えなしにやってきたんですけど…頑張っていくうちに『こんなに楽しいことがあるんだ!』と気づいたし、そんな私を見て楽しんでもらえることは、すごく幸せなことなんだってわかってきて。それはやっぱり、私が何も考えずに突っ走らなければ気づけなかったことだから、失敗してでも飛び込むことだと思います。もちろん、記憶を消したいってくらい、悔しい思いをすることもある。そういう時は1人で『あーっ!』って叫んで、発散するんです。
自分がやりたいと思うことに対して、まっすぐでいること。その気持ちを大事にしたいなと思います。
女優になるのが夢だったので、東京に行くんだ!、そうすべきだ!と。猪突猛進です。夢に向かって素直に挑んでいくのがすてきだと思うんです。
のん(能年玲奈)。
1993年生まれ、兵庫県神崎郡神河町出身。
小学3年生で芸人を目指してトリオを組み、その後イラストに目覚めつつも、小学6年生でバンドを結成してヴォーカルになり、中学1年生でギターをはじめ、中学2年生で『二コラ』のモデルをはじめ、中学3年で女優に憧れ、卒業後に上京。
2006年、ローティーン向けファッション雑誌『ニコラ』(新潮社)のモデルだった新垣結衣に憧れて第10回ニコラモデルオーディションに応募し、グランプリを獲得。
レプロエンタテインメントジュニア部「j-class」に所属し、2006年から2010年まで同誌専属モデル(ニコモ)を務めた。
2010年、映画『告白』で生徒役として台詞はなかったものの女優デビュー。
2012年3月、カルピス「カルピスウォーター」の第11代CMキャラクターに起用された。
また、同年11月公開の映画『カラスの親指』で第37回報知映画賞新人賞を受賞。
2013年2月8日、公式ファンクラブ「くるぶし。」を開設。
同年4月、オーディションで1953人の中から選ばれて、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』のヒロイン・天野アキ役を演じた。
同作での演技により東京ドラマアウォード2013主演女優賞、第78回ザテレビジョンドラマアカデミー賞主演女優賞を受賞、また劇中のセリフ「じぇじぇじぇ」は2013年新語・流行語大賞の年間大賞を受賞した。
2014年、映画『グッモーエビアン!』および『あまちゃん』によりエランドール賞新人賞を受賞。
映画初主演した同年8月公開の『ホットロード』で第6回TAMA映画賞最優秀新進女優賞、第27回日刊スポーツ映画大賞新人賞、第38回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。
2015年4月、後述の事務所独立騒動が発生。
2016年7月より、芸名を「のん」に変更して活動することを表明。
2016年10月17日からLINE LIVEによる生放送を開始した。
2016年11月12日公開の『この世界の片隅に』で、片渕須直監督からの「のんさん以外のすずさんは考えられない」との熱烈なオファーにより主人公・すずの声を演じて劇場アニメ初主演、また改名後初の本格的な出演作品となった。
SNSでの口コミ拡散により単館系作品として異例の大ヒットとなった同作での演技により、第38回ヨコハマ映画祭審査員特別賞、第31回高崎映画祭ホリゾント賞、第21回日本インターネット映画大賞主演女優賞およびベストインパクト賞、2016年度全国映連賞女優賞、第11回声優アワード特別賞の各賞を受賞している。
2017年に入り非公表としていた出身地の兵庫県神崎郡神河町を公表、同年3月には「創作あーちすと」として生家や母校、子供のころの遊びなど思い出の地を巡って集めた写真などを含む初のアートブック『創作あーちすと NON』を太田出版より刊行、また同町内の観光名所を巡るPR動画に出演するなど同町の観光PRに務める。
2017年8月には、クラウドファンディングのCAMPFIREが立ち上げた「CAMPFIRE MUSIC」のサポートのもと、自ら代表を務める音楽レーベル「KAIWA (RE) CORD」(カイワ・レコード)を新たに発足。
同月6日に東京・葛西臨海公園汐風の広場にて開催のライブイベント『WORLD HAPPINESS 2017』へのスペシャルゲストとしての出演を皮切りに音楽活動を開始し、同年9月6日より「KAIWA (RE) CORD」発足記念『オヒロメ・パック』のアナログ7インチEP盤をリリースした。
2017年8月6日、自身のファンクラブであるオフィシャルファンクラブ「NON KNOCK(のんのっく)」をオープンした。
2018年5月9日に1stアルバム『スーパーヒーローズ』を発表。