矢田亜希子の「大切な」言葉たち
私は女の子らしくないし、小さいころから女の子、女の子していると言われたことがないんですよ。
私もかなりおおざっぱな人間なので(笑)。几帳面で何もかもが完璧すぎる役柄よりは楽かも(笑)。私自身、こだわりもありますが、ちょっとしたことは許せちゃうんですよ。自分に甘いところがあったり、きっちりきれいに掃除したのに、その後で自分がよごした範囲だったら気にならなかったり(笑)。
1日6食とか食べてたんですよ。普通の主食。朝ごはん食べて、で、学校着くまでにコンビニで菓子パン2個買って。10分休みで食べて。昼の前に食べてお弁当食べて。帰りにファミレスでごはん食べて、家帰って夜ごはん食べて寝る前に食べてっていう6食。
20代の頃、子どもを産むまでは、1年間ですごい回数になるくらい海外に行っていた時期もありましたね。で、世界中を旅しているうちに、やっぱり日本って最高だなぁって思うようになったんです。だって、何でも揃ってるじゃないですか。料理もおいしいし、安全だし。どこに行っても衛生的できれいだし。これからは、そんな日本も旅したいなって。あらためて考えてみたら、国内でも行ったことないところがありすぎる!
14歳下とかなんですよ! もう嫌になっちゃいます(笑)。メイクルームとかでもベッドとかにも皆寝そべってたり。親戚の子が大挙してやってきたみたいなかんじなんです(笑)。でも、みんな素直で可愛いんですよね。自分の子どもにしては大きいし、弟にしては年が離れすぎているし…。一度、私のことどう見てる? って聞いたら『え!? いや…綺麗だと思います!』って(笑)。面白いですよね。先日、一緒にクイズ番組に出たときに、懐かしの音楽クイズがあって。私が口ずさんでいたら『え~!? よく知ってますね~。僕、生まれてないッスよ!!』って……(苦笑)
若い頃と比べて周りが見えてきたっていうのはありますね。若い頃は、自分のやるべきことだけ…セリフを覚えてとりあえず現場に行って、迷惑をかけないようにこれをやればいいって感じで(苦笑)。でもいまは、共演者の方のことや現場のこととかいろいろ考えながらやれるようになってきたかな、と。それは自分の表現の振り幅もそうですけど、歳を重ねるごとに、経験がプラスされていく感じはしますね。
天気予報を見て予定を組むのが好きなんです。
本当にいまは、やれることは何でもやりたいって気持ちですね。今回、役の上では初めてのことばかりでしたけど、自分が経験してきたことを役の上でできたのは、すごくよかったな、と思えるんです。いまは『こういう役をやりたい』という気持ち以上に『まだまだやってないことがいっぱいある』っていう気持ち。数年前なら出産シーンって聞いただけでも『えー? 出産?』ってなってただろうし、もっと若い頃はちょっと露出があるだけでも恥ずかしがってたのに(笑)
休日をゆっくり過ごすのも大切なことだし、今こうして忙しい日々を過ごしている事もありがたいこと。どっちも自分にとって大事な時間なんだということを実感しています。
毎日の放送ですから、セリフの量は今までの作品に比べれば、全60話ですから当然多いですよね。撮影もいろんな週をアトランダムに撮っていくので、多いときは8週分の台本を抱え、現場に入ったこともありました。出来れば現場で台本を読みたくないので、最初はそのつもりで頑張っていましたが、さすがに私の許容範囲を超えてしまう週も…。そうしたら、野際さんが『今ある台本のセリフを全部覚えるなんて、そんなことをしたら大変よ!その日、撮影する場面に真摯に向き合えばいいのよ、一つ一つね。』とアドバイスをくださり、肩の力が抜けました。
年々心からおめでとうって言えなくなってる。結婚がゴールだと思ってません。
震災の後も、仕事を休みなくこなしていたんですけど、いいのかなって…。こんな事をしている場合なのかなって。でも、自分に何が出来るんだろうって凄く考えさせられて。仕事の帰りに、車から繁華街を見たときに全く人がいなかったんですね、それを見たとき、凄く哀しい気持ちになったんです。これが本当に“日常”なのかって。被災した方々には、一日でも早く“笑顔”と“日常”取り戻して欲しいです。今回の『シマシマ』を普通に楽しめるような“日常”ですね。そのためにも私は女優として、自分の出来ることを精一杯頑張ろうって。良い作品を作っていくことが、今の私の使命なんだろうと思うんです。
私自身、これまで“母性”ってものが全然分からなかったんです。『母性って何なんだろう?』って感じで…。それが、自分が子供を産んで、母親になることで自然と実感することができた。この脚本を読んだときも、まさに母性というものを強く感じました。そういう意味で、数年前の私だったら、この役をリアルに演じることはできなかっただろうと思います。
そうですね…日中に外を歩いたり、何気ない日常生活の大切さをここ何年かで凄く感じています。普通に過ごす日々ってすごい事なんだなって。若い頃は、ただ目の前にある仕事をこなすことで精一杯だったんです。移動の車から外を眺めて、普通に歩いている人をみて『羨ましいなぁ』って感じていたり…。
いま私がこうやって健康でいられることが奇跡的なことだって思うんです。それは前から思ってたけど、子供が生まれてなお強く思うようになったことでもある。それを本当に肌で強く感じているからこそ、私がいま、伝えたいって思いました。
少食とも思われがちですけど、もう、ガツガツと食べますよ。
矢田亜希子とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)
矢田亜希子。
1978年(昭和53年)、神奈川県川崎市高津区に生まれる。
幼少期の矢田亜希子はおてんばな女の子で、怒られている時に謝るのが苦手だった。
書道とピアノ、空手を習っており、あだ名は「アッコ」だった。
「もし芸能界にいなかったらどんな仕事をしていたと思う?」との質問には「幼稚園の先生」と回答している。
日出女子学園高等学校卒業。
中学2年生の時、母親と原宿で買い物をしていたところをスカウトされて芸能界に入る。
アルバイトなど一般の仕事はしたことがない。
1995年、『愛していると言ってくれ』で、主人公の妹・栞役でデビュー。
2000年に映画『クロスファイア』で主役を務めた。
2002年に 『マイリトルシェフ』で連続ドラマ初主演。
『白い巨塔』でのヒロイン役で人気を決定づけ、アフラック(よーく考えようシリーズ)やジョージアのCMが好評を得て、2000年代半ばにはタレント好感度ランキングの上位に名を連ねていく。
2005年4月から放送されたテレビドラマ 『夢で逢いましょう』(TBS)で共演した押尾学と翌2006年11月13日に結婚、翌々2007年11月19日に第1子(長男)が誕生した。
その一方で矢田の仕事は減少傾向となり、2006年4月から放送されたドラマ『トップキャスター』(フジテレビ、2006年4月 – 6月)への出演を最後に、目立った芸能活動はなくなった。
また、アフラックのCM契約も同年7月28日を以って終了した。
2009年1月12日、3年ぶりに『ヴォイス〜命なき者の声〜』(フジテレビ)への出演で、約3年ぶりに表舞台に復帰した。
しかし同年8月、押尾学事件によって押尾が逮捕。
その直後には押尾との離婚が発表された。
矢田は、警察から事情聴取を受け、家宅捜索も行われたという。
直接の離婚理由はこの事件とされたが、2人は既にこの半年前から別居状態にあったという。
離婚後、矢田はしばらく休養していたが、2010年(平成22年)5月29日放送の『刑事・鳴沢了〜史上最悪の24時間〜』(フジテレビ)で女優復帰した。
また、同年放送の『逃亡弁護士』(関西テレビ)にも出演した。
2010年代の後半になると女優業よりもバラエティに出演する機会が増え、自宅の公開なども行うようになった。
18歳の頃、アメリカで「コストコ」に出会った。その後20年もの間、熱心に通ってきた。