最近久しぶりに会った人に『人間らしくなったなあ』と言われました(笑)。私って分かりにくい人なのかも。楽しくてもあまり顔に出ないから。
生まれ育った町がけっこう田舎で、遊ぶところもなく、テレビで映画を見るのが好きでした。役者はいろんな人間になれて、楽しそうだなって、憧れたのがはじまりですね。劇団に入れば映画に出演できると思って、上京して劇団東京乾電池のオーディションを受けました。役者に向いているかどうかは別にして、とにかく楽しい。そうやってきましたね。
兄2人に双子の姉、妹がいます。楽しかったですね。今もそうですが、家族と一緒にいるのは好きです。家では常にしゃべっていたし、両親にだれが一番面白い話ができるか、競い合ったりしていました。800メートル走で、表彰状もけっこうたくさんもらいました。先生が怖くて、一生懸命やらされていましたね。いつもやめたいと思っていました。走るのは速いですが、運動神経はよくないです。芝居をやってわかったのですが、ダンスが苦手。踊れません。身体能力の低さに気づきました。泳げるようになったのも、ほんの2~3年前。仕事がひまな時期に、水泳の先生に30分教えてもらって泳げるようになりましたが、すぐに飽きました。
劇団というところに入ればどうにかなるかもと考え、神戸の劇団の公演を観に行ったんです。そうしたらこっちが恥ずかしくなるような芝居で私には無理だなと。でもその後も図書館でいろいろと調べ、見つけたのが岩松了さんの作品でした。すごくおもしろくて、この人のいるところだったら私でも大丈夫かなと思い、劇団東京乾電池の研究生に応募したんです。でも私が入団した時にはもう岩松さんは辞めていたのですが。
中学を卒業してから、地元でバイトしていた3年間に、原付きに乗って、バイト先に向かうとき、かつての同級生が、制服姿で自転車に乗って楽しそうに通学しているのを見ると、私、恥ずかしくなって、ヘルメットで顔を隠して、気づかないふりをしていたんです。そのときは、“私、こういうことがしたいわけじゃないのに”って、後ろめたさがあった。
「食べていけるか」とか、不安はなかったです。自信があったわけじゃないけど、変な不安はありませんでした。舞台の世界に初めて触れて、面白かったです。どう見せるかというより、自分がどう感じるのか、どんな自分になってしまうのか、というのが。住むところも決めず、わずかなお金を持って上京しました。新聞販売店なら家賃がただで、食事も出るので生活にお金がかからない。新聞配達も自分のペースでできるので合っていましたね。早く終わらせたければ早く配るし、余裕があるときは少しのんびり配る。それに、一括払いの劇団の授業料を販売店の所長に前借りしていたので、転職する選択肢はなかったです。
私が21のときに父が亡くなって、そのあと家を手放したので、13年ぐらい帰ってなかったんです。でも、バスで山奥の家に近づくに連れ、何だか泣きそうな気持ちになって……。バスを降りたら、変わらない故郷がそこにあって、『なんだ私、帰りたかったんや』って思いました。今は、故郷の街が大好きです。
どんな役かより、いろんな方とお芝居できるのがうれしい。自分の中の先生みたいな人がどんどん増えていくのも楽しくてたまらないですね。
(双子の姉について)ちょっとさみしい気持ちになりますよね。むこうも損してるから。間違われたり、比べられたり。なんかそういうことへの反抗心みたいなのもあった、子どもの頃は。でも中学を卒業して違う道に進んだから、趣味も別々になって、ようやく違う人間になったような気がする。何も気にならなくなって。
映画や舞台などの宣伝でお話をいただくんですが、やっぱり苦手で……。だいたい、最近なにかありませんでしたかと打ち合わせで聞かれるんですね。でも私にはなんの趣味もないし、面白いことはないんですと。じゃあ、なにか腹の立ったことはないかと聞かれて、渋々しぼり出したのがあのありさまなんです。最近はいきなり『腹が立ったことは』って聞かれるようになっちゃって。それもいやだなあと物事を悪く言うのはやめようと思っているところです。
どんな役を演じていても結局は自分でしかない。『こんな感じで』と言われても、その感じは私のこれまでの人生経験と知識からしか出てこないわけですから。でもだからこそ、今の私なりにこんなアプローチをしてみようとか、いろいろと試しながら役を『探す』。その作業が私は好きなんです。そこでようやく役を『見つけた』ような気になれる。だから、稽古場に入る前から役に入っているなんて、私にはあり得ないこと。とりあえず今の自分で出ていってみる。どんな役でも、そこから始まるものでしかないから。
(安住紳一郎さんは)うーん、自分にないものをもってるっていう憧れですかね。北野武さんとの番組でもそうですけど、いろんな人の良さをひきだしたり、ニュースを届ける言葉を持ってたり。私なんか人付き合い苦手やから食事に誘われても、今日ダメなんですーって逃げてしまうんです。でも安住さんは人に対して逃げない。声も好きですね。昨日もテレビ見てたけど、なんか顔がお疲れやったような気がして心配です。人間としてです。いや男としても好きかな。人間としてはああなりたいと思ってもなれないから。でも安住さんを一生見ていきたいなと思います。安住さんの成長とともに自分も成長していきたい。甥っ子姪っ子が大事なのといっしょで、安住さんも大事なんです。
仕事でも私生活でもマイペースって大事じゃないですか。どんなにスケジュールが立て込んでも、なんとかマイペースに過ごせる時間を見つけますね。例えば、次の撮影開始まで30分、時間が空いたら、その場にずっといるんじゃなくて『ちょっと出かけてきます』と言って、近くのお店へお茶を飲みに行ったり。そうやって、こまめに自分の時間を作って、発散するようにしています。
どんな芝居でもそうだけど、自分で見つけていくしかない。ヒントにはなるけど、やっぱり自分でそうしていかなきゃならない。それは正解なのか間違っているのかも分からない。でもやらなきゃいけない。
芝居することには変わらないし、むしろ誰と一緒に仕事するかが大事で。舞台は好きやけどつまんなかったなあというのもあるし、ドラマも、この監督がいたからドラマの良さを知ったなあというのもあるし。特に演出家ですね。今は、森新太郎さん演出の舞台ですけど、本当に楽しい。厳しさがあるんです、物事を簡単に済まそうとしない。いったんでき上がっても、ちょっと待ってと疑うことのできる人。人の心を動かすのはそんな簡単なことじゃないと必死になっているから信用できるし。なんやろ、この人の言うことを聞きたいと思う。
疲れているときに街中に出ると感じますね。人を見ていると嫌になったり、普段思わないようなことを思ったりして、疲れているときの自分はすごく怖いです。
自分が抗って、なにかが特別光りだすこともないと思うし。でも、心のなかが煮えたぎってるときもある。絶対許さん、と。
歴史には全く興味がありません。だから大河ドラマも自分が出るということになって初めて見ました。
独りが好きなのに、人がいる所に行くんです。図書館や喫茶店へ。実はさみしがりやなのかも。
嘘はつきたくない。だから気持ちは伝えるけど許せるところは許そうよという……いつからこんなんなったんでしょうねえ。やっぱり仕事してからですね。期待通りにはいかないことの連続じゃないですか、仕事って。自分じゃ決められないんだなあということを思い知らされる。でも結局は誰にも評価されなくても、この人と一緒に仕事してめっちゃ楽しかったと思えたらそれでいい。だから今は、すごくいい稽古ができていて楽しいです。8時間ぶっ通しでごはん休憩もないくらいですけど。
大した所持金もなく上京したのですが、助けてくれる人もいて何とかなりました。何かを始める時ってまずは躊躇(ちゅうちょ)せず飛び込むことが大切で、あれこれ準備する必要もないんだなと思いました。
自分のやっていることに限って言えば、20歳のときから全く変わっていないですね。
落ち着いてみえるんかなあ。でも、あきらめは早いかもしれない。そんなところで反抗したって周囲がバタバタするだけやし、もういいよと。
以前、何もかもうまくいかないことがあって気分転換に一人で遊園地へ遊びに行ったんです。でも、何にもならなかった(笑)。結局、その問題に向き合うしか解決方法はないんだと実感しました。そうなったら即、行動。怖くても動いてみると案外平気だったりするから。
(嫌なことは)いつかそれは必ず何かしらの糧になるし。むしろチャンスだと今は思える。だから嫌なことは起こっていいんです。
江口のりこ。
1980年生まれ、兵庫県飾磨郡夢前町(現・姫路市)出身。
5人兄妹(双子の姉、兄2人、妹)の次女として誕生。
高校に進学せずアルバイトを始め、神戸市の映画館に足しげく通ううちに映画女優を志す。
「劇団に入れば映画に出演できる」と考え、上京し、ファンだった岩松了がかつて所属していた劇団東京乾電池のオーディションを受ける。
1999年に研究生となり、2000年に入団。
上京したばかりの頃は所持金が2万円しかなく、すぐに住み込みの新聞配達の仕事を始めた。
2002年に『金融破滅ニッポン 桃源郷の人々』にて映画デビュー。
2004年、タナダユキ監督の『月とチェリー』では主演に抜擢。
2005年「ドラゴン桜」 第4話「壁にぶつかるまで我慢しろ」暴走族のリーダー役
2008年1月「1ポンドの福音」シスターミリー役
2008年「砂の影」主演
2012年「戦争と一人の女」飲み屋の女将役
2020年2月「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」荒木寛子役
2020年8月「事故物件 恐い間取り」横水役
2020年「半沢直樹」白井亜希子役