微笑みは幸運を開く鍵。私はそう信じています。微笑んでいる人を嫌う人はいません。大げさではなく、微笑みは一生を変えてくれる。
人並みに働いている人というのは、やはり人並みの生活なのです。そして、人並み以上、頭ひとつ出している人は、ほかの人たちの2倍3倍も働いているのです。頭脳労働も肉体労働も両方。つまり、出し惜しみをしないのです。苦労の出し惜しみをしない人は、それだけで恵まれています。
恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの。
ちゃんとした食事のかわりに、お菓子やジャンクフードや飲料類ばかりを飲食している子供や大人は、栄養失調で肉体だけでなく精神状態もおかしくなります。栄養のバランスはよほど注意しなければ肉体ばかりか精神までも病気になってしまうのです。
人生78年の私の経験から言えるのは、人生には、いいことも悪いことも起こるのだということ。苦があれば、楽もあります。つまり、すべてうまくいかない人生はありませんし、逆に常に順風満帆の人生もありません。
悩んで落ち込んだとき、必要なのは理性。いらないのは感情。原因をクールに分析して、解決方法を見つける習慣を。
私は昔から「給料だと思うな、我慢料ですよ」と言っています。嫌なことを我慢するからそれだけのものをいただけるわけです。たとえば歌い手やタレントであっても、鼻歌だけ歌って、カッコばかりつけて、好きなことばかりやって、それで長く人気を保ちたいなどというのは図々しいのです。
溺愛という言葉通り、お父さんもお母さんも「お前のために」とベタベタ愛情を注いでいたら、ロクな子はできません。腐ってしまいます。水をあげたいと思っても、あげないというのは植木を腐らせないためのひとつの技術なのです。べったりしたいところを、グッと飲み込んで我慢をして、放っておいて突き放すのも、その子を成長させるためのひとつの技術です。愛情のあり方なのです。
自分は誤解されやすいと思ったら、言葉が足りているかどうか反省してみる。思いが正確に伝わるように言葉を尽くしてますか?
人生は常に二番手、三番手で走っている方が得策で、平穏無事でいられるのです。結局は腹六分の人生が一番幸せということなのです。
人間関係で一番大事なのは、腹八分ではなくて腹六分。腹八分だと多すぎるのです。夫婦、恋人、親子、兄弟、友達、仕事関係、すべて腹六分でお付き合いしなさい。「親しき中にも礼儀あり」これが鉄則です。
友達がいない、できないと嘆く人がいますが、本当の友人というものは、一生のうちに一人か二人できるかできないかのものなのです。厳密に言えば一生涯出会わない人の方がほとんどです。
貧しい生活の中でしか学べない生活の知恵がある。苦あれば楽あり。これも正負の法則。
世の中にはよく、「あのヤロー、いい暮らしをしやがって」とか、「なんだ、贅沢な暮らしをしやがって」と言う人たちがいます。ただむやみにうらやましがって、結果だけを見てブーブー言って妬んでいる人が多すぎます。その結果を見て妬む前に、その結果に至るまでの過程、プロセスを見なければなりません。そうすれば、その努力を見て、「なるほどなあ」と納得して妬まなくてすみます。
高いところへ登った人ほど、落ちたときには大怪我か即死です。低いところにしか登れなかった人は落ちてもせいぜい軽いかすり傷か怪我くらいですむのです。
苦しみを経験するから幸せの有り難みが分かる。苦しむことは幸せになるためのプロセス。
自分と同じ種族の人間だと思うから腹が立つのです。人を見たときに、魔界族と天界族だと瞬時に見分けるようにするといいでしょう。そうすると魔界族に対して嘆いたり腹を立てずにすみます。「これは魔界から来ているんだ。だから、こういう人なんだ」と思えますから。
不幸な家庭に育った人は強く生きる能力を持つ人。あながち不幸ではない。
どんな人でも、完全な人格者はこの世にはおりません。お互いの長所もあれば短所もあります。浅くさえ付きあっていれば長所の部分だけで付き合っていられるのです。嫌な部分はお互い見ない、見せないで平和に過ごせるのです。
辛い思いはすべてプラスになる。苦しかったこと、悲しかったことが、いつか必ず花開く時が来る。辛いこと、悲しいことは幸せになるための必要事項。花開き、実を結ぶときに辞めてしまってはいけない。
苦労をした人にはそれと同じ量の喜び、ご褒美がくる。楽あれば、苦あり。苦あれば、楽あり。
ああだこうだと、弱音を吐いている人は、一度すべてを放り出せばいいんです。禅の修行で、絶食したり水断ちしたりして極限まで追い込まれると、おしんこ一枚、水一滴がありがたいと思えるように、試しに、落ちるところまで落ちればいい。ある種のリセットをすることで、風景もまったく異なって見えるはずです。
苦しめば、苦しんだ人ほど、それがたとえささやかでも幸せが訪れたときに、苦しまなかった人の何倍もの幸せ、充実感を大いなる幸福として感じることができます。
白の白さを際立たせるには、その白のかたわらに黒い色のものを置けばよいのです。黒の黒さが深く、濃ければ濃いほど、黄なりの白さのものでも真っ白に見えるものなのです。黒は苦労です。苦労したことが多く、苦しみの深さが深ければ深いほど幸せが訪れたとき、それがどんなにささやかな幸せでも、大きな幸福感として満喫できるものなのです。
運が良くなりたければ、微笑んでいれば良い。人に優しくすれば良い。思いやりと優しさで、運は開ける。
いつでもどこでも、いますぐ幸福になる方法、常に幸福感を味わえる方法はあります。それは簡単なことです。つまり、どんなことでも感謝することを自分の中に、まわりに探して見つけることです。「見える、ああありがたい」、「聞こえる、ああありがたい」、「手足が動く、雨露がしのげる天井や壁のあるところで寝起きができる、ああありがたい」、「着るものがある、食べ物がある、ああありがたい、幸福だなあ」と。
私はこれまでの人生で、弱い女と強い男は見たことがない。
孤独には孤独の素晴らしい良さもあります。孤独とはみじめでも哀れでもなく、「自分一人だけで充分満ち足りている、充足しているんです。ほかの人のお助けには及びません」という、毅然とした、誇り高い姿なのです。堂々としていればよろしいのです。
惨めな自分を笑い飛ばすユーモアは先人の知恵。どんなに辛いときでも明るく生きる高等技術。
幸せになるには、感謝することを探しなさい。歩けるでしょ、見えるでしょ、聞こえるでしょ、しゃべれるでしょ。それができない方はいっぱいいらっしゃるんです。
他人と自分を比べて優越感や劣等感を持つのはくだらない他人志向。大切なのは自己志向。自分が満足して自分が納得すればいい。
清き川に清き水は流れる。心が美しい人と付き合いたければまず自分の心を磨くこと。
目の前にいる人を救うために何ができるか考える。神様の目をまっすぐに見つめて胸を張れる生き方。それが揺ぎない信念。
人の思惑ばかり考えていると、分が薄まってしまう。充足感がないのは、自分がはっきり見えないから。大切なのは、自己分析と自己の確立。
どんなトラブルが起きても微動だにしない。そんなレベルに達するまで人生の修行は続きます。弱音を吐かず覚悟を決めて。
せめて自分ぐらい自分を褒めて認めてあげないと自分が救われない。自分の味方になれるのは自分だけ。
美輪明宏。
本名:丸山 明宏、幼名 臣吾(しんご)。
1935年、長崎市に生まれる。
美輪の実家は、長崎市内の「丸山遊郭」と呼称された遊郭街であり、「世界」という名前のカフェを経営していた。
1945年(昭和20年)8月9日、10歳のときに長崎市へ原子爆弾が投下される。
窓際で夏休みの宿題に御伽草子の「万寿姫」の絵を製作していた。
自身が製作した絵の仕上がりを確認するため、2、3歩後方に下がった時、原子爆弾が長崎県に投下された。
爆心地から約4キロだったが無事だった。
原爆により、父の貸付先が相次いで破産・他界したため、返金を受けられなくなった美輪一家は貧乏生活を余儀なくされた。
美輪の父の後妻が他界しており、父の後々妻も失踪する等の不幸に見舞われ、美輪は幼い異母弟達と辛い日々を送ることとなった。
終戦後、加賀美一郎のボーイソプラノに衝撃を受け、声楽とピアノのレッスンを受け始める。
15歳になり、オペラ歌手、コンサート歌手を夢見て、国立音楽大学付属高等学校に入学するために上京。
しかし、家業の倒産により学校を中退する。
その後、進駐軍のキャンプ廻りをしながらジャズを歌唱する。
17歳とき、新宿駅で寝泊りしていたが、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』の美少年募集の張り紙をきっかけに、銀巴里との専属契約を交わして歌手デビュー。
1957年にフランスのシャンソン『メケ・メケ』を日本語でカバーして一躍人気を博す。
しかし、同性愛者であることを公表したことや生々しい内容のシャンソンを歌唱したことに対する反発もあり人気は急落。
逆風の中で作詞・作曲活動を開始。
しかし、聴衆からも歌謡界からも理解を得られずレコード化すらできなかった。
不遇の時代が続くと共に吐血など原爆症に悩まされる。
1963年に自らの作品によるリサイタルを開催。
1965年にレコード化された『ヨイトマケの唄』により人気が再燃する。
1967年、寺山修司の演劇実験室・劇団天井桟敷旗揚げ公演で、寺山が美輪のために書き下ろした舞台作品『青森県のせむし男』や『毛皮のマリー』に主演。
1968年、自叙伝『紫の履歴書』を発表する。
1971年、読経中に『美輪』の字が浮かび、神が与えてくれた名前だと思い、丸山明宏から美輪明宏に改名。
銀巴里や渋谷ジァン・ジァンでのライヴや全国各地でのリサイタルを精力的に行い、『白呪』(1975年)等のアルバムも多数発表。
また、男性役では、映画(1977年 井上ひさし原作『日本人のへそ』)やドラマ(1976年『さくらの唄』)に出演。
1990年、東京芸術劇場のこけら落し公演『マリー・ローランサン』を演出。
1996年、三島由紀夫が30年来熱望していた美輪演出・主演による『近代能楽集より、葵上・卒塔婆小町』を上演。
1997年、13年ぶりの『双頭の鷲』再演で読売演劇大賞優秀賞を受賞。宮崎駿監督アニメーション映画『もののけ姫』では、山犬神、モロの君の役で声優を務め、東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞する。
2012年、『第63回NHK紅白歌合戦』に出場し、「ヨイトマケの唄」を歌った。77歳での『NHK紅白歌合戦』初出場は史上最年長で、デビュー60年での初出場も史上最長記録。
2018年、東京都名誉都民に顕彰。
主な著書(共著含む)に「花言葉」「美輪明宏のおしゃれ大図鑑」「ああ正負の法則」「愛の話幸福の話」「霊ナァンテコワクナイヨ-」「乙女の教室」「人生ノート」「天声美語」「明るい明日を」「悩みも苦しみもメッタ斬り!」「光をあなたに 美輪明宏の心麗相談」「地獄を極楽にする方法」「強く生きるために」「微笑みの首飾り」「生きるって簡単 美輪明宏の悩み相談室」「愛と美の法則」「世なおしト-クあれこれ」「ぴんぽんぱんふたり話」「人生学校虎の巻」「戦争と平和愛のメッセ-ジ」「日本人なら「気品」を身につけなさい ボクらの時代」「紫の履歴書」「ほほえみの首飾り 南無の会辻説法」「悩まなくてよい本 霊能的雑業家の開運アドバイス」などがある。