うちは父が幼い頃に病気で亡くなってしまったので、母と祖母と女3人で暮らしていたんですが、それを寂しいと感じなかったのは、伊勢丹や中野ブロードウェイなど、母が週末に必ずどこかへ連れて行ってくれ、私を楽しませようとしてくれていたからだと思います。
ポケモンもそうなのですが、ただゲームが好きなだけではなくて、ポケモンを通じていろんな人と仲良くなって更に楽しくなる…といった“楽しい”という気持ちをたくさん見つけてあげたいし、“子どもの未来への心がぴくっと動くこと”へのお手伝いができたらいいなって思います。
私は趣味の世界に救われた。いくら「オタク」って言われても、絵を描いたり、漫画を読んだり、ゲームをしたりするのが好き。今はインターネットで仲間を作ることができる。学校の外にすてきな出会いがたくさん待ってるんだから、何か一つでも、楽しいことを見つけてほしい。
本当に落ち込んでる人に声をかける方法って、すごくむずかしいので。だったらいっしょにおいしいものを食べるほうがいいかも。そして、“食べてる間はおいしいものに集中しよう!”って。
言葉って難しい。メールもブログも発言も誰かを傷つけるようなことはいいたくないのに傷つけてしまっている。
たまたま代役で、すごく大好きだった漫画家の楳図かずおさんとお仕事できる機会があったんです。「ああよかった。辞める前の記念になった」と思っていた私に、楳図さんは最後に「またね」って言ってくださって。「私ごときゴミムシに声をかけてくださるなんて! 『またね』ってことは、死なないで、辞めないでいたら、また会える日が来るかもしれないの?」って、トンネルの向こうに初めて光が見えた気がしたんです。
大好きな人にも、お互いが生きていれば、会えるって分かった。すごく好きだった作品がアニメになったり、実写になったり。好きなゲームの続編が出たり。 死んじゃってたら、その楽しみは味わえない。
好きなこと、憧れを、文字に書いたり、言葉にしたり、それを繰り返すことで、誰かに伝わって「じゃあ助けてあげるよ」って言ってくれる人がいるかもしれない。
本当につらかったら、ちょっと休憩してもいいから。でも、「大丈夫、絶対に」と、未来の自分がそう言っていると、心の中に少し思っていてほしいなと思います。
いじめがない場所なんてなかなかないと思います。「いじめがないわけない」って思って、ちゃんと弱っている子の心の声を聞いてあげてほしいです。言ったもん勝ち、やったもん勝ち、先制攻撃したもん勝ちという状況から守ってあげてほしい。
好きなことや、ほめることだけを、嘘はなしで書くことにしたんです。明るい遺書のつもりで。そしたらブログを書くこと自体が私も楽しくなってきて、“読んで元気出たよ”、と言っていただくことも増えて。言霊ってあるんだなと実感しました。
ふつうのことなんですけど、そこに今まで気づいていなかったんです。ずっと一人で戦ってるつもりだったけど、全然一人の力ではなくて。それに気づいたら無茶して身体を壊して迷惑かけないように自炊もしてみようとか、また少しずつ扉が開いていって。
ほめゲームのつもりで。例えばご飯食べに行くときも、いかにこのおいしいものが、めちゃくちゃおいしいかってことをほめまくるグルメ会みたいなのが好きです。やりすぎると嘘みたいになるけど、自分の納得いく範囲で、いろんな角度で好き! を表現してほめたいって考えていたら、だんだんほめることが趣味になったのかもしれないですね。
悩むことは一番の先生。悩みながら読んだ本の1文字1文字や、聞いた音楽や、その時見つけた「これ、好き」って思える出来事が、いつかの未来に咲く花の種となって、自分の栄養になって返ってきてくれる日があると、今、私は断言できます。
そんなやつらのせいで死ぬという選択だけはしないでほしい。絶対に、生きる価値がいっぱいいっぱい未来にはある。いじめをする下らないやつの人生よりよっぽど幸せな未来が待っているから、、。
悔しいこともあるけど、それでも、これでよかったと今は思える。あの頃はしんどかったけど、あの頃強く思っていた、願っていたから、ここにつながったのかもって。
学校に行けなくたって、大丈夫。ちょっと、避難するだけだから。その、悩んだ時間の何倍も、「ああ、生きていてよかった」って思える瞬間がある。
だって、学校なんて周りに数十人しかいない小さな世界だから。無理に合わせても苦しいだけだよ。
無理して学校に行く必要なんかない。いじめなんてくだらなくて、立ち向かう意味すらないから。
だけど、忘れないでほしい。人間ってきっと「わ!、幸せ」って思う瞬間を目指して、生まれてくる。長生きしたって3万日しかない寿命。46億年の地球の中で、本当に一瞬でしかない。だったら、悲しんだりする時間、もったいないから、笑顔で燃え尽きられるようにしよう。
人は、両親や祖父母、その先祖らが出会って生まれた、いわば奇跡のような存在。人生を邪魔する資格は、誰にもない。
生きた証しを残したい
中川 翔子。
東京都中野区出身。
ワタナベエンターテインメント所属。
『しょこたん』の愛称で知られる。
9歳のときに父が白血病により死去。
中学時代、オタクという理由でいじめを受けていた。
学校に行くのが辛くなり、ひきこもりになり卒業式も欠席。
当時毎日「死にたかった」と思っていたと語っている。
父がミュージシャン・俳優だったこともあり、子役として「中川薔子」の芸名で芸能事務所に所属。
2001年、16歳の時、ポポロガールオーディションでグランプリを受賞。
同年の誕生日記念に母とジャッキー・チェンが経営する香港のレストランを訪ねた際に、チェンと遭遇し感激して泣いているとチェンが「大丈夫?」と声を掛けた事をきっかけにジャッキー・チェン事務所日本支部に所属する。
2002年にはミス週刊少年マガジン2002に選ばれるも、同年にジャッキー・チェン日本支部が閉じられることになり、ワタナベエンターテインメントへ移籍。
2004年11月、『特捜戦隊デカレンジャー』の第38話に「ファルファ星人ヤーコ」役で出演。
2004年11月より公式ブログ『しょこたん☆ぶろぐ』を開始。
2005年3月、『考えるヒト』(フジテレビ系)にゲストパネラーとして出演し、続いて『考えるヒトコマ』ではレギュラーとして出演。
また、同じく5月から1年弱にわたって、TBS系『王様のブランチ』にレギュラー出演。
9月には『しょこたん☆ぶろぐ』の内容をまとめた同名の書籍『しょこたん☆ぶろぐ』をゴマブックスより刊行。
2006年、ファンクラブ「ギザぴんく!」を発足し、1stシングル「Brilliant Dream」(ソニー・ミュージックレコーズ)でCDデビュー。
3rdシングル「空色デイズ」ではオリコン週間シングルチャートにて初登場3位を記録し、累計約7万枚。
渋谷C.C.Lemonホールで自身初のソロライブ「貪欲☆まつり」を開催。
2007年大晦日には、『第58回NHK紅白歌合戦』(NHK)に初出場。
2007年度の検索ランキング・著名人部門で1位となる。
2008年5月から全国5都市6会場にて全10公演(追加公演を含む)の、自身初の全国ツアーを実施。
また、初の作品展「続く世界」を開催し、オリジナルブランド「mmts」を立ち上げ、香港でのアニメイベント「香港動漫節2009」に出演し、初の香港ライブを行う。
2009年には、『バラエティーニュース キミハ・ブレイク 飛び出せ!科学くんSP』(TBSテレビ)の企画で、海洋研究開発機構所有の有人潜水調査船「しんかい6500」に搭乗し、岩手県三陸沖の日本海溝の海底(水深5,351メートル)への着底に成功。
2010年3月少女漫画雑誌『なかよし』2010年4月号で、原明日美作画による「中川翔子物語〜空色デイズ〜」の連載が開始し、また、初主演映画『恋の正しい方法は本にも設計図にも載っていない』が劇場公開。
2011年3月ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』において、主人公ラプンツェルの日本語吹き替えを担当。
ジャッキー・チェンらと共に第24回東京国際映画祭に出演し、香港政府観光局から「香港観光親善大使」に任命。初のアジアツアーを開催。
「2012年ベストビューティストアワード」タレント部門を受賞。
ポケモン好きでも有名で、ポケモン関連番組や劇場版ポケモンの声優も長年続けている。
その後も、アニメ・漫画・ゲームを中心としたイベントや番組、ライブ、声優など幅広い活躍でも知られている。
なお、父が急性白血病で亡くしていることもあり、骨髄バンクのドナー登録を呼びかけている。