4歳からずっとダンスはやっていましたけど、教室では一番下手で、バイトをしても失敗ばかりで、いつも笑っていることくらいしか出来ない自分にコンプレックスがあったんです。でも、怒られると萎縮して何も出来なくなる。
“女を出したら負け”っていう気持ちが、小5ぐらいからずっと自分のなかにはあって。だから、学校の男の先生にも面倒くさがられてたんです。私、やたらいじられキャラだったので、授業中よく当てられてたんですけど。当てられても“ゆわれへんわ、ボケ!!”っていう感じでずっと反抗してて、男の先生だけには。
初めてのバイトはカラオケ店でした。高校生の頃、友だちと放課後によく遊びに行っていたので、カラオケで働いたらいっぱい歌えるかなと思って(笑)。そこは1年半くらい働いたんですけど、私は要領が悪くて失敗ばかりでたくさん迷惑をかけましたね。10杯以上のドリンクを運ぶ時はよくひっくり返していたし、パフェ作りもセンスがなさすぎて、子どもには「なにこれ」って言われたり。でも、何個作ってもクオリティは変わらなかったので「これが通常のパフェです!」って言い切っていました(笑)。不器用の極みで、完全に仕事ができない人でしたね。
渋谷のアパレルで働いたんですけど、そこで全国店舗の中で売り上げ2位になったことがあるんです!その時に初めて、私は人に何かを伝えたり話すことのほうが向いているんだと気付きました。そこでは無理に話を合わせるより、正直に接してお客さんみんなと友だちになろうと心がけていました。
バイトをしていても、生活費と活動費が必要でお金がなくて、アパレルの店長にラーメンをおごってもらうのが1日の唯一の食事とか。それで心がすり減ってしまったので、音楽に専念するために思い切ってアパレルを辞めました。昼間に音楽をするための時間を作りたくて、朝はパン屋で働いて、夜は解体のバイトをしました。ライヴが終わった後のステージ解体です。コンサート会場のセットは大きくて異次元みたいだし、力仕事は本当にキツかったんですけど、甘えちゃいけないと思っていました。
BiSHになる前から曲は作っていたし、お客さんの全然いないライヴハウスや路上で1人で歌っていた時期もあったんです。
うちのお母さん、料理があんまりうまくなくて。だいたいうちの料理は味がなかったんですよ。ご飯自体、あんまり作らない人で。帰ったら500円玉が置いてあって、隣りにオリジン弁当のメニューがある、みたいな毎日だったんです。けど、たまーにパスタを作ってくれて、“やったー!!”って食べてみたら“味ねぇ!”っていう(笑)。歌詞に書いたのは、上京して一人暮らしをしだした頃だったから、あんなに味のないお母さんの料理も美味しかったんだな、愛があったんだなって気づいた時期で。
「きえないで」は私が18歳の頃に作った曲で、ある日親友がお母さんを亡くしたときに電話をかけてきて「『きえないで』を歌ってよ」って言ってくれたことがあったんです。明らかに声が震えているのに笑っていて、やばいなって察していたんですけど、私は泣いちゃって歌えなくて。
人を見ていても自分と向き合っていても思うんですけど、やっぱり日頃からワーキャーしてるだけの人はあまりいないんじゃないかなって。普段元気でも、1人でいるときとか眠る前とかに寂しくなるようなことが少しばかりはあるだろうし。
最初は私たち初期メンの3人ともう1人ハグ・ミィがいたんですけれど、「振り付けする人がいないから、お金もないし、アイナやれよ」って軽いノリで始めたんです。だけど、最初は本当に何もできなくて。渡辺さんに電話で「お前これでかっこいいと思ってんのか」とか「やり直した方がいいよ」って言われて変えたり、メンバーが一緒に考えてくれたこともあって。そうやっていくうちに「私はこんなにできないんだ」と絶望して。それからは、もっと人と踊ることに向き合ったし、自分のための踊りだったのが人のための踊りになってきた。そこはとても変わりました。
もしかしたらいつかは個人の活動の方が忙しくなる時期も来るかもしれないけど、BiSHがないと個々の活動もできないっていうのはメンバーみんなどこかで分かってるはずだから、そんなに心配もなくて。中途半端に終わらせないで、やりきったり生ききったりすることが今のBiSHにできることかなと思います。
家電みたいにはなりたくないです。古くなったら捨てる、みたいな。以前言われて悔しかったんです。絶対そうなりたくない。私は表現することが好きなので、表現している人を間近で見て感じたことがあったら自分でもやりたいんですよね。舞台もやってみたいし、色んな角度から踊っている姿が見える万華鏡越しのライヴとか、モモコが詞を書いて私が曲を作って出そうとか。売れる / 売れないは関係なくて、長生きしてもあと50年くらいしか生きられないし、もしかしたら明日死ぬかもしれないから、やりたいことはやっておきたいなと思ってます。
ぬるま湯に浸かっていたらダメだ、実力を上げないとって思うことが最近多くて。そんな中で誰を目指すかを考えたらマイケル・ジャクソンって改めてすごいなって。ダンスや歌の自分のスタイルを見つけて、それがめちゃくちゃ人気になっているじゃないですか。時代背景は違うから、いま出てきても同じ現象になったかはわからないけど、自分の劣等感から生まれる表現力が圧倒的だなと思うんです。劣等感から生まれる表現って叶わないと思っていて。
私は、「生きてて申し訳ない」って思うことがよくあるんですけど、この歌詞を書いた当時は、その極みで。「もう次はないかもしれないし、今日くらい仲よくしようよ」っていう、ちょっとの願望で書きました。自己嫌悪ではないんですけど、人と話をしていても「自分、今全然違う考え方をしてるな。黙っておこう」みたいな瞬間が多かったので、みんな抱えてる問題だと思うんですけど「生きにくい」という感覚があって。自己嫌悪とかではなく「どうやって生きれば、もっと楽になるんだ?でも、楽になったら楽しくないのかも?」みたいな、そういう狭間に生きてる感覚だった。
みんな死んだら同じ形の骨になるのに、生きている間に好きという感情が生まれて、恋愛でも家族でもこの人“だから”好きと強く思うじゃないですか。でも死んだら一緒なんですよ。死後の世界は分からないから、生きている間しか「愛」は感じられないじゃないですか。そう考えたときに、「生」と「死」と「愛」は全部リンクするんじゃないかなと思ったんです。
自分自身はどんどん弱くなっている気がする。でもその弱さに向き合うことで強くなっている気もするし、これはきっと後で財産になると思っています。今は変わりたいというより変わっていく現実も受け止めている、という感じですね。ちょっとずつだけど表現することに対して強くいられているのかな。そういう自分も受け止めてしっかり生きていかないとなって思います。
でも日々「自分なんてダメだ」と思っていることが振り付けやライヴで表現になると自信につながります。劣等感もなく安定してしまったら、私には何も残らないと思うんですよ。顔やスタイルや歌声がすごくいいわけでもないから。常に何かと向き合う状態でいないと何も生み出せない。
二の腕のプニプニがよくてとか、顔がよくてとか、おっぱいが大きくてとか、美脚でとか、私にはそういうのがまったくないんで。声が唯一、人から“いい”っていわれる部分なので、他の部分よりはましなんだろうなって思ってます。でも、最近思うんですけど、TVとか出たときに“こんな気持ちじゃダメだ”と思って。自分のことを受け入れて、向き合わないといけないだろうなっていう時期ですかね、いまは。好きになるとかじゃなくて、受け入れて武器として扱って戦っていかなきゃいけないんだろうなって。だから、またこれから変わるかもしれないです。
アイナ・ジ・エンド。
本名:飯谷愛菜。
大阪府豊中市出身。
学生時代理科のテストで2点しか取れなかった事があると語っている。
上京する前に、「はしっこのすみっ子」というジャズダンスチームユニットで活動していた。
高校卒業後、ダンス仲間だった友人から「アイナは歌をやるべきだ」と泣きながら薦められ、大阪から上京。
上京後、家賃が払えなくなって2日間公園で寝泊まりする生活をしたことがある。
ソロシンガーやダンサーとしてライブ活動を行っていたところ、つばさレコーズからのオファーでyucatのバックダンサーとなり、その中のメンバーでPARALLELを結成。
グループとしての活動休止時にはソロで自作曲を発表。
2015年1月、PARALLEL卒業を発表。
3月7日に秋葉原・神タワーでPARALLELとしてのラストライブを行う。
路上ライブなどで歌手活動を模索していたところ、BiSHのオーディションを見つけ応募。
2015年3月11日、BiSHのメンバー発表。
2016年1月 avex traxからBiSHとしてメジャーデビューする。 メジャーデビューシングルは「DEADMAN」。
2016年3月 「新生クソアイドル」から「楽器を持たないパンクバンド」へと肩書きを変更。
2016年10月8日 日比谷野外音楽堂で行われた「BiSH Less than SEX TOUR FINAL’帝王切開’」で世間の注目を浴びるようになる。
特にメジャー1stアルバム「KiLLER BiSH」にも収録された「オーケストラ」の楽曲に乗せたアイナ・ジ・エンドの歌声のエモさも話題となり、一躍時の人となる。
声帯結節の手術のため、2016年12月3日の「IDOL ROCKS! FESTIVAL 2016 in UNIVERSE〜忘年会スペシャル〜」(味園ユニバース)をもって活動休止。
2017年1月2日の「ニューイヤープレミアムパーティー」(Zepp TOKYO)で復帰した。
MONDO GROSSOの偽りのシンパシー[Vocal : アイナ・ジ・エンド(BiSH)](2018年2月7日発売)に参加した。
9月19日、セントチヒロ・チッチと共にソロとしてシングル「夜王子と月の姫 / きえないで」 をリリース。
2017年12月にミュージックステーションに出演し、その歌声が注目を浴びる事となり、BiSHメンバーの中でも特に独特の歌声の持ち主として脚光を浴びる。
目標のアーティストは椎名林檎と語っている。