私自身の子ども時代はといえば、運動も勉強もできる兄に対して、私は父に似てせっかちでおてんば。母はどう育てていいかわからなくて、八卦見(はっけみ)に何軒行ったかわからないほど苦労したそうです。でも、どの占い師さんからも、「この子は人の言うことは聞かないけれど、どうにでも生きていける」と言われたとか(笑)。当時は、祖母と母が私の育て方についてよく会議を開いていて、「ちさ子は性格がキツイから、結婚してもすぐ家を出されるだろう。出されてもひとりで生きていけるよう、手に職をつけないといけない」と話していたのをよく覚えています(笑)。
祖母には、「女は隙を見せてはいけない!」とよく言われていました。男の子とデートに行く時は、いつも鏡の前に立たされて、「このまま出て行って、このまま帰ってきなさい!」って言われるんですね。あの時は良く意味が分からなかったんですけど、やましいことをして帰って来た時って、多分鏡の前に立てないと思うし、何か変わったんじゃないかってドキドキするじゃないですか。だからそういう意味で言っていたんじゃないかなって。後は、男にこびを売るなとか。そんなことばっかり言っていたら縁遠くなるだけなんですけどね。(笑)
心にひっかかった言葉は、ずっと大切にしています。他にも心に残っている祖母の言葉が、「早く行きたいなら、一人で行きなさい。遠くに行きたいなら、友達と行きなさい」って。「友達がいると辛くても、遠くても乗り越えられる。だから友達は大切にしなさい!」って素敵な言葉ですよね。子供にもしっかり伝えていきたいと思っています。
子供の頃、ウチのトイレには「時は金なり!」って張り紙がしてあったんです(笑)。本当に、ゆっくり出来ないんですよね。私の姉はダウン症なんですけど、姉もこういう家庭で育ったから、その精神が染み付いているんですよ。家族みんなが時間を無駄にしないように動いているんです。ウチの親は「財産は残せないから教育を残す!」っていう信条だったみたいで。
高田(純次)さんに『キミ、面白いね。ウチの事務所に来ないか』って。高田さんのところに入ってから、『踊る!さんま御殿!!』とか出させてもらって。だから、高田さんがいなかったら今の私はいないんですよ。
汚い手を使って、客席を満員にしていると思われているだろうと思いますから。だから、私が守っているのは、既存のクラシックファンは一人も奪わないようにしようと。そこは聖域。だから、私は新規開拓。コンサートは常に年間80、90回用意して、日本中どこにいる人も行けるような状況にしておこうと思っている。
私は”体力”がとても大切だと思うんです。体力が落ちると気力も落ちるんですよね。そうするとネガティブな思考になったり、人を羨んだりしちゃうんです。でも体力があって、元気だと凄くポジティブにいられる。なので私は、気力と体力を向上させることを常に考えています。だって人間って神様から与えられている時間って24時間って決まっているじゃないですか。そんな中でいかに抜きん出るかって考えた時に、1度に2つのことが出来れば、抜きん出ることができるんです。そうなると体力が重要になってくるわけです。
(母の)病気が分かった時は、一緒に死のうと思った。母がいなきゃ生きていけないから私は。だけど、最後は“死ぬ死ぬ詐欺”だねって言ったくらい、2年もってくれて。その間にいろいろな話も、もともといろいろ話していましたけど、心の準備もできたし、世の中にはどうしようもないことってあるんだなと思った。
すぐに緊張する性格なので、これまでにどのくらい手のひらに「人」って漢字を書いて、飲み込んできたかわからないですね。とにかく緊張をほぐすために、効き目があると言われたものは何だって試してみます。バナナを食べるといいなんて話もあったかな。全然効かなかったですけどね(笑)。結局、緊張を抑えるために一番効き目があるのは、納得のいく準備をすることなんです。完璧なる準備、つまり練習ですね。これが一番。「これだけ練習したんだから大丈夫!」と思えるくらいのことをして、そこから本番を想定していいシミュレーションをしておくのが、本番で緊張を抑えるのに最も効果があるんです。
私はプロの音楽家として、お客様からお金をいただきながら仕事をしています。だから、自分の好きな曲で、自分自身を表現するために音楽をやっているわけではありません。アルバムやコンサートを通じて、お客様に楽しんでいただくことを一番の目標として仕事をしているんです。プロの音楽家として、お客様のニーズを的確にとらえた曲を演奏したい。それがご評価いただければ、自分の実績になりますし、目指しているクラシックの裾野を広げるという目標にもつながると信じていますね。そういう意味で言うと、私はアーティストではないんです。どちらかと言えば、「サービス業」という感覚で音楽活動をしている。ですから、自分が弾きたいと思う曲ばかりを選んで、自分自身は満足する演奏ができたとしても、お客様がポカンとした顔をしてしまっているようだと、私にとっては失敗です。いかに拍手をいただけるような演奏を披露できるか――。お金をいただく以上は、そこが勝負の分かれ目だと思っています。
”立っている者は親でも使え!”ですよ(笑)自分の親でも、旦那の親でも。子育ては、家族総出でしなくちゃ!専業主婦の人はよく「子供と接する時間が少なくて、子供が可愛そう」とか言うんですけど、保育園にあずけたとしても、それ以外の時間でしっかりコミュニケーションをとって、愛情たっぷりのご飯を食べさせる。そういう子育てをするほうがいいと思います。
仕事があるときは、子どもはシッターさんに見ていただいていますが、わが家のシッターさんはおふたりとも70歳を超えています。私自身が祖母から教わることがすごく多かっただけに、子どもが生まれたら絶対おばあちゃん子にしたかったのですが、うちの両親は自分のことに忙しいタイプ。そこで考えたのが、年配のシッターさんにお願いすることでした。おかげさまで、子どもたちはシッターさんから昔話や戦争の話を聞いたり、反対にパソコンを教えてあげたりと、労る気持ちのある子どもに育っています。私が幼い頃も、朝早く学校に行くときには、近所のおじいちゃんおばあちゃんが声をかけてくださるなど、年配の方による見守りが自然とできていました。今はお元気な高齢者が多いから、そういう方にもっと活躍していただいて、働くママのために団地で元教師の方などにお教室を開いていただいたり、子どもを見ていただいたりと、地域で互いに支え合えるコミュニティーができると理想的ですよね。
もうホント、驚愕のふり幅ですよ(笑)。サントリーホールなどでのコンサートの1時間後には、自宅で息子たちのお弁当用にから揚げ揚げていたりしますからね。でも結局、手も頭も心も休めない性分なんでしょうね。昔から「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」主義でいきたいものだと考えていて。今は専ら仕事に傾いていますが、子供といれる時は全力で遊んでいます。息子たちとテニスやドッヂボールする時も容赦しないので、長男からは「大人げない」とよく言われます(笑)。
長男には、毎日日記を書かせているんですね。ある時彼が、日記を書きながら目に涙を浮かべ「担任の先生と一年でお別れなんて寂し過ぎる」と言ってきたんです。彼の担任の先生は、厳しい中にも愛情に溢れる方なので、私もとても寂しくて。息子を成長させて下さった先生への感謝の気持ちも込めて、この曲を書きました。当初は先生のお名前をそのままタイトルにしていたぐらい。さすがにそれはイカンでしょうと(笑)、「ダイアリー」になりました。
仕事と子育ての切り替えに意外に手こずっています。母からは「子どもには、目をかけるとき、手をかけなければいけないときがある。過保護はいけないけれど、見張ることは大事」と言われてきました。それだけに、どんなに忙しくても、子どもが学校から帰ってきた状態や、持って帰ったものを見たり、日記をチェックするなど必死でやっています。大変ですが、「こうして親も人間として成長していくんだ」と母には言われています。
私、武士道が大好きなんですよね。子供にも空手をやらせているんですけど、5歳になる息子は、「本当の強さとは優しさだ」ってずっと言っているんです。そんな息子に言わせると、「パパは強くて優しい。ママはただ強くて怖い。」ですって(笑)。人にはそういう優しさを求めるんですけど、自分はとても出来ないですね。
生き急いでいるっていうか、私の旦那はよく「死に急いでいる」って私のことを言うんですけど(笑)とにかく「時間が足りない!あれもやりたい、これもやりたい!」って。とにかく色んなことに興味があるんですね。よく、欲の固まりのように言われるんですけど。今は子育てに忙しくて、趣味は持たないようにしているんです。でも私も40を過ぎて、既に人生半分終わったんですよね。そう考えると、やりたいことを後の半分で、果たして全部できるのだろうか!?って思うんです。そういう興味とか関心が行動力の源なんですよね。
主婦と音楽の仕事をどちらも全うし続けるのって、正直言うとすごく大変。それができているのは、家事や子育てを手伝ってくれて、音楽の仕事に理解を示してくれる夫の協力があるからです。そこに感謝しつつ、どちらも楽しむようにしていますね。2日間くらい仕事で家を空けていると、息子たちに「申し訳ない」って思いますけど、私は性格的に、どちらかいっぽうだけに専念するのは無理なんです。逆に、今みたいに両方をバランスよくこなせていると、すごく息抜きになってどちらも楽しめる。主婦業のストレスを音楽の仕事で解消し、その逆も・・・という感じ。とは言え、キツイものはやっぱりキツイですけどね(笑)。
私は「辛い。疲れた」と愚痴をけっこう口に出すタイプです。心に溜め込んでおくのもあまりよくないと思いますし。今年でデビュー20周年を迎えましたけど、その間、「辞めたい」と思ったことも2~3回はありました。でも、例えば今から辞めるとしても、来年の5月くらいまでは、すでに仕事のスケジュールが入っている(笑)。だから、そこまでは絶対にやりぬきますよね? すると、その間に気が変わって続けたくなっている。そういう感じで20年間もやってこられたということは、やっぱり音楽の仕事が大好きなんでしょうね。
ある時、コンサート前に楽屋でピリピリしながら待機していたら父親が訪ねてきて、「お前の仕事は楽でいいなぁ。失敗したって誰も死なないだろ? 例えば、医者は仕事で失敗すると、本当に死人が出ることもあるんだぞ」と言われました。「こっちだって死ぬ気でやっているんだから」とは思いましたけど、父親にそんな言葉をもらってからは、「思いつめて演奏するよりは、自分自身が楽しみながら演奏したほうがいいんじゃないか。そのほうがお客様も楽しんでくれるはず」と思えるようになりました。
死ぬほど勉強した時期もあれば、目標をなくしてやる気をなくし、最低限の練習しかしなかった時もあります。本気でやらないといけないと思ったのは、音大生は就職先がないという現実に直面した時。あんなに一生懸命練習してきたのに、私たちは食べていけないの?と思った瞬間、だったら絶対に食べていける道を探してやろうと思いましたね。
間近な目標でもいいですし、10年後でもいいので。その目標から逆算して今を考えてみると、着ている服も変わってくると思うんです。そうすると自ずと自分が見えてくるし、無駄もないと思うんです。5年後何していたいかな?って考えると自ずと道が見えてきますよ。今やっていることを無駄で終わらせるのか、次に繋げるのかは自分次第なので。
誤魔化したり、小手先だけでその場逃れをするような、音楽をする人もいるんですけど、そういう”卑怯”な人が一番汚いと思うんですね。”誠実さ”のある音楽だったり、人間だったりを美しく感じます。潔さとかそういったところにも美しさを感じますね。
高嶋ちさ子。
東京都出身。
父の高嶋弘之は東芝EMIの元ディレクターで、ビートルズを日本に紹介した人物である。
母は元宝塚歌劇団の寿美花代さんで、ピアニストという音楽一家の3人兄姉の末っ子として生まれました。
父の高嶋弘之の兄が俳優の高島忠夫(伯父)であり、高嶋政宏・政伸兄弟は従兄にあたる。
6歳からヴァイオリンを習い始め、徳永二男、江藤俊哉、ショーコ・アキ・アールに師事した。
青山学院初等部、青山学院中等部、桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部卒業。
イェール大学音楽学部大学院修士課程アーティスト・ディプロマコース修了。
在学中にノーフォーク音楽祭、サラソタ音 楽祭、バンフ音楽祭、パシフィック・ミュージック・フェスティバル等に参加。
1994年、マイケル・ティルソン・トーマス率いるマイアミのオーケストラ、ニュー・ワールド・シンフォニーに入団。
1995年、26歳でチョコレート・ファッションというユニットで東芝EMIからCDデビュー。
1996年、ソロ活動開始。
1997年3月、日本に拠点を移す。
1997年、フジテレビアナウンサーの軽部真一と共に『めざましクラシックス』を立ち上げる。
1999年2月にソニー創業家一族の会社員と結婚。
2004年、1736年製のストラディバリウス「ルーシー(Roussy)」を入手。
2006年、プロジェクト「高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト」を立ち上げる。
2007年2月、第1子となる男児を出産。
2009年5月、第2子となる男児を出産。
2014年、第27回日本メガネベストドレッサー賞・文化部門を受賞。