真剣に生きろ!~藤岡弘、名言集と軌跡~


新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。

私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。

それが、私の50センチ革命。

一人一人の個人が、一歩前に進むこと。

これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。

元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。

目の前にある、小さなものでも構いません。

新しい一歩を!

過去と他人は変えられない。

変えられるのは自分と未来だけです!

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Contents

■藤岡弘、名言集

生き様を見ろ。心構えをみろ。後輩を育てるというのは、手取り足取り教えるのではなく、自分の戦う姿を見せることによって説得するということだ。それをどう受け取るかは、その後輩の個性だ。

青春時代は次から次へと巨大な壁が覆いかぶさってきましたね。自己との戦いを通じて、挑戦力が強く、強く鍛えられた気がします。子どもの頃から武道をやっていたので、それも多少、役立ったのかなという気がします。武道は、生か死かという戦いの技術を学ぶようなもの。何事も危険極まりない稽古だといえます。骨が折れる、ヒビが入るというのは当たり前。下手をすると首の骨を折って死ぬ。相手も殺してしまうかもしれない。そんな恐怖を感じながらの訓練ですから、一度気を抜いたら何が起こるかわからない。それは、自分の精神との戦いです。自分自身が越えられるか分からないから、やるしかない。挑戦して、失敗して、克服する。その繰り返しなんですよ。それを体で覚えていくんです。そういう部分が、知らずに力になっていたんじゃないかと思います。

日本は老人大国だと憂う人がいるけど、それは違う。日本は世界一の財産国なんだ。必死に生き抜いてきた長老達がいる。コンピューターや本などにはない生き字引であり、我々の魂にまで入ってくる人間力の宝庫だ。

若い時は、経験が足りないのが普通、だからこそ自分で自分に責任を持ち、勇気を奮って経験という旅に出て欲しい。

この子たちは、目の前で親や兄弟が銃弾の弾除けとなり、その死体の下から這い出て、生き残った子どもたちだったんです。打ちひしがれて、魂もズタズタになって、大人を信じられなくなってしまった。私はコーディネーターたちに言われました。「殺す人間だけじゃなく、救う人間もいるんだということを伝えてほしい」と。悲しい現実です。でも、奇跡の子どもたちです。なぜなら、親が自分の命を捨ててまで、守った子どもたちだからです。民家を襲う敵軍が迫り、逃げ場を失くした親が子どもを屋根裏に隠した、という戦場もありました。その子の真下で親は虐殺されましたが、子どもは生き残ったんです。子どもに未来を託したのです。命より尊いものは愛だということを、まぎれもない事実として実感し、涙しました。国境も民族もイデオロギーも宗教も越えて、親の愛は同じでしたね。

人生はサバイバル。生きている間は何が起こっても当たり前、何が起こるかわからない。洞窟だって同じで、一寸先は闇。光を求めてどんどん進むだけ。そう思ってやっていればどんな壁だって超えていけるはずだ。私もまだ、己磨きの旅の途中だ。

敗者は、修行としては最高の場を与えてもらったということなんだ。そんな勉強ができるなんて凄い場だったじゃないか。

家、自動車、宝石。これらだけが財産ではない。真の財産とは、「生きる力」「生きる姿勢」「生き抜く勇気」である。

子供を育てるのは親の役目であります。私は父から「逃げるな」「負けるな」「屈するな」「諦めるな」と何度も言われました。母からは「あなたが人様に迷惑をかけたら、あなたの命をいただき、私もあなたのあとを追います」と悪さを繰り返す私を戒めて厳しい叱責でした。親の”本気”は必ず子供に通じます。

「心が折れる」なんて甘っちょろいことを言うな。日本で暮らしているだけで幸せじゃないか。ボランティアで世界各国を訪れ、言葉では言い表せないほどの悲惨な現実にこれでもかというほど接してきた。生きたくても生きることができなかった。村が町が全滅した。子や親、兄弟を失った。懸命に生きている国民や民族が世界には大勢います。そのことを思うと、多くの自由があり、平和で安全な日本にいて、不平、不満、グチを並べ立てるとは、なんと甘いことか。

昨年より今年、昨日より今日、1時間前より今。チャレンジし続ける心を忘れなければ肉体も精神も、心も魂も、成長し続ける事ができると私は信じている。

私の人生観ですが、『愛と勇気と夢と自由と感動がないなら、死をくれ』と言うようなものです。私はね、そういった人生を味わいたいんです。愛を持って生きる、勇気を持って前進する、夢を持ち続ける、自由を求めて旅をする、そしてそれらが感動に繋がる。感動なき人生は私にはありえないんです。それがない人生なら死をくれ!と。それが私の人生観であり、生き様なんですよ。

人生はサバイバル、生きて生きて生き抜く事。何が起ころうと、前進し、生きて生きて生き抜け!!

絶えず夢を追い、勇気を持って挑戦をする。人生において感動の旅をし、自由を求める。そういったものを見つめ直すだけでいいと思います。それもまた旅ですよ。これらがないとなぜ生きているかわからない気がします。ただ食べて寝るだけの人生はつまらないと思いませんか?

危険地帯こそ、財産、財宝が眠っているんだ。感動の財産が待っているということを忘れないでほしい。まさしく、人生は探検だね。君は人生の探検家なんだ。

愛とは思いやりです。今、その愛がなくなってきているから、世の中がおかしなことになってきています。その大きな要因が人の中にある傲慢、エゴ。人間の欲望にはきりがない、そういったエゴが今の世の中をおかしくしているように思います。それは多くの人が愛を見失っているからではないでしょうか。分をわきまえ、足ることを知る。

「勝ち」と言われている人だって、明日にはこの世にいないかもしれない。それよりも自分なりの生き方を責任を持って、しっかり生きるということが大事なんだ。

物事に対して、ちょっと引いてみることです。すると大いなるものが見えてくる、我々の命がこの瞬間存在しているのは偶然でなく、天が使命を与えてくれた、命を与えてくれたということを。この地球上の70億の人間が、自覚し、感謝の念を持てるなら、どんなに素晴らしいか。自分は生まれてきたいから生まれたんだ、という人はいないでしょう?

この世を去る時に持って行けるのは何かというと、どう生きたかという想い出だけだと思うんだよね。だったら想い出をいっぱい作ったらいいじゃないか、と。グッとくるような想い出を。

人間は、目標を達成するだけがゴールではない。全力で前進し続ける勇気を持つことの方が意義がある。

人それぞれ、自分らしい生き方がありますよね。人と同じじゃなくていいんです。自分ができること、やれること、可能性の持てること、やっていて楽しいこと…、そうしたものに手抜きをせず、一生懸命、全身全霊をかけて、学びながら、真剣に取り組めば、きっと未来を感じることができるはずです。劣等感を感じても、まわりから笑われてもいいじゃないですか。目的意識を持って、一生懸命やる。

逆境を越え続けた私の人生、しかし逆境こそが私を強く、たくましく、育てて、成長させてくれた。打たれれば、打たれる程、磨かれツヤツヤと輝かせてくれる。有難いことだ。

死ぬまでが青春。心臓がとまって死ぬまでが地上の旅であり、冒険なんだ。

命がある。これはもう、幸せなことなんだ。だから、ちょっとやそっとのことで「私は不幸だ」なんて思っちゃいけないね。後悔しないように一瞬に命を賭ける。それが自分を作るんだ。

生き抜く。どんな事が起きても、愛する者を守り、前向きに、プラス思考でつき進む。

今日、自分の愛する者達と生きている。そう、それだけで充分じゃないか。

どんな困難なことがあっても勇気を持って進め。弱き者、困っている者を助けてあげられる勇気を持て。

人生にはリハーサルもアンコールもない。限られた時間しかない。1秒後は歴史になってしまう。私達は確実に死に向っている、とも言える。だから真剣に生きろ、と。

■藤岡弘、とは?

藤岡弘、。

1946年(昭和21年)2月19日、警察官で全国的にも知られた柔道家、家伝の流派の古武道である「藤岡流」を継承する武道家でもあった父と、茶道や華道、琴の師範だった母との間に生まれる。

当時の生家は駐在所で、近所には四国八十八箇所霊場の第四十四番札所である菅生山 大覚院 大寶寺があり、母はよくお遍路さんに「お接待」を施してもてなしていたのが印象的だったとしている。

生まれたばかりの頃は病弱で、肺炎を患った時には「もうダメだろう」と医師から告げられる中、「遺影に…」と写真が撮影された程だった。

この時は母の献身的な看病で一命を取り留めるが、小学校に上がってからも、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な線の細い子供だった。

6歳の頃から病弱を心配した父から武道の手ほどきを受け、肉体と精神の修行・鍛練の中、病弱を克服する。

小学校時代は、父の仕事の都合で転校が多く、よくいじめの対象にされた。

1957年(昭和32年)、小学校6年の時に父が突如失踪。

その日から家族の暮らしは貧しさを極め、3度の食事にも事欠き、学校に給食費すら納められない状況に陥る。

藤岡はこの頃からアルバイトで生活を支える。

1961年、松山聖陵高等学校に入学。

柔道部に在籍して主将を務めた。

1964年に劇団NLT俳優教室に入所。

1965年には松竹映画ニューフェイスとして入社。

香山美子と都はるみの主演映画『アンコ椿は恋の花』(監督:桜井秀雄)でデビュー。

同年、『若いしぶき』(監督:八木美津雄)で初主演。

1970年、アクションドラマ『ゴールドアイ』(日本テレビ系・東映制作)第12話「密売大組織」より、「藤弘」役としてレギュラー出演。

のちに『仮面ライダー』で共演する千葉治郎も同じ回からレギュラー入りしている。

1971年(25歳)、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』に、主人公・本郷猛 / 仮面ライダー1号役で出演。

1973年、12月29日公開の東宝映画『日本沈没』(監督:森谷司郎)に主演。

1974年、NHK大河ドラマ『勝海舟』の坂本龍馬役に抜擢。

1977年(31歳)、4月6日からテレビ朝日系でスタートした東映制作の刑事ドラマ『特捜最前線』に桜井哲男(哲夫)警部役でレギュラー出演。

1984年(38歳)、SFサムライ映画『SFソードキル』(制作国:アメリカ、監督:J・ラリー・キャロル)の主演を務め、国際俳優となる。

1986年には東京国際ファンタスティック映画祭でヒーロー賞を受賞。

1987年、『白い牙』で共演した女優・鳥居恵子と結婚(3年3ヵ月後に離婚)。

1997年、家庭用ゲーム機「セガサターン」のテレビCMでイメージ・キャラクター「せがた三四郎」に起用され、CMコピー「セガサターン、シロ!」とともに大人気となる。

1999年、10月からNHK連続テレビ小説『あすか』に竹内結子演じるヒロインの父親役で出演。

2001年11月(55歳)、24歳年下の一般女性と再婚。同年12月には長女が誕生している。

2014年5月、自ら企画したフジテレビ系のドキュメンタリー番組『海を越えた侍たち〜藤岡弘、がブラジルで見つけた日本人の心〜』の取材・収録のため訪伯中、過去5回の訪伯でのボランティア支援で日本とブラジルの国際交流に貢献したことや、日系人社会を正しく伝えるための番組作りなどが評価され、ブラジル連邦議会より「感謝表彰」、名誉下院議員より「大十字勲章」が授与された。

2015年、ベストジーニスト2015(協議会選出部門)を受賞。

2020年、長男・藤岡真威人が俳優デビュー。

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