フィリピンの人口は1億人を超え、平均年齢24歳と若いです。
最近はインフラ投資にも力を注いでいて、秩序ができつつある状況です。
また、しばらくは人口ボーナス期が続き、成長が期待できます。
フィリピン経済は年率6%程度の成長が見込まれ、今年は一人当たりの名目GDPが3千ドルを超えると予想されます。
3千ドルを超えると高額商材などの消費市場が一気に加速すると言われています。
約20万人の在留フィリピン人を相手にしていた当社が、約1億人ものフィリピン人を相手にビジネスができるようになるのです。
これがずっと私の夢でした。
宮下幸治。
1965年生まれ。
1985年株式会社リクルート入社
(株)リクルートにて情報誌・通信事業を経験。
リクルートは1985年の通信自由化をきっかけに通信事業に参入。
宮下氏はその時の経験をもとに起業。
1991年10月(株)アイ・ピー・エスを起業。
海外人材を日本企業に紹介する事業に加え、国際デジタル通信(現ソフトバンク)の代理店としてIPSをスタートした。
その後、特別第2種電気通信事業者を取得し、在日外国人向けにプリペイドカードを販売するなどサービスを拡充しながら事業を続けていた。
フィリピンでのブロードバンドサービスに参入。
2005年に、日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合から出資を得、代表村口和孝氏からも支援は長期に渡った。
業績不振があったが、2016年にフィリピン国会でIPSの通信事業を認める法律が可決され、困難を乗り切った。
2018年6月東証マザーズ上場。
海外人材を日本企業に紹介する事業で創業し、大手国際電話会社の販売代理店となり在留外国人向け国際電話サービスの顧客を開拓した。当時、外国人はフィリピン、中国、韓国、ブラジルの4カ国が約8割を占め、外国人の同胞を相手にしたビジネスを起業した事業者が国際電話の事業も押さえるようになった。ただ、フィリピン人の起業は少なかったため競合もなく、チャンスがあると思い、そこに特化した。
日本国内で国際電話サービスを提供し、タガログ語新聞も発行した。フィリピンでは1999年にマニラでコールセンター事業を立ち上げ、2012年にはマニラと香港・北米を結ぶ国際通信回線を現地企業に提供して通信事業に参入した。安く日本と同じ品質のサポートで回線を提供し、成長している。
フィリピンの通信事業に注力し、第1の基幹事業に育て上げる。マニラは人口2400万人の市場で、売り上げ順位1000位までの企業の約8割が集中しているため、マニラの法人向けを重視したビジネスに取り組んでいく。
売上高で言うと60対40で日本の方が若干高いのですが、利益では70対30とフィリピンの方が高くなっています。日本市場が薄利多売なのに対し、フィリピン市場にはまだまだ当社が入り込む余地があります。医療・美容事業では日本ブランドに対する信頼も厚く、レーシックでは大きなシェアを獲得しています。また、法人向けインターネット接続サービス事業も好調です。フィリピンの固定ブロードバンド市場は大手2社が寡占しているため、競争が不十分でサービスも低品質で高価格というのが実情です。日本の事業者であれば東から1本、西から1本というように、万が一どちらかの回線が切れても大丈夫なように回線を引くのですが、フィリピンの事業者は1本しか引きませんから、多くの企業が大手2社にサービスを依頼し、2重に料金を支払っています。それに対して当社の回線は安定していて、価格は大手の3分の1程度です。このような「高品質で低価格」という日本流のサービスが受け入れられ、確実にシェアを拡大しています。
日本国内よりもフィリピンの方が収益性が高いので、そちらに軸足を置いてやっていく方針です。首都マニラには高層ビルが立ち並ぶ商業地域が7カ所ほどありますので、そのエリアの法人に絞ってインターネット接続サービスの直販をしていきます。なお、上場により調達した資金は現地法人への投融資を通じてマニラ首都圏地域の光ファイバー網の整備に用います。自社で敷設するのは大変ですが、エリアも限定されていますし、距離も短いためそれほどコストはかかりません。
日本で通信が自由化してから、どういう会社が生き残ったかを体で覚えている。そこは圧倒的に有利だと思う。