HENNGE(ヘンゲ)株式会社創業者、小椋一宏:社名をHENNGEに変更した理由とは?

HENNGE(ヘンゲ)株式会社創業者、小椋一宏:社名をHENNGEに変更した理由とは?

 

社名をHENNGEに変更した理由とは?

 

 

小椋一宏/HENNGE(ヘンゲ)株式会社創業者

 

 

社名をHENNGEに変更して、失敗を容認するというメッセージを社長自ら社内に発信している。

100回失敗してこそ1回の成功が得られる。

とにかく新しいチャレンジをしよう。

100回の失敗をしようと言っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

小椋一宏(HENNGE創業者)とは?

 

 

 

小椋一宏。

1975年ニューヨーク生まれ。東京都出身。

 

6歳でN80-BASICによるプログラミングを習得しゲームプログラミングを始め、高学年ではMSX等のBASICマシンでの開発経験を積む。

ファミコン大ブーム期にも苦しい家計の事情からファミコンを買い与えられず、その悔しさから自分でゲームを作って遊ぶ生活を送る。

 

中学生に入ってからはN88-BASICによるプログラミングに没頭し、特にミュージックプログラミングに力を入れるが、完全なマニアとして完成してしまったため女性にもてず、高校でのパソコン断ちと人生の再出発を決意。

 

高校ではパソコンには一切ふれず、バンド活動をしながら3年間を送るが、お茶の水での浪人生活中に秋葉原電気街に立ち寄った際に3年間の間の科学技術進歩と欧米技術の市場席捲を目の当たりにし、再びコンピュータ技術に興味を抱く。

 

桐朋高校在学中にバブル崩壊を体験し、日本経済の再興に貢献したいという思いから一橋大学経済学部に進学するが、経済学は向いていなかったと見え、入学後すぐにコンピュータの世界に戻る。

1994年、某研究所におけるプログラマとしてのアルバイト時代にLinuxと出会い、その素晴らしさを痛感。

 

研究所内にLinuxを導入する。

同年はじめてインターネットと出会い、新たなデジタル革命の波を予感。

 

前代未聞の技術進歩の風が吹き荒れるIT業界において、学生を中心に構成した柔軟な組織を構成すれば、新しい技術への適応力において大企業を上回ることができるのではないかと考え起業を決意。

1996年11月にホライズン・デジタル・エンタープライズとして創業、2006年にHDEと社名を変更し、2019年2月、HENNGEに改めた。

 

起業後は一貫して技術部門のトップとして会社を牽引。

常に新しい技術に目を向け、2009年頃からは、クラウド時代の到来に先駆けてクラウド技術を社内に持ち込む。

 

2019年10月東証マザーズに上場。

 

 

 

 

 

 

 

小椋一宏(HENNGE創業者)の「コトバ」

 

 

 

企業が複数のSaaSサービスを利用している場合、各従業員のIDを作ったり削除しなければいけなくなり、業務が煩雑になる。HENNGE Oneを使うことで、様々なサービスを横断して使うことができる。顧客は一つのIDを使うことでユーザーを管理できる。従業員も単一のIDでアクセスでき、パスワードなどを覚える手間が減る。もう一つの機能はアクセスコントロールだ。サービスごとにアクセスポリシーを設けたい場合に使う。例えば、カオナビのような人事情報を扱うSaaSサービスでは、人事担当者が社内でのみ閲覧可能にしたいのに対し、ビジネスチャットアプリであれば、自宅やスマートフォンから誰でもアクセスできるようにしたいというニーズに応える。誰がいつどの端末から、どのサービスにアクセスするかコントロールできる。この二つの機能を使い、企業はSaaSサービスを使うワークスタイルに移行できる。

 

 

 

 

 

 

標準主導の技術とベンダー主導で進む技術の差異の問題だと思うんですけど、仕様の標準化が主導する開発は進歩が遅いのが欠点です。技術の進歩はある意味、標準を破ることじゃないですか。Webブラウザ戦争はいい例です。IMはベンダー主導ですよね。ケータイもそう。

 

 

 

 

 

 

テクノロジーの解放をテーマとしてきたが、多くの人に使ってもらってこそ価値が出る。

 

 

 

 

 

 

 

消費者向けの市場では、いろいろな技術がぶつかり合って新しいものがどんどん生まれている。生き残るのは評価されたものだけだ。そのうまみをビジネスでも生かせばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

数年に一度、という不連続で大きな変化ではなく、日々連続的に徐々に変化していく流れに乗ってしまえばいい。痛みは最初だけ。後は自然に最新のテクノロジーを享受しながらともに歩める。しかも楽に。これがDXの端緒になる。

 

 

 

 

 

 

去年の画面と今年の画面で何が変わったかと聞かれてもほとんど答えられないだろう。スクリーンショットを取れば、実はだいぶ変わっていることに気づく。こうして知らない間に変革し、革新していることがポイント。

 

 

 

 

 

 

 

クラウド化を進めることになったのは、11年に提供を始めたメールのSaaSから。お客様からのいろいろなニーズを受けて対応する形で日々機能を追加していくと、お客様が連続的な変化の波を当たり前のものと考え、お客様自身がどんどん変革し始めた。柔軟な働き方にもつながった。HENNGEも、新しい働き方に対応するためのセーフティーネットをたくさん用意するというコンセプトに変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

ある企業は、初めはメールだけをクラウドにするつもりだった。ところが、いつの間にかDXの波に乗ってセールスフォースを導入し、マーケティングオートメーションツールのMarketo(マルケト)を活用してどんどん進み、気がつけばSaaS活用企業に生まれ変わった。そうした例をいくつも見てきた。

 

 

 

 

 

 

連続的な変化が体験できるものを導入して、それが実際に自分たちのビジネスにどういい影響を与えるのかを体験する。社内でそれを布教できる人をつくる。

 

 

 

 

 

 

 

環境が変わり続けている中では、経営的に考えても自分たちも変わり続けなければならない。2年後には滅んでもおかしくない、常に危機感を持ちながら、自身が常に新しいものを試し続けて変わり続けるようにしている。

 

 

 

 

 

 

まずは私たち自身が試さないと、お客様に何をお勧めしていいか分からない。後々お客様が導入するかも知れないサービスについて、問題点や強みを知るために、自ら地雷を踏みに行く。

 

 

 

 

 

 

本音で言うと、今後情報システム部(情シス)の人たちはいらなくなる。管理すべき情報は、どこかのクラウドにあり、それらは自動的に管理される世界が間もなくやってくる。システムごと置き換えられてしまうかも知れない。だからDX担当に生まれ変わるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が何もしなくても、勝手にどんどん良くなっていくものをいっぱい管理するだけでいい。その面倒さえみていれば、みんなが頼ってくれる。

 

 

 

 

 

 

確かに、困っていなければ無理矢理デジタル化する必要はない……。いやいや。困っていないはずはない。気づいていないだけで。本当は必要なことが山のようにあるはずだ。今のままで、本当に戦い続け、生き残ることができるのか。

 

 

 

 

 

 

 

当社は、創業から十数年間は日本語オンリーの会社でした。しかし、急速に発展する最新のIT 技術にキャッチアップしていくには英語が必須となり、海外からも優秀な人材を採用する方向に舵を切ったのです。

 

 

 

 

 

 

13年冬から毎月1人をセブ島の語学学校に1カ月間留学させ、英語を毎日8時間学んでもらいました。英語に何となく抵抗がありそうな社員から順番に(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

マネジャーとして外国人との業務も英語でしなければいけない立場のため、留学後もスカイプ英会話で学習を継続しました。現在、私の部署の約50%が日本語を母語としないスタッフ。ミーティングも社内のチャットもすべて英語で行います。

 

 

 

 

 

 

英語を使っても日本人のよさは変わらない。日本の会社としてグローバル化していきたい。

 

 

 

 

 

 

労働者が減るこの時代、空気を読まずに『NO』と言える社内の雰囲気が大切だ。なぜなら、NOを言うことで本質に早くたどり着けるからだ。似た人が集まると『NO』と言い出すのは難しいが、全員が異なると一致点に目が向きやすい。

 

 

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