「ウイルスが生きている・死んでいる」などという表現がまかり通っていますが,ウイルスは生き物ではありません。
ウイルスは感染した後,その細胞の力を借りて増殖するわけで,それ自体がばい菌(バクテリア)のように生きているわけではないのです。
「遺伝子(DNAまたはRNA)が入っている小さな殻(または顆粒)」であって,自ら生命活動をしているものではありません。
ウイルスが何故悪いかというと「①感染」→「②細胞内で増殖」→「③細胞破壊」→「④炎症・免疫異常」→「⑤発症」→「⑥悪化または回復」このような経過をたどります。
どうもニュースを聞いていると「本日〇〇人が感染」というように言っていますが,これは実は上に示した「⑤発症」とほぼ同じ意味で使われているようです。
実際に症状が出た人についてのみPCRという検査をしているのが現状なので,上に示した「①感染」した人の数字は実際には「わからない」のです。
「①感染」しても何の症状も示さない人が実は数多くいる可能性が高いのです。
その理由は,「十分な免疫が働いた」とか「ウイルスの受容体が少ない」などの理由が考えられます。
浦田泰生。
1955年10月愛知県生まれ
1974年3月 東海高等学校 卒業
1983年3月 京都薬科大学大学院 修士課程修了
1983年4月 小野薬品工業株式会社 入社 臨床開発部配属
1994年8月 日本たばこ産業(JT)株式会社 入社 医薬総合研究所配属
2002年3月 同社研究開発企画部長
2003年8月 同社医薬事業部調査役
2004年3月 オンコリスバイオファーマ株式会社を岡山大学藤原俊義教授と共同で創業 代表取締役社長
2009年11月 経済産業省 バイオ・イノベーション研究会 委員
2013年12月、東証マザーズに上場。
2016年8月 Oncolys USA, Inc. 取締役
大学院では酵素の研究をし、JTで医薬品の開発に携わった。
上司や社長を説得してがん治療薬のプロジェクトを3つ立ち上げた。
そして4番めに、ウイルス治療をしようと目をつけた。
がんの遺伝子治療を開発した岡山大学の田中紀章教授と藤原俊義助手に出会い、最新の成果から腫瘍溶解ウイルスのアイデアを得ることができた。
この治療法はハーバード大などではじまっていたが、初期論文によれば副作用は発熱程度で、肝臓、心臓、腎臓の副作用は全然なかった。
教授らも事業化に乗り気だった。
ところが、2000年になった頃にJTは抗がん剤の開発をしないと宣言してしまい、大変なショックを受けた。
ベンチャーキャピタルから成功を信じてもらえず出資が得られないまま2年が経過。
特許を書き、教授らとJTの仲間数人にも出資してもらって自宅を兼事務所にして会社を設立し、教授らと共同記者会見したのが起業の日。
それから駆けずり回って出資金を集めていった。
父親は85歳でまだ現役でお店に立っていますよ。田舎の小さな店だから、湿布を出しただけで近所の人はありがたがって畑で採れた野菜なんかを持ってくる。そんな親の働く姿をみて育ちました。
京都薬科大を卒業してから半年ぐらい音楽事務所に入ってプロのギターリストをしていました。でも有名アーティストのツアーに同行して演奏しても給料が出たり、出なかったり。これで食うのは厳しいなと、でも東京に出る実力もないし、ということで大学院に入り、薬学を本気で極めようと猛烈に勉強を始めました。
当初起業する気なんてさらさらなかったですよ。でもJTで研究していた抗癌薬の開発がたばこ事業の悪化を理由に中止されてしまった。それで、一緒に研究していた岡山大の先生の所に会社の都合でこれ以上研究できなくなりました、と謝りに行った。そしたら先生嬉々として、そりゃちょうどいい、一緒に会社を立ち上げようって。
もともと薬科大学の大学院で酵素の研究をし、小野薬品工業と日本たばこ産業(JT)で医薬品の開発をしていました。JTでは免疫系と抗がん剤の三つの創薬プロジェクトにかかわり、抗がん剤はグラクソ・スミスクラインに導出してすでに販売されています。四つ目のプロジェクトとしてウイルス治療をやろうと考え、いろいろな企業や大学を回って、これは効くな、という感触を得て、大学と協力し基礎的な実験を始めていました。ところが会社の方針で急に「がんはやらない」ことになった。自分の創薬人生のなかで、JTでがん治療薬の創薬を成し遂げたいという強い思いを持っていたので、これはショックでした。
昼はオニギリ握って持っていって、極力お金を使わないように切り詰めた。でも資金は半年ぐらいでなくなってしまって。設立の時だけでなく、資金繰りは常に苦しかったですよ。社員に給与を払わなくちゃいけないので、銀行のカードローンを三行からそれぞれ限度額いっぱいまで借りていた時がありました。そしたらある朝、家内がすごい剣幕で娘を連れて部屋にやってきたのです。“銀行から何本も電話があった、いったいいくら借金しているの”って。いやいや融資枠をもらっているだけだからとごまかして(笑)。カードローンでやっと社員の給与分のお金を工面したのに、今度は会社の口座をそっくり都税事務所にから差し押さえられた時もあって、さすがに万事休すと思いましたね。
当社は腫瘍溶解ウイルス療法を開発する会社なので、腫瘍(がん)を意味するラテン語の onco- と、溶かしてしまうことの lysisとから、「がんを殺す」とか「がんを溶かしてしまう」という意味でoncolysisという医学用語にしようとした。しかし、たいへん言いにくいので Oncolys(オンコリス) というちょっと可愛い名前にしてしまった。
06年7月には治験申請受理、年末から臨床1相を開始し08年末には臨床1相を終了しました。ここまでは順調だったのですが、折からのリーマンショックで資金調達がままならず、10年末にHIV治療薬をブリストル・マイヤーズスクイブに導出できるまで、開発がストップしてしまいました。IPO(新規株式公開)の準備費用も想定以上にかかり、研究開発費を縮小。リストラせざるを得ず、キーマンもひとり会社を去りました。
大切なのは,金は出すが口も出す,という精神なのではないか。アメリカ人はよく「日本人のビジネスはおとなしすぎる」というようなことを言う。委託先に対して初めは細かい注文はつけるが,その後のフォローが鷹揚だ,と言うのである。相手も人間である。最初は頑張ります,やり遂げます,と言っていたものが,時間が経てばルーチンワークになってくる。これは,自社の社員も同じことであろう。同じ経費を出すのであれば,定期的に訪問して状況を聴取し,その担当者とは自社の社員と同じ気持ちで接し,注文をつけるべき時ははっきり言い,うまくいった時は共に喜びを分かち合う,という雰囲気作りも重要だ。これは簡単に見えて,実は自社のラボを持つ以上にハードなことかも知れない。
原因はひとつ。社員のコミュニケーションが不足がちになっていたという点に集約されました。会議や打ち合わせを増やすなど,それなりの努力をしてきたのですが,依然情報の共有化は円滑には進みませんでした。いくらITが進歩しても,メールを山ほど出しても,人間のニュアンスの隔たりまでは埋め尽くすことは出来ないようです。
起業してから眠れない夜は何度もありましたよ。でも会社員のままでいても同じように苦しかっただろうなと、やりがい、生きがいがなく生きることも同じぐらい苦しいことだと思います。世界中の人に役立つ薬を生み出せる喜び、これは何物にも代えられませんね。
がんと重症感染症の新しい治療法を開発するオンコリスに,新しい挑戦をすべき時がやって参りました。この度,弊社と長い間共同研究を続けてきた鹿児島大学のヒトレトロウイルス学共同研究センター(馬場昌範教授)から新型コロナウイルスの治療薬に関する特許の譲渡を受けることになりました。新型コロナウイルスの治療に対しては,すでに世界で数多くの企業や研究グループがワクチンの製造に向けて開発が進んでいます。また,レムデシビル(ギリアド製薬)等ほかの感染症などの治療薬が代替的に新型コロナウイルス治療に用いられるようになってきました。しかし,その治療効果は十分なものではなく,更に,依然として国内外では感染拡大が継続しており,第二波,第三波が懸念されており,新型コロナウイルスに特異的でかつ強力な新薬が強く求められています。新型コロナウイルスの全世界への拡散は,予想よりも非常に速い速度で,かつ人類の健康と経済活動に極めて強い影響を及ぼしていることはご承知の通りです。新型コロナウイルスがこの世界から駆逐されるのには,まだ相当の時間がかかるというのが専門家の考えであり,私たちの生活がまた元通りになるには,ワクチン開発の成功はもちろんのこと,新型コロナウイルスに特異的な新規治療薬が必要不可欠であることは,エイズ治療の歴史を見れば明らかなことです。エイズウイルスは1980年頃に発見されましたが,いまだに承認されたHIVワクチンはなく,結果的に複数の治療薬を毎日服用することによって,感染拡大がある程度抑えられています。
ベンチャー企業自体,ある種の賭けであり,経営者は絶対に勝てると思って振ったサイコロです。(略)経営を健全化するためには,ヒト・モノ・カネのバランスが重要であり,そのためには会社の事業価値や環境を客観的に評価する冷静さが経営者には求められます。 そんな時に心の中に母の声が響いてきます。過信することなかれ,慢心することなかれ。心の中で応援していてくれる母の言葉を忘れないようにしたいと思います。