商売というからには、誰でも一応は一生懸命やっている。
それで当たり前、いわば2×2=4(ににんがし)である。
大きな成功を収めるには、それだけでは足りない。
考えて考え抜き、努力に努力を重ねて常識の壁を越え、誰もがやれないようなことをやってのけなければならない。
2×2=4を、2×2=5(ににんがご)にも6にもしなければならない。
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商売は2×2=5(ににんがご)。当たり前を超える努力を重ねれば、成果は増える。
(グリコホームページより抜粋)
ビジネスに取り組む以上、いわば「2×2=4(ににんがし)」のような当たり前で、他人と同じような考え方では、それ以上の進歩も発展ない。
それが、江崎利一が生涯持ち続けた創意工夫、「2×2=5(ににんがご)」の精神です。
たとえば、どんな小さなことであってもバカにせずに考え工夫をしてみること。
考える努力をすること。「努力」と「経験」を“判断・直感・工夫”などで掛け合わせることによって「不可能を可能にする」。
つまり、人並みの考えをせず、あらゆる場合を科学的に検討して独創的な活路を発見し、独創的なアイデアを発揮することは重要だということです。
グリコホームページより
https://www.glico.com/jp/enjoy/contents/ezakiword01/
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江崎利一、えざき・りいち。
江崎グリコの創業者。
佐賀県出身。
芙蓉小学校高等科卒業後、家業の薬種業を引き継ぐ。
海外から大樽でワインを低価格で仕入れ、瓶に詰め安価に売る商売で九州一のワイン販売業者となる。
その後、干し牡蠣をつくる際、グリコーゲンを多く含む煮汁が捨てられていることに目をつけ、グリコーゲンの事業化に着手。
41歳で栄養菓子事業の江崎商店(江崎グリコ)を創業。
グリコ、ビスコの製造で成功した。
第二次世界大戦で全財産を失うが、戦後同社を再建し再び財を築いた経営者。
「夢は大きく、暮らしは地味に」これは私の処世訓でもある。
オモチャ屋と冷やかされ、グリコはオマケで売れたという人もある。しかし、本当はグリコのオマケを生み出すほどの創意工夫こそ、グリコ発展の原動力であったと私は言いたい。
グリコという名称が独創的であるように、形もまた独創性を持たなければならないというのが私の考え方であった。
グリコのスローガンにも頭を悩ました。「簡単で」「力強く」「覚えやすく」「興味の持てるもの」。しかも、日本で初めての栄養菓子の性格を十分表したものでなければならない。
ある日、見るともなしに見ていると、子供たちが走りっこをしている。先頭になった子が、勢いよく両手をあげてゴールインする。その姿を見て私は考えた。「人間は誰でも、健康でありたいと望んでいる。健康のためには、体を鍛えなければならない。そうだ、スポーツこそ、健康への道だ。そして、子供の遊戯本能もまた、スポーツの中にはっきり現れているではないか。ゴールインの姿は、それらの象徴というべきではないか。グリコのマークとして、これほどぴったりのものはない」
私は工場を死に場所と考えている。現在の用地を買収するときも、農民に襲われるほどの命がけの交渉を行ってきた。ほかにも生命の危機にさらされたことは、これまで3度もある。命が惜しいとは思わぬ。今度建ててやられたら、もう一度建てる。力の続く限り何度でも建てるつもりでいる。だから今の場所に工場を再建し、決死の覚悟で操業を続けたい。
君たちが腰が抜けたというのなら、辞めてもいい。私はひとりになってもやり通す。城を枕に討ち死にする覚悟の者だけついてこい。