とかく日本では経営というと神秘的な響きを持っていて、ちょっと強調されすぎのように感じます。
日本の一般的な経営感というのは、私の印象では会社を経営するために事業をやっているように見える。
そのためにはイノベーションも必要だよね、くらいの感覚です。
しかし、私の価値観では、イノベーションのために事業があるのであって、その事業のために経営がある。
本来イノベーションとはそういうものだと思うんです。
だから私は、経営者である前に事業家でありたいし、事業家である前にイノベーターでありたい。
1976年生まれ、東京都出身。
慶應義塾大学環境情報学部卒業後、1999年三井物産に入社。
情報産業部門にて、コンピュータ機器の輸入、システム開発、ジョイントベンチャー立ち上げ等に従事した後、米国シリコンバレーに転勤となり、米国最先端ベンチャーの日本向けビジネス展開を担当。
帰国後は、自らが持ち帰ったデータベースソフトウェアの輸入販売を、社内ベンチャーとして立ち上げる。
2007年5月に三井物産を退職し、4人の仲間と共に三三株式会社を創業。世界初のB2Bの名刺管理サービス「リンクナレッジ(現・Sansan)」を開始。
2012年には、個人向け無料名刺管理アプリ「Eight」を開始。
高い成長の可能性を秘めた事業を立ち上げ、それをマーケットリーダーへと発展させることができる優れた起業家に贈られるThe Entrepreneurs Awards Japan U.S. Ambassador’s Award(駐日米国大使賞)を受賞(2011年)。
起業すること自体は、小学生くらいから決めていました。戦国武将に憧れていたこと、父親が事業をしていたこともあって、現代における天下取りとは何かと考えた時に、自分で事業を立ち上げて、それを通じて世の中に大きなインパクトを出していくことだろうと。3〜5年働いてから起業するというライフプランを描いていたんですが、三井物産には8年くらいお世話になりました。シリコンバレーに行く機会も早い段階で与えてもらって、自分のやりたいビジネスをやりたいようにやらせてもらえたと思っています。
飛び込み営業してみるも、うまくいかずに落胆しているところに、隣の部署の同僚がやってきて、「あの会社のあの人、よく知ってるよ」といって名刺を見せる。前職時代によくあった光景です。社内の誰が誰といつ名刺交換したのかという情報がデータベース化されていれば、このような非効率なことをなくすことができ、ビジネスのチャンスが広がります。
名刺をデータベース化するといいということについては、みなさん頷いてくださいます。ただ、いままでにないサービスなので、「こういう理由で値段はいくらです」と単純にいえるものではなく、乗り越えなくてはいけない壁は高かった。最初は未来を語って買っていただくというアプローチでした。
私の経営感覚はドラッカーの本に影響を受けています。ドラッカーの考え方は、会社の目的を従業員の幸せといった内側に置くのではなく、社会を良くするという外側に置くことを明文化しています。従業員を幸せにしていくためには社会を良くしていく必要があり、社会を良くしていくためには従業員が幸せである必要がある。それはイコールのことかもしれません。ただし、重要な意志決定の際には、会社の価値をどちらに置いているかをはっきりさせておくべきだと考えています
ドラッカーの言葉の中で私が一番好きなのは、「大事なのは答えでなく、問いである」。正しい問いに対する間違った答えは、すぐ修正が利きます。しかし、間違った問いに対する正しい答えは性質が悪い。ドラッカーは、正しい問いを立てるためには物事を見る視点や角度が大事だと説いていますが、そのことはいまも意識しています。
私たちは紙の名刺をなくしたい。本当は紙の名刺でなくてもいい。たとえばその場でスマートフォンにタッチして情報を交換し、紙の名刺には書かれない経歴まで瞬時にわかるようになれば、ひとつひとつの出会いがずっとリッチになるかもしれないじゃないですか。いずれはそうした世界を実現させたいし、それができるのは名刺を電子化するノウハウを持っている私たちではないかと思っています。
僕らが向き合っているテーマは「出会い」です。倉林さんとも出会って十数年。色々なことが繋がっています。僕らSansanは、「出会いからイノベーションを生み出す」ことをミッションに掲げているので、名刺を皮切りに出会いの価値をいかに最大化していけるかというところが非常に大きな意味でのやるべきことだと思います。
アメリカで立ち上がってくるベンチャーというのは、こういう発想で世の中を変えてやろうとするプロジェクトなんです。それがダメであれば、会社自体も解散。そうした会社の在り方があたり前です。一方、日本で経営というと、会社は社員の生活を背負っているのだといった考えが主流です。元々、そうした考え方が私は苦手でしたが、アメリカでの経験によって、さらにそのギャップを感じることになった。また、実際にイノベーティブなものを生み出している事例を日米比較すると、やはりアメリカの方が圧倒的に多い。自分の仕事観をつくる上で、アメリカのベンチャーの在り方を見た経験は、非常に重要だったと思います。
シリコンバレーのベンチャーは、世界観やコンセプト先行だという印象を受けました。具体的なプロダクトより、まず自分たちが社会の何を変えたいのか、どのような価値を生み出そうとしているのかという抽象度の高い理念があって、そこからすべての物語が始まっていくイメージです。それに対して日本の企業は、たとえば「この技術がすごい」というように商品についての具体的な訴求ポイントがあって、そこに物語をつけていく。シリコンバレーとは逆です。企業のやりたいことによってどちらがいいのかは変わると思います。私はアメリカ型です。
私が常に心がけていることは“とらわれない”ということくらいです。ベンチャーとしては、そこそこの規模になりましたけど、だから何? と思うようにしています。経営者になったからといって、自分はなんでもないよ、と突き放して捉えているんです。そう考えないと、自己満足で終わってしまう。経営判断にしても、これまで自分が積み上げてきたものに対して、とらわれてはいけない。以前に自分が言っていたことすらひっくり返したり、朝令暮改はしょっちゅうです。みんなに対して、より良いことをやるべきであって、会社としてこれまで積み上げてきたことも、場合によっては斬り捨てます。創業以来、ずっとそうしたことを繰り返してきているので、社員にも浸透して、今では“とらわれない”ことが会社のDNAのようになっていますね。
三井物産を辞めるかどうしようかと思ったときに、「待て」と考えたんです。俺、このまま三井に残ったら何が起きるんだろうなと一応考えてみようと。いずれ起業するつもりで入社しましたけど、それでも死ぬ気で仕事していましたし、それなりに評価もしてもらっていたんですよね。だから、ベストケースは社長だなと。それで「社長かぁ」と想像してみた。「今のままベストを尽くして、全てが本当にうまく行ったら三井物産の社長だな」と仮定してみたんです。そのポジションは全然俺である必要がないなと思ったんですね。俺じゃなくてもいいようなことに、俺の人生は使えないな、と。だって寺田でなくても、吉田さんだって、原さんだっていいでしょと。じゃあ、俺は自分でやろうと思ったんです。ポイントは、最高のベストシナリオを本当にリアルに想像してみることです。これは結構オススメしています。最高のベストシナリオで想定したその先の自分に、意外に魅力を感じなかったりするはずです。
Sansanという会社があったから、世の中はこう変わったよね。そう言われるような会社にしたいということなんです。それは、創業前にメンバーが集まったときから話していました。アップルのように、彼らがいたから世の中が変わったという事業もあれば、彼らがいなくても、いずれ誰かがやっていただろうという事業もある。商社の仕事はどちらかというと後者でしたが、私がやりたいことは前者です。それを意識しだした頃から、子どもの頃からあった野心みたいなものが、何を意味するかが明確になっていきました。
会社を作りたかったのか、社会をなんらかのかたちで変えたかったのか、経営者となってから二度三度と葛藤しました。そのつど心の中を振り返って自分の原点を確認してきたんです。世界を変えたいのであれば、もっとリスクを取って突き進んでいかなければいけない。実際に自分が経営するにあたっては、会社運営とイノベーションの両方が重なる部分でやっていこうとしますが、重要な意志決定が迫られた際には、どちらを優先するかが曖昧になっていると中途半端な意志決定になってしまう。それによって会社自体の存在意義が大きく変わってくるものです。
私がこの世に生まれてきて社会に貢献できることがあるとしたら、ビジョナリーやイノベーターとして働きかけるしかないと思っています。自分のバックグラウンドや能力など、与えられたものを社会で生かすには、そこに使うしかない。えらそうな意味ではなくて、私にはそれしか出来ないと思っているんです。