もっとも適切な温度設定とは?
藤田田/日本マクドナルド創業者
たとえば日本人は「今日はバカ暑いですね」とか「少し寒くなったようですな」とか、感覚的で曖昧ないいまわしをするが、そういう曖昧なことでは成功はおぼつかない。
外気の温度は何度、室内の温度は何度と数字で示すデジタル温度計がある。
その温度計を見ると、温度差がはっきり数字であらわれている。
人間の精神活動にもっとも適切な温度は摂氏18度だといわれている。
とすれば、部屋の温度を23度にする必要はない。
勉強するときは18度くらいにしておき、テレビを見たり友達としゃべったりするときは23度くらいにすればいいのである。
ビジネスマンが数字に強くなければならないのは当然のことである。
藤田田とは?
藤田 田(ふじた でん)。
1926年(大正15年)3月13日、大阪府大阪市東淀川区(現・淀川区)生まれ。
輸入雑貨販売店「藤田商店」、「日本マクドナルド」、「日本トイザらス」創業者。
母親がキリスト教徒だったことから、「口」に「十字架」で、よい言葉を語るように、という意味で「田」という名前になったとされている。
3歳の時に千里山へと移住、千里第二小学校、大阪・十三の(旧制)北野中学に進学。
卒業後、戦火が激しくなったことから大阪を離れて1944年に(旧制)松江高等学校を経て東京大学法学部へ入学。
在学時に経験した通訳のアルバイトでユダヤ人米兵の自由な生き方に触れて感動し、東大在学中の1950年(昭和25年)に輸入雑貨販売店「藤田商店」を設立。
その後、1971年(昭和46年)に日本マクドナルド、1989年(平成元年)に日本トイザらス(アメリカのおもちゃ専門チェーントイザらスの日本法人)、1991年(平成3年)に日本ブロックバスター(アメリカのレンタルビデオチェーン)を展開。
また、世界一のネクタイ・スカーフ製造販売会社である英国タイラック社と提携し、日本タイラックを創業する。
ブロックバスターを展開したが、結果的には38店の全店舗を1999年(平成11年)11月にゲオへ売却。
日本マクドナルドは2001年(平成13年)7月26日にはジャスダック市場に上場を果たした。
しかし2001年(平成13年)、BSE問題などの影響により創業以来初の赤字に転落。
2002年(平成14年)7月、日本マクドナルドの不振や自らの体調不良などにより社長を辞任。
2002年3月、会長兼CEOに就任。
2002年(平成14年)12月期連結決算で創業以来の最終赤字になったことから、2003年3月28日の株式総会後に会長を退任。
2004年(平成16年)4月、心不全のため東京都内の病院で死去。
78歳没。
遺産総額は、約491億円。歴代6位だった。
厳選!藤田田の珠玉名言
私は、マクドナルドは、日本最高の月給を払うことを会社の目的とすることを社是の一番目に掲げている。日本最高の月給を払うというのが我が社の方針なのだ。この会社以外にはこれだけの給料をくれるところはないということになれば、この会社でがんばろうという気になる。
日本も資本主義国家なので、合理主義で戦わなければなりませんが、日本にはいい意味での浪花節も必要なんです。
隣の人と話をするのは、どこまで自分が未知の世界に飛び込めるかのトレーニングの場でもある。
健全なる肉体に健全なる精神が宿るように、笑顔の店には金が宿る。
1970年代は、超国家企業の時代である。マクドナルドこそ、典型的超国家企業であり、マクドナルドの全社員はアメリカ人でも日本人でもないマクドナルド人間、すなわち世界人である。われわれは世界人の企業として、まずは自己のため、さらに世界のために働かねばならない。
人生は希望を6割達成できればまあまあいい。7割いけば上出来である。8割できれば感謝すべきなのである。
世の中の動きというのは、実態はみんなが考えているよりも速い。だから現場を知らない机上の政策はいつも後手後手に回るのだ。
ビジネスは「勝てば官軍」である。企業は勝たなければならない。勝つことによって、社会にいろいろな主張が言えるようになる。実績を上げられない経営者が何を言っても、負け犬の遠吠えとしか世間は見てくれないであろう。敗者は滅びるのみである。
米国経済圏内にある日本丸の舵取りは、極めて難しいといえます。しかし、こうした時代だからこそ、明日の情勢を先見する力が必要です。急激な情勢の変化に応じて、敏速果敢な手段を講ずることが要求されます。従来のような1年ごとのマーケティングプランでは状況に対応できません。
30歳までに金を貯めて、海外へ出て40歳で起業しろ。財産ができたらそれを3分の1ずつ使って三回商売にチャレンジしてみろ。
毎分、毎分判断してジャッジを下していく積み重ねが、大きな人生になっていく。成功する原因は自分がつくっているのである。その成功の見えない原因を人は「運」と呼ぶが、見えないだけで原因は存在しているのである。
GHQのGIたちはユダヤ人を軽蔑しながら、彼らに頭が上がらなかった。彼らに金を借りていたためである。ユダヤ人は浪費家のGIたちに高利で金を貸し、金銭的に優位に立っていたのだ。それはまるで、幕末期の商人が武士に金を貸して、経済的な実験を握ってしまったのと同じであった。敗戦国日本に駐屯し、我が物顔で闊歩しているGIの、そのまた上を行く人種がいたことは、私には痛快な驚きであった。敗戦で生きていくための精神的な支柱を失っていた私の前途を示す、一筋の光明にも思えた。
ベストウェイ(最適な選択肢)というのは、双方の意見とは別のところにあるのではないだろうか。ディスカッションはそのベストウェイを見いだすために行われるべきだと信じている。
経営には一貫した哲学がいるんです。自分がこうだと思ったら、世の中がどう動こうと誰がなんと言おうと、それを堅持していかなければならない。みんなが”だめだ”と言うから成功すると思った。
人の上に立つためにも、数字を使わなければならない。数字の持つ客観性こそが、人を説得するのである。
人は金と使命感で働く。
努力×時間の法則、一日24時間。成功はいかなる人にも平等に与えられた、この24時間にどれだけ努力するかにかかっている。人生に満塁ホームランはない。ゴロやバントを狙え。人間の頭の中身など、もともと大差などない。最後はいつも本人の「努力×時間」。
カンピュータもけっこう正確だったが、コンピュータと併せれば鬼に金棒だ。
わたしの成功の基盤には、「宇宙はすべて78対22に分割されている」という大原則が、厳としてある。〜略〜 たとえば、空気の成分は窒素78に対して酸素その他のもの22の割合になっている。〜略〜 また面積を100とする正方形に内接する円の面積は78・5、正方形の残りの面積は21・5である。空気も正方形もそれに内接する円も、みんな自然界に存在している現実である。〜略〜 だということは、これは宇宙の法則、不変真理の法則なのである。
生活の中では数字と無縁でいて、商売の時だけ数字を持ち出すのでは遅すぎる。
マクドナルドの店頭の椅子はね、日本人の平均身長より2cm大きい人を想定して設計しているんだ。マクドナルドを食べて育った子供たちは、いつか平均身長が2cm伸びて、ウチの椅子がちょうど良いと感じてくれるように。
傍観者ではダメである。どんな仕事でも、当事者になることが肝心である。
ベンチャービジネスは10人のうち7人が賛成するようなことをやっていたのではダメである。むしろ10人のうち7人が反対したから注目するのだ、という考えこそ必要である。
今日来たお客様は、明日こないかもしれない。いま、何をすべきか、それがこのビジネスのすべてである。
必要なのは、絶対100パーセント成功するという思い込みではなく、絶対成功する、させてみせると自分で信じることである。要するに「思いは真実になる」ということを、自分で自分自身に信じさせることである。自信過剰なくらい自分で信じることである。
凡眼には見えず、心眼を開け。好機は常に眼前にあり。
身を粉にするな、頭を粉にせよ。最悪のあとには必ず最善がある。いかなる苦境にも屈しない強さを身につけていれば、おのずと道は開ける。
これからの日本人は、短期的な勝負を狙わないで長期的な勝負を狙ってほしい。
人生で一番成功したことのひとつは、積み立て貯蓄だった。
短時間に大きいことをやろうとあせるよりも、時間をかけて大きいことを成すべきである。
人生は不平等である。しかも、この与えられた不平等はどうあがいても変えられないものである。あとは挑戦あるのみである。不平等に屈してはならない。
本を読め、人と会え、街を歩け。
みんなが駄目だと言うから成功する。
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