【岩崎家の家訓】(母の美和が残した岩崎家の家訓)
一、天の道にそむかない
二、子に苦労をかけない
三、他人の中傷で心を動かさない
四、一家を大切に守る
五、無病の時に油断しない
六、貧しい時のことを忘れない
七、忍耐の心を失わない
岩崎家の家訓
岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、天保5年12月11日(1835年1月9日) – 明治18年(1885年)2月7日)は、日本の実業家。
三菱財閥の創業者で初代総帥。
明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物である。
諱は敏(後に寛)、雅号は東山。
別名を土佐屋善兵衛。彌太郎とも書く。
土佐出身。
土佐国の地下浪人・岩崎弥次郎と美和の長男として生まれる。
幼い頃から文才を発揮し、14歳頃には当時の藩主・山内豊熈に漢詩を披露し才を認められる。
21歳の時、学問で身を立てるべく江戸へ遊学し安積艮斎の塾に入塾するが、安政2年、父親が酒席での喧嘩により投獄された事を知り帰国。
父の冤罪を訴えたことにより弥太郎も投獄されるが、この時、獄中で同房の商人から算術や商法を学んだことが、後に商業の道に進む機縁となった。
同じ土佐藩の吉田東洋や後藤象二郎、坂本竜馬の知遇を得、当初から財理に強く土佐藩で貿易に従事する。
一時期は海援隊の経理も担当していた。
長崎、大坂の藩営の商社土佐商会で手腕を発揮。
後藤象二郎の推挙を得て藩営の商社、開成館に勤務し、維新の戦役では大坂の土佐商会にあって藩の兵站を引受けた。
台湾出兵、西南戦争などでの軍需輸送により海運界を支配。
廃藩置県に際し、同商会を継承して三菱商会を興し、徹底した商人的合理主義と排外的闘志をもって、政府ことに大隈重信の保護のもとに海運界で独占的地位を築き、鉱山、荷為替、造船などに事業を拡大し、三菱財閥の基礎をきずいた。
・創業は大胆に、守成は小心たれ。樽よりくむ水にまして、洩る水に留意すべし。
・およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである。
・自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。ゆえに事業は必成を期し得るものを選び、いったん始めたならば百難にたわまず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ。
・小僧に頭を下げると思うから情けないのだ。金に頭を下げるのだ。
・小事にあくせくするものは大事ならず。ひとたび着手せし事業は必ず成功を期せ。
・国家的観念をもってすべての経営事業にあたるべし。
1、NHK 知恵泉 岩崎弥太郎と海運業
2、坂本龍馬と岩崎弥太郎 1/4