新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。
私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。
それが、私の50センチ革命。
一人一人の個人が、一歩前に進むこと。
これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。
元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。
目の前にある、小さなものでも構いません。
新しい一歩を!
過去と他人は変えられない。
変えられるのは自分と未来だけです!
Contents
■久保建英名言集
最終的にはその時代の一番高いレベルのリーグでプレーしている選手でありたい。
久保くんではなくて、これからは久保建英でお願いします。
(FC東京からレアル移籍の挨拶)苦渋の決断だが誇りを持ちたい。東京での時間は一生忘れない。
子どもの頃は、とりあえずサッカー漬けでした。もう物心ついたときにはボールを蹴っていて、いつ蹴り始めたのかとか、そういう記憶もない感じです。みんな大体そんなふうに想像してくれるかなと思うのですが、本当にその通りの「サッカー小僧」でした。
転機と言うほどではないのですが、小学校に上がって、周りにうまい子が来たときは、『あの子たちに負けられない。自分が一番になりたい』という気持ちが自然と出てきました。川崎フロンターレ(U-10)に入りましたが、地域のうまい選手たちが集まってくるチームで、そこで遊びのサッカーではなく、「自分がここで生き残っていくには?」ということも、ちょっとずつ考え始めていたと思います。
「キャンプでMVPになったらバルセロナの遠征に連れていってあげるよ」と書いてあるチラシを読んで応募したんです。(キャンプは)思っていたより長くて、回数も多くなりました。遠征に連れていってもらって、「これで終わりかな」と思っていたらテストを受けさせてくれるという話が来て、いつの間にかトントン拍子にいろいろなことが進んでいたという感覚でした。まだ子どもだったので、特に怖いとかそういう感情はなかったんです。ただ単に「何かうまい人たちとサッカーをやれるんだ」という感じでしたね。もう、それだけでした。
地中海カップという大会があって、決勝でゴールを決めてMVPをもらいました。その大会には過去にネイマール選手やコウチーニョ選手も出ていて、「あ、そんなに大きい大会だったんだ」と分かったときは、ちょっとうれしかったです。もらった盾もすごくカッコ良かった。今でも家に置いてあります。
13歳の少年にとっては難しい瞬間だった。フットボールをしたいだけなのに、なぜスペインから追い出されるのかが分からなかった。実際、今でもその理由は良く分からないけどね。子供が優れたクラブでプレーを希望しているのに、それが妨げられる理由が分からないんだ。
最初は本当に帰りたくありませんでした。せっかく向こうの生活にも慣れて、チームにも馴染んでいるのに「なんで?」と。向こうに慣れるまでの時間は当然すごく苦しかったわけですから……。それがまた続くのかという感覚で帰るのは嫌でした。ただ、意外と「住めば都」ではないですが、日本に帰って来てすぐ適応できたので、そこは良かったと思います。
世界はW杯になったら仕事も切り上げて観に来るくらい熱気があると思います。特別な大会ですよね。自分もW杯は夜中であっても観るようにしていました。前回のロシア大会は現地まで観に行くことができて。何て言えばいいんですかね、もう本当に「すごいな」という……。完全に観客の気分で観ていました。でもやっぱり、観る側より魅せる側でいたいと思っているので。そういう意味ではあらためて出てみたいな、と思いました。
練習と試合ではまるで違いますから。もちろん、代表選手は練習でも100%を出していると思いますが、いざ試合になったら100%を超えて120%まで出している感じでした。練習を観たり、一緒にやったからこそ、試合でそれ以上のものを出してくるんだということがすごく分かりました。
ここまでの試合に関しては完全に満足しているわけではないし、もっとできると思っている。まだ始まったばかりだし、大事なのはこれを続けること。マジョルカは昇格したばかりだけど、長い間1部にいた歴史あるクラブ。僕がマジョルカに何かをもたらすというより、マジョルカが僕の成長のために多くを与えてくれるはず。チームを助けるために全力を尽くしたい。
日本にいて結構居心地が良いんです。「日本が世界のトップリーグだったら」なんてたまに思ったりもします。でも、現実はそうじゃないので。よりレベルの高いリーグが世界にはあって、それならそこに行けるように成長していきたいし、そういう姿勢でありたいと思っています。
常に上を目指していきたいので。自分がこの先どうなっていくのかというのは自分が一番楽しみにしていますし、そのための努力は惜しまないつもりです。その結果、何が見えてきて、どのくらいまでいけるのか。自分の可能性を楽しみにしながら、一歩一歩、一つずつ、階段を上っていければいいなと思っています。
やはりその国の、日本代表のレギュラーになるということは、その国で最低でも11番目にはサッカーがうまい選手ということですよね。そう認められる時点で非常に名誉なことだと思います。もちろん、選考基準はそれぞれの監督によると思いますが、その時どういうサッカーを日本代表がしていたとしても、選ばれるような選手になっていたいと思います。
サッカーはチームスポーツなので、自分が、自分が、というわけにはいかない。選手一人ひとりに特徴があるとは思いますけど、チームの勝利が最優先されるなかで、土台となるチームのコンセプトを実践できなければ試合に出られないのは当たり前のこと。その上で攻撃では自分の特徴をしっかりと出して、チームのいいアクセントになればいい、ということをこの1年間で、十代の早い段階で学べたことは一番大きな収穫だと思っています。
ひとつ年を取った、という言い方は変ですけど、これからはジュニアと書かれることはなくなりますし、世界でも18歳はもう若くはない、みたいな感じになってきている。18歳でも試合に出る選手は出ますし、だからと言って22、23歳になったときに約束されていることは何もないので。
何かもやもやした表現で申し訳ありませんけど、サッカー選手として大きな存在でありたい。久保選手を見てサッカーを始めましたと言ってもらえるような、より大きな影響を周囲に与えられるような選手に、ひと言で表現すれば『すごい選手』になることが僕の目標です。
サッカーはある意味で、運が味方するかしないかのスポーツだと思っています。ここまで何度か運を味方につけてきた結果、自分はここにいる。注目度が高い大会で結果を残せば、またこちらに運が向いてくると思っているので、全力で戦ってきたい。
あれは観衆の決断だ。僕は自分の決断を下したし、彼らには僕にブーイングする権利がある。僕はあれを受けるに値すると思っている。さらに僕に拍手を送ってくれた人たちもいたし、そのことは僕に力を与えてくれた。
基準を作ってしまうと、それよりも上に行くことがあまりないと思うので。なので、上の基準は作らずに、最低限のそれをみなさんが見ていて楽しいと思えるプレーに置きながら、チームの勝利に貢献したい。具体的には誰が見ても『あっ、すごいな』と思えるプレーというか。たとえばドリブルならば相手にボールを奪われないことが大前提で、なおかつ相手に嫌がられるコースを進むことですね。
DFの間で受けてのドリブル、状況判断だったり、あとはプレーのバリエーションが多いかなと思っています。あまり好きではないですけど、カメレオンみたいな。どこにでも対応できる選手だと思っていて、例えば堅守速攻のチームでもある程度スピードもついてきていますし、縦に仕掛けたり、逆にボールを持てるだったりとか。そういうふうに臨機応変に対応できる選手になることで、どこに行っても試合に出られるような選手になれると思いますし、そういう選手を今は目指しています。
ずっとサッカーをやってきた姿勢が、プロになったからとか、ある程度成功したからといって変わってしまえば、いままでの成長スピードも落ちてしまうんじゃないか。そう考えただけで怖くなりますけど、だからこそ楽しくサッカーができているうちはどんどん上へあがっていけると思っています。そういう状態ができるだけ長くというか、いつまでも続いてほしいと思っています。
自分が新たな決断を下して、それで結果を出せなかったら『何だ、やっぱりダメじゃん』と言われるのが明らかだったので、その意味でホッとしている。移籍してからいいこと続きだし、サッカーの神様がいるんじゃないかと思いますけど、これがビギナーズラックにならないようにしないと。
イニエスタ選手は長年バルセロナのトップチームでプレーしてこられて、自分はちょっと下部組織をかじったくらいなので、元バルセロナ対決と言われても何かおこがましいというか、自分とは天と地ほどの差があると思っているので。その差を今日のゴールで1ミリでも埋められたら、自分にとってプラスになるのかな、と思っています。
頭を使うことに関して日本人は優れていると思います。戦術理解度というか、言われたことをしっかりやるという意味では日本人のほうが得意だと思うんです。ただ、逆に言われていないことまでやれるという点では、スペインの選手はすごくレパートリーがあるんだなと感じながらやっていました。
自分が成長し続けるために大切なのは、やっぱり気持ち。それは貪欲さというか、上にはさらに上がいるという感じなので。自分はまだまだ下。
勝てない相手はいない。必ず突破口を見出すことはできる。
環境のせいには絶対したくないですし、やはり成長できるかどうかは、結局自分がやるか、やらないか。それだけ。
■久保建英とは?
久保建英。
2001年6月4日生まれ、神奈川県川崎市出身。
2004年3歳の時、父もコーチとして参加していた東京都稲城市の坂浜サッカークラブでサッカーを始める。
小学2年生まで東京ヴェルディ1969のスクールに所属。
2009年8月、パンフレットに「MVPに選出された選手はFCバルセロナと試合が出来るチャンスが与えられる」との告知を見て参加したFCバルセロナキャンプ(2007年より日本国内で毎年開催)でMVPを獲得。
2010年4月、FCバルセロナスクール選抜としてベルギーで開催されたソデクソ・ヨーロピアン・ルーサスカップに参加。
チームは3位に終わったが、通常は優勝チームから選出される大会MVPに輝いた。
小学校3年生の時に川崎フロンターレの下部組織に入団。
2011年8月、FCバルセロナの下部組織カンテラ(ラ・マシア)入団テストに合格し、スペインに渡る。
10-11歳で構成されるアレビンCに入団した。
2013‐14年は地中海カップU-12トーナメントで大会得点王とMVPになり、またリーグ、カタルーニャ杯などのトーナメント制覇に貢献した。
2014-15年はインファンティルA(13-14歳で構成)に所属。
しかしFCバルセロナの18歳未満の外国人選手獲得・登録違反により久保の公式戦出場停止処分が続き、2015年3月、日本に帰国してFC東京の下部組織に入団した。
2016年、中学3年ながらFC東京U-18に飛び級で昇格。
日本クラブユースサッカー選手権では飛び級で出場し、大会史上初となる中学生ながら得点王(5得点)に輝いた。
9月、FC東京のトップチームに2種登録される。
同年11月5日に行われたJ3リーグ第28節AC長野パルセイロ戦に後半開始から出場し、Jリーグ史上最年少記録を塗り替えた。
2016年、U-16日本代表としてAFC U-16選手権に参加。
大会得点ランキング2位となる4得点をあげて、FIFA U-17ワールドカップの出場権の獲得に貢献した。
同年11月、アルゼンチン遠征(11月30日 – 12月10日)を行うU-19日本代表に飛び級で初選出された。
15歳5カ月20日での選出は史上最年少で中学生でU-19日本代表選出は史上初となる。
そして、U-19アルゼンチン代表との親善試合でU-19代表デビューを果たした。
2017年3月12日、J3開幕戦のカターレ富山戦では初の先発フル出場を果たした。
4月15日、J3第5節のセレッソ大阪U-23戦では15歳10カ月11日でJリーグ最年少得点を決めた。
5月3日、ルヴァンカップ第4節の北海道コンサドーレ札幌戦で後半21分から途中出場し、トップチームデビューを果たした。
2017年11月1日、FC東京とプロ契約を結んだことが発表された。
11月5日、J3第30節のガンバ大阪U-23戦でプロ入り初得点を決めた。
11月26日、J1第33節のサンフレッチェ広島戦で途中出場からJ1リーグデビューを果たした。
16歳5か月22日での出場は森本貴幸、宮吉拓実に続いて歴代3位の年少記録となった。
2017年、ドイツ遠征を行うU-20日本代表メンバーに選出され、U-20ドイツ代表との親善試合を含む4試合に出場し、2得点を挙げた。
2017 FIFA U-20ワールドカップに挑むU-20日本代表に飛び級で選出され、初戦のU-20南アフリカ戦で途中出場から堂安律の逆転ゴールをアシストして勝利に貢献した。
また、FIFA U-17ワールドカップのメンバーに選出、U-17ホンジュラスとの初戦では1得点1アシストの活躍で勝利に貢献した。
2018年2月24日、J1開幕戦の浦和レッズ戦では途中出場を果たした。
3月7日、ルヴァンカップ第1節の横浜F・マリノス戦ではプロ入り初先発。
3月14日、ルヴァン杯第2節のアルビレックス新潟戦でトップチーム初得点を含む大会最年少ゴールを決めた。
3月25日、J3第4節のカターレ富山戦で今季リーグ戦初得点を決めた。
しかし、監督の長谷川健太から守備時の運動量を求められるJ1リーグ戦ではベンチ入りの機会が徐々に減少。
2018 FIFAワールドカップに日本代表のトレーニングパートナーとなるU-19日本代表に選出され帯同。
ロシアでのA代表メンバーとの練習やロシア現地で日本のグループリーグでの戦いを観戦後は、自身の主戦場がJ3リーグとなっている現状に危機感を募らせ、FC東京首脳に「新しいチャレンジがしたい」と環境を変えることを直訴。
FC東京は当初J2への育成型期限付き移籍を提案したが、久保がJ1でのプレーにこだわり、監督の健太も慰留したが久保の意思が固く、横浜F・マリノスへの期限付き移籍を容認することとなった。
2018年8月16日、横浜F・マリノスへの期限付き移籍が発表された。
8月22日、天皇杯4回戦のベガルタ仙台戦で移籍後初先発し、初アシストを記録した。
続く8月25日、第24節のヴィッセル神戸戦では56分に松原健から折り返しのパスを受けると、ワントラップから左足の豪快なハーフボレーでJ1リーグ初得点となるゴールをマークし、勝利に貢献した。
この得点は森本貴幸に続くJ1歴代2位の最年少得点となった。
2018年、AFC U-19選手権のメンバーに選出。
10月19日、初戦のU-19北朝鮮戦では直接フリーキックを決めて勝利に貢献した。
2019年、FC東京に復帰。
2月23日、開幕戦の川崎フロンターレ戦では、クラブ史上3番目の若さとなる17歳9か月19日でスタメンに抜擢された。
3月10日、第3節のサガン鳥栖戦では初のフル出場を果たし、初アシストで勝利に貢献。5月12日、第11節のジュビロ磐田戦でFC東京の選手としてリーグ戦初得点を決め、6月1日、第14節の大分トリニータ戦では2ゴールを挙げ自身プロ初の複数得点を決め勝利に貢献した。
2019年5月23日、キリンチャレンジカップの日本代表メンバーに初選出。
21世紀生まれの選手がA代表に選出されるのは史上初である。
その翌日に発表されたコパ・アメリカに臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表にも選出された。
6月9日、キリンチャレンジカップのエルサルバドル戦にて後半22分から途中出場し、A代表初出場を果たした。
市川大祐に次ぐ史上2番目の若さでのデビューとなった。
コパ・アメリカでは、初戦のチリ戦で代表初スタメンを果たし、グループリーグ全3試合に出場した。チームはグループリーグ敗退となったが、この大会でのラストパス本数はグループリーグ終了時点で大会最多の8本と、高い存在感を示した。
2019年6月14日にスペインのレアル・マドリードへ移籍する事を発表。
移籍発表時点では、FC東京はリーグ首位であり、久保もレギュラーとしてチームに貢献していた中での移籍だった。
2019年7月9日、プレシーズンツアーの帯同メンバーに選出され、試合にも出場してトップチームで実践デビューを果たした。
同月に行われたアウディカップにも出場し、31日に行われたフェネルバフチェSK戦では、後半73分からの出場で短い出場時間だったものの、スペイン紙『マルカ』は評価ランキングで1位に選出している。
また、カスティージャでのテストマッチではクラブのエースナンバーである7番を背負ってプレーした。
2019年8月22日、RCDマヨルカへの期限付き移籍が決定した。
レアル・マドリード移籍当初は、2部B(3部相当)に属するBチームのレアル・マドリード・カスティージャでプレーする予定だったが、シーズン開幕前の7月にレアル・マドリードのトップチームが参加するプレシーズンマッチに同行。
限られた出場時間の中で十分に通用するだけの素質を見せつけ、よりレベルの高い1部の他クラブで経験を積むことになった。
9月2日、リーガ・エスパニョーラ第3節のバレンシアCF戦で途中出場し、リーグ戦デビューを果たした。
11月10日、第13節のビジャレアルCF戦で後半8分にミドルシュートを決め、リーガ・エスパニョーラでの初得点を決めた。
このゴールが欧州4大リーグのアジア出身選手最年少得点(18歳5ヶ月6日)となった。