石原慎太郎がいま明かす「私が田中角栄から学んだこと」~この歳になって田中角栄の凄さが骨身にしみた~


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■田原総一朗×石原慎太郎「田中角栄論」

ライブドアニュース 2016年8月8日 プレジデントオンライン

https://news.livedoor.com/article/detail/11861690/

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・改めて、田中角栄を評価する

【田原総一朗】
石原さんは、立花隆が「田中角栄研究――その金脈と人脈」を書く前に、「文藝春秋」に厳しい田中批判の論文をお書きになった。
僕も読みましたが、非常に厳しい内容でした。田中批判の先鞭をつけた石原さんが、ここへきて田中角栄を評価する文章をお書きになった。
これはどういうことですか。

【石原慎太郎】
日本の文壇は狭量でね。
僕が政治家として売れてくると、逆に作品には偏見を持たれました。
たとえば『わが人生の時の時』は野間文芸賞の最有力候補になりましたが、選考委員の吉行淳之介が「こんなもの文学じゃない」って言い出した。
それから、いくつかの短編を集めた『遭難者』は金丸信が起訴されて自民党が指弾されたときだったから、一行も書評が出なかった。
自分で選んだ道だからしょうがないけど、自分の文学に申し訳なかったね。
ただ、政治家を辞めたら、こんどは早稲田大学の社会学の森元孝さんが『(石原慎太郎の社会現象学)――亀裂の弁証法』という、いい評伝を書いてくれました。
これで俺の文学が少し救われた気がしたね。
そのお礼に森さんと会食したのです。
その席で彼にこう言われてね。
「石原さんの『国家なる幻影』には田中角栄さんが非常に詳しく書かれている。
あなた、実は角さんが好きなんじゃないですか」。「たしかにあれほど中世期的でバルザック的な人間はいない。すごく興味があります」と答えたら、「私はあなたが一人称で書いた作品を愛読している。いっそ角さんを一人称で書いたらどうだろう」と言ってくれた。
それで『天才』を書き出したわけです。

・石原慎太郎が田中角栄を批判した理由

【田原】
でも、もともと石原さんは田中角栄の金権政治を痛烈に批判していましたね。

【石原】
角さんが総理になって最初に国政選挙があったときですよ。
福田系の候補者がグループ(後の青嵐会)幹部の集まりにきて「みなさんに共感しているので当選したらグループに入ります」と挨拶をしていきました。
その男が「いまから公認料をもらいにいく」というので、誰かが「総裁室は4階だぞ」と教えてやると、「いや、砂防会館の田中事務所でもらいます」という。
これにみんな怒ったんです。
党の公認料を私的な事務所で渡すとは何事かと。
彼は砂防会館から、3000万円入った袋を持って興奮して帰ってきた。
それに加えて2000万円もらったそうな。
「いやあ、田中さんは偉大です」なんて言っちゃってね。
結局、そいつは本籍福田派だけど現住所田中派になった。
それをきっかけに僕は田中金銭批判を始めたのです。

【田原】
そもそも青嵐会ができたのは、田中角栄が日中国交正常化をやったときでした。

【石原】
日中国交正常化に反対したわけじゃない。反対だったのは航空実務協定。あれはめちゃくちゃでした。

【田原】
どういうことですか。

【石原】
交渉の中で、北京から外務省に密電が入ったんです。
当時の大平(正芳)外務大臣の記者会見で、北京が手なづけた新聞記者に「台湾から飛んでくる飛行機の尾翼には青天白日旗(中華民国・台湾の旗)がついているが、あれを国旗として認めるのか」と質問させるから、必ず否定しろという内容です。
当時の外務省の役人は、いまと違って腰抜けじゃなかった。
「こんな実務交渉がありますか」と切歯扼腕して、僕らに密電を見せてくれた。
それで実務協定はいかんと思った。
大平さんは僕の先輩だけど、それから盾突くようになっちゃった。
あとで大平さんの秘書から「なぜ盾突いたのか。大平先生は渡辺美智雄よりあなたに期待をしていて、俺の金脈はすべて石原君にくれてやると言ってたのに」と教えられてね。
それを聞いて、惜しいことしたなと思ったけど(笑)。

・田中角栄のどこがスゴいのか

【田原】
石原さんは反田中だったのに、一方で田中さんに魅力を感じていた。
どんなところに惚れたんですか。

【石原】
包容力というかな。
無邪気といえば無邪気なんだな。
あるときスリーハンドレッドクラブ(茅ヶ崎市)にあるローンのコートで仲間とテニスをしたんです。
みんなは昼飯を食いに玄関に入っていったけど、僕は勝手を知っているから近道してテラスから入った。
すると、青嵐会の参議院の代表をしていた玉置和郎(元総務庁長官)が座っていて、こっちを見てバツの悪そうな顔をしている。
玉置の表情を見て怪訝に思ったんだろうな。
向かいに座っていた人がこちらに振り向いたら、闇将軍の角さんだった。
まずいと思ったよ。
青嵐会は角さんに弓を引きましたからね。
ところが角さんは、「おい、石原君、久しぶりだ。ちょっと来い」と手招きする。

恐る恐る近づいて、「いろいろご迷惑をおかけました。申し訳ありませんでした」と頭を下げたら、角さんが遠くにあった椅子を自分で運んできて、「お互い政治家だろう。気にするな。いいから座れ」と言って、ウエイターにビールまで注文してくれた。
僕もバツが悪いから、「先生、照る日も曇る日もありますから、またがんばって再起なさってください」と言ったんだけど、角さんは気にした様子もなくてね。
「君、今日テニスか。俺は軽井沢に3つ別荘を持ってる。テニスコートが2つあるんだが、子供や孫に占領されてできねえんだ」と言って笑うんです。
しまいには玉置に向かって「テニスはいいんだぞ。短い時間で汗かくから」とテニスの講釈まで始めた。
それを見て、この人はなんて人だろうと思ったな。

【田原】
なんて人だろうっていうのは、どういう意味ですか。

【石原】
何というのかな、端倪すべからざるというか、寛容というか。
僕は、この人は不思議な人だと思ってしびれたね。

【田原】
田中角栄は石原さんのことをどう思っていたんだろう。

【石原】
買ってくれてたんじゃないかな。
プロスキーヤーの三浦雄一郎っているでしょう。
僕はあいつがヒマラヤのサウスコル大滑降のときに総隊長を務めたんだけど、その縁で参院選の自民の全国候補にしたんです。
ただ、あいつは肉体派。
候補者として不規則な生活をしているうちにノイローゼになってきた。
いつだったか長野で講演会をやるというので様子を見にいったら、建物前の石畳にツェルト(小型テント)を張って三浦がビバーク(野営)していて、ニンジンをかじりながら出てきた。
「何してるんだ」と聞いたら、「僕、こうでもしていないともたないんです」と。
そのうちに僕は当時幹事長だった角さんから呼び出されてね。
「おい、石原君、これは何だ」と差し出されたのが、三浦から角さんへの手紙でした。
そこには僕への悪口が綿々と書いてある。
「石原はスポーツマンと称しているけどインチキだ」とかね。
長い手紙で、ぜんぶに割り印が打ってありました。
角さんはそれを見せて、「こりゃ疲れてるぞ。君がついているかぎり勝つに決まっているんだから、休ませろ」という。
おまえがついていれば勝てるだなんて、この人は俺を評価してくれているんだとそのとき思いました。

・田中角栄の功績は「日本列島を一つの都市圏」にしたこと

【田原】
僕は、田中角栄は人間的なキャラクターだけでなく構想力も一流だったと思う。
田中角栄は都市政策大綱というものをつくった。
要するに日本列島を一つの大きな都市圏にしようという構想です。

【石原】
角さんのおかげで日本は今そうなったじゃないですか。

【田原】
そう。北海道から九州まで、どこからどこへ行くのにも1日で往復できるようになった。

【石原】
日本中に新幹線と高速道路をめぐらせて、各エリアに地方空港をつくった。
それはやはりすごいことですよ。
われわれは角さんのつくった現実の中にいる。
ヘーゲルは「歴史は他の何にも増しての現実だ」と言ったけど、私たちは現代という歴史の中で生きているのだから、角さんをとても否定できませんよ。

【田原】
いまの日本をつくったのは、田中角栄の構想力ですか。

【石原】
文明史「勘」だと思う。
あの人の、先を見通す力はものすごかった。

【田原】
田中角栄は法律を議員立法で33もつくった。
これもすごいね。

【石原】
すごいですよ。
僕は大田区の選出だから、中小零細企業を抑圧する下請け契約を監視する経済Gメンをつくったらどうかという法律を議員提案したことがある。
自民党の中では「お前は社会党より左だ」と言われたし、労働組合に持っていったら総評(日本労働組合総評議会)も同盟(日本労働組合総同盟)も両方とも反対した。
結局みんな企業側だから、けんもほろろに言われた。
議員提案はとても難しいんだ。

【田原】
なるほど、石原さんは総評や同盟より左だったんだ(笑)。

【石原】
そう言われたね。
それから角さんとの絡みでいえば、選挙権を18歳に下げようというキャンペーンもダメだったな。
前にキャンペーンをやったことがあって、角さんが幹事長で僕が参議院にいたころ、もう一回、やろうとしたんです。
それで「自民党の講堂を貸してください」と頼んだら、「ダメだ」と一笑に付されました。

【田原】
なんでダメだったんですか。

【石原】角さんには、「選挙権なんて20歳でも早過ぎるんだよ。あんなの未成熟じゃないか」と言われましたね。
いま振り返ると、18歳は反権力、反権威で、自民党のためにならないと思ったのかもしれないけど。

・ロッキード事件の最高裁判決はおかしい

【田原】
石原さんはロッキード事件をどう見ますか。

【石原】
僕は参議員のころから国会議員でただ一人、外人記者クラブのメンバーでした。
あのころ古いアメリカ人の記者たちといろんな話をしたけど、連中は異口同音に「あの裁判はおかしい。なぜコーチャン、クラッターに対する反対尋問を許さないのか。免責証言なんてアメリカでも問題になっている」と言っていました。
あれはやっぱり日本の裁判にとって恥辱。
最高裁は謝罪すべきです。

【田原】
僕はずいぶん詳しく調べたけど、少なくとも検察の言っている5億円の場所、日時、全部、間違いだね。

【石原】
あれは検事の書いた小説。
角さんの秘書の榎本(敏夫)がサインしちゃったけど、わけのわからない話だった。
それよりロッキード社に関しては、他にもP3C対潜哨戒機(対潜水艦用の航空機)の導入をめぐる疑惑があったでしょう。
ところがP3Cの問題は、児玉誉士夫がつぶしてしまった。

【田原】
僕はテレビ朝日の『モーニングショー』に秘書の榎本を呼んで証言させて、2日間、ロッキード事件をやったの。
2日目の終わりに「明日はP3Cをやる」と宣言したら、僕とプロデューサーは三浦甲子二(元テレビ朝日専務)に呼ばれて、「絶対P3Cは許さない」と言われた。
「それでもやる」って言ったら、「それなら番組をつぶす」とまで言われたよ(笑)。
話を戻すと、ロッキードの裁判はおかしかった。
石原さんは訴えますか。

【石原】
最高裁が間違いを認めることで角さんは浮かばれますよ。
俺の本が売れたぐらいじゃどうにもならないけど、あの人の贖罪はしなくちゃいけない。
だからあなたも協力してください。

【田原】
そうね。ぜひ。

(中略)

・なぜいま、田中角栄のような政治家は出てこないのか~田原総一朗

田中角栄のすごいところは2つあります。

1つは構想力。

1967年に社会党と共産党に支持された美濃部亮吉が東京都知事になりました。

それと前後して、神奈川、大阪、京都、名古屋が革新になった。

それに危機感を持った田中角栄は、「中央公論」に「自民党の反省」という論文を書きました。

解決策として提示したのが、「日本列島改造論」の下敷きになった都市政策大綱です。

日本は太平洋側だけ発展して、日本海側や中日本は取り残されていました。

そこで田中角栄は日本を1つの都市にしようと構想しました。

具体的には全国に高速道路と新幹線を張り巡らし、各都道府県に空港をつくり、日本の4つの島を橋とトンネルで結び、日帰りでどこでもいけるようにする。

そうすれば企業も分散するというわけです。

もう1つは、人間としてのキャラクターです。

石原さんも言っていましたが、田中角栄は誰でも受け入れるスケールの大きさがありました。

たとえそれが敵対する相手でもです。

昔の自民党は、そうした懐の深さがありました。

当時、自民党は田中派と大平派がハト派、福田派と中曽根派がタカ派で、どちらかが主流派になれば反対の派閥が非主流派になってバランスがとれていました。

党内で活発な議論をしていたから、当時、野党に関心を持っている人はいなかったですよ。

ここにきて角栄ブームが起きているのは、いまの政治に構想力が足りないせいでしょう。

アベノミクスは、第1の矢の金融政策と、第2の矢の財政政策が奏功して株価が上がりました。

しかし、第3の矢である成長戦略のための構造改革は進んでいない。

構造改革は改革したあとの世界をどうするのかという構想が必要なのに、そこを描き切れていません。

もしいま田中角栄がいたら、何かしら新しい構想を打ち出して国民に見せていたでしょう。

どうしていま田中角栄のような政治家が出てこないのか。

それは政治家が守りに入ったからでしょう。

田中角栄は何もない焼け野原から出発しましたが、いまの政治家は守るものがあって、チャレンジしないのです。

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田原総一朗×石原慎太郎「田中角栄論」
ライブドアニュース 2016年8月8日 プレジデントオンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/11861690/

本日は3つの記事をご紹介いたします。

2つ目の記事はこちらです。

■石原慎太郎がいま明かす「私が田中角栄から学んだこと」~人を見て、先を見通す天才だった~

週刊現代 2016.05.06

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48554

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・なぜ役人をうまく使えたか

田中角栄は29歳で初当選したとき、地元でこう呼びかけました。

「裏日本といわれている雪国の新潟を表日本にするには三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばしてやればいい。そうすれば新潟に雪は降らなくなって、その土を日本海にもっていけば佐渡島を陸続きにできる。そうなったら、逆に東京から人が新潟に出稼ぎに来るようになる」と。

むちゃくちゃだけど、これは、殺し文句だと思うね。

こういう郷土愛の延長に国への愛着があって、角さんは日本をより機能的、文明的に改良しようとした。

役人をうまく使ってね。

役人を使うのがうまかったというのは、言い換えれば役人を馬鹿にしていたということですよ。

だって、彼らには発想力というものがない。

僕も長いあいだ都知事をやりましたけど、知事というのは一種の「独裁者」的存在でね。

これは僕じゃなくて橋下(徹)君が言った言葉だけども、ある意味でそうだと思う。

発想力と権限をもった政治家が指揮しないと、役人は動かない。

国政も同じことですよ。

そういう意味では角さんは官僚出身の政治家を馬鹿にしていたと思う。

福田赳夫もそう。

一般には「角福戦争」と呼ばれて、角さんと福田さんは総理の座を争ったとされているけど、政治家としては角さんのほうが数段上。

戦う前からすでに角さんが総理になる方向で勝負はついていたと思いますよ。

少なくとも角さんはそう確信していたはずだな。

角さんのすごいところは、政治力というよりも、人間の能力ですよ。

予見性というのかな、先を見通せるだけの文明史「勘」をもっていた。

いまの政治家は発想力がないし、教養もない。

歴史も知らないでしょ。

まして文明史「勘」をもった政治家なんていませんよ。

彼はね、河井継之助に似ているんですよ。

司馬遼太郎さんの『峠』という作品に、越後長岡藩の家臣だった河井継之助が若い頃、上越国境の三国峠を雪崩に巻き込まれながら死ぬ思いで越えて江戸に出てくる話がある。

ところが江戸に来てみると、冬空はカラリと晴れてカラっ風が吹いていて、越後と江戸の風土の違いを痛感する。

と同時に中央に対する反感が生まれ、戊辰戦争で明治新政府に楯ついて最後は自滅してしまうわけだけど、角さんにも継之助と重なるところがある。

角さんの場合、雪の峠道を越えてきたわけじゃないかもしれないが、東京に対する憧れと反感というか、鬱屈した感情があったんでしょうね。

それは郷土愛の裏返しといってもいい。

あれだけ骨身を削って故郷のために尽くせば、そりゃ新潟の人たちは角さんのことを絶対に忘れませんよ。

いま上越新幹線や関越道を利用している人たちがみんな、今日こんなに便利になったのは田中角栄のおかげだと思っているわけではないでしょう。

けれど、新潟の人たちにとって、田中角栄はいまも記憶から拭いがたい存在であることに変わりはない。

・人を見る天才だった

たしかに私は、田中角栄の金権主義を最初に批判し、真っ向から弓を引いた人間でした。

いまさらこんなものを書いて世に出すことで「政治的な背信」と言われるかもしれませんが、政治を離れたいまこそ、政治に関わった者としての責任でこれを記しました。

歴史というものの重みを知ってもらいたいと思ったし、ヘーゲルが言うように、歴史とは人間にとって何よりも大事な現実ですからね。

私自身は商売に携わったことはないし、人からカネをもらったこともない。

選挙も自分のカネでやりましたけども、一方で自民党の戦後の歴史というのは、要するに金権主義なんですよ。

そういう自民党の中でのしあがっていくには、金権という方法論しかなかったんでね。

だから金権そのものは角さんのというよりは、自民党の体質だったわけです。

ただ、あの人が商売の天才だったことは間違いないね。

戦争中に25歳で田中土建工業を設立して、短期間で業界50社以内の売り上げにしている。

すごい話ですよ。

たんなるカネ儲けの才能だけじゃなくて、人を見る目、人間観も鋭い。

僕が角さんはすごいなと思うのは、ニクソン元米大統領やキッシンジャー元米国務長官がベタ褒めした周恩来元首相のことを彼はまったく評価していないことでね。

周恩来は毛沢東の足元にじゃれている「チンコロ」だと。

そんなことを言ったのは田中角栄ただ一人ですよ。

周恩来は役人として優れていただけで、毛沢東の下で生きながらえた。

何度も失脚の危機を乗り越え、「不倒翁」と呼ばれたのは、彼が小物だったからだと角さんは見抜いた。

結局、役人を馬鹿にしていたということです。

そんな田中角栄にてこずったのが米国でした。

米国に頼らない角さんの資源外交が彼らの逆鱗に触れて、それでロッキード事件によって彼を葬ったわけです。

・ロッキードは気の毒だった

ロッキード事件当時、私は国会議員のなかで、一人だけ外国人記者クラブのメンバーでね。

古参の米国人記者がロッキード裁判を傍聴して驚いていました。

ロッキード社副会長が日本で起訴されないことを条件に証言し、それが裁判の証拠として採用された。

しかも、当の副会長に対して反対尋問さえ許されない、という日本の司法のありように首をひねっていたのを覚えています。

私もあのとき米国の策略に騙された一人だったけれども、いまにして思えば、あのロッキード事件は角さんが気の毒だった。

角さんは航空機トライスターの購入をめぐって賄賂を受け取ったとして逮捕されましたが、ロッキード社に関しては他にもP3C対潜哨戒機の導入をめぐる、もっと大きな疑惑があった。

こちらに関与している政治家はもっとたくさんいたんですよ。

ところが、これは完全に黙殺されてしまった。

だから、あのロッキード裁判はいろんな意味でめちゃくちゃです。

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石原慎太郎がいま明かす「私が田中角栄から学んだこと」~人を見て、先を見通す天才だった~
週刊現代 2016.05.06
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48554

最後、3つ目の記事はこちらです。

■名もなき庶民が日本の主役だった「田中角栄の時代」があった

週刊ポスト 2015.06.30 山本皓一

https://www.news-postseven.com/archives/20150630_332539.html?DETAIL

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かつて「田中角栄の時代」があった。それは名もなき庶民がこの国の主役だった時代である。

〈政治は、地表を吹きすぎていく風のようなもので、国民にとって邪魔になる小石を丹念に拾って捨てる、それだけの仕事である。理想よりも現実を見つめ、国民がメシを食えるようにすることが大事だ〉──角栄語録の一節には政治の原点がそう語られている。

政治家の役割は、安倍晋三首相のように「オレが最高責任者だ」と国家・社会を自分の思想に染めようとすることではない。

あくまで“政治家は脇役、主役は庶民”という徹底した民主主義の思想がそこにはある。

1972年、「今太閤」「庶民宰相」と呼ばれ、国民の熱狂的な歓迎の中で首相に就任した角栄だったが、人気とは裏腹に、当時の日本社会は高度成長のピークを過ぎ、大都市と地方の格差の増大、公害の深刻化といった社会のひずみが表面化して、国民の閉塞感と政治への失望が広がっていた。

それは現在の日本が置かれた状況と重なる。

あの時代、角栄の目はまっすぐ国民生活の再生に向けられた。

彼の政治手法がそれ以前やその後の門閥政治家、官僚出身政治家と違ったのは、自分たちの役割は国民のためにならない法律、時代に合わない法律をつくりかえて国民生活を豊かにすることにあるという強い信念があったことだろう。

「政治は数、数は力」と自民党内で勢力をのばしながらも、数に驕る手法ではなく、むしろ多様な意見に耳を傾け、自分と意見が違っても有為な人材であればどんどん登用した。

苦労人ならではの人間的な幅広さと奥行きがあった。

だからこそ、多くの政治家が集まり、官僚たちも角栄のブレーンとなって政策の行き詰まりを突破しようとした。

その1人だった下河辺淳・元国土事務次官は角栄登場の意味をこう語っている。

「日本社会のひずみはもはや西洋から輸入された東大法学部の学問、政治、法律では解決できなかった。田中角栄は1人の日本人、新潟県人として発想し、必要なら六法全書さえ否定する行動力があった」

もちろん、「六法全書の否定」とは、安倍首相のように憲法の解釈論をこねくり回して自衛隊を海外に派遣しようという“官僚的ご都合主義”とは全く違う。

角栄は国土や社会のひずみを改めるために、日本列島改造論を掲げて全国に道路をつくり、トンネルを掘り、国土開発を推し進めた。

そうしたやり方は“土建屋政治の元祖”のように批判されるが、今の政治家の公共事業バラマキとは異なっていた。

大都市に集中した産業を地方に分散させて格差をなくすという原則を打ち出し、産業再配置と、こんな社会ビジョンを描いていた。

〈二十代、三十代の働きざかりは職住接近の高層アパートに、四十代近くになれば、田園に家を持ち、年老いた親を引き取り、週末には家族連れで近くの山、川、海にドライブを楽しみ、あるいは、日曜農業にいそしむであろう〉(著書『日本列島改造論』より)

これほど明快な社会ビジョンを国民に提示することができた政治家は後にも先にもいない。

外交面でも、角栄は戦後日本の課題だった日中国交正常化を成し遂げ、エネルギーをアメリカの石油メジャーに依存しない独自のアジア資源外交を展開した。角栄の外交思想を端的に表わした言葉がある。

「人の悪口を言ったり、自分が過去に犯した過ちを反省せず、自分がすべて正しいとする考え方は国の中でも外でも通用しない」

「主張する外交」を掲げながらも芳しい成果を残せない安倍首相は、この言葉をどう聞くのだろうか。

国民が今「角栄の時代」に郷愁を感じるのは、偶然ではない。

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名もなき庶民が日本の主役だった「田中角栄の時代」があった
週刊ポスト 2015.06.30 山本皓一
https://www.news-postseven.com/archives/20150630_332539.html?DETAIL

元東京都知事・石原慎太郎氏。

個人的に、石原氏と言えば思い出すのが、2016年ベストセラーとなった幻冬舎出版「天才」。

90万部以上の売り上げを記録しました。

ご存知、田中角栄氏を一人称で表現した小説です。

石原慎太郎氏は、元々田中角栄の政敵でもあったそうです。

「敵」を「天才」と称する、題名。

なぜ?と思った方もいらっしゃるかもしれません。

「天才」を書いた、石原氏のその背景は何だったのでしょうか。

「天才」を書いたのは、2014年12月、石原氏が政治家を辞めて約1年後。

幻冬舎代表の見城徹氏からの勧めもあったそうですが、もちろん、許諾した背景に「政治家としての思い」があったはずです。

では、なぜ、石原氏が政敵田中角栄を「天才」と称し、政治家を終えた後、上梓したのか。

何故なのでしょうか。

もしかしたら。

政治家を辞めた最後の最後の、届かなかった政治家としての限界、その田中角栄氏の背中に「政治家」としてのあるべき姿を見たからなのかもしれません。

「石原氏の本心」の表れだったのかもしれません。

いったい、田中角栄のどこが魅力なのか。

田中角栄に共感する人たちは、何を、どこを、魅力に感じるのでしょうか。

ただ、なぜか、Googleで検索しても、田中角栄の本質に触れた情報が殆ど検索結果として出てきません。

「ロッキード事件」「金権政治」など田中角栄を否定する情報ばかりが溢れているのも、田中角栄の本質をつかみ取れない理由なのかもしれません。

Google検索結果で出てくる上位表示の情報は、殆どが田中角栄の「負」の情報ばかり。

「負」ではない情報以外で見当たるのが「人心掌握術」「官僚掌握術」ばかり。

人心掌握術に優れた小手先の「金使いがうまい政治家」に思えてしまうような情報が多く見当たります。

しかし。

インターネット以外の書籍を乱読してみると、そこには田中角栄の様々な側面が溢れています。

田中角栄が単なる「金使いがうまい政治家」ではない、本当の姿が浮かび上がってきます。

田中角栄。

新潟の雪国で生まれ育った、一般庶民でした。

貧しくて進学も断念する家庭だったそうです。

家柄やステータスはほぼゼロ。

ある意味、戦後民主主義から生まれた、「民主政治」が生み出した産物でもあったのかもしれません。

田中角栄の凄さ。

特筆すべきは、国際外交です。

欧米石油メジャーに支配された石油資源は、あの太平洋戦争の一因でもありました。

田中角栄は自ら戦争体験も持ちながら、戦前・戦中・戦後と悩まし続けた日本資源外交が、日本政治の大きな課題として考えたのかもしれません。

田中角栄は1972年、首相に就任後、1973年に仏、英、西独、ソ連を次々と訪問し、石油、ウラン鉱石、天然ガス等の共同開発について議論。

翌1974年1月には、ASEAN5カ国を歴訪し、インドネシアとの間で液化天然ガスプラント、石油基地建設の建設協力で合意。

1974年9月には、メキシコ、ブラジル、カナダを訪れ、メキシコ原油の開発、アマゾン開発、西カナダのタールサンド開発について、それぞれ協議。

さらに、その翌月1974年10月には、ニュージーランドやオーストラリア、ビルマを訪ね、マウイ天然ガス開発やウラン資源の確保について合意します。

圧倒的行動力とグローバルな視点。

あのソ連、ブレジネフ氏にも一歩も引かず、北方領土問題を前に進めました。

一方、中国には日中国交正常化を実現。

当時の中国指導者、毛沢東氏は様々な苦労した人物でもあり、日中国交正常化には毛沢東氏が生きている間に実現しなければならないと、田中角栄は語っていたそうです。

アメリカ、欧州、ソ連、中国、etc・・・。

田中角栄の凄さは、実は国際政治にある、とも言えるのではないでしょうか。

「単なる金使いがうまい政治家」ではないのかもしれません。

そして、読み外してはならないのが「信念」。

このような言葉も残しています。

「俺の目標は、年寄りも孫も一緒に、楽しく暮らせる世の中をつくること」

「国民の生命、財産を守り、生活を向上させなければならない。これはわたしがどんな立場や境遇にあっても、自ら果たすべき責任」

「日本じゅうの家庭に団らんの笑い声があふれ、年寄りがやすらぎの余生を送り、青年の目に希望の光りが輝やく社会をつくりあげたい」

本当の意味で日本の地域地域の一人一人の国民の幸せを願っていたのかもしれません。

海外諸国政府や一部の富裕層だけに、左右されない「信念」があったのではないでしょうか。

中国やアジア諸国と和を結び、アメリカやソ連にも一歩も引かなかった田中角栄。

石原慎太郎氏が政治を総括して想う、田中角栄。

政敵だった田中角栄への石原慎太郎氏の本心。

「天才」では描き切れなかったこと、メディアでは語れない、その本当の想いがあるのかもしれません。

■石原慎太郎語録

高速道路、新幹線、飛行機のネットワーク…私たちが生きている現代を作ったのは田中角栄だ。

政治家には先の見通し、先見性こそが何よりも大切なので、未開の土地、あるいは傾きかけている業界、企業に目をつけ、その将来の可能性を見越して政治の力でそれに梃子入れし、それを育て再生もさせるという仕事こそ政治の本分なのだ。

日本の政治家はみんな官僚みたいになりました。大学の教授に『田中角栄のことを一人称で書いたらどうですか』って言われ、なるほどな、と思って書きました。田中角栄とは天才ですね。郵政大臣の時に43のテレビ局全部を認可しました。新幹線も高速道路も、飛行場もそうです。すごい。こんな政治家いませんね。

ロッキード事件は完全にでっち上げです。よく分かりました。角さんが総理大臣をやっていた昭和49年の参院選。あのとき自民党の公認料は1人3千万円ですよ。選挙で使ったお金は300億円です。だから、ロッキード事件の5億円は角さんにしたら選挙費用の中で、はした金。金集めたら偉いと思わないけど。それに彼が作った個人立法が33本あるんですよ。政治家1人が個人的に作った法律がそんなに通用している政治家はいませんよ。

彼はアメリカという支配者の虎の尾を踏み付けて彼らの怒りを買い、虚構に満ちた裁判で失脚に追い込まれた。アメリカとの交渉で示した姿勢が明かすものは彼が紛れもない愛国者だったということ。

いずれにせよ、私たちは田中角栄という未曽有の天才をアメリカという私たちの年来の支配者の策謀で失ってしまったのだ。歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい。

(未曾有の日本国の高度な繁栄等は)その多くの要因を他ならぬ田中角栄という政治家が造成したことは間違いない。田中角栄という天才の人生は、この国にとって実に掛け替えのないものだった。この歳になって田中角栄の凄さが骨身にしみた。

石原慎太郎

【参考】

■日本経済新聞「田中角栄のふろしき」コラム(経済・政治)小長秘書官の証言

・「メジャーの世界支配、崩す」(田中角栄のふろしき)
2018年2月26日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27278920S8A220C1905S00/

・いっしょに石油を掘ろう(田中角栄のふろしき)
2018年3月12日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27903540Z00C18A3X12000/

・「米の虎の尾を踏んだ」(田中角栄のふろしき)
2018年3月19日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28206730W8A310C1905S00/

・「さぁ次は英国 北海油田だ」(田中角栄のふろしき)
2018年4月2日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28775470Q8A330C1X12000/

・「英と石油スワップ いける」(田中角栄のふろしき)
2018年4月9日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29070300V00C18A4X12000/

・ブレジネフから引き出した「ダー」(田中角栄のふろしき)
2018年4月23日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29602110Z10C18A4X12000/

・「その油、米国が回してくれるのか」(田中角栄のふろしき)
2018年4月30日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29918350X20C18A4X12000/

■『天才』

著者:石原慎太郎
出版社:幻冬舎
発売日:2018年01月

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・内容紹介(出版社より)

高等小学校卒ながら類まれな金銭感覚と人心掌握術を武器に年若くして政界の要職を歴任。ついには日本列島改造論を引っ提げて総理大臣にまで伸し上がった田中角栄。「今太閤」「庶民宰相」と称され、国民の絶大な支持を得た男の知られざる素顔とは? 田中の金権政治を批判する急先鋒であった著者が、万感の思いを込めて描く希代の政治家の生涯。

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■『田中角栄封じられた資源戦略 : 石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い』

著者:山岡淳一郎
出版社:草思社
発売日:2009年11月

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・内容紹介(「BOOK」データベースより)

アメリカの傘下を離れ独自に資源供給ルートを確保するー。七〇年代に宰相・角栄は自ら世界を駆け回って直接交渉する「資源外交」を大々的に展開した。石油ではメジャー支配を振り切ってインドネシアやソ連と交渉し、原子力ではフランス、オーストラリア等と独自に手を結ぼうとした。角栄の失脚はこの資源外交の報復だとも言われている。実際のところどうだったのだろうか。石油メジャーやウラン・カルテルを形成する「資源帝国」とアメリカや欧州各国の思惑、そこを突き破ろうと突進した角栄の資源戦略はいかに展開され、いかに潰えていったのか。日米関係の大幅な組み換えが始まるいまこそ再検証すべき「資源戦争」の全容を詳細に描いた力作。

・目次(「BOOK」データベースより)

プロローグ 核廃絶の裏で/第1章 石油の一滴は血の一滴/第2章 総理大臣とアメリカ/第3章 石油、さもなくばウランを/第4章 ジャカルタ「反田中」大暴動の黒幕/第5章 資源帝国の大渦に呑まれる/エピローグ 「持たざる国」の選択

・著者情報(「BOOK」データベースより)

山岡淳一郎(ヤマオカジュンイチロウ)
1959年、愛媛県松山市生まれ。ノンフィクション作家。近現代の国家、社会を支える基盤構造とそれに関わる人間を描き、さまざまな角度から時代を超えた普遍性の検証を行なっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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■『この国は俺が守る: 田中角栄アメリカに屈せず』

著者:仲俊二郎
出版社:栄光出版社
発売日:2011年11月

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・内容紹介(「BOOK」データベースより)

総理就任3カ月で日中国交正常化を実現、独自の資源外交を展開する田中角栄に、大国アメリカの巧妙で執拗な罠。不世出の男の政治生命を奪い去った権力に肉薄する野心作。

・目次(「BOOK」データベースより)

1 決断と実行の男/2 庶民宰相誕生/3 日中国交回復/4 資源外交に踏み出す/5 反日感情の東南アジアへ/6 満身創痍/7 失脚への序章/8 ロッキード事件勃発/9 残された日々

・著者情報(「BOOK」データベースより)

仲俊二郎(ナカシュンジロウ)
1941年生まれ。大阪市立大学経済学部卒業後、川崎重工業に入社。健保組合出向、鉄構企画室等を経験した後、プロジェクトマネジャーとして長年プラント輸出に従事。最後の仕事として20世紀最大のプロジェクトといわれるドーバー海峡の海底トンネル掘削機を受注し、プロジェクトを成功させる。後年、米国系化学会社ハーキュリーズジャパンへ人事部長として転職。アメリカ式人事について本社でトレーニングを受ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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■『アメリカに潰された政治家たち』

著者集:孫崎享
出版社:小学館
発売日:2012年09月

https://a.r10.to/huYUq2(楽天ブックス)

・内容紹介(出版社より)

戦後政治史“最大のタブー”に挑む!
ベストセラー『戦後史の正体』の著者で元外務省国際情報局長が、戦後政治史“最大のタブー”といえるアメリカの謀略を明らかにする。
なぜ野田政権は、原発再稼働、TPP参入、オスプレイ導入といった、アメリカが喜ぶ政策に前のめりなのか。その理由は、この政権が、小沢一郎・鳩山由紀夫という「最後の対米自主派」の政治家が潰された後に誕生した、戦後最大の「対米追随」政権だからである。
本書は、岸信介、田中角栄、小沢一郎ら自主派の政治家が、いかにして対米追随からの脱却を図り、そしてアメリカによって潰されたかを詳らかにすることで、現在に至る日本政治の「本当の問題点」を摘出する。
そうして自主派の政治家たちがすべて姿を消したなか、現れたのが反原発の官邸前デモだった。官邸前デモは、アメリカに潰された政治家たちに代わって、民衆自身がアメリカ支配による「戦後体制」を終わらせようとする、歴史の転換点である。

【編集担当からのおすすめ情報】

新著『戦後史の正体』がベストセラーとなっている元外務省国際情報局長が、いまなお繰り返される、政治家に対するアメリカの謀略を完全暴露する緊急出版。原発再稼働からTPP、さらには尖閣・竹島問題まで、現在の日本政治が抱える問題点の「正体」がすべて分かる。

・内容紹介(「BOOK」データベースより)

岸信介、田中角栄、小沢一郎ー日本の自主自立を目指した政治家たちは、なぜ、どのようにして潰されたのか。戦後政治史“最大のタブー”に挑み、この国の「かつてない危機」を明らかにする。

・目次(「BOOK」データベースより)

序章 官邸デモの本当の敵/第1章 岸信介と安保闘争の真相/第2章 田中角栄と小沢一郎はなぜ葬られたのか/第3章 戦後最大の対米追随政権/特別鼎談 2012と1960国民の怒りが政権を倒す日(孫崎享×長谷川幸洋(ジャーナリスト)×高橋洋一(元内閣参事官))/終章 本当の「戦後」が終わるとき/特別付録 アメリカと戦った12人の政治家

・著者情報(「BOOK」データベースより)

孫崎享(マゴサキウケル)
1943年、旧満州生まれ。1966年に外務省に入省後、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を経て、2009年まで防衛大学校教授。『日本外交現場からの証言ー握手と微笑とイエスでいいか』(中公新書)で山本七平賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

https://a.r10.to/huYUq2(楽天ブックス)

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