部屋が汚い女は絶対キレイになれない。
星だって落ちたら石ころ。
欲望は戦力です。
三十すぎたら同い年。
こないだ、古いワニほど柄が良いって言葉を作ったんですけど。シワは柄だと思わなきゃ。シミは水玉だと思っちゃってください。ってことなのよね。
着物って最初はうまく着れなくても、毎日着ているうちに、着慣れてきて、着こなして、粋に着崩すでしょう? 人もさ、毎日生きてるうちに、生き慣れて、生きこなしていって、そして長生きして今度は「生き崩す」んだと思うのよ。長生きってこじゃれていると思うのよ。
20代? ああ、二度と戻りたくない時代だわね。ピンヒールにケリーバッグ、カルティエなんか身に着けて、今よりも大人っぽかったかも。でも内心は、早く何者かになろうともがいて暑苦しくって、お気の毒だよね。「早くこっちにおいで」って思うわ。
歳を取るって、面白いんだから!若い子を恨んで嫉妬してる場合じゃないのよ。もっと年上の素敵な女性たちを見て!あわててはダメよ。
50歳過ぎてからって、思ったよりもずっと面白いわけ。ごめんね~。悪いけど、このままいくと老後はもっと幸せになれそうなのよ。
人ってさ、人と関わることによって、変色する生き物なんですよ。ただ変化するんじゃなくて、相手の色と混ざって、違う色になるの。「混ざる」っていいよね。
頂上にたどり着いて、たとえきれいな夕焼けに出会えなくても、そこで思わぬ体力がついていることの方がすごいでしょ。夢を追いかけるときに力がついてくる事実の方が、夢を手に入れたかどうかよりも、もっと素敵なことなんじゃないの。
やっぱり50代っていろいろな経験を一回りして、そこそこ力持ちになって“筋肉”付いてるじゃない。だから、ま、やれちゃうのよね、なんでも。
(輝いて生きる秘訣を聞かれて)たぶん勇気だと思う。勇気とか元気とか。とにかくやりたいことに対して、勇気を持って一歩踏み出すんです。
過去の自慢話しかしない大人が多いじゃないですか。今、何をやるか。これから何をやれるか。何に面白がれるか。それしか素敵じゃないでしょ。
桃井 かおり(ももい かおり、1951年4月8日- )は、日本の女優。
東京都世田谷区出身。
本籍地は長野県佐久市。
桃井かおりの父親は、国際政治学者の桃井真。
一番上の兄は脚本家の桃井章である。
小学校を卒業後にロンドンにあるロイヤル・バレエ・アカデミーに留学した桃井かおりは、1968年に帰国し、女子美術大学付属高校デザイン科に入学を果たした。
1971年、桃井かおりは文学座附属演劇研究所の11期生となる。
同年には映画『愛ふたたび』で映画初出演を果たし、さらに映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』でヒロインに抜擢。
しかし無断で女優になった桃井かおりは、一時、厳格な父親から縁を切られていたという。
1975年のTVドラマ「前略おふくろ様」の海役でブレイクし、1977年、桃井かおりは山田洋次監督の映画『幸福の黄色いハンカチ』に出演し、高倉健や武田鉄矢と共演。
桃井は同作の演技が評価されて、キネマ旬報賞や日本アカデミー賞など複数の助演女優賞を受賞。
NHK音楽夜話『夢・音楽館』では館主役を務め、自ら衣装もデザイン。
舞台ではイッセー尾形との二人芝居が海外でも上演され、岩松了作・演出の『月光のつつしみ』で竹中直人と共演。
2003年10月には、尾上菊之助との共演『若き日のゴッホ』、映画では2004年、「またの日の知華」(原一男監督)、「IZO」(三池崇史監督)、「リバイバル ブルース」(クロード・ガニオン監督)が公開。
2005年公開のハリウッド映画『SAYURI』出演を期に、2006年にはアメリカ合衆国映画俳優組合(SAG)に加入、活躍の場をハリウッドにも広げている。
2006年に映画「無花果の顔」で映画監督デビューもしている他、ジュエリーデザインや雑誌創刊など幅広い活動を行っている。
2008年に日本政府より「紫綬褒章」を受賞。
2009年には、女子美術大学・女子美術大学短期大学部の客員教授に就任。
主な出演映画作品に「AMAYA(2010年)」「USB(2009年)」「昴-スバル-(2009年)」「イエロー・ハンカチーフ(2008年)」「夢のまにまに(2008年)」「The焼肉ムービー プルコギ(2007年)」「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ(2007年)」「武士の一分(2006年)」「無花果の顔(2006年)」「太陽(2005年)」「SAYURI(2005年)」「阿修羅のごとく(2003年)」「クロスファイア(2000年)」「トキワ荘の青春(1996年)」「木村家の人びと(1988年)」「キネマの天地(1986年)」「ええじゃないか(1981年)」「幸福の黄色いハンカチ(1977年)」など。
著書には、エッセイ集『まどわく』『卵を抱えて』『賢いオッパイ』(いずれも集英社be文庫)などがある。