安達祐実の「大切な
やりたい仕事や「安達祐実として進むべき道とは」など、事務所で会議を開いて自分の考えを発言するようになったのは、ここ5~6年くらいなんです。それまでのことに関しては事務所にお任せをしていて、事務所に守ってもらっている状態でした。守りすぎて攻めが足りなかったなと思うようになったのは、離婚をしたあたりから。何よりも結婚したことが私にとって大きなことでした。出産の時には半年くらいお休みした時期があったんですけど、半年休んだのも人生で初めて。2歳からずっと働いているので(笑)。
やっぱり小さい頃からこの仕事をしているので、人の顔色を伺ったり、人が欲しい答えを言うことが癖になっていて、ずっとそれが正解だと思っていた部分があって。でも、途中からそれは正解じゃないというか、相手は私の意見を求めているんだということに気づいたんですけど、それに気づいてからも癖がついちゃってるからなかなか伝える勇気が出せなかった。そういう時期を経て30歳くらいになった頃、「まぁもういっか!」みたいな(笑)。吹っ切れたんですよね。それは違うんじゃないかと思われても、とりあえず自分はこう思ってる、ということを言っちゃおうと。
結構みんなに好かれたかったから私は子どものころから…。嫌われる=仕事を失うみたいな恐怖心がずっとあったんだけど、そんなわけないし100%誰からも好かれるなんてやっぱり人である以上ない。初めてこんなに私が何も飾らなくても、こんなふうに受け入れてくれる人がいるんだったらもうこれで十分かなって思って、そこからはあんまり人にどう思われるかそこまで気にしなくなった。
私、こだわりも、ルーティンも、ゲン担ぎも本当に、ほぼないんです。仕事に関しても、“楽しく”。人によっては“現場で和気あいあいとやるものじゃない”という考えもあるかもしれないですけど、せっかくやるなら私は楽しくやりたい、というくらい…がこだわりですかね? みんなで楽しく、気持ちよく仕事できるように。
小さいときは、もちろん自分で雰囲気作りをする立場になかったというか、できなかったというか。けど段々大人になると、年齢的にも下の人たちばかり、ということになってきて。自分がその場の空気を作れるような場面もちょこちょこ出てきて、うまく回っていけばいいなと思います。“そんな年になったんだなあ”と思いつつ(笑)
子供っぽいと常に言われていて、大人になってからも『子供にしか見えない』とず~っと言われてきました。それに伴って、中身も子供のままみたいなイメージで見られることがすごく多かったんです。それで自分自身、自分は何も似合わないと思ってしまった。そのまま大人になって、役ではなく安達祐実として衣装を用意されるようになった際に、自分がどう見られているのが分かってきました。フェミニンな服が多かったんです。でも実際の私にはフェミニンな要素ってあまりないんです。自分に合った服じゃないなと思っていて、じゃあ、自分に合った服って何だろうと、性格と服のマッチングを気にするようになったんです。
昔を思い返すことはあります。私…、どんどん気楽な人間になっていっているのかも、と思いますね(笑)。例えば、作品をやったら“どう見てくれているんだろう?”と気になりますから、エゴサーチもするんです。よくないことも書いてあるんですけど、それを受け入れる準備は全然できているというか。指摘されても“そうか! あ、次からはこうしてみようかな”って思うんです。落ち込むとかではなく、“じゃあどうしようか”と考え方が建設的になっています。
『家なき子』をやっていたときは、まったく知らない、本当にすれ違うだけの人から悪口を言われたり、頭をはたかれたりすることなんかもありました(苦笑)。…だから “大体の人がこう思っているのかな”とわからなかった時代のほうが、私にとっては怖かったです。自分の置かれた立場を確認していたいタイプなので、いま(SNSなど)は便利だし、すごくありがたいなと思って使っています。けど、それに翻弄されちゃうと怖いと思いますけど。
俳優業は待つ仕事というか、オファーをいただいて、やれるかどうかなので“どっちに転がっていくかな?”くらいの感じで、これからの明確な目標はありません。できるだけ続けられる限り、俳優をやっていられたらな、は思っています。ともうだいぶ長くやってきたので、本当に自分がそそられるものをやっていくのでいいんじゃないかな、といまは思っています。
東京出身ですし、自分のことをものすごく都会育ちだと思っていたんですけど、ここ1~2年は地に足のつけた“老後に向けて…”みたいな気持ちが実はすごく強くて(笑)。穏やかに年を取っていけたらいいなと思っているから、ものを大切にしたり、おうちのことをきちんとやって、お掃除して、ごはんを作れるときは作って、子どもとの時間を楽しんで、草花を愛でる、みたいな生活をしていきたいです(笑)。
童顔のせいもあって、大人になってからも子役時代のイメージがずっと付きまとって。自分はもう大人なのに、それを認めてもらっていない気がして苦痛だった時期もありました。でもある時、「他人の気持ちを変えることはそう簡単ではない」と気付いて、「誰がどう思おうと、自分は自分の道を歩いていけばいいんだ」と考えられるようになったんです。確か、30歳が間近の頃だったでしょうか。「30代って、何だか楽しそうだな」と思えるようになって、気持ちに踏ん切りがついたのだと思います。
ストレスをためず、ストレスの原因があったら、それを取り除いていく。そんな前向きな姿勢で生きて、自然に年を重ねていけたらいいですね。仕事の面では、40代半ばぐらいまでは、キャリアウーマン役や母親役など、いろんな役をやっていって、ゆくゆくは「上品なおばあちゃん」みたいなイメージの女優さんになっていけたらいいなと思います。
人間て、表情が豊かな方が魅力的だと思うんです。例えば、同じシワでも笑いジワは誰の目にもチャーミングに映るじゃないですか。それって、年齢を重ねるにつれてどういう生き方をしているかが見た目に現れてくるっていうことなのかなって。そんな風に刻まれるシワなら、ウェルカムですよね。そんな素敵な大人の女性を目指すために、今はとにかく楽しく生きていくのが目標。日々、人生経験をたくさん積み重ねて、内面を充実させていけたらと思っています。
子どもの頃は何も考えていなかったんですが、大人になって苦しい時期を超えると…超え切れていないような時もありますが(笑)、やっぱり何をしていても感謝の気持ちしかありません。本当に小さいことに感謝しながら生きています。例えば、現場で照明を当ててもらったり、レフを向けてくださったり、カメラで撮っていただいたり。お仕事だからその人にとっては当たり前のことなんでしょうけど、本当にありがたいことだなと。立ち位置にバミを貼ってくださるスタッフさんもサードぐらいのADさんだったりするんですけど、その目印がどれだけ大事な物か…とにかく「ありがとうございます」という気持ちです。
私は2歳からこの仕事をやっているので、夢を見る前にその職業に就いちゃってるところがあるので(笑)、どうやって夢を叶えるというのがわからない部分もあるんですが。例えば私は好きでこの仕事をさせてもらっているけど、時には大変だなとかちょっと苦しいなと思うこともやっぱりあるわけですよね。でもそういう時に投げやりになってしまうのではなくて、1つ1つ真摯に向き合うということが大事なのかなと思っています。現実を見るのってすごい怖いじゃないですか。「ここに行きたい!」と思った時、自分はまだ全然届かない場所にいるということを思い知るのが怖くてそれを見ないようにしがちですけど、ちゃんと常に自分の今いる立ち位置を確認することはすごく大事。「今は全然ダメ。今いるのはここ」ということを認識して、じゃあ何をやったらいいかを考える。ちょっと遠回りに思えることでも、ゆくゆくは自分の行きたい場所にたどり着くために必要なことを逃げずに考えていくこと。それはすごく大事だと思います。
現状維持って衰退していくことだと思っているから。前進しないと進化しないとっていう気持ちがあって。
安達祐実とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)
安達祐実。
1981年生まれ、東京都出身。
2歳時に子育て雑誌でモデルデビューし、後に子役としてCMなどで活躍。
1991年、テレビCM「ハウス食品・??工房」で注目を集め、「具が大きい」のフレーズは流行語にもなった。
以後、女優としての道を歩む。
1994年、テレビドラマ『家なき子』で主人公の相沢すず役を演じ、12歳とは思えない演技力で一躍脚光を浴びる。
同作品は最高視聴率37.2%を記録し、すずの台詞である「同情するならカネをくれ」は新語・流行語大賞にも選ばれるなど社会現象となった。
2005年9月、井戸田潤との結婚会見を東京プリンスホテルで行った。
2006年4月に女児を出産、同年6月から仕事復帰。
2009年1月に東京都内の区役所に井戸田との離婚届を提出。
2014年11月、カメラマンの桑島智輝と再婚。
同年、『花宵道中』で20年ぶりに映画主演を果たした。
2016年2月、第2子妊娠を発表。同年10月4日から仕事復帰している。
2020年4月「捨ててよ、安達さん。」主演
2020年4月23日発売の女性ファッション誌『CanCam』6月号(小学館)の表紙モデルに起用。