松嶋菜々子の「大切な」言葉たち~松嶋菜々子の名言・人生・生き方など~

松嶋菜々子の「大切な」言葉たち

家族との時間は大切にしています。子どもたちも大きくなり、食事の時間がバラバラになることが増えてきました。なので、私と食事の時間が違っても、食事をするときは、できるだけ食卓について話をするようにしています。仕事で家を空けがちなときは、不在の理由をきちんと子どもたちにも説明をしています。「このお仕事は夜の撮影が多くなりそう」「何時から何時までは、お仕事で家にいられないの」など、自分の仕事のスケジュールについて、一つ一つ説明し理解して協力してもらっています。ただ、どんなに忙しくても、子どもの行事は参加することに決めています!

海外の女優さんなど、自分のスタイルを持っていらっしゃる方が多いですね。例えばジェーン・バーキンさんなど、自分が20代の頃から見ていますが、年齢を重ねてもずっと自分のスタイルを貫いていてカッコいいなと思います。けれど、先輩の女優さんだけでなく、最近の若い女優さんも、個性的でのびのび演技をされていて素敵だなぁ。彼女達から学ぶことも多いです!

私はまぶしいライトを浴びていた記憶しかない20代でした。次々いただくお仕事をこなすことに精いっぱいで、一歩引いて考えることができなかったですね。周囲からは「いつも穏やかに見える」と言われていましたが、心の中では「この仕事に向いているんだろうか」「今日の仕事はあれでよかったんだろうか」と、グルグル考え続けていました。だから、あの頃の自分には「まだ20歳だもん、できなくて当然だよ。帰宅後にいちいち自分を責めて、できたかできてないか、納得してもらえたかどうかなんて、悩まなくてよいよ。もうちょっと楽になればよいよ」と、言ってあげたいですね。

放送当時から日本は大きく変わり、リストラ、非正規雇用は当たり前、日本全体の年収中央値は360万円という社会になっています。勝ち組・負け組、上級・下級国民なんて言葉も生まれ、今やお金が重要というのは共通認識に。桜子の発言に違和感を覚える人は少ないでしょう。しかし嘘みたいですが、20年前は本当に『愛があればお金なんて』、『貧乏でも家族がいれば幸せ』といった価値観が主流だった。それだけに『お金が一番』と言い切る桜子のキャラに新鮮さを感じたのでしょう。

ただ台本を読み上げるだけっていうのは嫌だったんです。『台本に書かれているから』『監督に言われたから』って、本当は自分の理解が追いついていないのに、分かったような気になって偽ることも。それだけは絶対にしないと決めていました。

私は結構アナログ人間な方だと思うのですが、子供たちがスマホを使いこなしている世代なので、便利なものだけど使い方は気をつけないといけないよねという話をしたりします。ネットで検索すれば色々な情報が出てきますが、本当かどうか分からないというものも多いと思います。例えば、SNSで100人の人が賛同してくれることも良いけれども、周りの5人に本当の気持ち・考えが伝わっている事の方が大切だと思っています。本作も、便利な社会になってからこその、根本的な愛や家族の大切さが描かれているので、観終わった後に色々考えることが出来ると思います。

私が意識してきたのは、『全員の期待に応えようとしない』ということ。ドラマや映画を見てくださっている皆さんには、もちろん良い作品は届けたい。でも、『きっとみんなは、私にこういうことを期待しているはずだ』って勝手に妄想して、自分で自分を苦しめる行為は意味がない気がして。

現実的には育児は大変で、出産前に思い描いていたようには身動きがとれない。そのジレンマに苦しんだときもあります。でも育児と仕事を両立することで、仕事現場に行ったときにリフレッシュできたり、育児とは違うものに集中できる時間をもてることは貴重だなと思えるようにもなりました。それに、好きな仕事をさせてもらっているからこそ、子供と向き合う時間を大事にしたい、と感じました。二人目を授かってからは……もう、やりくりができなくなりましたね(笑)。それまでは、頑張ればどうにかできるはず!と自分に負荷をかけていたんです。でも、子供がふたりいると即座に「できるわけがない」と諦めがつくようになりましたし、何事にも判断が早くできるようになりました。それによって精神的に楽になった部分もあります。子供をもつという人生を選択すると、それに伴い、いろんなことが変化していきますが、その都度、このペースが今の私の生き方なんだなと思えるようになっていくのでしょうね。

相手が求めるものと自分が持っているもの、それがただ『合わなかっただけ』だって思い直したら、オーディションに落ちることが苦ではなくなってきたんですよね。

仕事に対しての気持ちが全く変わりました。実は子供をもつまでは、すごく迷いながら、もがきながら必死に仕事をしていたんです。自分に向いているのか、このまま続けていくのだろうかとか、ずっと悶々としていました。いくら仕事をしても、なんだか充実できないということのほうが多かった。でも子供を産んでからは、単純に仕事が楽しい!と思えるようになって、そのときに「あ、私はこの仕事が好きなんだ!」って気づきました。改めて気づかせてくれて、仕事をさせてくれる家族には感謝しています。

他人なら連絡を取らずにいればそれで終わってしまうけれど、家族だからこそ関係性が難しく感じることってありますよね。依存し過ぎる場合もあるでしょうし。生まれ育った環境が、その後の自分の人生に大きく響いてくる。反面教師にしていくのか、お手本にしていくのか。いいところをとって生かしていく土台が家族だと思います。私が演じた博美は、根底に愛情を注いでもらった記憶がないという、本来あるべきものが欠落していて、それを本人が人生でどう埋めているのか。大きなテーマですよね。家族って繊細な関係だし、一番気を遣い合わなければいけないのかもしれません。

いえ、後悔はしていません。「後悔」と言ってしまうと、子どもに対しても自分に対しても、立ち戻りたい時間になってしまうので「良い時間だった」「実のある時間だった」と思うようにしています。

20代のときは仕事一本の日々を過ごしていましたが、そうかといって気持ちに余裕があるわけではありませんでした。30代は結婚して子供を産んで、家庭と仕事のバランスを取りながらの生活でしたが、特に子供が小さかったときは、明日はどうなるんだろう、明後日はどうなるんだろうとハアハアしながらやっていた。一日一日が精一杯でした。それが40代になって、子供が少し手を離れたということもあるのでしょうが、物事に向き合うときに余裕が持てるようになってきたんです。例えば周りの期待に応えたいからといって体力が伴っていないのに、ただひたすら自分を追い込んでは元も子もない、無理なものは無理と主張しなければいけないことも学びました。

「今の自分がやらなければならないこと」と「自分がどうしたいのか」、それだけに焦点を当てて、焦らずに目の前のものを一つひとつこなしていけば、きっと次へ繋がっていきます。すべて一生懸命にやろうとするからこそ、考えが広がってゴチャゴチャになってしまうんですが、毎回シンプルなところに立ち戻ると、ストンと落ち着けるんじゃないかなと思います。

どんな職業であれ、求められること、自分の存在価値を見出せるきっかけとして大事なことだと思うんですね。期待してくださったことに対して自分なりに精いっぱい返していきたいですし、それに対して相手が満足して喜んでくれたなら、こんなに嬉しいことはありません。そういう思いでいつも仕事に向き合っています。

努力は裏切らないと信じています。なので自分が到達しようと思った目標に対しては、目の前のことに全力で向き合えば叶うと思うんです。それで、自分が決めた目標をもしも超えられなかったとしても、必ず次が見えてくる。「このやり方でやりきったけど、何か足りなかったんだ。じゃあ次はこうしてみよう」と他の方法が考えられる。自分で感じている努力の限界ラインに対して「ちょっと無理そうだから、もう少し下で…」とやりきる前から下げてしまうと、いつまで経っても次の目標が見えないと思うので、常に自分が1番難しいと思う目標を決めたら、そこに向かってひたすら邁進して、疑いを持たずに今できる限りの考えたことをやりきることが大事。もちろん、その中で「あれも大事だし、これも大事」と迷ったり、焦ったりすることはあると思いますが、そういう時ほど、最初の1番高い目標を思い出す。私は「後悔がないこと」がすごく大事だと思っているんです。「あの頃に戻りたい」「あれをやり直したい」と思わない人生にしたい。そのために、私も焦らず色んなことを考え過ぎずに、目の前のことをひとつずつやりきるようにしています。

私は自分を俯瞰で見る癖があるんです。人様に見ていただくお仕事をしているので、ときどき自分を俯瞰で見て、公私のバランスを整えながらやってきたのですが、生真面目にバランスにこだわりすぎると疲れてしまうこともあって。なので、少しだけワガママに軽やかに生きていきたいなと思っています。

私が大事にしようと心掛けていたのは、「嘘をつかないこと」ですね。嘘をつくと信用を失いますし、一度失った信用を一から積み重ねるのは大変なことなので、今でも本当に嘘はつかないです。それは言葉の嘘だけではなく、感情の嘘も同様です。お芝居をする時も役を裏切りたくないので、自分の中で腑に落ちないセリフがある時は、きちんと監督とお話します。「自分にも嘘をつかないことが結果的に役を観ている人も裏切らないことに繋がる」と信じているので。

自分が輝いているかは分からないのですけど、自分が、この人、輝いているなと思う人が、今、どういうマインドでいるのかをのぞき見ることでしょうか。ちょっとすてきだなと思う女性の日常を垣間見たり、会話をしたりすることで、その人が、あ、そうか。そういう考え方だからこんなに楽しそうに輝いて見えるのだなということを知り、それを少しずつ自分に取り入れていく。そうすることによって、自然に輝いていけるのかなと思います。

松嶋菜々子とは?(人生・生き方・プロフィール・略歴など)

松嶋菜々子。

1973年生まれ、神奈川県横浜市出身。

2人兄妹の末っ子として誕生。

家族構成は、ご両親、2歳年上のお兄さん、菜々子さんの4人家族。

お父さんは東証一部上場の工作機械メーカーのサラリーマンだったそうです。

小さい頃は目が悪くて、眼鏡をかけていました。

出身小学校は横浜市立矢向小学校。

小学生までは横浜市鶴見区で育ち、その後デビューまで座間市で過ごします。

小学校の時は兄の影響を受けて、ピアノを習っていました。

中学校は相模女子大学中学部。

中学校時代はソフトボール部に所属。

相模女子大学高等部へ進学、書道部に所属。

高校1年の終わりごろ、小田急線・登戸駅周辺でスカウトされ、モデルとして芸能界入り。

労働省のポスターを手始めにマクドナルドの「てりやきバーガー」のCMのほか、雑誌「ViVi」などで活躍しながら、「なるほどザ・ワールド」(CX)への出演を経て、高校3年だった1991年11月、「旭化成 水着マスコットガール」決勝全国大会でキャンペーンガールに選出され1992年度の同社「水着キャンペーンガール」で活躍。

1992年18歳から女性ファッション誌『ViVi』の専属モデルを務め、第17代『旭化成せんいキャンペーンモデル』に選ばれる。

同年、ドラマ『社長になった若大将』(TBS)で女優デビュー。

1995年バラエティ『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ)のコント「近未来警察072」にナナ隊員役として出演。

1996年NHKの連続テレビ小説『ひまわり』のヒロイン役に抜擢。

1997年当時所属していた事務所から独立。

松下電工(現パナソニック)のCMイメージキャラクター「きれいなおねえさん」の2代目を務め、好感度No.1女優に選ばれた。

1998年映画『リング』で映画初主演。

ドラマ『Sweet Season』(TBS)で民放連続ドラマ初主演。

ドラマ『GTO』の冬月あずさ役で人気を博す。

1999年3本の連続ドラマ(『救命病棟24時』(フジテレビ)、『魔女の条件』(TBS)、『氷の世界』(フジテレビ))に出演。

2000年8月に3夜連続で放送されたスペシャルドラマ『百年の物語』(TBS)に主演し、平均視聴率29.6%を獲得。

『やまとなでしこ』(フジテレビ)でも30%越えを達成した。

2001年テレビドラマ『GTO』で共演した反町隆史と結婚。

2002年NHK大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』に唐沢寿明とダブル主演。

2004年2月に妊娠が公になり女児(第1子)を出産。

その後、8月には住友生命のCMで活動再開。

2005年1月スタートのドラマ『救命病棟24時』で本格的に女優復帰。

11月にドラマ・コンプレックス『火垂るの墓― ほたるのはか ―』(日本テレビ)で冷酷な叔母役を演じ、ドラマ・コンプレックス史上最高視聴率21.2%を獲得。

2006年グローバルな貧困根絶キャンペーン『ほっとけない世界のまずしさキャンペーン』に参加。

2007年女児(第2子)を出産。

2008年3月に住友生命のCMで復帰。

2009年7月スタートのドラマ『救命病棟24時』で本格的に女優復帰。

2011年10月スタートのドラマ『家政婦のミタ』(日本テレビ)で2年ぶりの連ドラ主演。

仕事は完璧にこなすも、無表情で機械的な家政婦を演じ、視聴率は平均視聴率25.2%、最高視聴率は日本のテレビドラマ史上歴代3位タイとなる40.0%という驚異の高視聴率を記録した。

2012年 – 『ラッキーセブン』(フジテレビ)に2クール連続でドラマ出演。

2015年8月、TBSの終戦70年スペシャルドラマ『レッドクロス〜女たちの赤紙〜』で4年ぶりのドラマ主演。

2020年1月AI崩壊(ワーナー・ブラザース映画)桐生望役。

2020年7月フジテレビ「やまとなでしこ 20周年特別編」主演。

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