「株式会社ヤクルト」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)
「株式会社ヤクルト」の企業理念
私たちは、生命科学の追究を基盤として、世界の人々の健康で楽しい生活づくりに貢献します
「株式会社ヤクルト」の「健康への情熱、発想」
世界の人々の健康を守りたい
ヤクルトの創始者で医学博士の代田 稔が京都帝国大学(現在の京都大学)で医学の道を歩みだしたのは1921年。その当時日本はまだ豊かとはいえず、衛生状態の悪さから感染症で命を落とす子どもたちが数多くいました。
そんな現実に胸を痛めていた医学生時代の代田は、病気にかかってから治療するのではなく、病気にかからないようにする「予防医学」を志し、微生物研究の道に入ります。
そこで乳酸菌が腸の中の悪い菌を抑えることを発見、これをさらに強化培養することに世界で初めて成功します。
それが、今日「乳酸菌 シロタ株」と呼ばれる学術名 ラクトバチルス カゼイ シロタ株という乳酸菌です。
その後、代田は、生きて腸内に到達し、有用な働きをする「乳酸菌 シロタ株」を、一人でも多くの人々に摂取してもらうため、有志と共に安価でおいしい乳酸菌飲料として製品化します。
そして1935年、乳酸菌飲料「ヤクルト」が誕生しました。
世界の人々の健康を守りたい。
代田 稔の情熱と発想、飽くなき探究心は、今も、脈々と受け継がれています。
「株式会社ヤクルト」の「代田イズム」
ヤクルトでは、創始者である代田の考えを「代田イズム」と呼び、現在もすべての事業の原点としています。
「予防医学」
病気にかかってから治療するのではなく、病気にかからないための「予防」が重要である。
「健腸長寿」
ヒトが栄養素を採る場所は腸である。腸を丈夫にすることが健康で長生きすることにつながる。
「誰もが手に入れられる価格で」
腸を守る「乳酸菌シロタ株」を1人でも多くの人々に、手軽に飲んでもらいたい。
「株式会社ヤクルト」の創業者・創立者『代田稔』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~
代田稔(ヤクルト創業者)
代田稔。
長野県下伊那郡竜丘村(現飯田市)出身。
養蚕、水引問屋を営んでおり七兄弟の三男として生まれる。
1918年 旧制飯田中学卒業、旧制第二高校入学
1921年 旧制第二高校卒業、京都帝国大学医学部入学
医師だった父を目指し22歳のとき京都帝国大学医学部に進む。
京都帝国大学医学部に入学した代田氏は、消化器管に住む微生物の研究に取り組む
1925年 京都帝国大学医学部卒業
1925年 京都帝国大学医学部微生物講座助手
1930年 医学博士(京都大学、学位請求論文『比色計による補體結合反應の特異度の研究』)
1930年 同講師
ラクトバチルス・カゼイ・シロタ株(ヤクルト菌)を発見
1931年 医師免許取得
1933年 京都帝国大学医学部助教授
シロタ株を入れた飲み物を「ヤクルト」(エスペラント語で「ヨーグルト」という意味から作った造語)と名づけ、「代田保護菌普及会」(ヤクルトの販売組織)によって販売するはこびとなる。
1935年 福岡県福岡市に代田保護菌研究所を設立、「ヤクルト」の製造・販売を開始
戦時中は男性が戦地で戦っていたため、当時のアルバイトとして女性がヤクルトを配る傾向があり、そこからヤクルトレディが誕生。
軍医として出征、戦争に反対していた代田氏は軍服を着ないで背広・ネクタイ・長髪で通します。
1938年 徴兵、京都帝国大学退官。ハルピン医科大学教授
代田氏は軍隊から帰されることになり、ハルピン医科大の教授に任命されます。
しかし日本軍が中国大陸に攻め入ってきたので代田氏は大学をやめて日本に帰国、西日本を中心にヤクルトの本格的な販売に乗り出します。
1939年 山口県下関市に代田研究所設立、研究所長就任。
1941年、太平洋戦争の勃発でヤクルトの原料が入手できず、とうとう製造中止にまで追い込まれます。
終戦を迎えて研究を再開できるようになった代田氏は、また人腸乳酸菌の培養に取り組み、シロタ株を復活させます。
1955年 (旧)株式会社ヤクルト本社設立、代表取締役就任。京都府京都市に代田研究所設立、研究所長就任
1967年 株式会社ヤクルト本社内に、ヤクルト中央研究所設立(代田研究所の移転)、研究所長就任
代田稔(ヤクルト創業者)の名言・考え方
貧しい人も豊かな人も、等しく健康に
こんな悲しい現実を放っておけない。いつか自分がああいう子供たちを救わねば。
「株式会社ヤクルト」の沿革・歴史(年表・社歴など)
1930
代田 稔が人の健康に役立つ乳酸菌の強化・培養に成功(乳酸菌 シロタ株)
1935
「ヤクルト」の製造・販売を開始
1940
販売専門の「代田保護菌普及会」が各地に誕生
1950
株式会社ヤクルト本社を設立(東京都中央区西八丁堀)
京都に研究所を設立
1960
ヤクルト独自の婦人販売店システムを導入
1964
初の海外事業所として、台湾ヤクルトが営業を開始
1967
研究所を東京都国立市に設立(のちの中央研究所)
1968
サンケイアトムズ(現ヤクルト球団)の経営を継承
プラスチック新容器による「ヤクルト」を発売
1970
はっ酵乳「ジョア」を発売
1971
化粧品の本格販売を開始
1972
本社社屋が東京都港区東新橋に完成
ヤクルトレディによる「愛の訪問活動」を開始
1975
医療用医薬品「ビオラクチスカプセル」を発売し医薬品事業に参入
1978
ビフィズス菌はっ酵乳「ミルミル」を発売
1979
一般用医薬品「ヤクルト整腸薬」を発売
1980
東京証券取引所市場第二部に株式を上場
「タフマン」を発売
1981
東京証券取引所市場第一部に上場指定
1989
「リベシィS.E.」シリーズを発売
1990
(財)ヤクルト・バイオサイエンス研究財団を設立
1994
抗悪性腫瘍剤イリノテカンが医薬品製造承認・発売される。商品名「カンプト注」
「愛の訪問活動」が、ボランティア功労者として厚生大臣表彰を受賞
1995
新高級基礎化粧品「パラビオ」シリーズを発売
1997
食品産業優良企業表彰(消費者対応部門)で農林水産大臣賞を受賞
1998
「ヤクルト」が「特定保健用食品」として表示を許可される
「蕃爽麗茶」を発売
1999
「ヤクルト400」を発売
2000
グループダノンと戦略提携契約を締結
2005
ヨーロッパ(ベルギー)に研究拠点を設立
抗悪性腫瘍剤オキサリプラチンが輸入承認・発売される。商品名「エルプラット」
2006
ヤクルト化粧品の事業ブランドを「Yakult Beautiens」に
2008
「ヤクルト」が「2008年度グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」
(Gマーク)を受賞
2010
ヤクルト容器の形状を立体商標登録
「カンプト」が日本癌学会の学術賞を受賞
2012
ヤクルト宇宙プロジェクト“YAKULT SPACE DISCOVERY”を始動
2013
「乳酸菌 シロタ株」が米国・食品医薬品局(FDA)によりGRAS認証を取得
ダノンとの戦略提携契約を終了、協業関係に関する覚書を締結
「Newヤクルト」「Newヤクルトカロリーハーフ」を発売
2016
中央研究所の整備が完了
2017
「シンバイオティクス ヤクルト W」を全国で発売
2018
「ヤクルトのおいしいはっ酵果実」を全国で発売
第2回日本サービス大賞で「ヤクルトレディによる宅配サービス」が経済産業大臣賞を受賞
第2回ジャパンSDGsアワードで特別賞(SDGsパートナーシップ賞)を受賞
2019
2018年に続き、健康経営優良法人2019(大規模法人部門)~ホワイト500 ~に認定
世界の乳製品1日平均販売本数が4,000万本を超える(2019年3月期決算)
「Yakult(ヤクルト)1000」を関東1都6県で発売
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