「大正製薬ホールディングス(株)」の経営理念・企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー・スローガン・指針・方針など)
「大正製薬ホールディングス(株)」の使命 (ミッション)
健康と美を願う生活者に納得していただける優れた医薬品・健康関連商品、情報及びサービスを、社会から支持される方法で創造・提供することにより、社会へ貢献する
「大正製薬ホールディングス(株)」の経営方針(ビジョン)
1. 本業に徹する
①セルフメディケーション事業、医薬事業
②科学的、客観的根拠が呈示出来、当社の強みが活かせる事業
2. 事業活動において持続的な成長を続け、以下のステークホルダーから期待されている責務を果たす
①生活者に対して、「健康」をテーマとしたあらゆる分野で、生活者の健康でより豊かな暮らしの実現を図る
②得意先・取引先に対して、公正で合理的な関係を築き、これを維持する
③従業員に対して、個人の人権や人格を尊重し、雇用の確保を図る
④株主に対して、的確な情報を公正、適時に開示する
⑤地域社会に対して、企業市民として積極的に参画し、環境保全にも努め、共存共栄を図る
「大正製薬ホールディングス(株)」の創業者・創立者・中興の祖『石井絹治郎』~生い立ち・名言・創業の想い・考え方など~
石井絹治郎(大正製薬創業者)
石井絹治郎。
1888年香川県三豊郡(現在の三豊市)出身。
農業を営む石井兵吉・ハルの三男として生まれる。
両親は農業を営んでおり決して暮らしは楽ではなかったといいます。
子ども時代の絹治郎は、日曜日になると畑仕事をしたり、ワラを打って草履を作る手伝いをしたりと両親を助けた。
奉公中の1901年、親戚の石井殷太郎が、輸入薬の取次販売事業を起こすため東京へ移住。
東京に憧れを持っていた絹治郎は、とにかく東京へ行けるのならと、菓子屋を辞めて“薬業見習い”という形で殷太郎についていく。
1904年、13歳で上京し書生として住み込みをしながら現在の明治薬科大学の前身であった神田薬学校夜間部へと入学します。
1906年学校を主席で卒業したあと、薬剤師の国家試験に当時最年少の18歳で合格。
当時は満20歳にならなければ薬剤師免状は下付されなかったため、2年間保留となる。
この2年間に宮内省の侍医寮薬局で助手を勤め、調剤技術を習得した。
1908年泰山堂薬局開設。日本薬剤師会入会。
郷里から家族を呼び寄せて、薬局経営と売薬製造に従事した。
薬局経営が軌道に乗ったところで、念願の製薬の手始めとして売薬製造に着手。
滋養強壮剤の製造にあたって安く手に入る牛血に着目し、日夜研究に没頭して粉末化に成功する。
牛血粉末を使用したヘモグロビンの錠剤とヘモグロビン菓子(チョコレートで粉末をコーティングしたもの)を開発した。
1912年に大正製薬所を発足して商品化、これらの販売を始める。
1912年 – 大正製薬所設立。同年日本薬剤師会東京府選出予備代議員に当選する。
当時は「薬剤師に限って売薬調整権を与える」ことに主眼をおいた売薬法改正をめぐって政治活動が白熱していた。
若年の絹治郎は同志と手分けして各代議士を説得するため訪問してまわり、賛同を求めるロビー活動に励んだ。
そして同志たちとの努力が実り、1914年に改正売薬法が成立した。
1916年 – 日本薬剤師会東京府選出代議員に当選。
1919年 – チフスに罹患するも、一命を取り留める。
1923年 – 日本薬剤師会理事に選出。
1924年 – 日本薬剤師会薬事業務調査委員に就任。
1925年 – 明薬大成会初代会長に就任。同年、薬剤師と薬品営業者を同列に規定していた身分法を改めた薬剤師法案が成立。ここでも絹治郎が同志とともに活動している。
1926年 – 日本薬剤師会東京府薬会長に当選。(没するまで日本薬剤師会理事と重任)
1928年 – 大正製薬所を株式会社大正製薬へ改組。
1929年 – 日本薬剤師会副会長に当選。営業不振により撤退していた大阪に再進出し大正製薬大阪支店開設。当時まだ32歳だった上原正吉を大阪支店長に大抜擢する。
1932年 – 大日本化学工業会長に就任。大正製薬大連支店開設。
1933年 – 日本微生物研究所を設立。
1935年 – 東京府国防科学協会会長、大日本国防科学協会副会長に就任。日本薬剤師会副会長に再任。
1937年 – 東京商工会議所議員に当選。東京府防空委員に就任。
1938年 – 日本鉱業開発と日生鉱業を設立し、両社の取締役社長に就任。比地小学校に教育資金を寄付。
1939年 – 商工省価格形成専門委員に就任。興亜炭素(現:ツルミコール)を設立し、取締役社長に就任。
1940年 – 全国薬業団体連合会会長・東京薬業同業組合長・戦時特別調停委員に就任。皇紀2600年を記念し神川彦松らと皇道文化研究所を設立。
1941年 – 東京商工会議所議員に再選。東京府医薬品需給調査会副会長・医薬品配給統制審議会中央委員長に就任。
1942年 – 東京市会議員に当選。
1943年 – 石井精機社長に就任。4月に東京商工会議所満鮮北支経済使節団長として渡支し、帰国後チフスを発病、同年5月9日永眠(満55歳)。
石井絹治郎(大正製薬創業者)の名言・考え方
石井の懐刀であった上原正吉は後に、『全く、啄木の歌の通りの、白くて大きな手を持った非凡な人間でありました』と表現し、『部下に対する寛容と愛情 / 積極、進取の気象 / 度胸と勇断を学んだ』と述べている。
明治薬科大学初代校長恩田経介は『一見強面だが、恐ろしく気前がよく、熱血漢で義理固い反面、惚れっぽい』と石井のことを評している。
エーザイの創業者内藤豊次とは所謂ライバル関係であり、商売では競い合っていたが、お互いに尊敬し合っており、内藤がスイスに行く際、当時スイスに留学していた長男:輝司宛ての伝言を頼んだほどである。
葬儀委員長を務めた藤山愛一郎は晩年、『石井さんが戦後まで生きておられたら、戦後混乱期の日本の先導役として戦後経済復興のために大きな貢献をされたであろう。国の為にも御家族のためにも、僅55歳で逝かれたことが惜しまれてならない。』と語っている。
皇道文化研究所を共に設立した神川彦松は、石井の亡骸に対面し、『戰局下当面の課題としては、東亞共榮圏を建設するための基礎工事たる日本的世界觀の樹立が本研究所の目的であり、課題でありますが、熱意の賜物である、貴方様は日本精神を根底とし、日本的天才を發揮して日本的にして、然も世界的に妥當する世界觀を樹立しようと心がけたのでありました。このことたる実に深遠にして至難な學的課題であります。貴方様を失ったことは、我が研究所はもとより、皇國にとり最大の不幸であり、打撃であります。』とその若い死を嘆いた。
「大正製薬ホールディングス(株)」の沿革・歴史(年表・社歴など)
1912年
10月
大正元年、<大正製薬所>創業
1927年
鎮咳去痰薬<パブロン>発売
1928年
5月 商号を<株式会社大正製薬所>として、東京都文京区に設立
1929年
11月
大阪支店を開設
1943年
6月 社長・石井絹治郎の死去にともない、石井輝司が社長に就任
1943年
7月 本社を東京都豊島区に移転
1946年
6月 専務・上原正吉が、社長に就任
1948年
5月 商号を<大正製薬株式会社>と改称
1953年
5月 乗物酔薬<センパア>発売
1953年
6月 皮膚病薬<ダマリン>発売
1955年
7月
<ワシのマーク>を制定
1955年
8月 感冒薬「パブロンA」「パブロンB」発売
1957年
9月 目薬<アイリス>発売
1957年
10月
初の医療用医薬品
乾癬治療薬<ソリオン>発売
1960年
10月
鎮痛剤<ナロン>発売
1962年
3月
ドリンク剤<リポビタンD>発売
1963年
1月
大宮工場を建設
1963年
9月 東京証券取引所市場第2部に上場
1963年 <リポビタンD>を台湾に輸出開始
1966年
8月 東京証券取引所市場第1部に指定
1967年
8月 消炎鎮痛剤<オパイリン錠>発売(医療用医薬品)
1973年
5月 副社長・上原昭二が、社長に就任
1974年
7月
大宮工場敷地内に、<総合研究所>を建設
1977年
5月
本社、新社屋へ移転
1978年
6月 <株主特約店制度>発足
1978年
8月
胃腸薬<大正漢方胃腸薬>発売
1982年
6月 副社長・上原明が、社長に就任
1983年
3月 名誉会長・上原正吉、死去
1983年
9月 合弁会社<大正サノフィ製薬株式会社>設立
1983年
9月 <香港大正製薬(力保健)有限公司>設立
1983年
10月 栄養素食品<ビオディナ>シリーズ発売
1984年
3月
胃潰瘍治療薬<ソロン>発売(医療用医薬品)
1984年
6月 <台湾大正製薬股份有限公司>設立
1985年
2月 財団法人<上原記念生命科学財団>設立
1985年
3月 会長・上原昭二が日本大衆薬工業協会初代会長に就任
1985年
9月
岡山工場を建設
1987年
11月 痔疾治療剤<プリザ>発売
1988年
4月 POSレジを通じた販売情報管理システム<サポートVAN>構築開始
1988年
10月 <加州大正製薬株式会社>設立
1988年
10月 末梢循環改善剤<パルクス>発売(医療用医薬品)
1989年
6月 低血圧治療剤<メトリジン>発売(医療用医薬品)
1990年
9月 <マレーシア大正製薬株式会社>設立
1990年
10月 再開発計画・第1期工事、<製剤1号棟>および<共用棟>完成
1991年
6月
抗生物質<クラリス>発売(医療用医薬品)
1991年
10月 <スペイン大正製薬株式会社>設立
1992年
8月 <フィリピン大正製薬株式会社>設立
1992年
10月 不整脈治療剤<アンカロン>発売(医療用医薬品)
1992年
12月 ミニドリンク剤<ゼナ>発売
1993年
7月 <総合研究所・新研究棟>完成
1993年
10月 再開発計画・第2期工事、<原材料自動倉庫>および<厚生棟>完成
1995年
1月 <インドネシア大正製薬株式会社>設立
1996年
3月 <オソサパ大正株式会社>設立
1996年
6月 <ドイツ大正食品有限会社>設立
1996年
8月 名誉会長・上原小枝、死去
1997年
5月 P&Gグループ3社との<コーラック>に関する資産売買契約を締結
1997年
7月 <アジア大正株式会社>設立
1997年
7月
再開発計画・第3期工事、<羽生工場>完成
1997年
8月 <上海冠生園大正有限公司>設立
1997年
8月 <大正ヒゾン株式会社>設立
1997年
8月 ロンドン支店開設
1998年
3月 大正製薬ホームページ公開
1998年
7月 <株式会社大正製薬物流サービス>設立
1998年
9月 <ヨーロッパ大正製薬株式会社>設立
1999年
3月 <メドウェル大正株式会社>設立
1999年
4月 規制緩和により、コンビニエンスストアなどで<リポビタンD>の販売を開始
1999年
6月
日本初の壮年性脱毛症における発毛剤<リアップ>発売
1999年
6月 社長・上原 明、世界大衆薬協会会長に就任
1999年
7月 再開発計画・第4期工事、<治験薬製造センター>および<新合成棟>完成
1999年
7月 <ベトナム大正有限会社>設立
2000年
3月 <財団法人上原近代美術館>設立
2000年
6月 ペースト状骨充填材<バイオペックス>発売(医療用医薬品)
2000年
7月 <大正製薬 北京オフィス>設立
2001年
2月 非ステロイド性消炎・鎮痛剤<ロルカム>発売(医療用医薬品)
2001年
3月 大宮工場「ISO14001」を取得
2001年
7月 活性型ビタミンD3製剤<ホーネル>発売(医療用医薬品)
2001年
8月 <大正R&D USA株式会社>設立
2001年
9月 ラグビー日本代表オフィシャルスポンサーに就任
2002年
3月 羽生工場「ISO14001」を取得
2002年
5月 再開発計画・第5期工事完成
2002年
5月 P&Gから<ヴイックス メディケイテッド ドロップ>事業を承継
2002年
8月 富山化学工業と資本及び業務提携を発表
2002年
10月
本社2号館完成
2002年
10月 <大正富山医薬品株式会社>設立
2003年
2月 特定保健用食品に関するトータルブランド<Livita>(リビタ)を発表
2003年
3月 岡山工場「ISO14001」を取得
2003年
7月 <目白不動産株式会社>設立
2003年
10月 感冒薬<ヴイックス ヴェポラッブ>の販売総代理店契約を締結
2004年
3月 <リポビタンD>累計出荷本数200億本を突破
2004年
3月 羽生工場 廃棄物ゼロ・エミッション達成
2005年
3月 大宮工場 廃棄物ゼロ・エミッション達成
2005年
3月 女性用発毛剤<リアップレディ>発売
2005年
7月 タイで<パブロン><大正漢方胃腸薬>発売
2005年
7月 養命酒製造との業務提携および資本提携を発表
2005年
8月 <横浜事業所>が完成
2005年
9月 <大正アクティブヘルス株式会社>設立
2006年
3月 通信販売専用サイト<大正製薬ダイレクト Online Shopping>開設
2006年
4月 養命酒製造の株式を追加取得し、当社の持分法適用関連会社となる
2006年
5月 国内全工場 廃棄物ゼロ・エミッション達成
2006年
7月 マレーシアで<パブロン><大正漢方胃腸薬>発売
2007年
6月 大宮工場<製剤2号棟>完成
2007年
10月 キノロン系経口合成抗菌剤<ジェニナック®>発売(医療用医薬品)
2007年
10月 <福岡支店>が新築移転
2008年
2月 富士フイルム、大正製薬、および富山化学による戦略的資本・業務提携の基本合意
2008年
3月 伊勢丹との共同開発から生まれたハーブ濃縮飲料<密-hisoca->発売
2008年
3月
ビオフェルミン製薬の株式を取得し、当社の連結子会社となる
2008年
10月 β-ラクタマーゼ阻害剤配合注射用抗生物質<ゾシン®>発売(医療用医薬品)
2008年
10月 富士フイルム、大正製薬、および富山化学による戦略的資本・業務提携の基本合意に基づく株式譲渡
2009年
6月 ミノキシジル5%配合の壮年性脱毛症における発毛剤<リアップX5>発売
2009年
10月 PT Bristol-Myers SquibbのアジアOTC医薬品会社を買収し、アジア地域におけるOTC医薬品事業へ本格的参入
2009年
10月 <シンガポール大正製薬株式会社>設立
2010年
3月 <株主特約店制度>終了
2011年
4月 骨粗鬆症治療剤<エディロール®>発売(医療用医薬品)
2011年
8月 マレーシアの製薬企業Hoepharma Holdings Sdn. Bhd.全株式の取得
2011年
10月
<大正製薬ホールディングス株式会社>設立
2011年
11月 女性用発毛エッセンス<リアップリジェンヌ>発売
2012年
1月 UVケアブランド<コパトーン®>事業承継
2012年
6月 副社長・上原茂が、社長に就任
2012年
7月 株式交換により、トクホンを完全子会社化
2012年
7月 メキシコの製薬企業グループ(CICSA社等4社)を買収
新大阪支店竣工
2012年
10月
<大正製薬株式会社>創業100周年
2013年
4月 中性脂肪異常改善薬<エパデールT>発売
2013年
8月 骨粗鬆症治療剤<ボンビバ®>発売(医療用医薬品)
2013年
12月 <大阪物流センター>竣工
2014年
3月 Rocheグループよりフィリピンにおける消炎鎮痛薬<Flanax®>の商標権等を取得
2014年
5月
2型糖尿病治療薬<ルセフィ>発売(医療用医薬品)
2015年
3月 ダイエットサポート飲料<コバラサポート>発売
2015年
4月 エナジードリンク<RAIZIN>発売
2016年
1月
経皮吸収型鎮痛消炎剤<ロコア>発売(医療用医薬品)
2016年
7月 ベトナムの製薬企業Duoc Hau Giang Pharmaceutical JSC社 株式を取得し、当社の持分法適用関連会社となる
2016年
8月 大宮工場に<物流2号棟>竣工
2016年
12月 ドクタープログラム株式会社の株式を取得
2017年
1月 アレルギー専用鼻炎薬<クラリチン®>発売
2018年
7月 大正富山医薬品株式会社の完全子会社化
2019年
3月 大正富山医薬品株式会社を大正ファーマ株式会社に名称変更
2019年
5月
Duoc Hau Giang Pharmaceutical JSC社の連結子会社化
2019年
5月 スキンケアブランド<アドライズ>発売
2019年
7月
仏UPSA社 連結子会社化
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