《新潟DNA:上越市》佐川清(佐川急便創業者)名言集と佐川清のDNA(生い立ち、経歴、プロフィールなど)

新潟出身者名言

 

《新潟DNA:上越市》佐川清名言集と佐川清のDNA

 

佐川清名言集

 

 

 

裸一貫での開業だから、私は守備範囲を京都・大阪間と決め、京都、大阪の問屋へ『飛脚のご用はありませんか』と注文を取りに回った。

 

 

 

 

 

男は実体験でものを言え!

 

 

 

 

 

 

カネは天下の回りもの、ヘタに貯め込まんと有意義なことにはバンバン使うたらエエんや。無駄遣いはイカンが、活きたカネは断固遣うべしや。

 

 

 

 

 

 

運送会社でドライバーを大事にせんちゅうんは、結局は荷主が離れていく原因や。

 

 

 

 

 

 

飛脚業はドライバーあっての商売や。頑張っとるドライバーには月給100万円以上出してもエエやないか。

 

 

 

 

 

 

男には意地ってもんがあるんだ。

 

 

 

 

 

 

段取りの出来る者が作業の進行を握り、やがては作業全般を掌握するのは成り行きというものだ。

 

 

 

 

 

 

 

私はお客様とのつきあいにはビジネスの次元を越えて、霊的な高まりのなかに自らを置いてきた。荷物をつくった人は、荷物に対する思い(霊性)がこもっているはずであり、発送するときは霊的な思いそのものを送る気分のなかに在るであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐川清のDNAと歩み~佐川清の経歴・プロフィール・生い立ちなど~

 

 

 

佐川清(佐川急便創業者)

佐川清。

 

大正11年3月新潟県中頸城郡板倉村(現在の上越市板倉区)の旧家に生まれる。

有恒学舎に学んだのち、家業に従事。

 

戦後、兵役を終えると1948年に建設業「佐川組」を設立、建設会社を経営。

「佐川組」は解散するも、京都にて1957年に自転車2台を使って妻と2人で運送業を創業。

 

中小企業の小口貨物に狙いを定めて得意先を開拓し、1966年に「佐川急便」株式会社に改組した。

日曜集配などの迅速な配達や運転手の集金担当など運送業の革命的な発想で高収益を上げ、各地の運送業者の吸収合併や新会社の設立で全国進出を図り、1977年、全国ネットワーク網を完成。

 

徹底したノルマ制を導入し、社員に労働基準法を無視した超長時間労働で稼がせる代わりに同業他社の数倍の賃金を保障するという経営方法で、グループを拡大。

高度経済とともに張り巡らされた道路網をフル活用し、創業からわずか30数年で「日通」と肩を並べる会社に急成長、日本有数の運送会社グループに育て上げる。

 

同郷の田中角栄元首相ら政治家、芸能人、スポーツ選手らとの交際も深く、「日本一のタニマチ」とも呼ばれた。

橋幸夫の大ファンでレコード会社・リバスター音産を設立し、迎えたことでも有名。

 

しかし、驚異的な成長の一方で、強引な商法も次々と明らかになる。

1992年には、東京佐川急便の渡辺広康・元社長ら旧経営陣が、広域暴力団稲川会の石井進会長とその系列の企業などに、約1000億円を融資・債務保証したとして特別背任罪に問われる「東京佐川急便事件」が発覚。

 

その後、前新潟県知事金子清も起訴されたほか、自民党副総裁金丸信も5億円受領を認め辞任した。

1992年には事件を機にグループの再編が図られ、グループの複数の中核会社を合併。

 

新会社の発足とともに会長を退いた。

2002年3月11日、急性心不全のため京都府内の病院で死去。享年80。

 

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