フルスイングとは野球。崩されたってフルスイング!~柳田悠岐(福岡ソフトバンクホークス)名言集と軌跡~


新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。

私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。

それが、私の50センチ革命。

一人一人の個人が、一歩前に進むこと。

これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。

元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。

目の前にある、小さなものでも構いません。

新しい一歩を!

過去と他人は変えられない。

変えられるのは自分と未来だけです!

■柳田悠岐(福岡ソフトバンクホークス)名言集

小学校のころはとにかく野球が楽しかった思い出しかないです。怒られた記憶もほとんどない。だから、野球をやめようと思ったことも一度もないですね。今思えば、あのころに『野球にハマれた』ことが一番大きかったんじゃないかな。中学、高校と野球を続ける中で、やめたいと思うことは何度もありましたけど、そこで踏ん張れたのは小学校時代の楽しかった思い出があったからかもしれないです。

小学校のころは体も小さくて打球は飛ばなかったんですけど、それでも『遠くに飛ばしたい』という思いはずっと持ち続けていました。だから、練習でも試合でも、むちゃくちゃ振り回していましたね。でも、それを監督やコーチから指摘されたり、矯正されることもなかったですね。

「ボールを遠くへ飛ばしたい」と言う気持ちが強かったですが、体が小さくて思うようなスイングができていなかったと思います。

バッティングのフォームとか、思いっきり振る姿勢とかは、確かに『あまり変わっていないなぁ』というのが率直な印象です。当時は思いっきり振ってもパワーがないから外野の前に落ちていた打球が、体格が追い付いてきてパワーがついたことで、スタンドインするようになった。そんな感じかもしれないです。

中学の時は練習がしんど過ぎましたね。練習中に水を飲めなく、「野球をしたくない」と思っていました。とにかく指導者が厳しかったですからね。その頃は「遊びたい」という気持ちが強かったです。

高校での3年間ですかね。えげつない程に走っていましたから。毎日のように1時間ランニングをしてから100mダッシュを100本やっていました。それから野球の練習をしていたので、マジで辛かったですよ(笑)。部員の半分は退部しましたし、自分はよくやめなかったと思います。その頃は野球が全然楽しくなかったですが、野球を辞めて地元に帰ると格好つかないと思いましたからね。それだけが当時のモチベーションとなっていました(笑)。

2年生の頃からですね。対戦相手のピッチャーがプロ野球に入っていたので、「自分もプロ野球選手になりたい」と思うようになりました。自信まではなかったですが、頑張れば実現するのではないかと思って一生懸命練習に励みました。

走ることは全てのスポーツに通ずると思いますからね。「走ることは全身運動なので全ての筋肉がつく」ということを、工藤公康監督から教わりました。

プロはなんでもかんでも打ちにいったら打てないんで、打てる球を打ちにいって、それ以外は振らない。

シーズンに入っても調子が普通よりいいときは打球方向を意識することはありませんが、調子が悪いときには逆方向を意識するようにしています。

いろいろ試しながら。特にグリップの握りは、もう一回考え直している。

1番大事なのは体です。シーズンは長いですし、毎日試合があるのでコンディションが悪い時にも試合に出なければなりません。戦っていかなければならないので、ランニングや筋力トレーニングが大事で、気持ちも強くなければならないです。技術に関しては、凄い選手達から色々なアドバイスを聞いて経験を積むことで培われます。プロ野球選手になるためには、技術よりも、体力・肉体・精神が強くならなければならないと思います。

軸がブレるとダメなので、飛ばそう飛ばそうと思わず、まずは脚をしっかり使ってボールを捉える。上体に頼るのではなく下半身の力で下を使ってボールを飛ばすことが大事。

開幕してからも試行錯誤はしていくもの。

だって野球って難しいじゃないですか。上手くなるために自分がやること自体は若い頃だって、今だってそれ自体は変わっていない。僕は僕のままなんじゃないですか。ま、野球はちょっと上手くなったかな。ホントちょっとですけどね。

続けていくことで見えてくるものがある。

結果を出すことを一番に考えている。勝敗に関わるところは高年俸、年齢が上の選手が気にして。若手には、自分のことだけを考えて伸び伸びプレーしてほしいと伝えています。

大学でもプロ野球でも毎日辛くて苦しいことがあります。

プエルトリコのウインターリーグに参加した時に、「プロ野球選手としてあるべき姿」を徹底的に叩き込まれ、自分の考えをノートに書いて提出をしていました。

僕は流れとか運命とか信じる方なんです。それに子どもの頃の夢はプロ野球選手になることでした。だから今、幸せな舞台で僕は野球をやれているんです。

打つのも守るのも走るのも全部好き。全部のプレーに最初から興味があった。子どもたちにとって全てのプレーで憧れの存在になりたい。

日本の代表として、世界のすごい選手と戦える数少ないチャンスだと思うので、そこで自分の力がどんなもんかっていうのは、試してみたいという気持ちはすごく強いです。

ホームラン、打つの難しいです。 目標はまずはヒット。その延長線上でホームランの気持ちではいます。 まあ、場面によってはちょっと狙っていく時もありますけど。でも、ホームランを狙って打撃のスタイルが崩れるのは絶対嫌です。 狙ってなくてもちゃんと当たればスタンドには入りますからね。

ピッチャーという相手に引きずられず、来た球を、自分のスイングで強く叩く。それだけです。

緊張感ある場面でサヨナラホームランを打てたことで、皆さん喜んでくれました。なかなか経験できることではないですし、これからも力に変えて頑張っていきたいですね。

(球団に)『ずっとホークスでプレーしてほしい』と言われて、本当にうれしかった。指名してくれたのはホークス。無名の選手を2位で指名してくれた。バットにボールが当たらない選手を1軍で使ってくれた。感謝してもしきれない。

しっかり振って当たれば、どこかに飛んでいく。

打って走って守って。全て、まだやれる。

崩されたってフルスイング。だから空振りはオッケーなんです。

イメージして準備してきたことは今後にも生きる。無駄じゃない。

がむしゃらにできなくなったら無理。

フルスイングとは野球。フルスイングできなくなったら野球やめる。

結果は恐れていない。

■柳田悠岐(福岡ソフトバンクホークス)とは?

柳田悠岐。

1988年年生まれ、広島県広島市安佐南区出身。

広島市立大塚小学校3年生の時に佐伯区の「西風五月が丘少年野球クラブ」に所属し野球を始め、元は右打ちだったが6年生の時に左打ちに転向。

広島市立伴中学校の時は八幡少年野球クラブシニア(軟式野球)に所属した。

広島商業高校時代は2年時の秋に中国大会出場、3年時の夏は広島大会ベスト4で敗退した。

高校通算11本塁打。

高校卒業後は広島経済大学に進学。

1年時の秋からレギュラーとなり、広島六大学野球リーグ首位打者とベストナイン獲得。

2年時は春秋ともに同リーグのベストナインに選ばれた(2008年)。

この年から3年連続で大学選手権に出場。

3年時の春季は打率.528を残し、同リーグで最優秀選手賞、首位打者、ベストナインを獲得。

秋季は首位打者とベストナインを獲得した。

2010年、4年時秋季も同リーグで首位打者とベストナインを獲得した。

大学通算82試合で打率.428、8本塁打、60打点の成績を残している。

10月28日に行われたプロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから2巡目指名を受けた。

2位指名は数名の候補の中から秋山翔吾を指名する方向で固まっていたが、会長の王貞治が「待て、(指名候補の中で)誰が一番(打球を)飛ばすんだ?」と訊くと、スカウトらが「柳田です」と即答し、寸前のところで指名が切り替えられた。

二軍では77試合に出場し、規定未到達ながら251打数で打率.291、13本塁打(リーグ1位)、43打点(リーグ4位)、5三塁打(リーグ1位タイ)、20盗塁(リーグ4位)、外野手部門の6補殺(リーグ2位タイ)と活躍したものの、85三振(リーグ2位)、外野手部門5失策(リーグ1位タイ)、守備率.962と粗さも目立った。

ウエスタン・リーグ本塁打王と8月度のミズノ月間MVP(ファーム)を獲得した。

シーズンオフにプエルトリコのウィンターリーグに派遣され、11月4日から12月22日までの22試合に出場、規定未到達で38打数11安打、打率.271、3本塁打、11打点、OPS.772の成績を残した。

2012年6月22日の対日本ハム戦で7番右翼手で先発出場し、7回の3打席目で斎藤佑樹から四球を得てプロ初出塁を達成。

6月23日の同カードで8番右翼手として先発出場し、2回の1打席目で吉川光夫からプロ入り初安打を本拠地・福岡Yahoo!JAPANドームで達成した。

8月5日の対埼玉西武ライオンズ戦で多村仁志の負傷により途中出場すると、7回に松永浩典が投げた内角の初球スライダーを右翼席最上段へ運ぶツーランホームランを放ち、これがプロ入り初本塁打となった。通算81打席目での本塁打は推定135メートルの特大弾だった。

8月16日の対千葉ロッテマリーンズ戦の延長10回同点の場面では、薮田安彦から生涯初のサヨナラ本塁打となる2試合連続本塁打を記録した。このサヨナラ打は8月度のスカパー!ドラマチック・サヨナラ賞として表彰された。

9月25日の対オリックス戦では5打席で4安打1四球とプロ入り初の猛打賞を記録した。

10月3日の対日本ハム戦、3打数無安打で迎えた9回6点リード一死満塁の場面で、森内壽春の外角直球を左翼席に運び、プロ入り初の満塁本塁打を記録した。

クライマックスシリーズファーストステージは10月14日第2戦で、涌井秀章からポストシーズン初となる内野安打を放った。

二軍では51試合に出場し打率.300、リーグ2位の16盗塁の成績を残した。

2013年はオープン戦で12球団最多の6本塁打を放ち、開幕一軍入りを果たした。

4月までで打率.298、3本塁打と好調を続けていたが、右鼠径化膿性リンパ節炎の診断を受けて5月1日に一軍登録を外れ、同月11日に一軍復帰した。

8月29日からは松田宣浩の不調に伴って4番に抜擢され、9月8日までの10試合45打席で打率.300、OPS.928と役割を果たした。

プロ3年目にして初めて二桁本塁打、二桁盗塁を記録した。

2014年は開幕戦の対ロッテ戦で本塁打を含む猛打賞で好スタートを切ったが、4月1日からの対日本ハム戦では徹底的な内角攻めにより同カード内で2死球を受けた。

5月には月間打率.395、安打数34(共にリーグトップ)を記録し月間MVPを受賞した。

オールスターゲームに監督推薦選手として初選出。

7月18日第1戦では代打から左翼手で出場し四球で出塁。

7月19日第2戦では1番中堅手として先発出場、6回表の第4打席で山井大介からバックスクリーン左へのツーランホームランを放つなど、この試合4安打の活躍で同試合の最優秀選手賞を獲得した。

8月26日から9月13日までは自己最長の16試合連続安打と好調を維持した。

9月24日にはプロ入り4年目で初の1試合5安打を記録した。

最終的にチームトップの打率.317(リーグ3位)、出塁率.413(リーグ2位)、盗塁33(リーグ2位)を残し、猛打賞15回とマルチ盗塁4回を記録。

打点も70へと伸ばし、チーム内の勝利打点は李大浩に次ぐ10とリーグ優勝に貢献した。

クライマックスシリーズファイナルステージでは、10月15日第1戦に浦野博司から先制タイムリー二塁打を放ち、10月18日第4戦では木佐貫洋から初回先頭打者本塁打で先制するなど、全6試合に出場し25打数で打率.280、3打点の成績だった。

日本シリーズでは10月25日第1戦では、ランディ・メッセンジャーから6回に日本シリーズ初安打を放つと、7回二死三塁でも同投手からライトへ安打を放ち日本シリーズ初打点を記録。

全5試合に出場、20打数8安打(打率4割)、5得点と活躍してチームの日本一に貢献、同選手権の優秀選手賞も受賞した。

他にも三井ゴールデン・グラブ賞と、ベストナインを初受賞した。

10月9日に日米野球2014の日本代表に選出された。

11月14日の第2戦で岩隈久志からセンターオーバー2点タイムリー三塁打、ライト前タイムリー、8回には和田毅からセンターオーバーのタイムリー二塁打を放った。

11月16日第4戦でもクリス・カプアーノ、ロブ・ウッテン、トミー・ハンターからそれぞれ安打し猛打賞を記録。

全5試合に出場し、打率3割、6安打4打点の大活躍でMVPに選ばれた。

ジャスティン・モルノーは「アメリカにつれて帰りたい」と称賛した。

2015年、開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された。

レギュラーシーズンでは、6月2日の横浜DeNAベイスターズ戦では三浦大輔からスコアボード直撃となる特大ホームランを放ち、その際にビジョンの一部が破壊される事態となった。

9月8日、日本ハム戦で自身初の1シーズン30本塁打を達成。

9月15日、オリックス戦で2年連続の1シーズン30盗塁を達成。

打率.363、34本塁打、32盗塁、99打点、出塁率.469の好成績を記録。

自身初の首位打者のタイトルの獲得、12球団トップのOPS(1.101)及びRC27(11.39)、そしてプロ野球史上10人目のトリプルスリーの達成。

またこの年は、東京ヤクルトスワローズの山田哲人もトリプルスリーを達成し、1950年に岩本義行と別当薫が達成して以来、65年ぶりに2人のトリプルスリー達成者が生まれた。

なお、この年の出塁率.469はシーズン400打席以上の外野手で歴代最高値であった。

チームを日本シリーズに導いた点やトリプルスリーを達成した点などが評価され、パ・リーグのMVPに選出された。

2016年は、4月15日の楽天戦で、パ・リーグのシーズン新記録となる16試合連続四球を記録して、田部輝男の15試合連続を65年ぶりに更新。

2017年レギュラーシーズン、セ・パ交流戦では、6月6日の対ヤクルト戦で延長10回裏にボテボテのライン上で止まる内野安打でサヨナラ勝ちを決め、翌7日の同じく対ヤクルト戦では、推定飛距離145メートルの本塁打を放つなど、6月9日の対阪神戦まで21試合連続安打を記録し、チームの3年連続となるセ・パ交流戦最高勝率達成に貢献し、自身は史上初となる2度目の日本生命セ・パ交流戦最優秀選手賞(MVP)に輝いた。

6月23日に福岡ヤフオク!ドームで行われた対西武戦において、3打席連続本塁打と、自己最多タイの1試合6打点を記録する。

2本目の17号2ランはプロ野球史上283人目となる通算100本塁打。

3本目の18号ソロでの3打席連続本塁打は、チームでは1966年の南海ホークス・野村克也以来、51年ぶりの快挙となる。

7月7日、自身2015年9月度以来、4度目となる6月度の日本生命月間MVPを受賞する。

7月14日、15日両日に開催されたマイナビオールスターゲーム2017において、ファン投票で2年連続最多得票となる50万9,359票を獲得し選出された。

14日、15日の試合前に行われた本塁打競争では、2日連続の優勝を飾る。

打率.310、31本塁打、99打点、出塁率.426と打率、本塁打、打点の打撃3部門において、前年を上回る成績を残し、3年連続3度目となる最高出塁率のタイトルを獲得した。

横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズも「1番・中堅手」で出場。

10月31日の第3戦では、1回表の先頭打者でライト前ヒットで出塁、2番今宮健太の打席で初球盗塁。4番内川聖一の適時打で先制の得点を記録。チームは2年ぶりの日本一に輝いた。

11月9日、2015年以来2年振り3度目の三井ゴールデン・グラブ賞と、11月17日にはベストナインを受賞した。

12月23日、契約更改交渉に臨み、ホークスの日本人選手で初の5億超えとなる、2億8,000万円増の年俸5億5000万円+出来高(金額は推定)の3年契約で更改した。

2018年も開幕から好調を維持し、4月21日の日本ハム戦では日本プロ野球史上65人目(70度目)となるサイクル安打を達成。

オールスターゲーム2018のファン投票では3年連続で両リーグ最多得票となった。

最終的に打率.352、36本塁打、102打点の好成績を記録。

本塁打と打点でキャリアハイを記録し、自身3年ぶり2度目の首位打者と4年連続4度目の最高出塁率の2つの個人タイトルを獲得した。

打率.350以上を複数回記録するのは史上11人目の大記録であり、5年連続でシーズン打率5傑入りを果たすのは史上11人目だった。

また出塁率と長打率の両方でリーグトップを記録したが、これで両部門を制したのは4年連続となり、王貞治に次いで史上2人目の快挙を達成した。

ポストシーズンでは、クライマックスシリーズのファイナルステージで打率.450、2本塁打、8打点と打線をけん引し自身初のクライマックスシリーズMVPを獲得した。

続く日本シリーズでは、第5戦の延長10回にバットを折られながらもサヨナラホームランを放つ活躍を見せ、優秀選手に選ばれた。

オフには、ともに自身4度目となるゴールデングラブ賞と満票でのベストナインを受賞した。

2019年4月7日に本拠地ヤクオクドームで行われたロッテ戦で左膝裏に違和感を訴えて途中交代。

翌日に検査を受けて「左半膜様筋腱損傷」と診断された。

前半はわずか9試合の出場で、31打数11安打の打率.355、4本塁打14打点という成績だったが、ファン投票でオールスターに選出された。

その後も万全にはほど遠く、最終的に38試合128打数37安打、打率.289、7本塁打23打点となった。

12月25日に契約更改交渉に臨み、3年契約の3年目となる予定だった来季から新たに7年契約を結び直し、生涯契約を結んだ。

最初の4年間は現在の契約を延長し、年俸変動制で下がることはなく、4年終了後に残り3年分の契約内容を見直す形になり、年俸は5億7000万円プラス出来高から現状維持となる。

生涯ホークス宣言をした。

2020年7月28日(対西武・福岡PayPayドーム)の第2打席で、通算1000安打(史上306人目)を達成した。

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