決まらなければ決まるまで!~中垣内祐一(バレーボール)名言集と軌跡~


新しいことに挑戦、チャレンジする人を応援したい。

私達日本人一人一人が、50cm前に一歩進むと、地球一周分に匹敵するのです。

それが、私の50センチ革命。

一人一人の個人が、一歩前に進むこと。

これが、新しい未来を生み出すのではないでしょうか。

元気になれる名言や格言、言葉や発言を「人物」にフォーカスしてご紹介いたします。

目の前にある、小さなものでも構いません。

新しい一歩を!

過去と他人は変えられない。

変えられるのは自分と未来だけです!

■中垣内祐一(バレーボール)名言集

若い世代からシニア世代までの縦の連携とVリーグ、大学の横の連携を大切にしたい。挑戦するからにはメダルを目指していきたい。

2本連続で取られた『アウト』というジャッジさえなければ、あの試合に勝ってアトランタ五輪の切符を手に入れていたかも知れないし、続くシドニーを含め、2回連続不出場という屈辱も味わわずに済んだかも知れない。

できるだけ会話をするようにはしています。選手の表情をよく見るとか。練習の時でもあれこれ言わない分、選手の顔色を見ていたり状況を見ていたりしようというふうには思っています。よく観察しようと思っています。

実際に試合しないと学べないこともある。特に大学生は強い外国人選手を常にイメージしながら練習してほしい。

東京だからみなさんに注目されて、メダルを取る使命はあるけど、東京五輪じゃなくて、その次の五輪とかその前の五輪であったとしても、同じような気持ちだと思うんですよね。東京五輪は国民にとって特別なものとして映っていると思うし、それは理解するけど、東京だからじゃなく、「五輪でメダルを」という思いが強いかな。五輪に出るという目標が過去にずっと続いてきて、達成できなかったこともいっぱいあるけれど、それと同じように目標の一つだという気がします。東京だから特別視しているということは現時点で僕にはないですね。

社会人になってから、一見生きていくこととは無縁に見える勉強でも、味噌汁のだしなんだと思うようになりましたね。

僕はもう何十年も前から日本選手は海外に出るべきだと言っていました。全日本に関わる選手はもっと出てほしいと個人的には思います。それぞれのレベルに合わせて、できる場所へどんどん出てほしいと。理由は、より高いレベルでバレーを学べる点、異文化の中へ一人で入って人間的にたくましくなる点、そしていろいろな監督やコーチに接して、いろいろなバレーの考え方や指導法を学べることですかね。日本で監督やコーチが言うのと同じことをヨーロッパの指導者が言っても聞こえ方が違うし、違うことを言う場合もあるし、そうやって視野というか、幅を広げることにつながると思います。

育ててもらったバレーボールに恩返しをするため。

ずっと人気が先行して、人気に追い付くためにあがいたという感じです。もっと本当に実力があるなら、ちゃんと胸を張ってサインをするのにと思ったり、ワールドカップで1週間テレビに出ただけで、いつも行くスーパーのおばちゃんが、いっぱいまけてくれたり。1週間で(世界が)こんなに変わらなくてもいいじゃない、と。他の選手もみんなそう思っていたんじゃないですか。

人気はその人の本質と関係ないところで他の大人によってつくられたものだということは、理解すべきだと思っています。うちの主力どころにそういう選手はいないので、あまり心配はしていませんが…。大変ですからね、人気選手は。何十回も同じことを聞かれると、そのうち横柄にもなります。

漫然と、体で覚えたままに100本のスパイクを打つよりも、考え、チェックしながら30本のスパイクを打つほうが、僕には合っていたようです。

自分なりに納得のいくスパイクを打つためのメカニズムを知っていれば、調子が悪くなったときにも立て直しが早いと思うんです。体で覚えているだけでは、この部分で手間取ってしまうんじゃないかなあ。

バレーは確率、いわゆる統計学のスポーツなんですけど、その確率を高めるのはコート内での集中力。薄紙一枚一枚を重ねるように技を積み上げても、強い精神力がなければ試合で一ミリずつのズレとなって現れてしまうんです。

上手になろう、強くなろうという目標を持つことは大切ですが、続けていくためにはみんなで楽しく練習してください。

個々の力では優れなくても、チームの力で勝ちをもぎ取っていくようなチームにしたいですね。そこにしか日本の活路はない。バトンの精度を上げるのと同じで、いろんなプレーの精度をどんどん上げていきたい。

いつも100%の力で打たなければならないのではなく、時には60%であったとしても、効果を発揮することがあります。例えば、「サーブレシーブをする選手がレフトに回った場合、打つコースがここに限定される」とか、「相手のここの場所からサーブレシーブが返ってきた時セッターはこの攻撃を使いにくい」とか、そういったことを考えた戦略的なサーブを打っていくことで、やみくもに強いサーブではなく、時には緩いサーブであったとしても相手の攻撃の幅を狭くすることにつながるのではないかと思っています。

とにかく戦う姿勢を忘れないで戦ってほしいです。ひるんだり、諦めてもらいたくない。どんな相手とやるときにもその気持ちが大事です。

胸が躍っている。粉骨砕身の覚悟で頑張りたい。

世界を目指してバレーを続ける中での数々の出会い。結果として今の自分がいることです。

負けグセをつけるな!

我慢だ。我慢。ここで我慢しろ。

決まらなければ決まるまで!

■中垣内祐一(バレーボール)とは?

中垣内祐一。

1967年生まれ、福井県福井市出身。

中学生のときにバレーボールをはじめ、福井県立藤島高校では全国大会への出場はかなわなかったが、卒業後に1986年に筑波大学体育専門学群に入学すると才能が開花。

大学1年からレギュラーになり、在学中の1989年には全日本代表に初選出。

同年開催のワールドカップに初出場。

大学を卒業した1990年に新日鐵入部。

ルーキーイヤーにMVPや新人賞・ベスト6など数々の賞を総なめにするなど、90年代を代表する男子バレーボールのスーパーエースとして活躍。

1992年バルセロナ五輪等、数々の国際大会に出場し、1994年には全日本の主将を務めた。

2000年にシドニー五輪出場を逃し、全日本代表を退く。

2004年に現役引退。

堺ブレイザーズ監督に就任。

2005-2006年シーズン、Vリーグ優勝。

2009年5月に堺ブレイザーズ監督を辞任、チームアドバイザーに就任。

同年夏から日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員として海外へ2年間派遣され、2011年4月より2013年1月までは諸隈直樹と共に全日本男子代表コーチを務めた。

その後約3年間は、堺の経営母体である当時の新日鉄住金で社業に専念し、鋼矢板などの建材の営業を担当する。

2016年に堺ブレイザーズ部長に就任。

2016年10月25日、日本バレーボール協会理事会で理事16人による多数決により、バレーボール男子日本代表の監督に選出された。

その就任会見で、全日本代表コーチ時代の自身の不倫について触れ謝罪した。

・受賞歴

1990年 第24回日本リーグ 最高殊勲選手、猛打賞、新人賞、ベスト6

1991年 第25回日本リーグ 敢闘賞、猛打賞、ベスト6

1992年 第26回日本リーグ 猛打賞、ベスト6

1993年 第27回日本リーグ ベスト6

1994年 第1回Vリーグ 敢闘賞、ベスト6

1995年 第2回Vリーグ 敢闘賞、ベスト6

1996年 第3回Vリーグ 最高殊勲選手、ベスト6

1997年 第4回Vリーグ 最高殊勲選手、ベスト6

1999年 第6回Vリーグ ベスト6

2007年 Vリーグ栄誉賞(優勝貢献、個人記録)

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