しまむら創業者、島村恒俊:創業期でセルフサービスにした理由とは?

しまむら創業者、島村恒俊:創業期でセルフサービスにした理由とは?

創業期でセルフサービスにした理由とは?

 

島村恒俊/しまむら創業者

 

 

わたしは不器用な人間でした。

押し売りをするのは苦手だったんです。

セルフサービスで洋服の販売をはじめて、本当に楽になったと思いましたね。

 

 

 

 

島村恒俊(しまむら創業者)とは?

 

 

島村恒俊。

大正15年3月8日に埼玉県小川町で生まれる。

 

5人兄弟の末子で、父親の喜一は本田(現在の深谷市川本町)の農家の生まれ、母親のトメは飯能の出身。

昭和6年に小川町小学校に入学。

 

やや口が重たいところはあったが、利発な子供だったので、学校の成績は悪くはなかった。

小学生の恒俊は、毎朝6時に起床、自分で店を開けていた。

 

病弱だった父親の喜一は、独立してすぐに病に臥せていた。

6歳上には長男の敏治がいたが、熊谷商業を卒業して京都の呉服屋に修業に出ていた。

 

その下は3人姉妹だったから、末子の恒俊が母親を助けて島村呉服店の商売を守っていたことになる。

はにかみ屋の恒俊は、子供のときから人と話すのが苦手だった。

 

人間の心の中に飛び込まないと成り立たない接客販売に、自分は向いていないと思っていた。

その一方で、商売は大好きだったから、兄姉の代わりに店番をしたり、商品の陳列を直したりするのは苦痛ではなかった。

 

店の手伝いを喜んでする不思議な子供だった。

長男の裕之(昭和28年生まれ)につづいて、昭和32年には長女の有美が誕生。

 

その2年後には、次男の禎宏が生まれた。

美智子は子育てが忙しくなり、呉服の商売からは離れざるを得なくなった。

 

戦後、島村呉服店は、間口が2間半、奥行きが5間、小川町では一番小さな呉服店だった。

島村呉服店の主要な顧客は、竹沢村や八和田村、東秩父村など、吸収合併前の周辺村落や秩父郡の住民だった。

 

当時から、しまむらは富裕層ではなく、ふつうの庶民を相手に商売をしていた。

1953年、昭和28年に、島村呉服店は法人化。

 

株式会社に組織形態を変えた呉服店は、全国でもめずらしい存在だった。

昭和30年ごろから、島村呉服店の商売は、既製品、婦人ブラウスから寝具まで、総合的な品揃えに変わっていった。

 

1957年、昭和32年、店舗運営を完全なサービスシステムに切り変えた。

1961年、昭和36年5月、多店舗化を開始。

 

東松山市材木町2丁目の(旧)東松山店は、しまむらがチェーン展開をはじめてからの実質的な1号店。

敷地面積が50坪、売場面積は36坪、2階部分は、事務所スペースだった。

 

チェーン化理論を取り入れ、商品を集中仕入制とし、また、運営体制を仕入と販売とに分離。

1972年、島村呉服店より㈱しまむらへと社名を変更。

 

1975年、商品管理を基本に総合的な社内の電算化を自社開発で開始。物流の合理化を目指しチャーター契約による専用便の運行を開始。

1976年、しまむら店舗数9店舗となり、埼玉県外への発展を志向して、群馬県への出店を開始する。

 

1981年、商品管理をデータベース化し、全店舗をオンラインで結び、POSシステム(マニュアルインプット)による7桁での単品管理を開始。

1982年、しまむら店舗数41店舗。大宮市(現さいたま市)に本社を移転。

 

1984年、群馬県大泉町のしまむら大泉店の出店により、店舗数は50店舗に。川口市に物流センターを建設し、物と情報の融合と集中をはかり、また、店舗への夜間定時配送等の改革を行い、伝票仕入を廃止し、納品検収業務を大幅に合理化。

 

1986年、しまむら店舗数82店舗。店舗業務の標準化と合理化で、店長を除き全て定時社員だけで運営するM社員制度を開始。

1987年、しまむら店舗数96店舗。POSシステムの精度を一層向上させるためにバーコード値札を導入し、合わせて商品の研修から販売までの全管理をスキャニングにより行うバーコードを基本とした管理体系に変更。

 

1988年、栃木県高根沢町のしまむら高根沢店の出店により、店舗数は100店舗に。さいたま市に250店舗体制を前提とした商品センターを建設し、川口物流センターから移転。物と情報を一層集約させた物流システムを完成させる。福島県へ出店。営業地域を拡大し東北地方への進出を開始。

 

1988年(昭和63年)東京証券取引所二部上場。

1991年(平成3年)しまむら店舗数193店舗。東京証券取引所一部に指定替え。

 

1997年(平成9年)しまむら店舗数506店舗。株式会社アベイルを設立し、「カジュアル&シューズ アベイル」1号店を開業。台湾桃園市に思夢樂股?有限公司を設立。

2006年、しまむら1,000店舗突破。

 

2012年、中国上海市に「飾夢楽」を開店。しまむらグループ1,800店舗突破。

 

 

 

 

 

厳選!島村恒俊(しまむら創業者)の珠玉名言

 

 

 

親父が独立して商売を始めたときのことをときどき思い出しますね。大恐慌の直後でしたから、それは悲惨なものでした。本町通りには、人っ子ひとり歩いていない。商売はきびしかったですよ。

 

 

呉服は回転が悪いから、計算してみれば結局は大してもうかっていないはずだよ。だから、接客が必要な呉服の扱いは減らして、お客さんに自由に商品を選んでもらえるように店に変えていきたい。

 

 

島村呉服店はそのうち店数が増えて100店舗になるからね。最初の店は、松山の町からだよ。

 

 

東松山のつぎは武蔵嵐山、小川町までは駅で2つ。時間距離にして25分。東松山の人口は小川の約二倍はあったはずだよな。松山の店が出せたら、売上も2倍になるかな。

 

 

自分は父親に性格が似ていると思いますね。一度決めたら、その後に何が起ころうとうしろを振り返らない。あまりこだわらない性格なのですよ。

 

 

しまむらがチェーン展開をしていくのは時代の流れだよ。皆が反対でも、わたしは自分の考えを変えるつもりはないよ。

 

 

見てくれを気にして、何も気張ることはない。安くて品揃えがいいと売れるのは、どこでも同じ。

 

 

 

銀行は、晴天のときには傘を差し出してくれるのに、土砂降りのときはなかなか傘を貸してくれないものだよな。

 

 

 

商品回転率を基準に品揃えを考えるべきである。

 

 

(自分がいなくても)システムさえできあがっていれば、性別に関係がなく、たいていの仕事はこなせるものなのだ。

 

 

 

偶然だったのですよ。仕入を本部集中制に代えておいて、3店舗をまとめておいたことも幸いしました。

 

 

わたしは小学校しか出ていない。大卒の君たちにし仕事を全部任せるから、入社したら自分たちの考えで思い切ってやってほしい。

 

 

ひたすらハードルを上げるだけでは、モチベーションも下がってしまう。「違和感」というかけがえのない報酬が、従業員の積極性を生み出していく。

 

 

チャレンジ精神をよしとして、過去の失敗は問わない。

 

 

小さな失敗ならば、経験は人を伸ばすものだ。

 

 

60点主義にして、80点を狙わせる。

 

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