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株式会社サイバーセキュリティクラウド創業者、大野暉:学生時代に借金を完済した方法とは?

 

学生時代に借金を完済した方法とは?

 

 

 

大野暉/株式会社サイバーセキュリティクラウド

 

 

 

とにかく稼がなくては…!そんな僕のもとへ舞い込んだのが、とある大手広告代理店のバイト情報でした。
友達の話によれば、たった2時間のインタビューに答えるだけで、8千円も貰えるという激アツ案件!
バイト当日、広告代理店のオフィスに行くと、同じく集められた高校生が5名いました。
そこで僕らに求められたのは、とある商品をテーマに、自由に意見を出し合うこと。
「…え?!本当にそれだけ?!そんなことで、どうして僕らが8千円も貰えるんだ…?!」僕は思わず居残って、広告代理店の担当者を質問攻めにしました。
なぜ自分が8千円を貰えるのか、理由を聞かなければ帰れないほど気になったのです。
話を聞いて解ったのは、クライアントが世界有数の消費財メーカーであり、製品の製造販売には潤沢な予算があること。
彼らは新製品発売前の地道なマーケティング活動を通じて、ヒット商品へ導くための確証を、できる限り集める必要があること。
これこそが社会だ…。ビジネスだ!!
話を聞いて興奮した僕は、「今後の案件すべて、無償で僕にやらせてください!」と、即座に申し出ていました。
彼らの期待に応えた結果、請け負う業務は急速に拡大。
書いた企画書が高い評価をいただき、実際に企業から採用された際に、成果報酬を受け取るようになったのです。
パワフルに企画を量産していたので、「活きのイイ高校生がいる!」と噂が広まり、気づけば売れっ子になっていたのです(笑)
おかげさまで、高校1年の終わりには、晴れて借金も完済できました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大野暉(サイバーセキュリティクラウド創業者)とは?

 

 

 

 

大野暉(おおのひかる)。

1990年、横浜生まれ。

 

早稲田大学商学部卒業。

高校在学中の16歳から、メーカーや広告代理店のプロモーションなどを請け負う個人事業主として活動する。

 

18歳時に、環境事業を手がける株式会社ユニフェクトを創業。

大企業の廃棄物管理の最適化サービスをコンサルティング及びクラウド型システムにて提供する事業を展開。

 

事業譲渡の後、2016年に株式会社サイバーセキュリティクラウド代表取締役に就任。

人工知能(AI)を活用した情報セキュリティーを手掛ける。

 

2020年3月26日に東証マザーズに新規上場。

 

 

 

 

 

 

 

大野暉(サイバーセキュリティクラウド創業者)の「コトバ」

 

 

 

 

生まれも育ちも横浜です。住んでいたのは、現在の〝港北ニュータウン〟と呼ばれる地域。今でこそ、知名度を上げたエリアですが、当時は5km先まで見渡せるような何もない土地でした。父親はトラック運転手で、あまり裕福な家庭ではありませんでした。高校に進学する際も、親から「消防士になれ」「働いて稼げ」と言われていたんですよ。ちなみに「暉(ひかる)」という名は、ちょうど生まれた1990年に、文部省が人名の使用に初めて認めた漢字だそうです。母がミーハーだったせいで、人に逢うたび説明を要する、珍しい名前になりました(笑)

 

 

 

 

 

 

5歳のときに空手を始めています。幼い頃は体が小さかったこともあり、なにかと追っかけ回されたりバカにされたり、ハードな子ども社会を生きていました。おまけに体も弱かったので、すぐ熱を出す、風邪をひく、インフルエンザには即感染!そんな状況を見かねた両親から、無理やり地元の空手道場に突っ込まれたのが始まりでした。

 

 

 

 

 

空手を通じて培ったのは、何より負けず嫌いの性格でしょう。全日本チャンピオンも経験し、いわゆる〝勝ち癖〟が身についた結果、勉強でも徒競走でも、もはや勝つのが当たり前。人に負ける自分を許せないという、なんとも大変な性分になってしまいました(笑)

 

 

 

 

 

中学3年生のとき、地域人口の爆発的な増加を機に分校となり、新設校の横浜市立東山田中学校へ通うことになりました。当時の新任校長が、楽天の元・副社長、本城慎之介さんでした。彼こそが、〝楽天市場〟をゼロから創り上げた人です。幸運なことに、僕は初代の学級委員長に就任することで、卒業までの1年間、彼と一緒に学校づくりを担うという絶好のチャンスを得ました。本城さんと過ごした貴重な1年間は、その後の僕の人生に、多大な影響を与えてくださいました。

 

 

 

 

 

 

高校受験のとき、両親から提示された進路の選択肢は2つでした。1つは、国立高校に進んで東大へ行くこと。または、県立高校に進んで東大へ行くこと。それがダメなら今すぐ消防士になって、実家にお金を入れなさい!…と(笑)あまりに極端な条件ですが、実際のところ経済的に余裕のある家庭ではなかったのです。ついには父から、「ここまで育てたのだから充分だろう。15歳といえば、昔なら元服の年齢だぞ!」と、言い放たれる始末…(笑)

 

 

 

 

 

 

 

この国で、あらゆる人の役に立つ、誰もが当たり前に使うような何かを創りたい…。〝当たり前〟とは、電気・水道・ガスのように、誰もが〝意識せずとも〟使っているもの…。それを、どうやら〝インフラ〟と呼ぶらしい。では、自分もインフラが創りたい!僕のような若者が今から参入して、勝てるインフラって何だろう…?結果的に辿り着いたのは、環境事業への参入でした。

 

 

 

 

 

 

 

法人向けにゴミ収集のコンサルティングサービスを開始。企業のコスト削減に直結する提案のため、すぐに事業は軌道に乗りました。2009年には、成果報酬型の月額サービスへと移行するため、ゴミの管理システム『E-con』をリリース。このとき設立した法人が、株式会社ユニフェクトです。社名の由来は、「ユニオン」と「インフェクト」を掛け合わせた造語。ユニオンには「共同体」、インフェクトには「波及する」という意味があります。世の中に価値を波及していく共同体を創りたい。そんな想いで設立した会社です。当時の僕は18歳。

 

 

 

 

 

 

 

自分には修行が必要だ。そもそも会社を経営するなかで、組織づくりに強烈な課題を感じていました。僕が率いていたのは、会社と従業員との関係が、ほとんど給与の繋がりだけのような組織だったのです。各自が収入を追っていて、超個人主義的。もはや組織と呼べる状態ではありませんでした。会社の文化の良し悪しは、事業の発展に大きく影響します。社長の自分に課題があることは自覚していたので、まずは組織づくりを真剣に学ぼうと、企業に就職することを決意しました。

 

 

 

 

 

 

 

(スターフェスティバルでは)最初は社長室長をしたり、オフィス用品通販アスクルに出向したりで1年半。そこからシャショクルという新規事業の立ち上げを任されました。それまではインターネットだけでお弁当を販売していましたが、シャショクルではお昼に企業にお邪魔をして対面でお弁当を販売します。当時でお客様は100社くらい。私自身も営業していましたが、社員の健康を確保したいという企業からたくさんの引き合いをいただきました。3年いましたが、辞める前は約300人の会社になり、私も半分の170人のチームを見させてもらいました。15人の会社のときは、やはり自分中心。でも、成長させるには自分だけではダメで、メンバーの力をグッと引き出さなくてはいけないということを学びました。

 

 

 

 

 

 

 

「Webセキュリティを当たり前にする」というのが、この業界への参入を考えたとき、僕が最初に持っていたコンセプトです。サイバーセキュリティクラウドに出逢ったとき、この会社と僕のコンセプトは同じだと感じました。しかし厳密には、その〝守り方〟に違いがあったのも事実です。そんな折、教育事業を手がける大手企業の情報漏洩事故が発生。原因は明らかに、社内の情報管理の不徹底でした。今後は外部からのサイバー攻撃が増えることは間違いない。攻撃に対して、〝きちんと対処していればWEBサイトは守れる〟という常識を、早く世間に広めなければ…。そんな使命を強く感じた、象徴的な出来事でした。サイバーセキュリティを、世の中の当たり前のインフラにしたい…。僕の想いは、やはりこの会社と共通していたのです。そのためには、ゼロから自分で立ち上げるより、一刻も早くこの会社の技術を活用し、拡散していくことが最善の選択だ。そんな経緯で、事業継承の道を選んだのです。

 

 

 

 

 

 

我々の求めている企業規模に向けて一歩を踏み出したばかりで、株を売らずにもっと伸ばしていきたい。公募に関してもサイズが小さいという声があるが、黒字で安定成長しており、現在予定しているのは、人材投資がメイン。一部はインフラへ投資する。多くの投資をしなくても順調に伸びていく。グローバル展開でも、(米国の)シアトルの拠点に置く社員数はゼロ。それでも700社ほどと取引があり、効率的に顧客を獲得できるスキームができあがっている。ビジネスモデルの美しさにも自信がある。限られた資金のなかで大きく伸ばしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

ハートが揺れるというか、気になることがあるとそこに舵を切ってしまう。僕は“朝令暮改は当たり前”だと思ってます(笑)。自分がやりたいと思うことが変わるなら、変わってしまえばいい。ただ、そのためには小さな競争を積み重ねて、競争を勝ち抜く強い意思が必要。何かに対して劣っているなら、きちんとカバーし、課題を解決して勝てるという根拠を拾い集めていくこと。

 

 

 

 

 

 

“起業=世界を変える”なんて考えなくていいと思います。起業する人が、心の底からやりたいことを持っていればいい。僕自身、起業家になろうなんて思っていなかった。自分が求めているものを目指した結果、自分で作ることになったに過ぎません。自分が何を求めているのか…ハートが叫んでいるものを実行に移してほしい。

 

 

 

 

 

 

世界の自動車産業を第一線で牽引してこられた石坂芳男氏を、このたび当社の社外取締役としてお迎えできたことを大変嬉しく思います。トヨタ自動車で培われてきた経営手腕や海外における事業展開の知見から、当社のプロダクトやグローバルでの事業拡大において有益な助言をいただけると確信しております。また、石坂氏の就任によりこれまでに以上にガバナンスの強化を図り、上場企業としてより質の高いサービス提供を目指してまいります。

 

 

 

 

 

 

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