森ビル創業者:森泰吉郎、ZD(ZeroDefects)とは?

森ビル創業者:森泰吉郎、ZD(ZeroDefects)とは?

ZD(ZeroDefects)とは?

 

森泰吉郎/森ビル

 

創意工夫、節約とならび、ZD(ZeroDefects)に徹することによって日常の守備力の強化を計りたい。

ZD運動とは同じ誤りを二度と繰り返さぬことであり、誤りの起こりやすい環境の改善整備であり、かつ各人がそのために意識的に注意することであって、創意工夫の精神の涵養に必要なトライ・アンド・エラーを抹殺するものであってはならない。

ZDは経営力強化の単なる手段ではなく、O.J.Tの場としての経営の大目的そのものでなければならない。

 

 

 

 

 

森泰吉郎(森ビル創業者)とは?

 

 

 

森泰吉郎。

1904年生まれ、東京都出身。

 

東京市芝区南佐久間町(現・港区西新橋)で、米屋のかたわら貸家業を営む家庭に生まれる。

幼少期は病弱だったため、人情深い大家だった両親に大事に育てられたという。

 

大倉高等商業学校(現東京経済大学)を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。

 

賀川豊彦の『死線を越えて』やマクシム・ゴーリキーの『母』に感動し、一方で自分が不労所得を得る地主階級である事に懊悩したが、大学で上田貞次郎の「企業者は公共社会への貢献を使命としている」という所説に接してアイデンティティーの確立に大きな影響を受けたという。

 

また、1923年の関東大震災で実家の所有物件がほとんど倒壊した際には焼け跡の整理を手伝いながら、災害に強いコンクリート造への建て替えを進言している。

1928年(昭和3年)に大学を卒業すると、関東学院高等部および大倉高等商業学校講師を経て、1932年(昭和7年)に京都高等蚕糸学校教授に就任した。

 

第二次世界大戦が終わると、1946年(昭和21年)には新円切替にともなう預金封鎖の直前に引き出した資金をレーヨンに投資し、これが高騰して得られた売却益などで積極的に虎ノ門周辺の土地を買い進めた。

その後、1946年に横浜市立経済専門学校教授に転じ、1949年に改組にともない横浜市立大学教授となる。

 

1954年(昭和29年)からは同大の商学部長となった。

横浜市大では大学に通うのは週に2-3日程度で、残りの時間は土地の整理やビル建設に取り組み、1955年(昭和30年)に森不動産を、翌1956年には泰成(現・森トラスト・ホールディングス)を設立して第1森ビルが竣工した。

 

また、これに合わせて同年頃から江戸英雄と坪井東に依頼して貸しビル業についての助言を受けている。

1957年(昭和32年)横浜市立大学の学長選挙に出馬するが、大学と会社経営を兼務していたことが批判を受け、結局1959年(昭和34年)に大学を辞職して不動産事業に専念し、森ビルを設立した。

 

江戸が危ぶむほどのペースで積極的に事業展開を進め、1970年頃には資本金7,500万円に対して借入金が58億円まで膨らんだ時期もあったが、高度経済成長や都市集中のトレンドをうまく捉えて小規模な家業を行なっていた会社を大企業に成長させる事に成功した。

 

長期保有を前提として虎ノ門周辺に一極集中して土地を買い集め、街の魅力を高めるために積極的に地域全体のデザインに取り組んでいった。

また再開発事業にあたっては地権者全員の同意を得ることを重視し、典型的な例として赤坂アークヒルズは完成までに20年の月日をかけている。

 

1986年には森ビルの所有する賃貸ビルとその延床面積は73棟、約100万平方メートルに達し、不動産業界で3位の規模になった。

1993年(平成5年)1月30日、心不全により死去し、生前の約定により、遺産の中から約30億円が慶應義塾大学に寄付された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森泰吉郎(森ビル創業者)の「コトバ」

 

 

 

一度取り掛かったら途中でやめない。どんな状況下でもチャンスはある。必ず成功すると信じてやりぬくこと。

 

 

 

 

 

教育されて先人から受け継いだものを、自らの創意工夫によって一段と進歩充実せしめて生産性の向上に役立て、これを後人に受け継がせることの連続が、われわれの生活の永遠の進歩発展を約束する。これが自己充実の楽しみであり、また、生産性向上の度合いが同僚、同業他社に抜きん出ることは、競争を基調とする現社会において自己の存在を一段と強調することに繋がる。

 

 

 

 

 

 

 

まず、儲けようとは思わない。いい計画を立て、いい建物を建てる。そうすれば必ず社会に受け入れられ、結果として儲かるというのが基本。

 

 

 

 

 

 

 

私は多年、研究・事業・生活の三位一体を考えてきた。これはO.J.Tの精神に他ならない。楽しみながら充実、改善努力していくのがわれわれの生活であるならば、以上の話は生活にそのまま通用し得ると思う。

 

 

 

 

 

 

 

技術革新、景気の波瀾、資本自由化等、個別企業の置かれている厳しい環境で、自らが生き抜くためには、他業者に優る経営成績を上げて社会のお役に立ち、自らの存在理由を世に誇示せねばならぬ。これにより、社会も肩身が広くなり、またよりよい利潤とよりよい従業員の報酬が約束される。

 

 

 

 

 

 

 

生きものが神経系統と循環系統とによって、頭脳から手足の末端に至るまで実によく伝達関係が行き届いているごとく、われわれの経営システムもTopとMiddleとBottomとの間、または部門間にコミュニケーションが迅速正確に行われていることが何にもまして必要である。企業活動に必要なすべての意思決定にコミュニケーションなしでは闇夜の歩行に等しく、危険の極みだといわねばならない。

 

 

 

 

 

 

 

最大の支えは技術である。高度の科学知識と合理的計算により整備されたる不動産貸室に関する交渉力、官庁、銀行等との折衝力、建築技術、法律ならびに経済情勢についての判断力等を独自の方法で合理的に結集した総合力(=森ビル的技術)を以上の諸行動原理を指針としつつ、緩急に応じtimelyに駆使することができるならば、これこそがわれわれが森ビルの全社的総合的なO.J.Tの努力目標に他ならない。

 

 

 

 

 

 

ビル経営としてのわれわれは、絶えずより良いビルとより行き届いたサービスを提供申し上げて、お得意様をはじめ関係各層の信頼感をいよいよ増すことを永遠の目的にすべきである。

 

 

 

 

 

 

 

人間の生活は、まず先人に育てられ、ついで後人を育てることの無限の連続である。

 

 

 

 

 

 

組織の機械的歯車ではなく、システムとしての組織を充分に理解し、組織目標達成の推進力たらんとする意欲が要請される。

 

 

 

 

 

 

 

職場は、単に労働を提供して報酬を得る場ではなく、その仕事に即した訓練の場であって、その過程で実現した生産性に対応して報酬が存在するのである。

 

 

 

 

 

教える者は教わる者に対して一日の長がある。職務の上では上役、年齢の上では年長者に対して敬意を忘れてはならない。他方、教わった者が教えた者に勝る、追いつき追い越すことが必要である。相撲道で先輩に勝つことを「恩を返す」といっているのは味わいがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の「しきたり」を十分に守り生かしつつ、その発展と改善に工夫協力することなのである。たとえば、座すべき席が自らにふさわしくないと感じたら、席そのものを自己に適するように工夫すべきであり、席意識にかけた無席者となって、自らの生活を粗末にしてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

社員各自がこのように仕事を通じて訓練された力を、究極的意思決定者としてのTopが過誤なく積極的成功的に結集して、企業目標に向かって経営を進めることができれば、組織全体として社会のお役に立てることができ、その度合いにより利潤を得て、諸君にも一層多く報い得る。また諸君も互いに教育訓練し合って涵養された能力をもって経営に参画すれば、組織自体も強化発展して一段と大規模な仕事に取り組め、社会的貢献力が加わるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

中核となる社員は若いうちから手塩にかけて育てなくてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

中途採用の人たちは経営実務のベテランとして期待したし、それなりの力もあったようだ。ただ、組織的な仕事の進め方から逸脱し、自分勝手な判断で仕事をするようになってしまった。ほかの社員にも悪影響が及び、僕ははなはだ困った。

 

 

 

 

 

 

 

諸君が昨秋「一日社員」として来社したときに話したように、森ビルは虎ノ門という良い立地にあって、いまや中小企業から脱皮して、この地域の再開発に貢献する第一人者として自信を強めつつある。5万坪計画という外延的発展を目標にし、これに耐えうる内的受入態勢を整えるためにいま組織改革の第一歩に入らんとしているが、改革の精神と方向は以上述べたところに尽きる。全社的にこれから改革に取り組むところだから、この点新人旧人ともに新しい経験に入るのである。自信を持って行動することを望む。森ビルの将来は君が背負っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

職場は、人がその一生を賭ける場であるから、苦痛の場ではなく楽しい場でなければならぬ。楽しいとは安易ではなく、たとえ取り組む仕事が苦しくともやる気があれば生きがいが生じ楽しいのである。それには、やる気を起こさせるような職場環境が必要であり、経営者側の配慮とそれに応ずる従業員の協力との両者の呼吸が合ってはじめて可能となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一度取り掛かったら途中でやめない。どんな状況下でもチャンスはある。必ず成功すると信じてやり抜くこと。

 

 

 

 

 

 

 

何にもまして大切なことは、かかるものとしての目標達成への努力が、常に温かい心いきに包まれ、効果的に導かれ行われることでなければならない。その点特に銘記すべきである。

 

 

 

 

 

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