ソニー創業者の一人:盛田昭夫、会社がいつも前進するためには?

ソニー創業者の一人:盛田昭夫、会社がいつも前進するためには?

 

会社がいつも前進するためには?

 

盛田昭夫/ソニー創業者の一人

 

会社がいつも前進するためには、他人の踏んでいない道を進まなければならない。

他人の踏んでいない道を進むためには、他人の教えをそのままやっていたのでは間に合わない。

他人の教えを受けても、その上に自分の知恵を加えて、自分の道を切り拓かねばならない。

自分の特徴を活かし、その特徴を毎日磨き、向上させる努力を続けなければならない。

 

 

 

 

盛田昭夫(ソニー創業者の一人)とは?

 

 

 

盛田昭夫。

1921年生まれ、愛知県名古屋市出身。

 

愛知県名古屋市白壁(盛田家の出自は常滑だが、盛田自身は名古屋出身である)に盛田久左衛門・収子の長男として生まれる。

生家は、代々続いた造り酒屋で父・久左衛門は盛田家第14代当主。

 

母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘であり、元仙台市長・早川智寛の姪、会社再建の神様といわれた早川種三のいとこにあたる。

また、敷島製パン創業家とは親戚、三省堂創業家・亀井家とも姻戚関係にある。

 

愛知県第一師範学校附属小学校(現・愛知教育大学附属名古屋小学校)、旧制愛知県第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校(現・名古屋大学)、大阪帝国大学理学部物理学科卒。

盛田は家業の酒造業を引き継ぐはずだったが、その父親の会社にほとんど興味を示さなかった。

 

時間を見つけては電子機器をいじくり回すのが好きだった。

たちまち熱心なアマチュアの電子機器マニアになり、学業そっちのけでラジオやレコードプレーヤーなどの電子機器を製作していた。

 

大学で物理学を専攻し、エレクトロニクスに対する関心をさらに膨らませた。

第2次世界大戦では海軍に入り、中尉にまで昇進している。

 

太平洋戦争中、海軍技術中尉時代にケ号爆弾開発研究会で井深大と知り合う。

終戦後、1946年(昭和21年)に井深大らとソニーの前身である東京通信工業株式会社を設立し、常務取締役に就任。

 

1950年(昭和25年)日本初のテープレコーダー「G型」を発売。

1955年(昭和30年)日本初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売。

 

1959年(昭和34年)ソニー代表取締役副社長に就任。

1960年(昭和35年)米国にソニー・コーポレーション・オブ・アメリカを設立し、取締役社長に就任。

 

1971年(昭和46年)ソニー代表取締役社長に就任。

1976年(昭和51年)ソニー代表取締役会長に就任。

 

1979年(昭和54年)ウォークマン発売。

1986年(昭和61年)経団連副会長。

 

1987年 日本翻訳出版文化賞

1987年 ドイツ連邦共和国功労勲章受勲

 

1991年 勲一等瑞宝章受勲

1992年 イギリス王室より名誉大英帝国勲章およびナイト爵の称号受勲

 

1994年 IEEEファウンダーズメダル

1994年(平成6年)ソニー ファウンダー・名誉会長に就任。

 

1998年2月23日 フランス政府よりレジオンドヌール勲章コマンドゥール受勲。

1999年 正三位および勲一等旭日大綬章受勲

 

1999年(平成11年)10月3日午前10時25分、肺炎のため東京都港区の東京都済生会中央病院で死去、78歳没。

 

 

 

 

 

 

 

盛田昭夫(ソニー創業者の一人)の「コトバ」

 

 

 

 

 

人はだれでも種々様々な能力を持っているものなのに、どんな優れた能力があるかを知らずにいる場合が多い。

 

 

 

 

 

 

 

自分を開発し、発展していくためには、他人と同じ考え、行動をしてはならない。

 

 

 

 

 

 

ソニーはトランジスタラジオを売り出したのは世界で二番目です。一番目の米国の会社は売れなくてすぐやめた。我が社は、「ラジオは一人一台必要だ」という考え方を売ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

基礎科学の研究からは、未来へのヒントは得られるが、産業のエンジンとしてのテクノロジーは生まれない。そしてテクノロジーをつくり出すのは、科学者ではなくエンジニアだ。ただし、テクノロジーだけではイノベーションにならない。

 

 

 

 

 

 

 

ソニーの「自由闊達」は、責任を持って仕事を成し遂げようと努力する中で初めて成り立つ。

 

 

 

 

 

 

 

50年前には、あなたの会社のブランドも、いまのソニーと同様、誰ひとり知らなかったに違いない。我々は将来のために、いまや50年の第一歩を踏み出すのだ。50年後にはソニーもあなたの会社同様、必ず有名にしてみせる。

 

 

 

 

 

 

自分の仕事は、世界で誰にも負けないという実力を備えなければならないのであります。

 

 

 

 

 

 

日本人は地位が高くなればなるほど働かなくなるとよく言われる。平社員から係長、課長、部長、取締役と位が上がっていくということは、だんだん神様に近づいていくんだ、という考え方だからである。神様に近づくのだから、次第に楽になるのは当たり前。会社にはゆっくり出てきてよろしい、秘書が持ってくるコーヒーをソファでゆっくり飲む、昼間からゴルフに行くというように、平社員のできないことが重役にできるのは神様に近づいたためである。日本は重役天国といわれるが、これが続く限りは外国との競争に打ち勝つことは難しいような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

いつまでも勝ち抜くためには、我々の貴重な戦力を本当に得意な専門的なものに集中しなければならない。自分の得意なところで勝つ以外にないんだということを、よく知らねばならない。得意なことだけ一生懸命やることによってのみ、競争に勝てる。これは簡単明瞭な原則である。

 

 

 

 

 

 

失敗は防ぎようがない。大切なのは、その原因を突き詰めること。それは社員教育、会社の糧になるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

ウォークマンの開発に取りかかったとき、うちの連中は「絶対に売れません」と言ったんです。「小さなテープレコーダーで録音のできないものが売れたためしがない」と。では、カーステレオはどうか。自動車を走らせながら録音する人は一般的にはいない。それなら歩くときに録音しなくてもいい。要するに、カセットを持って聴ければいいわけで、それは売れるんだ。

 

 

 

 

 

 

「私はどういうことができるんだ」「どういうことが、人よりうまいんだ」「どういうことをしたら、人を追いぬけるか」ということを知らないと、競争には勝てない。人と人との競争でもそうだし、会社と会社との競争でも同じこと。社員の一人一人が、その得意の分野で最大限に能力を生かしてこそ、その会社が競争に勝ち抜けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

今や経済は、お金をあやつる人々のなすがままになっている。

 

 

 

 

 

 

私達はプライドが強いですから、ソニーはユニークであると言い続けてきましたし、事実そうだと信じておる。これは、我が社の、かけがえのない我が社の力だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

井深さんも東芝を落ちたんですからね。井深さんも私も大賀君もみんな変わり者なんですね。ほかにも変わり者はいっぱいおるんですが、そういう人たちが型破りでもいいから、生地で働ける会社にしたいというのが、ソニーの理想ですね。

 

 

 

 

 

 

腕のいい人はみんな独立するというけれど、それはとんでもないことで、独立した方がいい人は独立した方がいいし、会社の中で腕をふるえる人は、会社の中で腕をふるえばいい。会社という機構の中で腕を磨ける人だってたくさんいると思う。

 

 

 

 

 

 

そんなものがまだ生産されたこともなく、誰ひとりそれを見たこともないのに、どこかの一隅でこつこつと研究され、非常な苦心の末、製造された製品。その製品を商品としようとする場合には、その製品を手に入れたいという欲求を、人々の間に喚起させなければ、いかに優れた「製品」であっても「商品」にはなり得ない。

 

 

 

 

 

 

 

ビス一本のゆるみが、ソニーの信用を傷つける。

 

 

 

 

 

 

 

私は株価にはコメントしないことにしているんです。なぜなら、株価はその時の資金量や世界情勢など、条件によって変化します。妥当な株価というのは、安定している時期にはあるかもしれませんが、こんなに世の中が揺れ動いている時にはねぇ。

 

 

 

 

 

 

あらゆる新製品の開発には、まず否定的なデータがふんぞり返っている。だが、かすかにポジティブな面が顔をのぞかせているはずだ。そこで否定的な面だけに気を奪われていたら、技術革新も何も生まれてくるはずがない。否定面をかなぐり捨て、わずかばかりの肯定面にしがみつくような人間でないと、いまの会社では通用しない。

 

 

 

 

 

 

できることなら競争を避け、和気あいあいでいきたい気持ちは誰にでもある。しかし、自由経済の会社である以上、競争があり、競争するなら勝たねばならない。会社へ出てきた以上は、毎日が競争なのである。これをよく頭の中に叩き込むことが大切であろう。

 

 

 

 

 

 

私は、アメリカやヨーロッパで経営者連中を前に講演するとき、よく次のような話をする。「あなた方は、不景気になるとすぐレイオフをする。しかし景気がいい時は、あなたがたの判断で、工場や生産を拡大しようと思って人を雇うんでしょう。つまり、儲けようと思って人を雇う。それなのに、景気が悪くなるとお前はクビだという。いったい、経営者にそんな権利があるのだろうか。むしろ、経営者がその責任を負うべきであって、労働者をクビにして損害を回避しようとするのは勝手すぎるように思える。」

 

 

 

 

 

 

重税を納めているサラリーマンは、全体としてみれば日本国の大株主である。いまや進んでわれわれの国を守るために、本当に動かなければならないときが来ている。

 

 

 

 

 

 

もし、死ぬときに「俺は大事な人生を、あんなところでムダに過ごしてしまったな」と思ったとしたら、これほど不幸なことはない。やはり、「俺はソニーで働けて幸せだった」と思って死ぬようにしてあげることが、社員に対する最大の務めだと思う。

 

 

 

 

 

 

我々は学問をやっているのではなく、インダストリーを業としているのだ。

 

 

 

 

 

学校の秀才が必ずしも社会の秀才ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のソニーが、世界のソニーになれないはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとたび社員に経営方針や理念が浸透すれば、その企業は並々ならぬ力と柔軟性を発揮する。

 

 

 

 

 

 

 

まったく違う知識や考えを持った人と、まず対話できることこそ大事だ。

 

 

 

 

 

ソニーを、海外現地の人々が誇りに思う会社にしていただきたい。それが「グローバル・ローカライゼーション」の意味するところです。

 

 

 

 

 

金銭が唯一のインセンティブだと考えるのは、大きな間違いである。

 

 

 

 

 

 

産業人が汗水垂らして働いた結晶が、彼らの為替投機のせいであっというまに吹っ飛んでしまう。そんなばかな話がありますか。

 

 

 

 

 

 

アイデアの良い人は世の中にたくさんいるが、良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない。

 

 

 

 

 

 

 

日本人の中には、意見に食い違いが生じると、友情もそこまでと考える人が多い。しかし、欧米人は、相手を友達と思えばこそ、とことん議論し、徹底的に思うところを説明しようとする

 

 

 

 

 

 

個性を殺す秩序はすなわち沈滞であり、衰退であることは疑いの余地がない。

 

 

 

 

 

 

ネアカになれない時はネアカの振りをしろ、そうすれば社員ばかりでなく自分も騙されてネアカになって行くんだ。

 

 

 

 

 

 

学歴はなくてもいいけれども、学力はなければならない。

 

 

 

 

 

 

井深大とはケンカだってするんですよ。意見がそっくり同じなら、2人の人間がいる必要はないんですから。

 

 

 

 

 

 

黙っているほうが安全だという雰囲気は、非常に危険だ。

 

 

 

 

 

 

辞めてもらっては困る。君と僕が考え方が同じなら二人も要らない。違うから必要なんだ。

 

 

 

 

 

 

とにかく思い切ってやってみよう。間違ったらまた変えればいい。

 

 

 

 

 

 

 

ソニーに関係のあるすべての人に幸福になってもらうことが私の念願であるが、とりわけ社員の幸福は、私の最大関心事である。なんといっても社員は、一度しかない人生の一番輝かしい時期をソニーに委ねる人たちであるから、絶対に幸福になってもらいたい。

 

 

 

 

 

 

ネクラな組織からは何も生まれん。

 

 

 

 

 

 

本質を見失ってはいけない。見失うと、いつでも改革という美名のもとに大切な本質が失われる。変えるべきは変え、変えないべきは変えない。

 

 

 

 

 

 

 

世界中を相手にして仕事をしてみようではないか。

 

 

 

 

 

 

創造性は標準化が不可能です。

 

 

 

 

 

 

 

ソニーというのは生意気な人の個性を殺さない会社。

 

 

 

 

 

 

 

生意気な人達の挑戦的な姿勢が、ソニーの原動力です。

 

 

 

 

 

 

 

 

トップが下を信頼しなきゃ、下が上を信頼するはずがない。

 

 

 

 

 

 

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