「デュアルキャリア」とは?
嵜本晋輔/バリュエンスホールディングス株式会社(旧SOU)
自分はセカンドキャリアではなく、デュアルキャリアという考え方ですね。
デュアルというのは、『異なった』とか『それぞれの』とか『複数の』という意味があります。
要するに、アスリートとしても100%、ビジネスでも100%という考え方ですね。
わかりやすい例としては、本田圭佑選手。
もちろん、あそこまでいってしまうと『自分には無理』と思われるかもしれない。
けれども、現役時代からビジネスのことを意識する選手はいてもおかしくないし、むしろそうあるべきだと思っています。
嵜本晋輔(バリュエンス創業者)とは?
嵜本晋輔(さきもとしんすけ)。
1982年生まれ、大阪府出身。
関西大学第一高校時代にサッカー部へ所属すると、1年時からガンバ大阪のスカウトが視察に訪れるなど、ミッドフィルダー(MF)としてプレーした。
高校卒業後の2001年に、G大阪へ加入。
G大阪時代にはアタッカー型のMFとして将来を嘱望されたが細身だったことが災いして、2年目以降は公式戦への出場機会に恵まれなかった。
J1の公式戦に4試合出場しただけで、21歳だった2003年のシーズン終了後に、戦力外通告を受けて退団。
2004年2月に佐川急便に入社すると、当時大阪市を拠点にJFLで活動していた佐川急便大阪SCに所属したが、シーズン終了後に現役を引退した。
その一方で、実父と2人の実兄がかねてから地元の大阪府堺市でリサイクルショップを営んでいた関係で、佐川急便大阪SC選手時代からブランド品のリユースなどの事業を展開。
2004年5月に株式会社MKSコーポレーションを設立したうえで、ブランド品のリユース専門店「ナンバdeなんぼ屋」を大阪市の難波に開業した。
同年6月には、株式会社Days&Co.Groupの常務取締役へ就任。
現役引退を機に、家業のリサイクルショップで、古物鑑定士としての修業を始めた。
飲食店の厨房機器の鑑定眼を身に付けたことを背景に、2008年7月には、MKSコーポレーションの事業として阪神本線・西宮駅前で洋菓子店「パティスリー ブラザーズ」の1号店を開いた。
この事業は「PABLO」(チーズタルト専門店)の出店(2011年)に発展したが、晋輔は出店を機に独立。
ブランド品のリユース事業に特化したうえで、「なんぼや」「ブランドコンシェル」という名称のリユース専門店を海外にまで展開すべく、2011年11月28日に株式会社SOUを設立した。
2012年3月には株式会社ドロキア・オラシイタ、2014年7月に株式会社IBQLOの取締役にも就任した。
2014年9月には、株式会社ブランドコンシェルの代表取締役にも就任。
同年11月にはSFプロパティマネジメント合同会社の代表社員、2015年9月にはSTAR BUYERS LIMITEDのRepresentive Directorにも就いた。
2016年7月には株式会社エスプレッソプロパティマネジメント、2017年3月には株式会社古美術八光堂の代表取締役にも就任している。
法人設立後は東京を拠点に活動しているが、古巣のG大阪との縁が切れたわけではなく、2017年シーズンから同社を通じてゴールドパートナー契約を締結。
2019年シーズンからは、G大阪とのコラボレーション企画の一環として、「ガンバの選手が試合で実際に着用した鑑定書付きサイン入りユニフォームのチャリティーオークション」というJリーグのクラブでは初めてのイベントを始めている。
また、2016年シーズンから市立吹田サッカースタジアム建設資金の寄付活動や、ガンバ大阪選手OB会の発足(2018年)などにも尽力している。
2018年3月、東京証券取引所マザーズに株式を上場。
2020年3月1日、持株会社体制への移行に伴い、旧株式会社SOUはバリュエンスホールディングス株式会社に社名変更した。
嵜本晋輔(バリュエンス創業者)の「コトバ」
幼稚園に通う頃から、気がつけば僕がなぜか中心にいて、僕が面白いと思うことに共感してくれるみんなをひっぱっている存在だった記憶があります。アルバムの写真を見るといつも真ん中に(笑)。小学4年生の時にサッカーをはじめて、サッカーで目立っていたこともあるけど、転校した時には1ヶ月で小学校の誰もが知る人間になっていました。学級委員長もやったし、中学ではサッカー部で全国大会にも出た。副キャプテンもやった。でも成績はめっちゃ悪く、オール3で体育だけ5という(笑)。でも正義感や人を巻き込む力は先生にも評価されていたと思います。
父は昔、自らトラックに乗って買取りやポスティングなど自分の足で汗をかいていた。人がサボっている時に自分もサボってはだめ。努力の結果報われるということを一番勉強させてもらいました。真面目にコツコツお客様や従業員、家族のためにやって来たからこそチャンスが生まれる。父からは商売の基本姿勢を学びました。3兄弟みんな謙虚な姿勢で自分の利益よりみんなのことを考えていると思う。僕も父のように真面目にコツコツ、しかも猛ダッシュでやっていきたいですね。やはり、意思決定のスピードも重要。これどうやろな、となったら材料をちゃんと集めてすぐ意思決定する。その後は改善するスピード感と実行力が必要。まだまだですがいつも意識しています。
大阪で育ち、子供のころからサッカーひとすじ。高校3年でガンバ大阪にスカウトされて入団し、プロになりました。現役時代は目の前のことに必死で、社会人としての常識や、ましてやビジネスのことなんて、知る由もありません。とにかくプロとして、試合で結果を出すことばかりを考えていました。ところが、結果は出ませんでした。能力不足、努力不足、運、いろんな要因があったと思います。いずれにせよ、プロの世界でサッカー選手として通用せず、22歳でガンバ大阪から戦力外通告を受けてしまいます。その後、アマチュアに降格し、日本フットボールリーグ(JFL)の佐川急便大阪SCに在籍。ふだんは会社員として働き、時々、試合に出る生活が始まりました。初めてお茶汲みやトイレ掃除を経験するなど、華やかなJリーガー時代とは180度違う生活が待っていたのです。人生で初めての挫折。子供のころから努力を重ね、厳しい競争を勝ち抜いてプロになりましたが、それは一瞬でした。残酷な現実を突きつけられ、自分の実力のなさが、ただ悔しかった。
負けを潔く認めるしかありませんでした。サッカー界にとどまって1%の可能性を追うより、活躍できる新しい場所を見つけるのが、正しい意思決定だと結論づけたのです。幸い、父が家電製品や家具を扱うリサイクルショップを経営していて、2人の兄たちも事業を手伝っていました。いずれビジネスの世界に入るなら、早い方がいい。そう思い、サッカーをすっぱりやめて父のリサイクルショップを手伝うことにしました。いま思うと、このときに感情に流されず、的確な判断――投資でいえば、正しい「損切り」ができたのが、自分の人生にプラスに働いたと思います。
僕は選手としての経験しかありませんが、経営者になってみると西野さんの気持ちがよくわかるようになりました(笑)。選手の良さを引き出すためにポジションを変えるとか、個性と個性をかけ合わせることで新たな強みをクリエイトするとか。経営者としての自分は、組織をいかに勝たせるかということにフォーカスしています。でも今にして思えば、特にコミュニケーションの部分で、西野さんからいろいろ学んでいたんだなって思いました。
プロになるまで、私が在籍したチームで学んだことは「全体最適」です。どんなに技術的に秀でた選手であっても、チームの中で生かせなければ、試合に出場できませんでした。ガンバ大阪時代の西野監督は、さらに人間性も求めました。人としてチームに貢献しているか? という視点でした。チームを俯瞰して自分の役割を知ることが大事であることを学んできましたが、それは会社でも同じです。常にオールラウンドプレーヤーが求められるわけではありません。何か1つでも得意なものを見つけて、それを極めて会社に貢献してほしいと社員には言っています。しかし、上司からの手助けも必要だと感じます。適材適所を探る力です。あなたはこうだから、これで行ってほしいと。その上でフォーメーションをつくることは得意なつもりです。
オークション会社主催のオークションに出品する場合、出品できる点数に制限があります。でも自社開催であれば、買い取ったものすべてを出品できるというメリットがあります。自社でオークション会場を持つことはコストがかかりますが、そのコストを上回るリターンが得られると判断したのです。
お客様の中には、商談が成立しても、浮かない顔のままお帰りになる方がいる。そんなときは『私の接客態度の何がまずかったのだろう』と、改善点を探し出していく作業を繰り返しました。そんななかで気づいたのが、『お客様が求めているのは、お金だけじゃないんだな』ということだったんです。お客様にとって大切な品物を手放すことは、思い出を一緒に手放すことでもあります。その思いをしっかりと受け止めて接客ができたとき、お客様は私たちに信頼感を抱いてくださる。毎日お客様と接しながら、『なぜだろう?』『どうすれば?』と考えるなかから、その気づきを得ることができました。
実は私たちの強みの一つである自社開催によるBtoBオークションについても、抜本的な見直しを予定しています。オークションは現在、当社の本社に併設されたオークション会場で毎月開催していますが、今後1年の間にこれを閉鎖し、完全にデジタルな場でのオークションに移行したいと考えています
けれども3年後、5年後の成長を考えると、リアルなBtoBオークションについては今手放すべきだと判断したのです。デジタルでのオークションなら、国や地域を問わず世界各国のリユース事業会社が参加できます。SOUが世界を相手にビジネスができる企業へと成長するために、これは必要なチャレンジです。
実際にBtoBオークションをリアルな場からデジタルな場に移すプロセスでは、さまざまな予期せぬ課題が降りかかってくることでしょう。でも私は『もっと降りかかってこい』と思っています。なぜなら多くの課題に直面するほど、多くの課題解決が生まれ、他社よりも間違いなく速いスピードで目指すべき理想に近づくことができるからです。多くの課題が出るということは、それだけチャレンジをしているという証であり、むしろ企業として健全な姿だと思います。
個々人が事業主であるのがJリーガーです。例えばファッション業界に関心があるJリーガーがいたとして、アスリート事業とファッション事業を並行してやっていくのは、私はOKだと思うんですよ。もちろん、両方とも100%であることが前提ですが。『現役のうちはサッカーに集中しろ!』という意見もあるかと思いますが、引退したら何の保証もないわけだし、一つのことに集中しすぎること自体、今はリスクになる時代ですからね。
事業って、赤字を垂れ流したら継続できないじゃないですか。でも多くのアスリートは、リターンがないのに、自分の時間をスポーツに投資し続けてしまう。好きだからとか、これまでの努力をムダにしたくないからとか、いろんな理由があるのでしょう。私はできるだけ客観的に、ドライに自分を見て、やめることを決めました。もちろん、1%の可能性にかけ続けて、とてつもない何かを手に入れる人もいるでしょうから、一概にはいえません。でも私の場合は、結果的にあの時の判断が正しかったと思うし、正しくするための努力をしてきました。プライドを持ち続ける方法は、ただ1つ。アスリートとして培ってきた経験を、ビジネスに活かすこと。次に進んだ世界で、結果を出すことです。サッカーの道を手放しても、別の道に進んで、努力を続ければいい。プライドをなくしてしまうのではなく、置き場所を別のところにただ移すだけ。そう思えば、人生はいつでも再スタートできます。
SOUを立ち上げたのも、東日本大震災が起こった2011年でした。そして今回、社名をバリュエンスホールディングスに変えたのが、コロナでとんでもないことになっているタイミング。これだけ世の中が大変な時期に、あえて新社名でスタートするということは、厳しいスタートであることに変わりはないですが、試練は成長の機会であると私は捉えています。
経営でもっとも大切なことは先見性。その事業やビジネスモデルが、今の時点では市場環境にマッチしていたとしても、2年後や3年後も同じとは限らない。適切なタイミングで次の一手を打てるように、常に時代の流れを読むことを怠らないようにしている。
僕自身「元Jリーガー×マザーズ上場企業の社長=僕」しかいないわけで、ビジネスも個性も掛け算です。未来はこうなりそうという仮説を立てて、3年後5年後のユーザーはこういうことを考えるから、いまはこれとこれをやって掛け算したら、その時には受け入れられるだろうと設計してビジネスしています。
逆に自分はサッカー選手として大きな失敗をすることができて、恵まれているなと思います。もし私がプロのチームから声がかからず、普通に大学に進学して、無難に大学生活を送って卒業していたとしたら、たぶん起業なんかせずに、今ごろは親父のリサイクルショップを継いでいたことでしょう。失敗を失敗のままに終わらせたら、それは単なる失敗ですが、失敗から学んでそれを成長に生かすことができれば、失敗は失敗ではなく、自分がワンランクアップするための必要なステップになります。
「変化は脅威ではなく成長の機会である」という言葉を常に心に留めています。人間は変化しないと成長できないけれど、それを脅威と捉えがちです。でも成長し続けている企業も人も、みんな時代に合うものを提供して変化している。現状満足は衰退のみだと思います。現状で満足している人は未来がどう変わるか仮説が立てられない。未来のお客様の趣味嗜好は変わるということを大前提に、今のサービスさえも過去のものと毎日思い続ければサービスを改善できます。これで2年も3年も安泰と思うと思考停止になってしまいます。選手経験から人生に安泰はないという考えはありましたが、自分の中でここ数年改善された思考です。すごく成長した理由はそこかな。だから事業を成功するために誰よりも早くチャレンジをして、だれより多くの失敗を経験して成長することが成功に繋がると思っています。
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